ラジオ関西「シネマキネマ」インタビューWEBSPECIAL / CinemaKinema


『BOLT』 牧野裕二(高松市美術館)インタビュー

 

先ごろ公開したヤノベケンジインタビューで語られているように、林海象の新作『BOLT』第1章は2016年に高松市美術館で全面的に撮影がおこなわれた。ヤノベの個展会場のインスタレーションをスタジオとして使う稀有な企画の現場はどのようなものだったのか。当時の様子を学芸員の牧野裕二さんに伺った。

 

──牧野くん……と親しみを込めて呼ぶのは、実は僕らは大学のゼミの同級生で、という話は措いて(笑)、ヤノベさんの個展「シネマタイズ」の成り立ちから教えてください。美術館の企画は開催の数年前から決まっていますよね。

当館での瀬戸内芸術祭の対応企画ということもあり、かなり前からヤノベさんの個展開催は決まっていました。

──個展は牧野くんが発案したのでしょうか。

当館全体で相談しました。瀬戸内芸術祭は第2回(2013年)以降、春、夏、秋に開催していて、夏が最も盛り上がります。そこで誰の展覧会をおこなうかは重要で、過去には森村泰昌さん、大竹伸朗さんと日本を代表するアーティストを取り上げてきました。そこで「次はヤノベさんで」と決まり、オファーしてご快諾をいただきました。

──タイトルが決まる前の段階で撮影を展覧会に組み込んだそうですね。このような美術館での大規模な映画撮影は先行例がないので、受け入れる側に懸念や問題はありませんでしたか?

テーマを「シネマタイズ」に固めるまでに様々なアイデアが出ましたが、館内の撮影については特に問題はありませんでした。撮影は一週間で、その期間中も観客が展示室を訪れます。一部の展示を見られなくなりましたが、代わりに映画撮影を楽しんでもらえました。トラブルも起こらず好評でした。

──ヤノベさんにお話を聞くまでは、映画でも見られるトンネルは通路に設置したものだと思い込んでいました。あれは展示室のなかに設けていたんですね。

当館には大きな展示室がふたつあります。ふたつめの入口がトンネルの入口になっていて、展示室のなかをトンネルが通るつくりでした。そこを抜けると《ウルトラ―黒い太陽》(2009)が鎮座している。トンネルは20 メートルから30メートルほどの長さがあったでしょうか。そこを《サヴァイヴァル・システム・トレイン》(1992/豊田市美術館蔵)が走るようにもしていました。トンネルを抜けるとセットも兼ねた最後のインスタレーションに至る導線になっていたので、撮影をおこなっているときは別のルートを用意しました。また、トンネルの廊下には線路を敷いていて、普段は観客が通るので上に板を置きました。撮影中はそれを外して走らせていました。

──ではトンネル内の撮影にも、そのレールを使ったのかもしれないですね。

そのレールでトンネル内の移動撮影をおこなっていました。それから撮影には展示室だけでなく、エレベーターも使っています。

──冒頭で原発作業員が集まるシーンでしょうか。

そうです。あれは普段は作品運搬用に使っている縦横3メートルのエレベーターです。当館のスタッフが見ても、意外な使い方をしていておもしろいですね。一箇所だけ当館ではなく、市内の製紙工場の跡地で撮影しています。そこはロケハンで林監督が気に入って採用されました。

──原発の外観として撮られた建造物ですね。撮影スタジオになった展示室には、見学用のスペースを設けていたのでしょうか。

スペースを確保して、そこに椅子を並べました。さらに見学者席の前にはモニターが置かれていました。これは長田勇市さん(撮影)のカメラから出ているもので、撮っている映像をリアルタイムで見ることが出来ます。撮影は20メートルほど先でおこなわれているけど、その場で臨場感のある映像を見られるのはよかったですね。

──見学される方は準備だけでなく、本番も見ているわけですよね。そこで特に注意していたことは?

