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『メカニカル・テレパシー』 五十嵐皓子監督インタビュー

© Akiko Igarashi

 

2017年の大阪アジアン映画祭で上映された『可視化する心たち』に再編集を施した『メカニカル・テレパシー』が京阪神で公開を迎える。「心を可視化する機械」の実験中の事故で意識不明に陥った開発者・草一と共同研究者であるその妻・碧。そこへ送り込まれて碧に惹かれてゆく真崎の織り成す三角関係にサイエンス・フィクションを絡めたドラマは「心」を実像化することで、その様々な在り方や、人が人を想うことを静かに問いかける。イマジナティブな意欲作の着想から完成までの道のりを五十嵐皓子監督に伺った。

 

──本作に先行して、『心を可視化する機械』という短編を撮っておられますね。

映画美学校を卒業後、第13回CO2助成企画に応募する際に、参考作として過去に撮った作品が必要になりました。美学校時代に課題として短いものを撮っていたものの、それにはちょっと自信を持てず、企画とからめた15分ほどの作品をつくりました。公民館などを使って小規模で撮った作品でしたが、審査用に送ったその短編が『心を可視化する機械』でした。

──その物語は本作の雛型的な内容でしたか?

プロトタイプ的な内容でした。短い尺の作品なので、出演者はふたりでしたが、三角関係の話で、可視化する機械によって心が現れるけど、それが誰の心かわからない。そのような作品でした。「心の可視化」を映像で表現するのに、「こういうアイデアがあります」と示すためにつくってみました。

──かねてからSFの世界はお好きだったのでしょうか。小説を読まれたりしていましたか?

マニアというほどSFは読んでなくて、どちらかといえばファンタジーや萩尾望都さんのSF漫画が好きでしたね。あとは、のちに黒沢清監督が映画化されたイキウメの『散歩する侵略者』の小説初出版(2007)もおもしろく読みました。SFは踏み込んでみたいと思いつつも、たまに読んで楽しむレベルに留まっています。

──では映画や小説に限らず、十代の頃に夢中になっていたものを教えてください。

本作に通じる要素はほとんどありませんが、『HUNTER×HUNTER』のような続きが気になる漫画や、松尾スズキさんが主宰して、宮藤官九郎さんが演出をつとめた「大人計画」の舞台が好きでしたね。宮藤さんがシナリオを書いたドラマにハマって、それがドラマやセリフのおもしろさを発見するきっかけにもなりました。当時は映画監督を目指していなかったけれど、シナリオやセリフの力を意識しはじめました。

──シナリオを書きはじめる前には、小説を執筆されていたそうですね。その段階で、非現実的な物語を書いておられましたか?

たしかに現実に即した物語よりは、設定が現実と別の世界であったり、通学路で何か変な出来事が起こったりする、ファンタジー色のある作品のほうがおもしろいと思って書いていました。

──シナリオはいつ頃から書くようになったのでしょう。

シナリオの勉強をはじめたのは20代に入ってからでした。シナリオセンターなら仕事の傍らに勉強できると思ってはじめましたが、そこではテレビドラマなどが前提条件だったので、日常生活のなかでの心の変化や動き、普段は気にも留めないせつなさを描く魅力に気づきました。

──日常生活においてもSF的な視点から物事を見る習慣はありますか?

SF的なのかはわかりませんが、普通に時間が流れて、太陽が上って、電車が走っていること自体が不思議に思えたり、目の前の物事が少し脱線すれば大変なことになると空想することはあります。「心の可視化」についても、たとえばおじいちゃんの幽霊を目撃したとして、それは見た人の思い込みなのか、それとも本当の霊なのかわからないな、とか。当たり前と認識されていることでも、時代が変わったり、それこそ宇宙人が見ればまったく違って写るだろうなと考えたりします。

