『ジョギング渡り鳥』 鈴木卓爾監督インタビュー
とある町でジョギングを続ける女性を取り巻く人々を、遠い宇宙から地球に不時着し、カメラとマイクを手にしたモコモコ星人たちがさらに取り巻いて──。鈴木卓爾監督が映画美学校アクターズ・コース1期生と創り出した『ジョギング渡り鳥』は、二重三重に増殖と分裂を繰り返す「モコモコ系メタSF映画」。複数の視点から編まれた本作は、「あなた」と「私」の境目を探す宇宙人の活動と同様に、映画のリミットを探るひとつの旅なのかもしれない。監督に話を訊いた。
──公式サイトにまとめられていますが、東京公開にあたってのインタビューや対談など、ウェブで読める記事だけでもかなりの数があります。
今回は作戦として、──作戦というほどのものになっていないのですが──作品自体が複雑な構造を持っているので、その流れでいこうと。東京での宣伝もモコモコ星人の姿で行ったり、出演者たちが街でチラシ配りするのをツイッターでネタにしたり、出来る限りのことをしてみました。僕自身も自分で配給するのは初めてで、いままでとは訳が違っていました。「複数性」で展開してみたという感じでしょうか。
──本作には、「面倒なことをやろう」というコンセプトがあったそうですね。
映画美学校でアクターズ・コースが始まったのが2011年5月。その1年後に、学生たちが自由意志で高等科に進みました。2012年の10月だったでしょうか、高等科の僕の授業が迫っていた頃、みんなで高尾山に山登りに行ったときに「何がやりたい?」と訊いたら、「合宿して映画を撮りたい」という答えが返ってきました。「いやいや、合宿で撮るのって大変だよ」と言うべきところでしょうが、代わりに、「じゃあやってみようか」と答えました。12月に、『ゲゲゲの女房』(2010)からお世話になっている埼玉県の深谷フィルムコミッションの強瀬誠さんに相談すると、最初は「学生の映画?」という反応でしたが、それでも「いいよ」と言ってもらえた。はじめは年明け、1月10日から強瀬さんが紹介してくれた、町の公民館のザコ寝できる畳部屋を合宿場にして4泊5日で撮りました。そこから1月のあいだに、深谷と東京との往復を3回繰り返したのかな、それで第一期の撮影を終えました。撮りながら思ったのは、群像劇として登場人物全員、つまりアクターズ・コースの高等科の生徒たち一人一人をちゃんと見て描こうということ。それから、「非常に効率の悪いことをしてみよう」と提案したんです。みんなで撮影して、みんなで帰って、みんなでメシを炊き始めるというふうに。普通は、出演が終わった子たちが先に帰ってごはんの仕度をするじゃないですか? でも出番が終わっても現場にいてもらって、みんなで仕舞って、帰って食事をつくる。そういう無駄なことをしたいと言って撮り始めたのがきっかけでしたね。
──俳優がスタッフも兼任して、現場を共にするというアイデアは、どこから生まれたのでしょう。
制作部や演出部を呼んできっちりと動けば、事足りてしまうと思ったんです。その頃は、僕が『楽隊のうさぎ』(2013)を撮っていた時期と重なっていて、「こっちでやっていることは遊びでもいいや」という思いがあったり、「楽しむこと」をいちばんにするなら楽じゃないほうがいいなと考えました。客観的な立ち位置から撮るカメラマンとして映画美学校フィクション・コース13期生の中瀬慧くん、引率役としてアクターズ・コースのティーチング・アシスタントの佐野真規くんが面白がってくれたことが大きかったですが、経験の浅いチームで効率よい役割に分けて行くと、だいたいパート主義になってしまうんですよ。「俺はこれをやっているから」、「自分が責任を持つのはここまで。あとのことは知らないよ」となる。みんな映画づくりは初めてだし、ましてや俳優です。俳優に制作スタッフの仕事もしてもらうときに陥りがちなのは、スタッフをやることで安心してしまう。するとバラバラになっちゃうんです。それはよろしくないなと思っていたので、とにかく皆ここにいてほしいと。効率悪くて無駄でもいい。何もしなくていいから、他の人がやることを見ていてほしい。そういう集まりにしたかった。「ちゃんと撮れなくてもいい、失敗してもいい」という方針で、第一期の撮影をおこないました。
──効率姓と無駄について、詳しくお話し願えますか?
