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『Dressing Up』 安川有果監督インタビュー

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CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪)第8回助成作品で、2012年の大阪アジアン映画祭インディ・フォーラム部門で上映された安川有果監督の長編第1作『Dressing Up』。その後、編集・音楽に変更を加えたヴァージョンの関西公開が近づいてきた。亡き母の闇を辿る少女の彷徨いの物語は、折々でホラーやファンタジーなどジャンル映画の顔をのぞかせながら、最後に新たな「顔」を獲得する。監督に映画づくりの原点などを訊いた。

 

──たとえば『NOBODY』など、本作は既に充実したインタビューや対談記事がウェブに上がっていて、どこから伺えばよいのやら……、作品に対する監督の言葉も練られていますね。

そうでもないんですよ、喋れば喋るほど下手になっていって(笑)。「私、本当にそんなこと思っていたのかな」という疑問が出てくるほどなので、インタビューやトークをやり過ぎたかもしれません(笑)。同じことを話しても面白くないので、何でも聞いてください。

──ありがとうございます。では基本的な事柄を少しお話しいただくとして、主人公を女の子にしたのはなぜでしょう。

「なぜ」と考える間もなく女の子だったんですよね。物語の構造の上でも、主人公はお母さんの過去を知って、それを探求していく。女の子のほうがそういう同化能力が高いのかなと思うところがありました。自分のむかしのことを思い出しても、憧れている女の子に自己を投影して、ごちゃ混ぜになってしまった記憶もあったので。あまり考えることもなく、女の子でいこうという感じでしたね。

──少女の同化能力というと、約30年前に起こったアイドルの自殺と、そのファンの後追い自殺を思い出します。

男性だとそうならないんですかね? X JAPNのhideさんが亡くなったときも後追いが多かったですよね。

──「ウェルテル効果」と呼ばれるものですね。ある統計記事には女性のほうが多いとありました。

いまもお話ししたように、私の中学生時代にも憧れの存在の人がいて、自分はその人のようになれていないんだけど、「あんなふうになりたい」と思い込んでいるうちに、錯覚というのか、その人になった気分で、発言も自分のもののように思えてきたり。私がうまく言葉に出来ないことを言ってくれたりすると、「そうそう」と思って(笑)。自分の言葉のように勘違いしてしまうことがあった気がしますね。そういう感覚も物語に少し入れています。

──その憧れの対象は、身近な人でしたか?

そうですね。映画批評などを書いていた、詩人の姉(安川奈緒)であったりとか。

──主人公・育美は寡黙ながら多面的なキャラクターですが、そうしたのは?

du8この作品は68分ですが、主人公の周りにたくさん人物がいる。母親を追っていく話でもあるし、父親との関係の話でもある。学校のクラスメイトの男子たちとの関係もありますよね。そういう色々な要素のある68分なので、最初に脚本を上げたときに助監督の清水艶さんに「全部入れると、ひとつひとつのエピソードが薄くなるよ」と言われました。「たしかにそうだな」と思いましたが、育美の多面的な部分を見せたかったんです。父親といるとき、友達といるとき、ひとりで母親のことを考えているときに彼女はどのような思いを抱いているのか? それらをトータルで見せたかったので、ひとつに絞ることがなかなか出来なくて全部描いたというところがあります。特に父親とのエピソードは突き詰めたいことでしたが、配分的には少ないので、私が主人公に感情移入して描いているように思われてしまうこともあります。でもそうではなく、自分としては父親の側に立って描いたつもりでもあるんです。表面的な行動を取ってしまうけれど、決して嘘ではなく、それが相手になかなか届かないというジレンマは、私がいま生きていても実感としてあるので、ああいう人物は入れたいと思いました。ただバランスを取るのは難しかったですね。

──育美も父親もアンビバレントな感情を持っていますよね。主演の祷キララさんは当時小学生6年生で、そのような役柄を演出するのは難しかったのでは?

