インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『ヒカリ』 筒井武文インタビュー
──『筒井武文監督特集Part2』によせて──

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フィルモグラフィを見渡すと、『オーバードライヴ』(2004)と『孤独な惑星』(2010)のはざまにある『ヒカリ』(2006)。上映時間8分、一間の和室で展開するワンシーン・ワンシチュエーションの短篇ながら、長篇2作の結節点として、そして監督にとっても「光の探求」の転換点となる、この特集で見逃せない重要作である。制作当時を振り返ってもらった。

 

──本作は、監督が教鞭を執られる東京藝術大学大学院映像研究科の制作です。どのようないきさつで作られたのでしょう?

映像研究科が2005年に設置されて、2年目に撮影スタジオが出来た。1期生のときには無くて、翌年に2期生が入って来るのと同時にスタジオが使えるようになりました。その夏に撮ったんです。なぜ撮ったかというと、監督領域や脚本領域の受験生は多いけど、技術系──撮影・照明、美術、編集、録音──はやはり応募が少ない。それで受験しようとする人に向けて、スタジオを使った模擬撮影おこないました。つまり、翌年の入学志望者を対象にした、藝大の実習の様子や環境をプレゼンするための作品だったんです。

──クレジットには、この尺の作品には珍しいほど多くの人の名前があります。

参加してくれた人たちですね。志望する学生さんたちは、撮影の最初のほうは見学しています。それで慣れてくると、「録音志望の人はちょっと竿を振ってみますか?」、「撮影照明志望の人はライトを動かしてみましょう」と現場に参加してもらいながら、技術的なことを教えていました。僕も、「いま撮っているショットの狙いはこういうことです」と説明しながら演出していた(笑)。編集とMA(整音)も、オペレーターに指示しつつ、どういう狙いなのかを後ろで見学している受講生に振り返り、解説しながらの作業でした。1日で撮影、翌日の午前中に編集して、午後にMAをおこなったので、2日で仕上げたんです。

──集中的に作られたんですね。脚本は、藝大生の方が書かれたものでしたか?

小林美香さんという脚本領域2期生の作品です。その年の春に入学した学生で、『ヒカリ』の前には濱口竜介君の短篇『記憶の香り』(2006)の脚本も書いています。

──たしか筒井監督が編集された16ミリ作品でしたね?

うん。僕が編集しました。小林さんは、入学試験で提出したシナリオもすごく面白かったので起用しました。彼女は初期映画史の第一人者・小松弘さんの秘蔵っ子だったんです。シナリオに関しては、「登場人物は3人でセットはひとつ。その中で光の変化が出るようなストーリーを書いてください」とお願いした。簡単に言うと、登場するのは3人姉妹。中学生の三女が住む実家へ帰って来た長女と次女が鉢合わせる話ですね。長女はおそらく都心のほうへ働きに出ていて、何かしらの問題を抱えて帰って来ているというシチュエーション。脚本を改稿していくなかで、「セリフだけでなく、3人の交流に繋がる小道具を何か出してください」とリクエストして、出て来たのが伊達メガネなんです。

──姉妹のあいだでリレーする小道具ですね。撮影は宮武嘉昭さんが担当されています。

はい。宮武さんは『ゆめこの大冒険』(1986、以下『ゆめこ』)から僕の作品を撮ってくれている方です。映画美学校、そして藝大の映像研究科発足のときも技術面で支えになってもらい、美学校では撮影技術の締めのようなことを担当していました。藝大では撮影は栗田豊通さんが教授になられましたが、栗田さんはアメリカと日本を往復されているので、忙しくて不在のこともあるんですよ。そういうときには宮武さんが代わって担当してくれて。『ヒカリ』も同じ経緯だったと思います。はからずも、僕の初期作品のキャメラマンと、ここで再びコンビを組んだことになりますね。

──かすかにキャメラが動くところは、監督のアイデアですか?

