今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW

「ザ・中島らも らもとの三十五光年」鈴木創士インタビュー

著者:鈴木創士

出版社:河出書房新社

発行年月:2014年3月

鈴木創士インタビュー

「没後10年」に一致したのか、もしくは著者が以前あるインタビューで口にした「時間の悪巧み」なのか、鈴木創士の著作『中島らも烈伝』(05)が装いを新たにして河出書房新社より文庫化された。タイトルは『ザ・中島らも らもとの三十五光年』。
今回加えられたのは書き下ろしのエッセイ、中島美代子、中島らも+いしいしんじの文庫へ寄せた解説、丹生谷貴志との対談、赤坂真理による解説。本の趣の変化は、「三十五光年」以降に流れた時間に拠るところも大きいだろう。
交流の回想録に収まらない、時の、そしてイマージュの物語ともいえる本書。著者に話を聞いた。

──『中島らも烈伝』(以下、『烈伝』)刊行からもう9年。らもさんや当時書かれたものとの距離感も変わったかと思います。その点からお話願えますか?

まあ……『烈伝』を書いたのは亡くなってすぐだったから、どんな人でも親しくしていた人間が亡くなった直後っていうのはね。それと彼の生前、僕は彼について何も書かなかったけど、時間が経つと当然違ってくる。「死後の生」っていう少しふざけたタイトルの章に収めた文章をここ数年で書いたんだけど、彼の死後の生に付き合っている、今はそんな感じがしていますね。たとえば『烈伝』のはじめにも書いた通り、お葬式の次の日だったかな、高熱が出て寝込んじゃったんですよね。そのとき彼が“来てるな”と思った(笑)。「お前、今、部屋に来ているけど俺もう熱が出てしんどいんで」なんて独りごとを言うような奇妙なことが起こったり。あの頃と今ではまったく違うな。

──たしか、『烈伝』はかなりスピーディーに書き上げられた本ですよね?

結構早く書いた記憶があって、彼の本を読み直すこともせず、一気に彼への手紙のような形で書き上げた。あらかじめ決めてなかったのに、書き出すとそういう形になってね。

──「語り手に徹しようとした」という記述もあります。最初はそのように意識されていたんでしょうか?

徹しようとしても彼とは長い付き合いがあって、一緒にいた時間のことを書いたから完全な語り手ではないのかもしれないけれど、そうしようと意識はして書いたんです。でもそうはなっていないかな……。『烈伝』のときには新しいことを書こうというつもりはまったくなくて、今回の序文にも書いた通り、「白やぎさんがお手紙書いた」みたいな感じでしたね。

──言うなれば“書きっぱなし、一方通行”のような感じでしょうか?

そう。それでたぶん黒やぎさんは読まないだろう、「読まずに食べる」っていう感じ(笑)。それが『烈伝』の頃にはあったんですよね。彼と対話しようと思って書いていないので(笑)。ただ、最近書いた文章は必ずしもそうではなくてね。ちょっと対話しようとしているかもしれない。『烈伝』はそう思わずに一方的に書いた「白やぎさんからのお手紙」だから。「死後の生」では少し対話しようという意識があったかもしれないな。

──時間が経って、そうした変化があるんですね。

人が死ぬということは、どうしようもないことだしね。晩年、彼はそんなこともないのに「生き残ったのは俺とお前だけだ」と電話でよく言っていた。僕はその意味を図りかねるところもあったんだけど、後で思えば──後付けかもしれないけど──「彼は寿命だったんだな」と。死に方も彼は自分の予言した通りだった。「俺は階段から転げ落ちて死ぬ」とどこかに書いてたらしくて。今回の本にも書いたけど、晩年はそれまでのらも君とは違うような奇妙な行動もあったので「人には寿命がある」ことを表したつもりなんだけどね。何しろ十代の頃からの友だちだし、死んだ直後と今とはまったく感覚は違いますね。

──その電話での言葉は本のなかで反復されます。当時、鈴木さんはどう捉えておられたんでしょう?