僕の劇場公開長編作の一発め、『私は猫ストーカー』(2009)って、のんびりした映画だったと思うんです。あの作品を撮ったときに、「あ、お客さんが寝てしまってもいいな」という、開き直りのようなものが生まれたんですね。1時間半、あるいは2時間の映画を見せるときに、テンポを気にしないといけないんだろうかと考えていた時期がありました。たとえば、「アンゲロプロス監督は、決して経済効果を促すような速いテンポの映画をつくっていたわけじゃない」とかね。速いテンポで飽きさせない発想もありますが、一方でそれとは違う、ゆったりした流れのなかで浴びるような映画をつくっている人たちもいる。単純に映画の速度感でいえば、これからはもっと遅くなってもいいんじゃないか? ずっとそう考えていたんです。パラジャーノフ監督の作品だったり、むかしから自分が好きになる映画には、眠くなるものが多い。ストーリー進行がはっきりわからないからそうなるんでしょうけど、早く刻むだけじゃない、ゆっくり進める映画もある。いままでの日本映画のつくり方があり、自分もそこで監督としてつくってきて、何か効率性──スケジュールを最優先したり、明確な答えを出す──というのとは、少し違うことをやれないかなと思っていました。……と言いながらも、この映画は効率が悪いように見えて、2時間37分の作品を別撮りも含めて、全部でわずか16日で撮ってるんですね。160日ではない(笑)。そう考えると、まだまだ効率のいい部類の映画にも思える。キアロスタミ監督が日本で撮ったとき(『ライク・サムワン・イン・ラブ』/2012)、やっぱり3~4ヶ月かけましたよね。それに比べると、なんてテンポのいい映画なんだって(笑)。日本人だからでしょうか、結局無駄なく時間を過ごすことに変わりなかったとも思うんですが、ただやはり、「みんながここにいないといけない」という第一期の撮影から、他の人が何をやっているか全部見えることがとても大事だった気がするんです。
──舞台挨拶のレポート記事で、俳優の方の「完成したものを見て、初めてこんな映画になっているとわかりました」という発言を目にすることも少なくありません。それとは逆の現場のあり方だったということでしょうか。
そうですね。俳優部って、映画制作のなかで関係する時間がいちばん短いんです。それをわかっていたので、俳優部がスタッフも兼ねて、ほぼすべてのことに関与してもらうようにしました。そうしないと、俳優が映画を学ぶ時間が無いんですよね。たいていは、自分が芝居する時間のことを気にかけて現場に行って、出番まで部屋で待たされる。「現場を見ていいですか?」というくらいの多少の図々しさがないと、進行中のことを見逃すわけです。スタッフのほうも、出番のない俳優にウロウロされると困る。現場には色々な物が転がってるので、怪我でもされたら芝居を出来なくなるし、着ている衣裳を汚されても困る。そういう意味で心配されてしまうから、俳優側も「心配かけるのは大人気ないな」と思って控え室にいてしまう。でも演じる側は、「あ、いまこういうふうにつくってるんだ」とわかったほうが考える時間を持てます。やっぱり面白い俳優さんって、どうにかして最初の段階から現場に潜り込んでいますよね。何か掴もうとしている。だから現場にいるのなら、俳優がカメラを持っていたっていいし、録音をやってもいい。それをやれるのが自主映画の豊かさだと思うので、みんなにも「こういう映画をつくるのなら自己責任になるし、出演することでお金が出るわけじゃないからね」と話しました。授業なので。いや、授業を越えてしまったんですけど(笑)。
──その後、「第二期撮影」と呼ばれる追加撮影がおこなわれますからね(笑)。
1月である程度撮影を区切らないと、2月に万田邦敏監督の『イヌミチ』(2014)のオーディションが始まり、3月には制作することが決まっていました。『イヌミチ』は映画美学校の修了制作で、僕たちは課外授業というか、勝手にやってた暴走行為なので、1月に一度終わらせて様子と見ましょう、となったんです。
──アクターズ・コース、つまり演技を学ぶ場でスタッフも兼任するのは、一般的な教育から少し逸れてしまうのではないかとも思ったのですが、作品を見てお話を伺うと、教育的な映画だと感じます。