やっぱり小学生なので、撮影期間の2週間、朝から撮影に来て、時には夜遅くなったので「相当疲れてるだろうな」と心配したんですが、演技についての心配はなかったです。スタートをかけると、一発目に出てくるのが「それそれ!」というもので、すごく勘がよかったですね。私が求めているものを口にしなくても感じ取ってくれたので、そういう面で難しいということはなかったですね。

──具体的な言葉で伝えることはあまりなかったのでしょうか?

キララちゃんの場合は、そういうことが効果的に働くとは思えなかったんです。事細かに説明したほうがいい役者さんもいて、そういうときには説明するんですけど、彼女は勘でやってもらったほうがいいと思ったので、感情の部分も含めて、細かいことは一切言わなかったですね。

──鈴木卓爾さんのキャスティングはどのように決まったのでしょうか。

脚本を送ったら興味を持ってくださって、その頃は他の現場も重なっているということでしたが、「この分量ならいけるかな」ということで来ていただけました。

──演技をご覧になっていかがでしたか?

鈴木さんのように、多くの映画に出演しておられるプロの俳優は初めてだったので、圧倒されました。出来上がっているというのか、役づくりをされていたのかはわかりませんが、私の書いたセリフを自分のものにしようと感情を入れてくださいました。私が思った以上のセリフにしてくれる。それも初めての経験で、すごく嬉しかったですね。プロの俳優さんともっとやってみたいなと思いました。

──東京での先行上映は終盤にかけて動員が伸びたそうですね。アンコール上映もおこなわれました。

最初はそれほど入ってなかったので、上映期間後半に満席になったのには結構びっくりしました。最後に駆け込みで見てくださった方が多かったのと、SNS時代だからこそ多くの人に広まったのかもしれません。口コミを聞いて来てくださった方もいました。宣伝費もほとんど無かったので、そうやって見に来ていただいたお客さんのおかげです。

──ゲストトークも多かったですよね。

du11色々な監督にも来ていただき、皆さんの視点が違っているのが面白かったです。印象に残っているのは高橋洋監督が、育美の破壊的な行動に周りが怯えたり騒いだりせず、日常の延長のように楽しむ様子を「あまり映画で見たことがない感じで今っぽい」とおっしゃってくれたこと。自分が意図したことでもあったので、それがはっきり見えたようで嬉しかったですね。

──Twitterなど、インターネットの反響を見ても様々な反応があります。

意見をいただいて初めてわかることも多かったです。びっくりされるような映画だと思ってなかっただけに、「驚いた」という素直な反応も嬉しいです。あとは、「なんだこれは」という感想も多かったですね(笑)。自分では理路整然とつくっているつもりだったんですが、そうは見えないらしくて。今泉力哉監督も来てくださったんですが、「全然理屈でつくってないよ」とはっきり言われてしまって(笑)。

──理詰めの映画だと、終盤に育美が森へ行くシーンに男性3人組は登場しないかもしれません(笑)。

あれくらいのことはやってもいいんじゃないかという思いが自分のなかにありました。決まりごとなんてないだろうし、映画って思っている以上に何でもやっていいんだと色んな作品を見てわかってきたので、違う要素を入れちゃってもいいと思えるようになりました。3人組は特に思い悩むこともなくポンと入れたら、想像以上に反響があって(笑)。それから、「チラシのイメージと違う」ともよく言われますね。

──チラシのロゴとイラストは小林エリカさんが描かれていますね。このチラシ、ポスターのヴィジュアルは作品にフィットしていると感じました。

リボンや三角のマークは、小林さんが映画を見て最初に描いてくださって、うさぎとカッターナイフはそのあと具体的に伝えて足していただいたものです。最終的なデザインは寺澤圭太郎さんにお願いしました。