よく言ってたね。実際はそうじゃなく、彼の友人は多く生き残ってる。だからある種の象徴的な言葉だったんでしょう。「自分はまだ生きている。死んでない」ということを言いたかったのか、もしくは「もうすぐ死ぬ」と言いたかったのか(笑)。わからないけど、ただ、そんなこと今更あれこれ考えても答えが出ることじゃないんでね。

──わからないところですね。本書は書き下ろしのエッセイなどが加えられ、『烈伝』と異なる新しい本になっていますが、丹生谷貴志さんとの対談は鈴木さんの著作『ひとりっきりの戦争機械』(11)にも収められています(初出『ユリイカ』08年2月号)。らもさんを主に文学から探るこの対談を『ザ・中島らも』で読むと少し感触が違います。

あの対談を入れたのは、彼とのエピソード的なことを書くのはもういいんじゃないかという気がしていたのと、何より彼は作家だった。彼はエッセイと小説を書いた。つまり明らかに文学をやっていたわけで、そのことについて一回はちゃんと喋っておかないといけないなという気持ちがありました。…まあ、ちゃんと喋ってないんですけど(笑)。編集者もそう考えていたので、丹生谷さんと対談したという経緯があります。彼の生き方と文学とはどうしても無関係でありえないので、その方向にも話が流れたという単純な動機だけれども。それをこの本にも入れられてよかったとは思っています。

──らもさんの人間像が浮き彫りになりますが、前景に置かれているのは文学や哲学ですね。

たとえばエッセイなどにあまりそういうことを書いてないけど、らも君は作家になる前、あの丹生谷さんとの対談のような会話を僕とよくしていた。だからそういう意味合いもあるんですよ。僕にとって、らも君に関してああいう話をするのは違和感のないことで、いつもしていた話という感じでもありますね。

──パブリック・イメージのひとつ──アルコール中毒で、ユニークな逸話を数多く持つオフビートな作家──とはかなり異なる中島らも像です。

作家である一方、世間では“お笑い芸人のらも君”みたいなイメージで受け止められていたけど、僕のなかにはそういうものはあまり無くて。もちろん冗談を言って笑い転げるようなときもあったけど、ギャグを作るのはどちらかといえば僕の方が上手かったと思うな(笑)。結構憂鬱な奴だったからね。のちに彼は色んな方向で仕事をして、そのなかにはテレビやラジオでお笑いと関わるような仕事もあったし、演劇もそう。でもそれは僕と付き合っていた頃、いつも一緒にいた頃には無かったものだから、少し面喰うところもあるんですよね。僕は彼の何もかもをわかっているわけではないし、“僕が知っているらものこと”しか言えないので、この本での“らも君像”がああなったところもある。だから一般的に思われている「中島らも」と僕が持っているイメージは違うんですよね。全然違うとまではいかないけど、どこか違うところはたしかにあって。

──テレビなどでの姿から作り上げられたらもさんのパブリック・イメージは大きいですね。小説だけを読むのとでは随分違いがあるかと思います。

作家にはイメージがあって、それは作家の書いたものとは関係ない……関係ないとは言い切れないけど、どこか少し違うものでさ。僕は批評するときに、その作家のイメージを壊したいという天邪鬼なところがあるんでね、らも君に限らず(笑)。今回のらも君に対してもそうだったけど、作家のイメージを壊すといっても、“捏造したらも像”とは思っていないし、知ってる通りに話しているだけともいえるんですけどね。社会的なイメージが出来上がるときには全然違うものになっているから、そういうものを壊してやろうという意図はあの対談に少しありましたね。

──同じエピソードを鈴木さんの視点から回想する場合も、その「見え方」は異なっています。「ひとつの町に関して言えば、実際はそれを眺める人の数だけ町は存在するのだから」とも書かれていますが、対談もそれに似たところがあったんでしょうか?

僕はわかりきったことをくどくど言うのは嫌な性質で(笑)。「皆が知っているイメージを話しても仕方ないだろう」といつも思ってしまう。僕自身の性癖でもあるんだけど、同じことばかり言ってもしようがないという気持ちがある。だからあの対談もそうだった。それで、あいつの書いたことには本当にあったことも含まれてるから、対談の前に読むのが何か嫌で読まずに行ったんですよね(笑)。

──そうだったんですね。丹生谷さんはおそらくほぼすべて読んで準備されたと思うんですが(笑)。

だろうね(笑)。僕は一切読まずに行った。それまでに読んでるからいいんだけど。何だかそういう対談でしたね。僕はむしろ彼と聴いた音楽ばかり聴いて行ったな。

──その対談をはじめ、新しい文章が加わった文庫が出版されて、鈴木さんのなかでひと区切り付いたような感覚はありますか?