撮影が始まると「お静かにお願いします」と書かれたプラカードを示していました。撮影中にも人は入ってくるので、やはりプラカードで伝えていました(笑)。

──撮影中も入ってくるんですね(笑)。

入ってきます。出るときも自由です(笑)。林監督は見学者に気さくに接しておられて、時おりシーンの説明もおこなっていましたね。それからモニター前には、普段は監督が使うディレクターズチェアが置かれていて「自由に座ってください」と(笑)。つまり監督になった気分で映像を見ることも出来ました。

──それはいいアイデアですね。さて、スケジュール通りになかなか終わらないのが映画撮影の常です。閉館後も撮影をおこなうことはありましたか?

閉館後、深夜に及ぶようなことはなかったですね。館に配慮してくれていたでしょうし、当時のスケジュール表がありますが、休館日の月曜日も使って予定の期間内(2016年8月29日から9月4日)に撮り切っています。

──スタッフの人数はどれくらいでしたか?

当時の資料とメモで確認すると、俳優陣を除くスタッフは僕も含めて56人いました。その大半は東北芸術工科大学と、当時の京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の学生たちです。プロは最小限という構成だったと思います。

──自主映画で56人というスタッフ数は異例です。もっと異例なのは撮影に大々的に水を使っていることで、美術館にとって水は天敵ですよね。

水は最大のNGアイテムですね(笑)。天敵だけに、僕も最初は躊躇しました。CG処理や、アクリル板を貼って水に見せる案をヤノベさんに提案しようかと考えたりもしました。でもどうしても映画に欠かせないものなので、館内の議論を経て、シートを二重に敷くなどの防水処置を入念に施してもらい撮影に臨みました。そして撮影スペース以外の展示でも、ヤノベさんの作品はサイズが大きく重量もあります。そのための鉄板やクレーンの手配という初めての経験もしました。

──多くの作品は館内で組み立てられたと思います。素材の準備の分担などはどのようにおこないましたか?

作品の素材の手配はヤノベさんがおこない、その設置に必要なものをこちらが準備する分担でした。ヤノベさんの作品は独特なだけに、展示の仕方も普段とずいぶん異なりました。展示作業には約二週間かけて、朝も早かったですね。展覧会が始まっても、そこに撮影が入ってくるので、毎日何かが起きていました。

──劇中で原子炉に使われている《黒い太陽》も現場で組み立てないといけない構造です。

幾つかに分割されて、そのパーツを乗せた10トン車が何台も来る。そういう世界でした(笑)。それから《黒い太陽》にはツノがたくさん生えています。当館の展示室の天井高は4.5メートル。ツノの根元の部分が少し盛り上がっていて、そのままの状態だと収まらない。それをヤノベさんに伝えると「じゃあ切ります」と、空間にぴったり収まるように加工されました。自分の作品に傷をつけるのに抵抗を覚える作家もいるなかで、それを迷いもなくこなすのはすごかった。この展覧会後にも、本来の形で展示をおこなっている筈なので、ふたたび手を加えられたんでしょうね。

──ヤノベさんはやはり「手作業の人」ですね。《黒い太陽》は水だけでなく、さらに仕掛けのある作品です。

《黒い太陽》は放電も目玉で、それは雷そのものです。映画でも音を付けているけど、実際に会場でも放電の実演を毎日おこないました。かなり大きな音が鳴るので、ご覧になった方は唖然としていましたね(笑)。

──心の準備がない状態で遭遇すると驚くでしょうね(笑)。第1章には《タンキング・マシーン》(1990/金沢21世紀美術館蔵)を使った短い、しかし重要なショットがあります。

あのショットは第3章「GOOD YOEAR」にも出ている月船さららさんが、タンク内で溺れる演技のためだけに高松まで来てくれました。普段、タンクに張っている生理食塩水を撮影のために一度ポンプで全部抜いて、また貯めてから入ってもらいました。

──そこでも水を使っていますが、撮影は外でおこなったのでしょうか。

© 林海象/ドリームキッド/レスパスビジョン

いえ、館内です。あれはヤノベさんのデビュー作だから展示室を入ってすぐのところに展示していて、そこで撮りました。タンクのなかに出入りするのはなかなか難しくて、取手のようなものがあるとはいえ、最小限しかない。僕も掃除のために水を抜くとき一度入ったら、出られなくなりました(笑)。月船さんも怖かっただろうと思います。

──でも、いい画が撮れましたね。

休館日だったか、ちょっと記憶が定かではないですが、会期中の観客のいないときに撮っていましたね。現場には立ち会いました。

──あれは見学者がいると撮れないショットですね。ヤノベさんの作品群は核の問題をテーマにした社会的なメッセージを帯びたものです。個展の開催や作品を展示するときに、そうした社会性がネックになることはありますか?