──映画で「心を可視化する」というアイデアは、どこから生まれたのでしょう。

アイデア自体は、美学校の脚本コース第4期に入って、その課題のなかで生まれたものです。サイエンス・フィクションのネタと、心を可視化することで見えてはいけないものが見えてしまう設定で、何かおもしろい作品がつくれそうなイメージが漠然と浮かびました。心を可視化するには、抽象的な表現やアニメーションを使う手段もあります。でも映画で、ひとりの俳優に心と体を二役で演じてもらうことによって、心の違いがよく見えるようになる。そして分割合成を使うことで、ふたつの顔をしたひとりの俳優を同じ画面に入れることができます。そうしたテクニックで心と体を変わった形で見せられるかなと思い、心を可視化してみようという流れになりました。

──その状況を映画で表現するのはなかなか難しかったと思います。撮影や美術、シナリオづくりに関してお聞かせください。

メインの舞台を研究室と実験室に絞って、あまり移動せずに済む撮影にしました。なるべく順撮りにして、ロケ地の都合で撮影順を変えることも少なかったですね。心が現れるのもいろんな場所ではなく、実験室だけに限定しました。可視化する機械にも説得力が必要で、それは美術の松本真太朗さんに相談しました。実験室のなかをスピーカーが囲んでいて、あとは効果音で表現できればと私からアイデアを出すと、細かいガジェットも含めた機械をデザインしてくれました。心と体に関しては、初めての長編ということもあってシナリオを書き上げるのに難航しましたが、三角関係の設定を最初に俳優陣に渡していました。その関係のなかの表情や行動を皆さんが考えてくれていて、目の前で演じてもらうとキャラクターが成立していたので、それを見ながら全体の流れを組み立てていきました。

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──シナリオには「(人物の)心」、あるいは「誰かを想う心」というふうに具体的に書き込まれていたのでしょうか。

そうですね。「碧の心」「草一が想う碧」「碧本人の心」といった形で、誰の心か、それが誰を想う心かを明確に表記していました。

──メインの舞台である大学には見覚えがあって、研究室は神戸芸術工科大学ですよね。実験室はどこでしょう?

撮影もおこなった神戸映画資料館がある、新長田の「アスタくにづか」の空きスペースをお借りしました。

──空のスペースは自由がきく反面、機械の配置や人物の動きに工夫が求められます。

機械は動かせないので、それをまず固定して、撮影監督の中瀬慧さんと相談しながら「この位置ならこう撮れる」「じゃあベッドはここに」というように配置しました。機械を固定すると心が現れる場所は一ヶ所だけになりますが、そのなかでもできるだけ俳優を動かせるように、中瀬さんとかなり話して決めていきました。シネマスコープサイズも中瀬さんからの提案です。

──監督と中瀬さんは『ジョギング渡り鳥』(2015/鈴木卓爾)のスタッフですね。お付き合いはそのときからでしょうか。

それよりもっと前、美学校フィクションコース第13期の同期なんです。もう10年ほど前ですね。

──当時の講師はどなたでしたか?

3人おられました。大工原正樹さん、古澤健さん、高橋洋さんで、メインは大工原さんでした。いま思えば、フィクションコースに入って大工原さんから最初に出された課題が、三角関係のビデオ作品でした。三角関係でドラマをつくれるのをそれで初めて知りました。ふたりだけの関係を他人から見ると、別の矢印が出てきてドラマを動かしやすいことに気づきました。

──本作はSF的にはじまって、恋愛ドラマにシフトしてゆきます。企画の段階ではそのふたつの要素はどういう配分になっていたのでしょう。

当初はどちらかといえばSF的な物語や展開で進めるつもりでしたね。比率でいえば、SFと恋愛が6:4くらい。SFの要素が強い企画を出しましたが、キャスティングして実際にリハーサルを見ていると、キャラクターの人物像や行動を掘り下げるようになって、結果として三角関係に重きを置いた作品になりました。

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──その三角関係に、もうひとりが介入してくることでドラマが転がりますね。