うん。これからも彼の本を読み直してゆくだろうし、特に短編小説なんかからは発見もあるかもしれないけれど、彼自身について僕はもうほとんど言うことが無い。世間の受け止め方はよくわからないというか、与り知らないけどね(笑)。僕自身はもうこれで、すべてかどうかは別にして「言いたいことは言った」感じですね。ただ、マルクスがすごくいいことを言っている。「私は言った。そして私は魂を救った」というようなことを言ってるんだけど、僕が何もかも言ったからといって魂が救済されたのかどうかはわからないけどさ(笑)。

──…それもわからないですね(笑)。先ほど少し触れた「死」ということに関してもうかがえますか?単にらもさんが故人ということでなく、この本にはつねの頭の上で死者のイメージが旋回しているようなところがあると思うのですが?

それについては解説がすごくよかったよね。

──赤坂真理さんが書かれたものですね。

うん。赤坂さんが文庫の解説としてとてもよいものを書いてくださったと思うし、喜んでるんです。文庫の解説って、たいてい皆いい加減に書いてるから(笑)。少なくとも彼女の解説はそうじゃないのが伝わるいい文章だと思いますよ、すごく。解説だけ読んでもいいくらい(笑)。だから『烈伝』一冊のときとは雰囲気が違うと思います。やっぱり時間の経過もあって、いしいしんじ君とらも君のことを書いたりもしているけど、彼らが友人だったことを僕は当時全然知らなくて。交流を知ったのは亡くなってからだし、今は親しくしているいしい君の本を当時は批評家の立場で読んでいたので、そういう出会いも何だか面白かったですね。……でもとにかくこういう形で中島らものことを話すのって難しいね。なぜだろう……もう全部書いてしまったからかもしれないけど、一緒に過ごした長い時間を全部ことばにするのは至難の技だね。

──それはこの本がおふたりの間だけのとどまらない、「記憶」をめぐる本になっているからだとも思うんです。あるいはやはり、鈴木さんを通した「生と死」の本でもある。

序文にも書いたけど、矢を射って、その矢が射ってしまいっ放しになるとめちゃくちゃなことがいっぱい出てくる。彼が書いていないことでも思い出せばいっぱいあるわけで、それはらも君だけじゃなく、ある時間を共有した人間に対しては誰だって同じだと思う。だから「記憶とは何か?」とかそういう問題にもなってくるよね。「本当にその記憶のなかに自分はいたのか?」とかさ。僕はいつもそういう感触を持っていて、もの書きだから記憶の問題はつねに引きずっているのかもしれない。確信があまり無いんですよね。「本当にそこにいたのか?」っていう。まあ覚えてないだけのこともあるんでしょうけど(笑)。ただ記憶ってそういうもので、らも君と僕の周りでは人がたくさん亡くなっているので、「死」というものをどうすればいいのか?『烈伝』を書いた頃にはそういう思いが特に強くあった。自分をどうすればいいのか考えているときに、らも君自身が死んでしまった。人の死をどう扱えばいいのかという問題はどんな作家、書き手にもあるだろうけど、それがいちばん大きなものとしてあったので、どうしても生と死の話になってしまいましたよね。

──その話のなかから、らもさんがお好きだった文学や音楽を十分にうかがい知ることも出来ます。特に鈴木さんの訳したエドモン・ジャベスの『問いの書』へのらもさんの書評の引用には強く惹かれますが、一方で演劇活動への言及はないですよね。舞台に関わるらもさんを鈴木さんはどうご覧になっていたんでしょう?

見ていて辛いところがあってね。僕は今はピエロかもしれないけど、「俺はピエロはやらない!」ってはっきりあいつにアピールしたら「お前は嫌な奴だ」みたいな喧嘩もあったし(笑)。若い頃は「俺はとにかく嫌だから」という部分が強かったんだよね。そういう言動自体がピエロなんだけど、僕は彼の芝居を見るのがとても嫌で。これは芝居がいい悪いという以前の個人的な感情で、嫌というより見られなかった。実際見ていないしね。彼の劇団には山内圭哉さんとか好きな役者たちもいたし、劇団としてどうこう思ってるわけじゃないけど、らも君の「ピエロがピエロの役を演っている」姿を見ていられなかったというのかな。

──対談で丹生谷さんが「らもさんは本質的にはグッド・チューニングの人だけど、バッド・チューニングに憧れ続けた」と指摘されています。しかし単純に「アル中=ピエロ」を指向したわけではない。らもさんを考える上でグッド・チューニングとバッド・チューニングのはざま、その場所は重要で対談の読みどころでもあります。