集団って面白いもので、10人でドリームチームを組んだとしても、きっと何割かはサボると思う。京都造形芸術大学の准教授になって、前にゼミで学生にそう言ったら、「俺は絶対違う!」って言われたけど(笑)。そういうときに立ち上がってこない部分が生じるのは致し方ないと思っています。みんなでやることで掛け算が起きるのがいちばんの狙いではある。でも言ってしまえば、この映画の場合は「起きなくてもいい」というところから出発できた。自腹で撮っているわけだし、「失敗してもいいや」みたいな感じで始めれば、新しい映画になるかもしれない。それはやってみる価値があるぞと思った。そこから過激なことが出来るんじゃないかという目論見があったんです。
──ゴダールの3D作品『さらば、愛の言葉よ』(2014)はご覧になりましたか? ツギハギのような、触覚的な音響が本作に似ているように思いました。
東京では2015年1月から上映していたのに見る機会がなくて、京都みなみ会館のオールナイト上映(2015年6月)でやっと見ました。本作を制作していたのはもっと前ですが、「やっぱり見てなくてよかった」と思いましたね。大変おこがましいですが、悔しかったですね。音も含めて。
──あの映画は複数のカメラで撮っています。ファブリス・アラーニョ(撮影監督)が、「カメラごとに異なる言語がある」と話していて、それも何か『ジョギング渡り鳥』に通じるなと感じたのですが。
なんかまるで同じようなことを言ってますね(笑)。カメラは最大で何台だったかな……、ラストシーンがいちばん多くて、GoProが2台とSONYのHVR- Z7Jが1台、中瀬慧カメラマンのLumix GH2が1台、iPhone4S 、最終的にBlackmagicが増えていたので、6台か7台。パンフレットに詳しく書かれていますが、なぜカメラを増やしたかというと、まず俳優が俳優を撮る映像を本格的に映画に使いたいというのが出発点にあって、設定もそこから考えたはずです。スタートは、「宇宙人が地球に来てみたら、自分たちと同じ顔をした奴らがいた」という感じでした。そしてそこで、「向かい合う」ということをやりたくて。俳優が俳優のままでしかないのって、画家が絵を描くときに画家は画家、モデルはモデルだという図式に似ていますよね。それが、両方ともモデルであり画家だとする。素っ裸の男と女が、イーゼル越しに向かい合って立って絵を描く行為が、有史以来かつてあっただろうかと思っていたんです。画家からのまなざしが一方通行で開いたり遮断されたりしているとすれば、モデルからの嫌悪や何らかの感情も同じように伝わるんだろうか? そういうことを考えていて、その結界を一回破くとどういう映画になるのかなと思ったのが、俳優にカメラとマイクを持ってもらった理由のひとつです。あと、最近のカメラは安い。35ミリのカメラが高価だった時代と同じようにワンカメで撮っていっても、昔つくられていた映画にはもう敵わないんじゃないかという自問があります。それよりも、僕たちに与えられているのは廉価で買えるカメラ。借りて返すのではない、自分たちのカメラを駆使して撮ることが出来る。それによって、テレビ番組の中継みたいに単純ではないことを起こせるのだとすれば、それこそ新しいフィクション映画をつくれる可能性があるかもしれない。3・11のあとからかな、ずっとそう考えていて、この映画の形に至ったんですよね。ただそれは方法の模索であって、目的はその状況の現出より、あくまでアクターズ・コースの子たちをどう描くかということ。あるいは撮られる者が逆に撮る者になる、いまお話しした「モデルと画家の対称性」というようなことをやってみたかった。
──「撮る」ということでは、監督は『私は猫ストーカー』と『ゲゲゲの女房』(2010)で、たむらまさきさんと組まれましたね。たむらさんの撮られる映像──ひとことで言えば強度のある画──と、本作のiPhoneで撮った手ぶれを起こしている映像とのあいだには大きな隔たりがあります。そのギャップをどう捉えておられましたか?
