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『ソレダケ/ that’s it』 石井岳龍監督インタビュー(後編)

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いよいよ公開が迫った『ソレダケ/that’s it』(関西での公開は5月30日)。様々な試みや仕掛けを施した新作へのインタビュー後編では撮影技法や、今作が持つスタイル、そして映画に取り込まれた時代の空気などに関して話を伺った。前編で語られていた「ブッ飛び映画」であることが、ここからも感じ取れるだろう。

 

──後編では、撮影のこともおきかせください。今作は場面ごとの撮り方も面白いです。冒頭、染谷さんと渋川さんが疾走するシーンで使っているカメラはGoProですか?

そうですね。本来は揺れないように使わないといけないんだけど、揺れてしまって最初は「使えない、失敗だ」と思った。ところがラッシュで見ると、すごく面白くて。走る人の呼吸に合っている。

──シンクロしているようですよね。

本来、失敗からはじまっているので、ああいうものはあんまり入れちゃいけないんです(笑)。だけどそれがすごく面白くて、わからないものですよね。

──具体的には役者の体にベルトを巻いて、そこにカメラを装着していたのですか?

「自撮り」みたいなものですね。ベルトに曲がるマイクのようなものを付けて、角度も微調整出来るようにカメラマンが一生懸命考えてくれました。三点止めもして揺れないはずだったのが、こんなになってしまって(笑)。「これはダメだ」と思ったけど、それが良かったんですね。あそこの面白さはすごく気に入ってます。

──そういう小型カメラも用いつつ、メインカメラには「PMW-F3」を使用していますね。フィルムで撮られたように見える画があり、デジタル特有のシャープな画もあります。

映画の内容によるものでもあるけど、前にデジタルで長篇を2本撮って、長所と弱点を掴めていました。デジタルもかなり成熟して、いままでフィルムで出来なかったことと、フィルムでしか出来なかった良さとを両立させられるようになってきた。それは大きいですね。

──モノクロパートの質感もコントラストの強い画と、そうでない画とを使い分けていますね。

最初はそうしようと考えてなかったんです。フィルムでやりたくてもなかなか出来なかった「銀残し」という手法があります。全体を少し脱色したような、でも味があるという。それで全編通すつもりでいたのが、それだと赤だけが残ってしまう。撮り終わってみるとちょっと弱かった。「もっとハードに」という意見もありました。普通なら白黒にしたくても反対されるんです、制作会社に。ところが今回は「白黒がいい」と言われて(笑)。じゃあ思い切りやってやろうと。白黒は好きですしね。後半の展開でバシッとカラーになることは前々から考えていました。メリハリが生まれて良かったです。

──カメラマンの松本ヨシユキさんとは、これまでも組まれていますね。

松本君とは、『生きてるものはいないのか』(2012)から3作めですね。

──『生きてるものはいないのか』のときは撮影にあたり、吉田喜重監督の作品が頭の片隅にあったと伺った記憶があります。

そう、『エロス+虐殺』(1969)を見てもらって。なぜだか自分でも分からなくて、空間の使い方だと思うんだけどね。

──『生きてるものはいないのか』は引きの画で構成された映画でしたが、今作ではこれまでの監督作にない寄り、クローズアップが見られます。

soredake_11そうですね。そうしないといけないと思っていたし、全体的に俳優の表情だけを撮ればいいと思っていたので。いまはまた別の撮り方も考えていますが、この映画ではとにかく俳優の表情を撮りたかったですね。それがすべてだと。俳優のいる空間が映画の空間になると思っていました。『シャニダールの花』(2013)も結構そうだったんですけどね。それをさらにアクション映画として徹底してもらった。それから、松本カメラマンに数種類の小型カメラでありとあらゆる色んな撮り方をしてもらいました。

──そのようなテクノロジーとの付き合い方も石井監督が毎回取り組んでおられることだと思うのですが、センター、ライト、レフトスピーカーだけの「3chバズーカ音響」についてはいかがでしょう。5.1chが主流のいま、これも一つの「凝縮」した手法だと思うのですが?