ヤノベさんをはじめ、社会的なテーマを持った作品を扱うときに配慮はします。「シネマタイズ」も核というデリケートなテーマを扱っていたけれど、ヤノベさんはもっと大きなもの、人間の業を作品として表現していると話しておられました。ヤノベさんも林監督も直接何かを攻撃や批判しているわけではないし、その点でも問題はなかったですね。当館は現代美術作品も取り上げます。そこにメッセージ性があると問題が生じる可能性もある。でもそうならないように気配りはするし、作品を突っぱねることはしない。その心づもりはあります。

──それからこの機会に訊ねてみたいのが、美術館における映像作品の上映です。最近は映画作家がインスタレーションとして映像を制作・展示するケースも少なくない。しかし上映開始・終了時間が明記されてないと、最初から最後まで完結した作品として見ることが出来ないジレンマがあります。

現代美術の世界では年々、映像作品の比率が高まっています。ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめとする国際展では映画館のように室内を暗くして、たとえば1時間超の作品を上映していることが頻繁にあります。そういう状況を見ると、僕も美術と映像、そして映画との違いは何だろうと考えます。映像と他のものを組み合わせた作品もありますね。
そして当館も数は多くないですが、映像作品の収蔵が増えてきました。ただ、映像作品には保存の問題があります。VHSテープはビデオデッキがないと再生できないし、ブルーレイディスク やUSBメモリも将来的に確実に再生できる保証はない。ハードディスクで保存するケースもあります。ハードディスクとブルーレイとUSBメモリで収蔵したりと、たいていは複数のメディアです。しかしそれらも、その都度コピーを取ってメディアをバトンタッチして保存していかないといけないでしょうね。作家によって色々なメディアを使っているし、トラブルが起きたときに誰に修復を頼むのかという問題もあります。メディア・アートの場合には、展示にも専門的な理工学系の知識が必要になります。

──この記事を掲載してもらっている神戸映画資料館の安井喜雄館長は電気関連に強い方です。美術館にもそのような人が必要なんですね。

そう、プログラミングやはんだ付けが出来るような人ですね(笑)。あと、現代美術作品のなかには樹脂やゴムなど雑多な素材を複合的に使うものもあり、伝統的な美術修復の手法では太刀打ちできなかったりする。そういった作品の保存も課題ですね。

──展示と蒐集のバランスに関してはどうでしょう。

蒐集しないと展示もできないので力は入れますが、やはり展示のほうがウェイトは大きいですね。とはいえ、今は新型コロナの影響で海外から作品を借りることが出来ないので、館のコレクションや国内の収蔵作品の重要性は、各美術館が認識していると思います。

──なるほど。ではヤノベさんに話題を戻して、牧野くんに取材することを伝えると「是非〈矢延平六伝説〉についても尋ねてください」と言付かりました。この伝説とは……?

まず「矢延平六」という人物が江戸時代、高松にいました。松平頼重に依頼を受けて治水事業をおこなったけれど、色々あって最後は追放された不遇な人です。でもヤノベさんがアーティストの直感で「矢延平六は自分と同様に水を扱っていた。彼は先祖に違いない」と(笑)。

──ヤノベさんが特に初期の創作に活かしていた「妄想」でしょうか(笑)。

ほぼ妄想、もとい「想像する力」です(笑)。でも香川県に「矢野」姓の人はいても「矢延」姓の人はほとんどいません。そして、当館と交流のある美術作家の南正邦さんが偶然にも矢延平六の研究家だったんです。そこで南さんに物語と、ヤノベさんの作品キャラクターを取り入れた紙芝居的なイラスト作品をつくってもらいました。全部で50枚ほどある結構長めの話で、それを講演会形式で発表しました。