私が選ばれたCO2の代の俳優特待生メンバーから吉田龍一さん(真崎役)と白河奈々未さん(碧役)をまずキャスティングして、もうひとりは誰がいいだろうと考えていると、前の代の申芳夫さん(草一役)を紹介してもらいました。そのときに同じ代の伊吹葵さんをワークショップで見て、想定していた三角関係にもうひとり、アスミという若い女性を加えようと思い浮かびました。彼女のあるセリフが転換点になり、ドラマが動くきっかけにもなっています。

──今回の公開するのは『可視化する心たち』を再編集したヴァージョンですが、企画段階の仮タイトルは『メカニカル・テレパシー』だったんですね。

CO2の助成企画に応募した段階では少し変わった、関心を引くようなタイトルを、と思っていました。大阪アジアン映画祭で上映する際には『可視化する心たち』がしっくり来ると考えましたが、再編集して仕上げていくなかで最初のタイトルに戻しました。『可視化する心たち』だと物語そのままだけど、それをぼやかしてくれるのと、メカニカルに、機械を使ってでも相手に気持ちを伝えたいことを示すタイトルがいいのかなと思いました。

──再編集版では章立てだった構成を無くして、カットの追加やカッティングポイントの変更がなされています。ほかにどのようなことを軸にされましたか?

大阪アジアン映画祭で上映したときに、色々な人からアドバイスをもらいました。「心を可視化する」描写がわかりにくくて混乱するという意見が多く、まずはそれを変えようと、音を入れるなどして可視化の実験場面をわかりやすくしています。あと、合成をそれほど使っていなかったのを、今回のヴァージョンは「他人が想っている心」の像をわかりやすくするために、VFXの守屋雄介さんに相談し、色を分離させるような合成を追加しています。再編集するにあたりシナリオを読み直して、大胆な変更も一度試みたんですが、変えてしまうと壊れてしまう部分も大きかった。最もよい物語の流れになるように細かいところを整理したり、真崎の心理を追いやすくするのに重点を置いて、そこが印象に残る編集にしました。

──『可視化する心たち』は、メインの3人が主人公に思える場面もありましたが、再編集版をあらためて見ると真崎が主人公であることがくっきりしています。

そうですね。ある状況に巻き込まれてしまって、どうしようもない結末に向かうけれども、そのなかで変化を起こそうと行動する彼を軸にしてつくった物語です。

──マッドサイエンティスト的な気質も持ったキャラクターですね。音響担当は、中瀬さんと同じく『ジョギング渡り鳥』を手がけた川口陽一さんです。サウンドが劇伴にとどまらず、映画に広がりを与えています。

川口さんは美学校つながりで知っていて、『ジョギング渡り鳥』などで素晴らしいサウンドデザインをされていたので、「是非」とお願いしました。作品の意図など最低限のことを伝えた上で、川口さんから波の音などのアイデアをもらいました。

──そういった音や海岸のシーンなど、本作には「水」のモチーフもあります。SFで水といえばタルコフスキーですが、何らかの影響は受けていますか?

タルコフスキーはそれほど見ていませんでしたが、『ストーカー』(1979)のあらすじを人から教えてもらいました。「そこへ行けば欲しいものが手に入るけど、そうではないものがいつも現れる」と聞いて、それはおもしろいと思いました。でも作品からの直接的な影響はなくて。水については、制作条件が大阪周辺で撮ることで、神戸のほうへロケハンに行くと海の多い街だと感じました。見ていると、「心って海に似ているかもしれない」というセリフがあってもいいかなと思って入れてみました。

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──波音も耳に残る音設計です。

仕上げの段階で、川口さんから「海の音があったほうがいい」と提案をもらいました。撮影から一年ほど経った頃、まだ仕上げをしたときにも「須磨海岸の音を使うのがいいんじゃないか」と言われて、須磨へ録りに行きました。