それもありますし、ずっと映画を作っていて、全国どこの劇場でも万遍なくいい音のバランスでないとダメだということを思い知りました。設備の良し悪し問わず、同じように楽しめる。そういう普遍的な強さがなければいけないと思ったので、欲張らずに、なおかつロック映画だということもあって、シンプルにベストな音響を選びました。『シャニダールの花』でもデジタル3chの音を経験していて、納得いく音作りが出来ていたので、それを推し進めたということですね。音を作った人たちとも何度もやっているし、私の音の癖も把握している人たちが、限界まで追求してくれました。

──そうした音と映像による作品の仕上がりは、「ジャンル映画」を意識させるものです。

soredake_07ジャンル映画ですよね、それは自覚していました。何だろう・・・・・・、『トゥルー・ロマンス』(トニー・スコット/1993)みたいなものがいちばん近いのかな。『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール/1960)や『汚れた血』(レオス・カラックス/1986)もすごく好きですしね。アメリカのギャング映画の影響を受けたそれらの作品や、『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン/1967)の元にある『拳銃魔』(ジョゼフ・H・ルイス/1950 )とか、チンピラの男女が追い詰められて暴れるノワールがとても好きなんですよね(笑)。今作は激しいノワール映画で、変則的でもある。「ネオ・ネオ・ノワール」とでもいうのかな。前編でお話した、マジック・リアリズムを合体させた形です。『勝手にしやがれ』はあの当時のB級ギャング映画の再生だったし、80年代にはカラックスがそれをやった。ハリウッドではタランティーノが──『トゥルー・ロマンス』の監督はトニー・スコットですが──そういうものをやろうとしたんだと思う。ただ、ゴダールやカラックスはフランス映画なので、男女のイチャつきを長く撮るじゃないですか? 私はそれが少し苦手でね(笑)。押えるところは押えて、あとは「男祭り」の部分を大事にしないとと思っていました。「お約束」のシーンも設けてあります。

──ジャンル映画として、イメージしていたものに近い仕上がりになりましたか?

でも編集したあとに見返すと、案外似ていなかった。『トゥルー・ロマンス』や『レザボア・ドッグス』(クエンティン・タランティーノ/1992)、『男たちの挽歌』シリーズ(ジョン・ウー/1986~)にもう少し似ているかなと思っていたのが、そうでもなかったですね。それが『ソレダケ』という映画の個性だと思います。物語上の仕掛けもたくさんあるので。

──『勝手にしやがれ』を石井監督のスタイルでアップデートさせた映画という印象も受けました。

『勝手にしやがれ』はとっても好きな作品だけど、自分のなかでは何度見ても退屈なところもあるんです。でもジャン=ポール・ベルモンドやジーン・セバーグの存在感、ゴダールの若々しさやクールさは圧倒的ですよね。

──ゴダールは俳優に演技力を求めるタイプではない、俳優への興味の持ち方にひと癖ある監督だと感じるのですが、石井監督は一作ごとに俳優への関心を深めておられますね。

もっと持たなきゃ、持ちたいと思うし、まだまだ出来ると思いますね。今回は限定された空間でやらないといけないので、セリフがあんなに長くなったんですが、それもまた面白いと思ったし、私の好きな、技術を持った俳優たちがどうこなしてくれるか楽しみでもありました。リアルな芝居だと長くなってしまう。ジャンル映画なので、どうテンポよく繋いでゆくか? こちらも娯楽的に表現するために工夫しましたね。

──映画がまず最初に抱かせるイメージはアクションですが、前編でお話されていたように、限られた空間で展開するという点で演劇性の高い作品です。

構造的にはそうですね。演劇に見えないように、アクション/ロック映画にするのが私の今回の最大のトライでした。

──ポスターやフライヤーのヴィジュアル、予告はしっかりとアクション/ロックになっています。

絶対に演劇だと思わないですよね(笑)。

──見るまでは思いませんでした(笑)。

ご覧になってもそう思わない方もいるかもしれないし、脚本上でもそうは見えないかもしれないですね。

──いま伺った演劇性に加え、隙間を活かした空間の使い方にも面白さを感じたのですが?

