今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW

nichifutsuanime01「日仏アニメーションの文化論」
大手前大学比較文化研究叢書 13

編者:石毛弓・大島浩英・小林宣之
出版社:水声社
発行年月:2017年11月

 

 

 

 本書は、2016年に日仏の研究者および制作者らを招いて行われたシンポジウムの成果としてまとめられた。タイトルから日本とフランス、それぞれのアニメーション文化の特徴が解説され、比較されているのだろうかと思い込んで読みはじめると、直ちにそれが誤解だと判明する。冒頭に配された佐野明子の論文から、「日本固有のもの」と考えられがちなアニメーションの特徴が、実は「雑種的」であることが詳細に確認されるのだ。それは日本のアニメーションの作り手たちが、いかに海外の作品を意識的に参照してきたかという事実を挙げて示されるだけでなく、たとえば、宮崎駿監督の『となりのトトロ』(1988年)に描かれる昭和30年代の日本の風景が、マレーシア出身のアニメーション監督に故郷の似姿として感じられたという逸話のように、作品の受容面からも指摘される。むしろ、各メディアがアニメーションにおける「日本固有のもの」を強調する場合、その欲望の背景を考慮する必要があると佐野はいう。フランスの場合も、かつてポール・グリモーやルネ・ラルーなどに代表される「フレンチ・タッチ」と呼ばれる伝統があったが、「新千歳空港国際アニメーション映画祭」のフェスティバル・ディレクターもつとめる土居伸彰によると、現在の映画祭のコンペティションに送られてくるフランスの作品は、一定の傾向よりもむしろ「多中心性」を有している。その背景として、国際共同製作が盛んであることや非フランス国籍の作家にも開かれた助成金制度の充実などが指摘される。
 
 このように「雑種性」や「多中心性」を強調する本書をさらに魅力的にしている一因として、日仏における商業アニメーションの歴史や現状が確認されるだけでなく、いわゆるインディペンデントの作家たちの活動が詳しく紹介されている点を挙げることもできる。国や地域における固有性が問い直されるだけでなく、アニメーション表現の多様性とそれを支えるシステムにも目が向けられるのだ。日本の場合は、テレビアニメや劇場で上映される長編アニメーションの認知度と比較して、インディペンデントの短編作品、時には「アートアニメーション」とも呼ばれてしまうそれらの存在は、話題にされる機会も上映される場所も圧倒的に少ない。そのため自主上映会や映画祭(現在世界中にアニメーションを専門にするものが200以上あるらしい)に出品され、近年ではYouTubeやVimeoなどの動画サイトなどが発表の場として機能しているが、「対価を払って短編作品を観るという発想が定着しづらい」状況が続いている。こうした現状から振り返りつつ、アニメーション作家の和田淳は、自身がどのように日本や海外で制作活動を続けてきたかを語り、土居もAnimations Creators & Criticsというグループに参加して行ったウェブ上での情報発信や評論、CALFやニューディアーという自身が立ち上げた配給会社での活動を通じて、その定着を目指してきた経緯を明かしている。和田がロンドンに滞在して作品制作に取り組んだ際、現地作家たちから感じた自分の作品をどう売り込むかといったセルフ・プロデュースの能力や海外での言葉の壁の問題は、(アニメーションだけではなく)日本のインディペンデントの映像作家たちが活動を広げる上でも参考になるだろう。

 もちろん以上は、本書が商業アニメに対して、芸術的・文化的価値を有するアニメーション作品を重視しているということではなく、むしろそのような区分自体を疑い、いかにアニメーションの多様性を確保していくのかという問いに繋がっている。 本書に収められた複数の論考で言及されている重要な存在として、仏のアンドレ・マルタン(André Martin, 1925-1994)という批評家がいる。『カイエ・デュ・シネマ』誌の周辺で活動していたマルタンは、1950年代にディズニー作品とは異なる多様なアニメーション表現が世界的に花開いていた状況を受けて、カンヌ国際映画祭で「国際アニメーション週間」という特集上映(のちに独立し、「アヌシー国際アニメーション映画祭」に至る)を組み、世界中の作家たちが交流する場を築いた。しかし、イラン・グェンによるとマルタンの残した膨大なテクストは、現在フランスでさえも一部しかまとめられていない状況だという。グェンが「実写映画におけるアンドレ・バザンのような存在」と呼ぶマルタンの功績を発掘する試みや、彼が現在の意味で最初に用いたとされる「アニメーション映画(film d’animation)」という言葉が、日本を含め各地に定着していった歴史を呼び起こす作業なども、まさに雑種的で多中心的なアニメーションのありようを考える契機を提供してくれているだろう。日仏の事例を主軸としながら、実はその枠を飛び越えてしまっている本書の諸論考には、アニメーションの過去と未来を考えるためのヒントが無数に織り込まれている。

(田中晋平/神戸映画保存ネットワーク客員研究員)

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