──ではあの音はリアルな「神戸の音」なんですね。それから印象的なのが、終盤に反復される冒頭の長回しで、その碧のアクションを真崎がなぞる構造になっています。

あそこはロケハンしているときに中瀬さんから「ここならワンカットで撮れる」とアイデアをもらいました。終盤の真崎が碧を探す描写は最初の段階ではしっかり固めていませんでしたが、ロケハンと並行してシナリオを書き、撮り方を相談しているうちに同時多発的に案が生まれて、冒頭と同じ構図を入れてみることになりました。草一が碧を想うことに対して、真崎がその真似をしてゆくようにも見える。同じ構図を繰り返すことで、そのイメージにも重ねられると思いました。

──真崎の心理をうまく視覚化したシーンになっていますね。原作もののSF映画を見ると、ハリウッド大作でも原作小説を超えていないと感じることが少なからずあります。小説から創作をスタートした監督にとって、テキストと視覚表現はどのような関係を結んでいるでしょうか。

読む人が言葉から色々なものを想像できるところがいいなと思って、小説を書いていました。それはいまも変わりませんが、映画はテキストを渡すことで、俳優が様々な演じ方をしてくれる。その写り方によって受け手である観客が「こうなのかな、それともこうかな?」と考えを広げる作品をつくれるのが魅力だと思います。同じ映画でも二回見ると印象が変わることがあって、それは本当に俳優の力ですね。本作も自分ひとりでシナリオを書いているときは「難しいな」と感じていました。でも実際にリハーサルで俳優がつくってくれた演技を見ると、思いも寄らないアイデアが浮かんだりする。見る人にとっても似たようなことが起きるのかな、と考えたりします。

──少し話が逸れますが、監督は『ジョギング渡り鳥』のドイツ語ナレーションを担当しておられますね。

あのナレーションは……、「あれでよかったのか」といまだに思うんです(笑)。

──いや、あれは素晴らしいと思います。鈴木卓爾さんのSF映画づくりを間近でご覧になって、ご自身に通じるものがあると感じましたか?

たぶんまったく違うでしょうね。『ジョギング渡り鳥』に参加したので、ほかの作品も見せていただきました。そのあと『ゾンからのメッセージ』(2018/脚本:古澤健)にも制作スタッフで参加して、仕上げにも関わりました。そこでSFを自主制作でつくる遊び心や楽しさに触れました。SFを撮るとなると構えないといけないというか、私が抱くそういう先入観の壁が無くなってゆく感じでしたね。卓爾さんはSFに限らず、映画づくりの楽しさを見せてくれる作品をつくられる方だと捉えています。

──たしかに。ただ、「映画をめぐる映画」のモチーフは卓爾さんの作品に似ているかもしれないですね。碧が神戸映画資料館で映画を見るシーンがあります。

あのシーンを入れた理由は、碧と草一が映画について話す回想シーンがあります。それまでは主に実験室と研究室で物語が進行するので、彼らがどんな夫婦だったのかを描けていなかった。あの回想を入れることで、ふたりが幸せな夫婦だったことを示そうとしました。ふたりで映画を見に行き、草一が寝てしまったり、感想が異なるというエピソードをひとつ入れたかったんです。その流れで、神戸映画資料館で映画を見るシーンも撮らせてもらいました。

──本作は、資料館で撮られた初めての劇場公開作です。ふたりが感想を語り合う映画は言葉でしか語られません。実際にある作品ですか?

あれは実在しない映画なんです。

──ということは、『黄色い水仙』というその原作小説も……

架空の作品で、「冬の花」のイメージから名付けました。

──「黄色い水仙」の花言葉は「もう一度愛してほしい」です。それにもとづくネーミングだと思っていました。

偶然ですが、この映画にぴったりですね(笑)。

──神戸映画資料館で思い出したのが、映画雑誌でレビュアーの方が本作を「ゴダールのポスターまで映り込んでいるときては、これはもう正しく『映画美学校の映画』であって(…)」と評しておられました。本作の撮影前後に資料館に行ったので覚えているのですが、あれは美術ではなく、元からあったポスターですよね。