そう撮らざるを得なかった部分もあるんですけどね。あの撮り方がこの映画にはベストだった。何もない空間でいかに面白く、ただ面白いことを撮るかでした。

──ガランとした空間でアクション映画を成立させるために必要なのは何でしょうか?

soredake_09結局、仕掛けだけじゃなく登場人物のパッションが面白いということですよね。観客は感情に惹かれる。もちろん拳銃を撃つというアクション自体も面白いですが、気持ちが撃つのであって、仕掛けが撃っているわけではない。ただ爆発しても、面白いのはその瞬間だけかもしれない。本当に面白いのは爆発させる人の感情だと思うんですね。私は「爆弾魔もの」映画も大好きですが(笑)、爆発させようとする人間のくすぶった感情と、それをいつ炸裂させるのかという話の持って行き方に面白さはある。今作も明らかにジャンル映画を目指しましたが、ジャンルものだから面白いのではなく、ジャンルを使って何をやれるか? そして大事なのは、それを成り立たせる人間のパッション。いまはまた新しい形で自分の興味がそこへ向かっているし、おそらく観客の方に伝わるのもそのパッションですよね。

──監督のお好きな『仁義なき戦い』(深作欣二/1973)も、ヤクザ映画というジャンルものであり、人間のパッションにフォーカスした映画でした。今作のポスターも、その『仁義なき戦い』を彷彿とさせます。

『ゲッタウェイ』のポスターみたいだなとも思いましたけどね(笑)。

──サム・ペキンパー監督作(1972年)ですね。

ペキンパーの『ゲッタウェイ』も大好きで、あれも男女の逃避行ものですよね。ポスターには色々と注文も付けたけど、「『ゲッタウェイ』みたいに」と頼んだんじゃなく、自然とこうなったんです。ペキンパー、それから深作さんや中島貞夫さん。自分が熱狂していた映画に図らずも似てしまいましたが、最初から狙ったわけじゃないんです。映画は当然一人では出来ないもので、「やろう」という人、それを支えるスタッフ、圧倒的な俳優、それに言い出しっぺがいないと作れないわけですから、何かこういう映画を求める「時代の心」があるようにも思うんですよね。

──時代の要請が意識的に、あるいは無意識的に作品に取り込まれているということでしょうか?

こういう映画になったのは、「これを欲している人たちがいる」ということでもあるんじゃないかな。いまの日本映画の主流と言われているのは、まったく今作のようなものではない。ただ、それでは満足出来ないカウンターの気持ちを持った人たちがたくさんいるとも感じるんです。その代表が、今回出てくれた名優たち。現在の日本映画の主役も担っているという意味では両極にいる。そしてアイドルグループのリーダーを辞めた水野さんが、私が監督するこういう際立った映画に加わっているのも、その空気の表れだと思うんです。俳優さんたちは表面上は非常に静かで、決してワルというわけではない。それでも何か共鳴するものを持っているんでしょうね。静かに燃えている。爆弾を抱えながら静かにしていた人たちが、もう我慢できなくなってきているのかなと思いますね。

──先日の『狂い咲きサンダーロード』、『爆裂都市』、『Kocorono』のオールナイト上映が盛況だったのも、その表れかもしれませんね。

この前のゴールデンウィークにおこなわれたんですが、驚いたのは、若い人や女性が多かったこと。まったく予想に反していて、たぶん初めて見る人も多かったんじゃないかな。いまどき、子供の日にオールナイトで「これを見にくる!?」っていうくらい(笑)。

──子供の日らしからぬラインアップでしたね(笑)。そういえば、関西でも過去作品のオールナイト上映があります(5月30日、京都みなみ会館にて)。一方で、新作に寄せられる期待を監督はどう感じておられますか?

soredake_08いちばん多いのが、「30年待っていた!」という人たちなのかな。「石井はこれだ!」みたいなね(笑)。それは熱狂的な方ですけど、今回は女性に見てもらっても面白い映画だと思うんです。好き嫌いは当然あるでしょうし、「なんでこんなバカな話なの?」という人もいるかもしれない。でもいつもそうだけど、「出来てしまったよ」という感じかな。いいか悪いかは自分では分からない。ただ面白いと思ってほしい、楽しんでもらいたいなという願いだけですね。

──30年間待たれた方にも訴える激しさを持った作品ですが、この30年で日本映画の制作環境も大きく様変わりしました。『狂い咲き』や『爆裂都市』のような映画をつくるのが難しい時代です。プロデューサーの方たちから何か意見はあったんでしょうか?