基本はフィックスですが、細かいところは宮武さんの判断で撮ってもらったと思います。カット割りは僕がやりました。記憶ではカット割りを配って、出来るだけ順撮りで撮影した。通しのリハーサルをおこなって、キャメラポジションに従って順に撮っていったんじゃないかな。何しろワンシーンですからね。

──途中に部屋の間取りが分からなくなってしまう、意表を突かれる引きのショットがありますが?

あれはね、セットを使うときは、壁を抜くことも出来るのを見本として示すためにやったんです。それに壁が4面あると、部屋の中が見えにくいじゃないですか? 1面抜くと参加者全員が中を見て、役者の芝居や演出を把握しやすいという理由もあって壁を外したんです(笑)。

──そういう教育的意図(?)だけではない、監督の欲望が垣間見える気もするのですが……気のせいでしょうか(笑)。

普通の映画との違いは……、壁を外しても、それが分からないギリギリの感じで撮るわけですが、僕の場合はドーンと引いてロングショットで全景を見せてしまうところですね。宮武さんも自分でフレーミングしながら、「本当にいいの?」と訊いてきましたから(笑)。

──プレゼン用の模擬撮影と思えない思い切りの良さですね(笑)。そこから少し寄りの画になる繋ぎも面白いです。

アクションをダブらせるというより、時間が反復する(笑)。物語もシンプルな設定だけど、描かれる内容はそう単純なものでもないしね。それから、この作品では光の探求も出来た。雷鳴が響くと段々部屋が暗くなってゆく。照明をどんどん落としてくれと言ったんだけど、やっぱり見えなくなるまでは落とせない。見えないというのは照明としては怖いことなのでね。でも僕は、「もっともっと!」と煽っていたと思う(笑)。結果、あれくらいまで暗くしてもらいました。

──見ていてふと気になったのですが、小さな絵が飾られていますね?

あれは美術さんが飾り込んでくれて、面白いなと思ったんです。何も言わず、そのまま撮っています。

──額のなかに居る三匹が三姉妹と対を成すからでしょうか、目を惹きます。

それはよく見てもらっているけど、深読みが過ぎる……というか(笑)。美術は、セットの小屋は磯見俊裕さんが手がけて、細かな小道具はその助手の人が準備してくれました。『オーバードライヴ』のときから就いているので、僕の喜びそうなものを予測したんじゃないですか(笑)。

──よく心得ておられます(笑)。音に関してもお話しいただけますか?

スタジオが、ものすごく反響するんですよ。ガンマイクで録ると、とても使えないほど。その後、吸音材やゴムを壁に貼って同録可能になりましたが、『ヒカリ』のときは、まだ同録が出来ない状態でした。ガンマイクでも一応録ってみたけど、反響しているので使えなかった。ワイヤレスマイクで録ったセリフを、なるべくエコーを切って使っています。状況が許せばアフレコしたかったんだけど、とにかく2日間で仕上げないといけなかったので、同録を使わざるを得なかった。必要な効果音は用意してもらって、あとで付けました。

──小さなセットながら、不思議な空間に仕立てておられますね?

hikari_04_wそうですね。小さな一つの和室が、象徴的な映画空間として存在するイメージです。広がりと、凝縮された息詰まるような感覚とを併せ持つ空間にあの部屋を変えられるか? そこで光の微妙な推移と、役者の表情や芝居や動きをどう連動させるか? それがテーマでもありました。

──明暗の移り変わりも作品のリズムになっています。

『オーバードライヴ』のクライマックス、弦と宗之助の対決でうまくいかなかった部分を、この小品のなかでやり直したという側面もあります。妊娠を告白した長女に対する次女と三女のリアクションが光の推移のなかで変わっていく。それを映画として成立させられるかということですね。決して心理的な描写ではないんです。

──最後に長女をとらえるアングルも面白いですが、監督が決められたものですか?