私も「あれ……? ポスターなんて写ってたっけ?」と思って(笑)。ちなみにあのシーンに登場する、映画を見に来た人たちは助監督をはじめとするスタッフです。撮影から時間が経って会う機会もなかなかないので、見返すと嬉しくてスタッフの顔ばかり見てしまうんです。だからポスターには気づいてなくて(笑)。編集でも見落としていて、巻き戻して見ると、本当にありました(笑)。

──誤解があってはいけないので、この機会に解いておきましょう(笑)。さて、海岸のシーンの色調など、随所でレトロチックな雰囲気を醸していて、研究室や実験室と好対照です。

ロケ地は新長田や、神戸芸術工科大学周辺の学園都市でした。その雰囲気を引き継いでいるところがあります。古いけど、近未来的でもある街の雰囲気を作品世界にも活かしました。

──研究室には無駄なものが一切なく、空間を広く撮っています。

SF的な雰囲気を出すのに、小道具でゴチャゴチャとつくり込むよりはシンプルに見せる形にしました。

© Akiko Igarashi

 

──屋外シーンでもほとんど通行人が写りません。新長田の商店街を真崎とアスミが歩くのを長いトラックバックで捉えたシーンもそうで、人止めをしたのでしょうか。

あれは夜の遅い時間帯の撮影で、もともと人が少なかったんです。特に人止めはしませんでしたが、たしかにあまり人が画面に入らないように気をつけていました。

──無機質な空間が作品世界を形づくっています。物語に話を戻して、結末はバッドエンドとも受け取れます。監督はどんなイメージを持っておられますか?

真崎が碧に対して抱く気持ちにあそこでひと区切りつけた。その終わりを選べたのは、彼にとって幸せといえるかもしれません。碧をめぐる違う結末もあったでしょうが、終わるべきところで物語を終えられたという気持ちです。

──最後にカメラが少し引くのがまたいいですね。映画のキャラクターにはつくり手の内面が投影されるケースが多々あります。本作の場合はどうでしょう。

見た友人からも「誰なの?」と訊かれました(笑)。最初はやはり主人公だと思っていたのが、あらためて見ると碧とアスミのふたりに自分を重ねている部分があるように思えてきました。特に碧の「わかっているのに間違えた行動をとってしまう」ところですね。アスミにはどこか雑というか(笑)、自分の変なところを投影してしまったかもしれません。

──そうなんですね。自主映画は完成の段階で制作陣のエネルギーや予算が尽きることもあり、良作でも埋もれがちです。そんな中、再編集して公開する例は珍しい。本作は前のヴァージョンと比べても丁寧に仕上げられていて、作品への思い入れを感じました。関西公開に向けて、ひとことお願いします。

「心とは何なのか」という問いに向き合いながら書いていたシナリオは、私ひとりだと結末を見つけられず、未完で終わっていた気がします。それを、スタッフが順撮りできるスケジュールを組んでくれたり、シナリオが出来ていない段階でもキャストが真摯に演技をつくってくれて、最後の最後に落としどころを見つけて撮影を終えられました。たとえ仕上げに時間がかかっても再編集版を完成させたかったので、いまは感慨深いです。キャストも関西出身者ばかりなので、関西で上映の機会を持てたことを本当に喜んでいます。特に神戸映画資料館は、撮影時はまさか上映までしてくださるとは思いませんでした。劇場でご覧いただければ嬉しいです。

──草一のように途中で寝てはいけないですね。

大丈夫です。私もたまに寝てしまうので(笑)。寝るのも映画の楽しみですし、実際に本作を見ながら眠ってしまった人がいます。起きたらちょうど碧が草一に「寝てたでしょ?」と言うシーンでびっくりしたと話していました(笑)。

──それも一種のテレパシーかもしれません(笑)。本日はありがとうございました。

(2021年1月10日)
取材・文/吉野大地

 

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