──タイトルはザ・キュアーの楽曲に由来しているということですが。

そうですね。制作当時によく聴いていました。

──『Dressing Up』はキュアーの代表曲ではないですよね(*1984年発表のアルバム『The Top』に収録)。

そうなんですよね。でもそのときの気持ちに合っていたんでしょうね。バンドって最初は有名な曲から入っていくんだけど、聴いていくうちにアルバムに収められている曲を好きになりますよね。キュアーもそうで、『Boys Don’t Cry』などの代表曲から入って、アルバムを買って聴いているうちに、さらにいい曲があることがわかって。なかでも『Dressing Up』は暗いようなヘンな曲だけど、何か惹かれるものがあって記憶に残っていました。タイトルを考えているときにふと曲名が出て来て、ぴったりじゃないかなと思って付けました。

──キュアーのロバート・スミスはオブセッションと創作がつながっていたと思うのですが、ドイツ映画研究者・渋谷哲也さんとの対談『渋川さんと安川さん、ファスビンダーを語る』では創作の元に「違和感がある」とお話しされていますね。

普段生きていて感じる違和感がきっかけになることが多いですね。誰もが感じている、言葉に出来ない違和感の原因は何だろうとよく考えます。その違和感を俯瞰して、「これは人に楽しんでもらえるんじゃないか」というアイデアと結び付いたときに映画にしたいと思うんです。ただテーマだけではつくろうとは思えなくて、あるジャンルに落とし込めるんじゃないかとか、何かと結べたときに「つくりたいな」と考えます。

──監督は大阪美術専門学校のご出身です。いくつかのコースがあるなかで、映画で表現しようと思われたのは?

美術系の学校で、絵など色々な授業がありましたが、文章は頭がよくないと無理だと思うんです(笑)。映画は少し違うというか、人の力も借りる共同作業ですし、実際に卒業制作作品をつくったときにすごく楽しかった。自分がぼんやり考えていたことが、周りの人たちのアイデアや協力によってひとつの力になることが面白くて、それが大きかったですね。あとは写真の授業もあって、写真も好きでした。人物と建物との構図や、空間から生まれる感情にも興味がありました。それは映画で表現できるし、もっと追及していきたいなと思いました。

──少し前に『螺旋銀河』の草野なつか監督にお話しを伺ったとき、草野さんも「場所と人」への関心を話しておられました。安川監督はまた違う視点から空間を捉えているように思います。

カメラマンの違いもあるかもしれませんが、草野さんのほうがこだわりを持って撮っている気がしますね。コインランドリーという象徴的な場所を印象に残るように撮られている。私の場合は、あまり印象に残そうと思わずに撮っていたかもしれないですね。物語のなかに溶け込んでほしい思いがあったんですけど、高橋洋監督には「風景が強すぎるね」と言われました(笑)。「風景が強すぎて、前半は演技との差が生まれている」とおっしゃっていました。

──あれは奈良ですよね?

ほぼ奈良です。大阪に遊びに行くシーンもありますが。

──オープニングは郊外への移動です。

あれは私の地元の町で、ずっと住んでいた実感を入れたい思いがあって。同じ形の家が並んだ均等の取れた郊外の町に、それを乱すようなひとりの少女がやってくるという、ジャンル映画の幕開けのようなことが出来るんじゃないかと思って撮りました。

──ジャンル映画というと、『SUB POKKE』のインタビューで、『キャット・ピープル』(1942、ジャック・ターナー)のイメージがあったと話しておられます。

そうですね。見たときにものすごく面白いと感じました。あの物語も妄想が現実になりますよね。あと、女性の男性への恐怖を、内面を掘り下げる方向ではなく視覚的に表現していて、「こういう方法があるんだ」と刺激を受けた映画です。

──曇天の画面が多くて、それが作品の不穏さにも影響しているように感じました。撮影は冬だったんですね?

インしたのが12月15日だったかな……。中旬でした。

──ラストでも育美はグレーの服を着ています。灰色を映画全体の基調にしていたのでしょうか?