はじめからピエロやバッド・チューニングをやろうとしてるということでもないんだよね。そこが彼の複雑なところでさ。彼は人が思ってるよりも、すごく複雑な人ですよ。「明るい悩み相談室」なんかも実生活でピエロを演ってて、それを何とか笑い飛ばすために引き受けてたようなところもあるんだよね。言い替えれば度量があるというか、かなりのものを受け入れることができる人だったんでしょうね。だから喧嘩して僕のことを批判するときは、たいていその反対のことを言って批判したし。「君は偏狭だ。自分で自分の道を狭めているんだ」とよく言ってた。でもそれも全部わかった上のことでね。「俺はここまで我慢をしているのに、何でお前にはその我慢ができないんだ?」という気持ちがあったのかもしれないね。

──対談ではらもさんが「肯定の人」であったことを、ブルトンを参照しながら語られてもいますが、そういう面もあったんですね。

普通の周りの人に対しては寛容だったと思う。でも作家になる前にはキレっぱなしの時期もあったし、いろんな仕事をするようになってからも普通の意味でのストレスはあっただろうけど、そっちの世界では出さないわけですよ。それが時々飽和状態に達して爆発するのが面白くもあったね(笑)。その一面を出しても僕が動じないのも彼はわかってたし、だからこそ爆発してたんだと思うな。僕はそういうらも君が嫌いじゃないし、そういうところが無くなると逆に困るなってくらいで。彼も客観的にそういう自分の性癖をわかっていたとは思うけど、そうは言っても肉体的なものってあるわけで。いわゆる「肉体派」とは正反対のタイプの人だけど、肉体派なんですよ。「精神は死んだ!万歳!」みたいなさ(笑)。

──(笑)。肉体というと、鈴木さんには「いい作家は文章と肉体が一致している」という持論がありますよね。本書で挙げられているのはアルトーとベケット。前にセリーヌもそれに該当する作家だとうかがった記憶があります。らもさんはどうでしょう?

僕はそういう書き手が好きだし、らも君も一致してたと思いますよ。ただ彼は単純な人ではなかったから、かなり複雑な人になると思う。全体像を考えるとね。

──複雑なのにクリアというか、器用な方という印象もあります。悪い意味での「器用」でなく。

そうだね。器用な人で文章もうまいし、何でも出来たけど全体像は複雑だと思う。たとえば人を笑わせたりとか、ひとつひとつは単純なことをしていたと思うけれど。

──書かれたものを見ても、「投げられる球数」の多い人だったと言ってもよいでしょうか?

うん。でも人と書いたものが一致してるって意味には色々あって、投げる球の数が多くて、それが全部同じ的に当たる人はものすごく一致してると言えるけど、らも君はそういう感じじゃないよね。それでも彼の人となりはよく表れていると思う。独特のものだと思いますよ。

──鈴木さんの訳による『ランボー全詩集』は若い読者へ向けられています。本書にもそうした思いはありますか?

そうあってくれればいいとは思っているけど、本なんてどんな風に読んでもらってもいいわけでね。ただ、お笑いの面からだけ読んでほしくはないかな。お笑いって制度だから、一種の制度として読むことになる。そうは考えてほしくないっていうのはありますね。いわゆる“型”、形式じゃないんでね。

──らもさんには形式化を拒む複雑さがある(笑)。

そう、複雑なんですよ。それが面白い(笑)。僕は「おいしい」とかいう形容は嫌いだけど、その複雑さが彼の味、そう思うよ。「中島らもは複雑怪奇である」。これはまだ誰も言ってないことだよね(笑)。

──たしかに(笑)。さて、本書にはいくつか映画絡みのエピソードがあります。最後に「映画とらもさん」ということで少しお話いただけますか?

僕たちは映画が好きだったし、この本は記憶で書いたもので、記憶と映画ってすごく似たものがある。だから映画的なイメージっていうのは少しあるね。特にフェリーニみたいな。何か映画みたいな生活だったしね。

──回想で『大人は判ってくれない』のポスターが出てくるくだりもあります。本書の表紙のおふたりは、どこか『大人は判ってくれない』のジャン=ピオール・レオーのようでもありますね。

映画のなかのイマージュは痛々しいまでに不滅だからね。若い頃のジャン=ピエール・レオーを思い出して、そのみずみずしさをまさに現実のなかでつかみ取れるようにしなくちゃいけないね。僕は映画と現実をそんなにちゃんと区別していない、というか区別できないんですよ。これからは僕も自分がいま言ったことを心がけます。血反吐をはいても…

2014年3月 神戸にて
(取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地)

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