はい。あのラストへ持ってゆくために、3人をどう動かしてカットを割るかが正念場でした(笑)。動きを見せずにそのポジションへ行って適切な言葉を発するのは次女ですね。狭い空間に3人居るので、どの動きを見せる/見せないかも重要でした。長女は動きが見えるように撮ったかな。それと、一回だけキャメラが窓外に出ます。お分かりでしょうが、成瀬巳喜男の呼吸を盗んでみたいと。

──縦構図のショットですね。物語の風通しをよくしていますし、長女が光のほうへ歩いてゆく動きはラストに呼応しています。ところで、三女を可愛いく撮ることも重要だったのではないでしょうか……?(笑)

彼女(熊本野映)は、『ヒカリ』の前の実習で瀬田なつきさんの映画に出ているのを見て、いいなと思って引き続きキャスティングしました。可愛いでしょ(笑)。『孤独な惑星』の三村恭代さんも瀬田さんの卒業制作の『彼方からの手紙』(2008)の直後の出演で、瀬田へ「女優はこう撮れ」との教育かもしれませんね(笑)。長女と次女は映画美学校の学生──撮影のときにはもう卒業していたかな──で、僕が当時「美学校の三大女優」と呼んでいた3人のうちの2人なんです。

──では快心のキャスティングと言えますね。

藝大が出来たばかりで、まだ美学校との繋がりも強かったからですからね。長女役の長島良江さんは万田邦敏監督の短篇に出ているし、次女役の本間幸子さんは、井川耕一郎監督の『西みがき』(2006)、『追悼映画玄関の女』(2011)などの主演女優。女性しか出演していませんが、姿を映さずに、影で男性の気配を観客に届けられるかどうかにチャレンジしました。そして、10分もない短い尺でも一つの作品世界を作れることを見せたかった。女性しか出ない映画には、ジョージ・キューカーの『The Women』(『女性たち』/1939)もありますよね。

──演出面に監督の手腕が発揮された作品だと感じます。シナリオも女性の手によるものなので、筒井監督版『女性たち』なのかもしれないですね。本作は、関西では今回が初上映ですか?

そうですね。東京でも、アテネ・フランセ文化センターで2011年におこなわれたレトロスペクティヴで一度上映したくらいで、ほとんど見られてないと思いますよ。

──貴重な機会です。また濱口竜介さんが助監督として参加しておられます。

お世話になりました、はい(笑)。

──現場で濱口さんはどんな仕事をされていたのでしょう?

たくさんの学生さんたちへの対応で精一杯で、スタッフのことまで気にかける余裕がなかったけど、頑張ってくれていたと思います。たぶん濱口君は「もっと早く撮れよ」と思いながら見ていたんじゃないですか(笑)。

──『学習図鑑』(1987-89)の撮影は2日、本作の制作も2日間。フィルモグラフィを遡ると、短い期間で撮られたものと、そうでないものがありますね。

僕の映画って、撮影が短いものと、延びているものと両極端ですよね。……制約があったほうがいいんでしょうね。でも、皆さんにあまり信用してもらえませんけど……、僕は期日も予算も守るんです(笑)。

──誤解を解いていかないといけません(笑)。

本来、テイクを重ねるのが嫌いですからね。テイクワンで終えて次へいきたいと思うので。『オーバードライヴ』もほとんどのシーンが、技術的なトラブルのない限りワンカットOKだったと思います。役者さんがいい状態のときに撮りたい。テイクを2回3回と重ねると、動きに新鮮さがなくなるので嫌なんです。本番テストのときの芝居がいちばんいいので、本当はそこで(キャメラを)回してしまいたい。技術スタッフの協力がなければ出来ませんが、『オーバードライヴ』では何箇所か回してもらったと思います。次の長篇『孤独な惑星』とのあいだに、人物の関係性と絡めた光を考えることも出来たし、『ヒカリ』を撮ったことは僕のなかで大きいですね。

 

→『孤独な惑星』インタビューへ続く

取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

筒井武文監督特集part2[2015年4月11日(土)・12日(日)]

これまでのインタビュー|神戸映画資料館