(取材に同席したプロデューサーを見ながら)プロデューサーは煽ってたんですよ。「もっと滅茶苦茶にしろ!」とか、「全然激しくない!」とかね(笑)。「退屈だから切れ」というのもあったな(笑)。

──ラジカルでいい環境だったんですね(笑)。かつての石井監督の映画には破壊衝動がみなぎっていましたが、今作ではその思いは?

いまはとにかく「再生」だけですね。ダメダメな自分に、ダメダメなこの国に、どう再生の気持ちを高めるか。終わったことはしようがない。「終わっているっていう自覚から始めようぜ、殺すべき親なんてもういない」という気持ちです。

──物語も一見「父親殺し」のように見えるけれども、そうではないですね。

『青春の殺人者』(長谷川和彦/1967)もすごく意識したんです。それがテーマかなと思って。でも「殺すべき価値のある親もいない。原爆作って脅す価値のある国もない、どうすんの?」っていうことを自分に突きつけたかった。

──いまのお話で、主人公の抱えるリアリティが少し見えたようにも思います。

soredake_10人物にリアリティはないかもしれないですけど、自分のいま感じる現実を映画的にデフォルメしました。実感から来ているので、切羽詰った気持ちが画面に出ていると思いますね。「それがどうしてこんなバカな話になるんだ?」と言われるかもしれないけども、私の中ではこれこそが映画のリアリズム/マジック・リアリズムだし、現実的な映画の力でもある。だからこそ作っているんです。あと大事なのは、お客さんが面白いと思ってくれるか? 「一生懸命つくりました」、「こういうつもりで撮りました」と語ってもしようがない。響けばいいなということと、どう響くかですね。何かに目覚める機会や勇気を与えられたり、元気が出てくれるといいですね。「やってやる!」という気持ちになってくれれば。

──その「バカな話」も今作の魅力です。終盤の銃撃戦をあえてマンガ的に撮っていたり、実際にマンガも使っておられますね。銃撃シーンに不自然で面白い動きがあります。あそこは染谷さんたちを走らせず、移動車に乗せて撮られたんでしょうか?

そう。もう単に人が走っても面白くないだろうと思って(笑)。異常なスピードで走ってもらわないと面白くない。やるんだったらそこまでいかないと、と思っちゃうのでね。

──クライマックスのアクションシーンには、マンガも大胆に組み込んでおられます。

苦し紛れでもあるんですけどね。でもあれは主人公がマンガ『デストロイヤー』が好きで、その世界に入り込んでしまうという解釈も成り立つでしょうし、いまなら絶対CGで処理することを、大きな絵を描いてもらって、回転椅子に乗せて回して撮っていますからね(笑)。

──『狂い咲きサンダーロード』にも360度回転させて撮っているシーンがありましたね。

そういう野蛮さってやっぱり面白いんですよね。一方では、VFXを完璧に駆使して現実と幻想の隙間を越えていくハリウッドの映画表現も非常に好きなんですが、私に託されているのはそうじゃない真逆の方向だと思うので(笑)。スーパーリアリズムを徹底した映画づくりにもとても興味がある。でも、いま自分の監督作として勝負できるのはこの作品で、そのなかで最大限のことをやりました。神戸の仲間たちと楽しんで作ったシーンだから、観客の方にも楽しんでいただけたら、そんな最高の詰め将棋はないという思いですね。

 

→『ソレダケ/that’s it』インタビュー前編

(2015年5月 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

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