それはなくて、たまたま偶然でした。

──カメラはパナソニックのAF105を選んだと作品資料に記されています。本作の撮影は2012年で、キャノンの EOS 5D MarkⅡなどもよく使われていた時期だと思うのですが、AF105にした理由は?

DressingUP00それほど機材に詳しいわけではないので、具体的な機種を挙げたわけではないんですが、「一眼レフは避けたい」とはお願いしました。一眼レフの画って、「見れちゃう」んですが、それは罪なことなんじゃないかとも思って。一眼レフで撮影された映画を見て、「画が強すぎて物語に入っていけない」と感じることがあったんです。一眼レフの映画がすべてそうだとは思わないですが、綺麗でかっこよく見えるんだけどストーリーに入っていけないのは本末転倒じゃないかと思ったので、本作では強い画よりも物語に入っていけるように、「綺麗な映像がバーンと出ないようにしたい」ということを伝えました。

──本作にはあからさまな「キメの画」が無いようにも感じます。

そうなんですよね。自主映画を見ていて「ここはキメたかったんだ。でも物語に関係ないよな」と思ってしまう嫌な自分がいるんですけど(笑)、そう感じてしまうだけに、私は避けようとどこかで思っていました。

──カメラマンは四宮秀俊さんですね。ラストシーンは四宮さんの意見も影響しているとか。

ラストで肝になるシーンですが、キララちゃんが泣くことが出来なくて、私も演出でそこまで持っていけなかった。「自分としては複雑だけど、この表情でも伝わるものがある」と思って、いったんOKを出したんですけど、夜に四宮さんから「ラストに賭ける想いがその程度かよ」と言われました。グチグチと……グチグチではなく、ありがたかったんですが(笑)、そう言っていただいた。自分でも「撮れるならもう一度撮りたい」と思っていました。でも現場は私より経験のある方が多かったので、言い出しづらかったんですね。四宮さんがそうおっしゃってくださったおかげで提案しやすくなりました。「もう一度撮りたい」と言って、キララちゃんも技術ではなく、がんばったことと、育美を2週間演じて役柄とシンクロした部分があったみたいで、ちょっと声をかけたらあのような表情が出て来て、すぐにそれを撮りました。

──いい顔が撮れていますよね。安川監督は男性よりも女性のほうが描きやすいですか?

うーん……、分けている訳ではないですけれど、女性のほうが気持ちを入れて書けるところがあって。でも気持ちを入れるというのとは違う登場人物のつくり方でもいいのかなとも思います。その意味では男性も女性も変わらないですね。いつも観念的なところから出発しているので。

──先ほど「キメの画がない」と話しましたが、校庭の倉庫や無人の校舎の画には不思議なインパクトがありますね。

自分には空間フェチなところがあるかもしれないですね。ああいう倉庫とか、誰もいないのに気配を感じる空間が好きで、そこから発想することもあります。無機質な空間に血肉の通った人間とか、別々のものをひとつの画面に配置することを想像するのが物語の第一歩になる。でも東京に出てからはそういう空間に出会えなくて、それが撮れなくなっている原因のひとつかなと思っているんです。関西だと「ここで撮りたい」と思う場所があって、そこからストーリーを考えて短篇をつくったこともありました。東京ではうまく物語が出てこないんですよね。「物語が出てこない東京を舞台にした映画」って、どうしたらいいのかと思って(笑)。物語が浮かばないことを素直に映画にすればいいのか、ちょっと難しいですね。

──育美たちが映画を見たあとゲームセンターに行きます。あそこも枯れた雰囲気を持っていますね。

東京だと街が綺麗になり過ぎていて、ああいう場所が少ないんです。

──人間から物語を創り出すことはあまりないですか? 「人間ドラマを描きたい」という欲望というのでしょうか。

どうだろう……。少し話が逸れてしまいますが、小林達夫監督の『カントリーガール』(2012)と本作を2本立てで上映してもらう機会がありました。『カントリーガール』は京都の高校生の物語で、見たときに「小林監督には学生生活というものがあった」とはっきりわかる映画だと感じたんです。実感や具体的なエピソード、そのとき感じていたことを映画に昇華させている。「躍動する人間」が映っていました。自分の場合は、「学生生活が無かった人の映画」になるというか(笑)。具体的な体験からはつくっていなくて、観念的な方向から考えます。でも人間に関心はあります、もちろん。