たむらまさきさんご自身はカメラの前に立って演じたことはない。でも、たむらさんのカメラには「芝居」を感じるんですね。その芝居の質というのは、「そのときそこにいたら起きたこと」を感じる媒介者というんでしょうか、「それは一度しか起きない」事に立ち会うという感覚を揺り起こすものです。たむらさんはすごい技術を蓄えた方だし、テクニックに裏打ちされたものであれば再現が可能だとも言える。けれども、たむらさんは仕事のなかで「偶然そうなったこと」を重んじるんです。「偶然そうなったのかもしれないけど、アクシデントとハプニングは違うんですよ」という言い方をしていましたね。それはつまり、われわれがそこに向けて開いて構えていたから舞い込んだ。非常に間口の広い開き方なんです。簡単に言うと、通行人の通りそうな方向にカメラを向けていると、何かが起きるわけですよね。通る人がカメラを見てしまう。すると、フィクションが現実に引き戻されてしまうのでNGになるかもしれない。『私は猫ストーカー』の撮影のときも、夜の喫茶店の場面で通りにカメラを向けていて、僕たちはその気配を歩いている人に気づかれないよう、細心の注意を払い、照明などもバレないように腐心しました。しかし、「あ、映画撮ってる」という人がフィクションのなかに映ったとしても、それはひょっとしたら映画足りうるかもしれない。逆に映画って、そう簡単に壊れるものじゃないかもしれないと、そこから考えを発展させました。たむらさんの撮られる映像と、この映画の映像とは真逆に思われるかもしれませんが、僕のなかではそのまま、地続きのことのように思います。
──そのような発想に、映像の複数性が加わっているのが本作の大きな特徴ですね。
たむらさんの視点で丸々一本撮られた映画や、『楽隊のうさぎ』で言えば戸田義久さん(『楽隊のうさぎ』撮影)の眼差しで一貫している映画とはまったく違うものになっていますよね。そこは大きく変わっていて、「誰が撮ったかわからない複数性」にシフトしているんですが、よく見ると誰かがカメラを持っている映像のあとに、後ろからそれを撮った映像にスイッチしていたり、「いま誰が撮っているのか」がなんとなくはわかると思います。ただ、まず東京で公開してみて思ったのは、10人以上出ている映画なので、やっぱりお客さんは一人の登場人物に重きを置いて見なくなるというか。見た印象が、「カメラの複数性」というところに置き換えられていくのは感じましたね。
──東京での公開を通じて、他にどんなことを感じられたでしょうか?
僕たちはまったくわかっていないことでしたが、映画を見終えた方たちが、「家に帰ってもモコモコ星人たちが自分を視ているような気がする」と、一人だけではなく、何人もツイッターでつぶやいてくださっていた。その感触は僕たちには絶対わからない。お客さんにしかわからない感覚が生まれて、映画が初めて一人歩きを始めたと思えるようになりましたね。たぶん完結性の薄さや物語の着地点のわからなさが、映画館を出ても引きずるという現象を起こしているのかなと考えています。公開まで3年4ヶ月ほどかかっているんですが、やっぱりお客さんに見てもらうと面白い言葉がいっぱい返ってきて、「この映画って、そういう映画だったのか」と思うんですね。あと、井川耕一郎さんが素晴らしい寄稿文を寄せてくださいました。そこからも感じるのは、見る人が一本の映画を最初から最後までひとつの眼差しで貫いて、初めて映画が完成するということ。やっぱりお客さんに見せないと映画が完成しないということを、自分で配給をやってみて、ようやく現実として感じることが出来ました。むかしからよく言われている「お客さんに見せないと映画は完成しない」は、喩えでもなんでもなくて、実際にそうなんだということがよくわかりました。
──その映画と観客との関係は、さきほど伺った「モデルと画家の非対称性」に近いのかもしれないですね。そういった感触はこれまでにないものでしたか?
『楽隊のうさぎ』でも毎回発見があったし、お客さんは様々な見方をしていたと思うんですね。あのときもやはり、お客さんに見せて完結するようにと思ってたはずですが、この映画を配給・宣伝することでもっと、なんて言うんだろう……、僕らの作業は終わっていて映画が変わることはないんだけど、お客さんに見せて初めて生まれるものがあり得るんだと確認できたんです。しつこく重複して言ってしまいましたが(笑)。
──いえ、見る側としても実感できるお話です(笑)。ワークショップを母体にした最近の話題作に、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』(2015)があります。あの作品は濱口監督の明確な演出ヴィジョンがあって、長期間の追加撮影はそれに基づいておこなわれたと考えているのですが、本作の演出面はいかがでしたか? 演技のOKラインは、どこに設定されていたのでしょう。
いわゆる俳優の演技指導は、実はあまりしていないんです。OKラインは映ったもので判断したのと、あとは単純に「時間が無いから終わり」という部分もあります。そう言われてみると、「納得いくまで撮るよ」という撮り方は、今回していないですね。(チラシ裏面を指差して)、この画があるじゃないですか?