──ここに掲載されているプロジェクトですね。

作、画 南正邦

プロジェクターでイラストを投影して、南さんがナレーションをつとめて、ヤノベさんにコメントをもらう形でした。前半にヤノベさん単独の講演を、後半にリサーチプロジェクトを実施しました。ヤノベさんとは一緒に車で矢延平六ゆかりの場所も訪ねました。香川県は昔から水不足で、溜め池が多い。そうしてゆかりの溜め池に行くと、ソーラーパネルが並んでいました。ヤノベさんもソーラーパネルを創作に使っています。そこで想像が一気に確信に近づきました(笑)。

──虚構と現実が折り重なったヤノベさんの作品世界的な逸話です(笑)。

それからおもしろいのは、南さんはテレビニュースで使われる裁判の傍聴スケッチも描いておられます。作品のクオリティも高いので、今後、何らかの形でアーカイヴを残せないかと考えています。

──高松市美術館は、そうした様々な取り組みを積極的におこなっています。本格的な映画撮影を受け入れる美術館は全国規模で見ても非常に珍しいですね。

国立や県立の美術館だと難しい面はあるかもしれないですね。当館の規模だから実現できたのかもしれません。ヤノベさんの造形作品は巨大だし、通常の美術作品ではないので「倒れたりしないだろうか」と我々もひやひやしました。でもこれまで培ってこられた技術力によって観客の安全性を考慮して創作されているので、安心感がありました。ギリギリのことはするのだけど(笑)。

──カタログDVDに、ヤノベさんがすべての展示をひとりで解説する「ガイドツアー」を収めています。あの映像も約30分強をワンカットで撮っていてすごい。

あれは徹夜明けの早朝に撮影しました。やっぱりすごい体力と知力の持ち主ですね。撮影・編集を手がけた青木兼治さんも、開催初日に間に合うように急ピッチで制作されていました。すごさでいえば展覧会の図面もそうで、いまZOOMの画面超しにお見せしますが、最初にマジックで手書きのスケッチが2枚送られてきました。ひと部屋ごとに1枚で、最後までヤノベさんからもらった図面はこの2枚だけです。はじめは不安でしたが、誰よりもご自身がいちばん体を動かして、それだけで展示が出来てしまいました。

──建築の設計図と比較するとかなりラフで、この2枚であの展示設営が出来るとは想像し難い。空間を見るだけで全体の展示イメージを構築できる作家なのでしょうね。

僕が見ていないだけで、実際は緻密な図面を作っていらしたのかもしれませんが、その2枚だけだと思いたいですね。究極の「現場主義」でかっこいいじゃないですか(笑)。この「シネマタイズ」を経験してからは、ちょっとやそっとのことでは動揺しなくなり、自信が付いた気がします(笑)。色々大変でしたが、僕たちも映画の現場を見ることが出来たし、来場者も喜んでおられたので、よい記憶しか残ってないですね。

──ヤノベさんは自身の創作と社会の関わりについても話しておられました。それを受けて、最後に美術館として心がけていることを教えてください。

やっぱり観客の方に喜んでもらうのも含めて、意義のある展覧会を開くことに尽きますね。カタログをつくるために調査・研究もするし、しっかりと形にしないといけない。ヤノベさんがお話しされていたとおり、社会に開かれているように、と常に意識しています。社会的なメッセージを持つヤノベさんのような作家の展覧会もするし、SNSの活用や動画を配信したり、また来月からは近くの商店街のショーウィンドウをお借りして展示をおこないます。以前に比べると確実に業務量は増えて忙しくなりました。それを続けていられるのは、「シネマタイズ」で培った自信のおかげかもしれないですね(笑)。でもやりがいは増しているし、市民のみなさんにとって、美術館はより身近な存在になっているんじゃないかと思っています。

(2021年2月12日)
取材・文/吉野大地
館内撮影/牧野裕二

 
高松市美術館公式サイト

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