──どのような学生時代を送っておられたのか、教えていただけますか?

du2中学校では剣道部や合唱部に入っていました。合唱部の強い学校だったので、金賞をもらったり涙を流した覚えがあります。それにも関わらず、経験が自分に染み付いてない思いや、「夢だったんじゃないか」いう感覚があるんですよね。これは私のよくないところだと思うんですが、過去の体験を活かしていまの自分がある筈なのに、思い出したりすることもないし、それで感傷的な気分になることも一切なくて、どうしたものかと(笑)。これはなぜなんだろうと自分でも思うところがありますね。悲しいことですけど、金賞を獲って涙を流したのに、そのときもどこかで冷めてたんですよ。泣いたのは嘘じゃないけど、「嘘だ」と自分のなかで処理してしまったのかもしれない。きっと劇的な経験を嘘だと思ってしまう、ひねくれた自分がいるんでしょうね(笑)。

──でも、それはご自身と映画とを距離化するのにプラスに作用しているように思います。ここ最近で劇的な体験はありましたか? 「2015年の最も大きな思い出」になるような。

何でしょう……、それが出てこないのも寂しい話ですけど、やっぱり本作が公開されて、色んな人とお会いできたのは大きな経験だと思いますね。劇的かと言うと……、好きな監督の方ともお話できたので、後々思い出したときに「あの時期は劇的だった」と思うかもしれませんが、いまは淡々と過ごしている感じですね。

──脱線しますが、安川監督の血液型は?

ちゃんと採ったことがなくて、わからないんですよ。

──それは1986年生まれの監督の世代だと珍しいのでは……?

たぶん珍しいですよね。献血も一度したんですけど、「うーん、たぶんAかな」みたいなことを言われて。「たぶんA」というのがいまの結論です(笑)。

──「ひねくれ者」ということから安易にAB型をイメージしたんですが、違っていました(笑)。もう少し創作について伺えますか?

そのとき感じていることや、読んだ本から得たことなど、色んな要素が結び付いていますね。「この人物が面白い」というところからは発想していなくて、色々なものが結び付いた土台のストーリー上に人物を配置していきます。それは普通の映画のつくり方かもしれませんけど、濱口竜介監督だとワークショップで出会った人たちとじっくり対話することで、監督のなかに無いものを取り入れて映画を豊かにしていく。そういうつくり方もしてみたいなと思いますね。人物や具体的なものから拡げていく形の映画にも興味があります。

──どのような本に影響を受けましたか?

本作をつくるきっかけのひとつにもなったのが、舞城王太郎さんの小説との出会いです。自分のもやもやしていた部分や言葉に出来なかったことがしっかり言語化されていて、それがお説教くさくもなく、エンタメになっていて、私がやりたかったことを徹底的に表現されている方がいることに大きな刺激を受けました。舞城さんの作品に出会わなければ、この『Dressing Up』もつくらなかったかもしれないですね。

──それでは最後にひとことお願いします。

本作は2011年にCO2で助成作品に選んでいただき撮った映画ですが、そのときとは編集も変えて、72分だったものを68分にしています。違うテイクを使ったり、音楽も変えて2013年に出来上がったヴァージョンを関西でも上映してもらえることになりました。2012年の大阪アジアン映画祭でご覧になられた方にも見ていただきたいですし、どんなきっかけでも何か引っ掛かるところがあれば、劇場に足を運んでください。

(2015年12月 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

『Dressing Up』公式サイト
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