──井川耕一郎さんも言及しておられる、羽位菜(永山由里恵)が『歌を忘れたカナリヤ』を口ずさんでいるのを背後から撮ったカットですね。
これはカメラマンがカメラを合宿所に忘れてしまい、取りに戻っているあいだに彼女が歌の練習しているのを、出演者の小田原直也さんが後ろから撮ったんです。いわゆる本番という認識で演技をしている時間ではないものが映っています。でも彼女はこの時、永山さんではなく羽位菜なんですね。羽位菜が出演の為に、歌を練習しています。芝居が及第ポイントや、ある水準に達しないとOKを出さないというふうに撮った場面ってあったかな……、今回は無いかもしれない。怒ったりはしましたよ。合宿中に一人泣かせてしまいましたけど(笑)。俳優の芝居に関しては、実はそれをいちばんの主題にしているようでありながら、本当に特に何も言ってないですね。
──「これくらいは欲しい」と考える演技の水準はなかったのでしょうか?
これが解答になるか分かりませんが、映画に出演しているのはアクターズ・コース1期生のすべての人たち。初等科で終わってしまった子も3人ほどちょこちょこ出てはいるんですけど、キャスティングをしていないんです。一切選んでいない。彼らが演じる役は、撮影の前に何度かおこなったワークショップで、一緒に人物をつくっています。その過程があり、しかもロケハンも一緒に行ったり、準備しているうちに初日までにみんなに備わっていたもの。それが、ほぼおおむねの役作りだったんですね。マンツーマンで、俳優と対話しながら役や演出について考える代わりに、準備中の波乱や、「この人はどんな人だろう?」という質問に答えてもらったり、あとは純子役の中川ゆかりさんが、「この企画はすごく面白い。原子運動のことを論じていた、古代ギリシャ期から継承している共和制ローマ時代の哲学者たちの思想を思い出した」という話をしてきて、それが興味深かったので、そういうものをどんどん取り入れていった。そっちのことを優先しているあいだに出来上がってしまったところも多くて、いい加減といえばいい加減ですね(笑)。たぶん、みっちりと演出するためにはちゃんとした台本が出来てないと成立しないんだけど、その台本が無いまま撮影したのも理由のひとつでしょうか。だからご覧になったお客さんのなかには、「適当に撮っている」という趣旨で、「この映画にはノレない」という方や、「自分もいっぱい撮ってきたからわかるけど、これは何も決めずに現場に行って、エチュードで撮った自主映画が陥りがちな何かをちょっとは回避しているかもしれない。しかしそれで出来たものでしかない」という見方をされた方もたしかにいます。
──「回避」を突き抜けて、「逸脱」の域にまで達しているようにも思いますが(笑)、『ポッポー町の人々』(2012)もエチュードを活かした映画でしたね。つくり方は変わっていますか?
『ポッポー町の人々』は、撮影終了までに与えられた時間が2週間で、撮影日は3日でしたが、実はもう1日追加撮影しています。一度編集してみて「これはやばい」と思った部分を撮り足したので4日間でしたが、予定の期間内でほぼすべてをやり切っている。ところが本作は、2013年の秋に第二期の撮影をおこない、そのあと仕上げの時間が膨大なものになりました。非常に多彩な素材が集まり、それを構成するのにものすごい時間がかかりましたね。いまは京都造形芸術大学の先生をされてる鈴木歓さんに、厳選した素材を渡したんです。「全部見るのはやだ」って言われたから(笑)。6時間くらいのものを預けて編集してもらいました。音の付け方は神戸出身の音響スタッフの川口陽一くんと一緒に取り組み、それから俳優たちをもう一度呼んで、アフレコで沢山の足音を録り足しています。そのための音ロケもあって、それもまた過酷でした。そのように、最終的なデザインを決めていきながら、そのプロセスとして不確定要素をどんどん入れていった。撮ったものは固定化されたものだろうけど、それを炙り出す作業をずっとやっていたんです。
──大勢の意見や不確定要素を取り入れるのは、ときによってノイズになるかもしれません。そういうノイズを積極的に取り込まれたのはなぜでしょう?
僕はどちらかといえば、放っておかれると独りでいたい人間なんです。ひょっとすると、すべてを自分の思い通りにしたい人間かもしれない。でもそれだと劇映画をつくるのは難しいし、僕だけの力で引っ張ろうとする映画は、たくさんの人を描けないと思うんです。自分の分身的な存在は増えていくけど、思いも寄らないことは起きないんですよね。
──なるほど。「分身」で思い出したのですが、篠崎誠監督がツイッターで、「カンやキング・クリムゾン、タンジェリン・ドリーム、ヘンリー・カウの音楽、ヴィヘルム・ハンマースホイやアンドリュー・ワイエスの絵、山岸涼子や諸星大二郎の漫画を好きな方に『SHARING』を見てほしい」と発信しておられて、作品のイメージを掴みやすいと思ったのですが、本作の場合はどうでしょう?
「音楽でいえばテニスコーツやyumbo、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ。絵画だと横尾忠則さん、演劇なら地点。コンテンポラリーで、いわゆる物語から遠ざかろうとしているものをお好きな人に見てほしいですね。あとはロバート・ワイアットなどのカンタベリー系。それも有名じゃなく、実験的に終わった音楽……、と言うと売りにならないからよくないですね(笑)。
──作品の方向性はよく伝わると思います(笑)。ちょっと脱線して、『ポッポー町の人々』の神戸映画資料館公開初日、監督はキャストと舞台挨拶のために新長田に来られましたよね。そのときの打ち上げで、僕も含めて終電が迫っている数人が帰ろうとすると、監督が「今日帰らないといけない理由があるんですか?」とおっしゃったのを覚えているんです。
失礼なことを言ってますね。すみません(笑)。
──いえ、あの発言も、無駄を重んじる本作の制作スタンスに通じていると思うんです(笑)。そこで映画と不在について、たむらさんのお話を伺ったことも覚えています。あらためてお話しいただいてもよいでしょうか?
僕もよく覚えている、『私は猫ストーカー』の撮影最終日のことですね。俳優さんの撮影が終わって、あと一日、実景を撮って終わらせましょうとなった。車を出してもらっていて、制作部の人はバラしがあるので、夕方くらいに新宿で僕たちを降ろして、その車で帰ったんです。それでビールを飲もうと3人でお店に入ると、4人がけのテーブルで椅子がひとつ余ってしまいました。単純に言うと帰ってしまったのが寂しいということですが、僕はそこにいない彼がいるような気配を感じていた。彼もいるという前提で映画の話を続けていると、たむらさんが「これが映画なんですよ」と言った。それがとても腑に落ちたんです。同時に、わかった瞬間に遠ざかっていくものなので、腑に落ちたけど、すごく抽象的でもあった。
──不在ということに関して、もう少し伺えますか?
いないのにいる気がするのは、さっきまでの時間の連続で、その人の存在がいま・ここにかかっているということなのかな。映画においても、いないほうが存在感を感じる登場人物っていっぱいいるじゃないですか? 「あの人、また出てこないかな」って。たとえば、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977)のハン・ソロ(ハリソン・フォード)。「礼金を貰ったから俺はもう行く」と去ってしまったあとに大空中戦が繰り広げられる。ソロはもうそこにはいないけど、でももしあのとき、ミレニアム・ファルコンをルークに預けていたらどうなっていたらどうだろう? すると彼がいつも座っていた場所はどうなるのかとか考えるんですね。『ハッピーアワー』なら、桜子の夫が運転する車から純が降りたあとも、カメラは彼女の座っていた助手席をしばらく残している。ああいうのは、本当によくわかるわけです。だから、新長田の打ち上げのときも、先に帰る人たちが逆にそこに「残って」しまって寂しくなるのが嫌で引き留めたんでしょうね。残ってほしくないから言ったのかもしれない(笑)。
──ある意味で逆説的な言葉だったんですね(笑)。と、あれこれ話しているうちに終了時間になってしまいました。まだまだお訊きしたいことがあるので、映画に倣って第二期取材をお願いしたいと思います(第二期インタビューに続く……)。
(2016年5月24日 大阪にて)
取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地