『漂流ポスト』 清水健斗監督インタビュー

© Kento Shimizu
岩手県陸前高田市広田町に佇む「漂流ポスト」。東日本大震災で亡くなった家族や友人に手紙で想いを届けるために建てられたこのポストに着想を得た『漂流ポスト』が各地で公開されている。主人公は高校時代の親友・恭子を失くした園美。時を経ても心の整理をつけられずにいた彼女はある日、漂流ポストの存在を知り、その場所へ向かうが──。震災から10年。「復興」「被災者に寄り添う」という言葉が表面的な響きしか持たないケースも少なくないなかで、被災地ボランティアの経験を持つ清水健斗監督はどのように映画づくりに向き合ったのだろうか。
──監督は小説『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』(ジェフリー・ユージェニデス/1993)がお好きだそうですね。どの部分に惹かれたのでしょう?
映画化された『ヴァージン・スーサイズ』(ソフィア・コッポラ/1999)を見たあとに読んだので、順番は映画が先なんです。一見キラキラして見える姉妹にも闇があって破滅に至る。でも、そういう悲劇が起きるからこそ際立つ日常の美しさが描かれていて、物語に二面性を感じました。僕たちもそうした二面との向き合い方を考えながら日々を生きていると言えます。それが少女たちの葛藤と同時に表現されていて、そこから好きになりました。周りに好きな人はあまりいないですが(笑)、衝撃を受けました。
──その二面性は本作にも活かされていないでしょうか。
今回は二面性をしっかり描きたいと考えました。2011年3月11日を境に、キラキラした楽しい思い出を持つ海が一瞬で命を奪うものに変化したりと、世界が一気に変わってしまいました。その前にあった美しいものと、その後に傷を残した出来事。本作では両面を残したかったので、その部分で影響は受けていますね。
──本作のサイズはシネマスコープです。このサイズを選んだ理由を教えてください。
言葉は少なく、映像で伝える映画の原点に帰りたかったんです。16:9だと画が間延びするというほどではないにせよ、少し広すぎると感じました。シネスコなら見る人の視線を集中させられるのではないかと考えました。
──撮影にはアナモフィックレンズを使いましたか?
いえ、16:9で撮って、モニターでトリミングしています。シネスコで画面を構築できるようにしつつ、多少の余白も残す感覚で撮影しました。
──サウンドは5.1chではなくステレオです。これも観客の集中力を考慮した結果でしょうか。
その意識もありましたし、あとは単純に予算が少なかったのも理由のひとつです(笑)。
──ステレオにはステレオのよさがありますよね。さて、物語前半はヒロイン・園美の高校時代が描かれ、親友の恭子との関係は過去作『瞬間少女』(2013)に少し似ています。女性を描くのには何か理由があるのでしょうか。

© Kento Shimizu
俳優の演技を見ていくなかで、男性よりも女性に幅の広さを感じる機会が多かったんです。そして男性監督は男性を主人公にしがちだけど、そこを逆にしたほうが観客に伝わる可能性が高い。映画を勉強しはじめたときに、プロデューサーからそうアドバイスを受けました。その流れで女性を主人公にする機会も多いです。
──オープニングから前半の光のニュアンスや女性の捉え方は岩井俊二さんのタッチに近いですね。
好きな監督でもあるし、1983年生まれの僕は岩井さんの映画を見て育った世代なので、意識している部分はもちろんあります。
──園美と恭子は学校の屋上でも海でも横並びですが、途中で位置が入れ替わります。演出上のアイデアでしょうか。
上手下手の位置関係はあまり気にせず、そのときに綺麗に写るポジションを優先しました。並びに関しては、むしろ距離感にこだわりました。最初は離れて座っていたふたりが、会話が進むに連れて近寄っていく。心が近づいているのを並びの距離感で表したかったんです。
──学校から海へ向かう電車内でもふたりの距離は近いですね。
電車のなかではくっついているけど、園美は恭子に付き合って「どこへ連れて行かれるんだろう」と視線が定まらない。距離や表情で心情をいかに表現できるか? ふたりが並んでいるシーンではつねにそれを考えていました。
──前半では、屋上で紙が舞っているのを俯瞰で撮った画も目を惹きます。あのカメラポジションはどうやって確保したのでしょう。
カメラマン(辻健司)に給水塔を上ってもらい、そこから紙を撒いて長回しで撮っています。偶然ですが、いい給水塔がありました。
──後半にも印象的な俯瞰ショットがあり、そこではカメラが垂直下降します。
あれは恭子が天から園美を見ている視点というイメージがありました。
──園美へのパーソナルな視点でありながら、漂流ポストを通して想いを届けられた人々の複数の視点にも見えます。
僕のイメージでは園美に向けてですが、漂流ポストに手紙を持ってきた人たちは必ず天を見るそうです。亡くなった人を想ったり、言葉を語りかけるときは天空を見上げる。それを受けて、恭子を含めた震災で亡くなられた人たちも天から地上を見ている意味合いも込めたので、その発想もありえますね。
──では終盤に見られる、園美の仰ぎの顔のクローズアップは現実に基づいているんですね。
園美が漂流ポストにやって来てからの流れは、実際にあった逸話をベースにした部分も多いです。手紙を届けに来た人たちの動きなどは、かなり忠実に取り入れました。
──ポストの前に立つ園美と、彼女が海にいる姿を交互につないでいます。あれは実際に海へ行った設定なのか、あるいはイメージショットでしょうか。
海に行った設定なので回想です。それを織り交ぜました。
──では現実と回想、そしてまた現実という展開ですね。
映画全体が回想から日常、また回想から日常という構造になっていて、それらが波を打って行き来する形です。
──波といえば、前半の劇伴にシューマンの『トロイメライ』を使っておられます。この曲の楽譜は音符の高低差が波のようでもあり、「夢想」や「白昼夢」という意味を持っています。
先に答えを言われてしまいましたね(笑)。その通りで、どの楽曲がいいかかなり調べました。ほかにも何曲か候補を残していましたが、やっぱり曲調が合っていると思い『トロイメライ』に決めました。この作品で一番キラキラしていて儚い、あの海のシーンが描く日常はラムネの泡のように繊細ですぐ弾けてしまう。その映像と曲が「白昼夢」を喚起する効果も踏まえて、必然的に『トロイメライ』が来るかなと思いました。
──そのシーンなどはハイスピード撮影によるスローモーションです。夢や記憶は現実の時間と流れ方が異なります。この技法にはそうした時間性も影響していると思ったのですが、いかがでしょう。
被災された方たちにお話を聞くと、過去の思い出はやはり綺麗に残っているそうです。それを劇的に見せるためにはハイスピードがマストだと思ったし、「思い出すとスローモーションのようだ」とは、実際に被災された方が避難所で語った言葉でもあるんです。だからスローモーションの使い方にはすごくこだわりました。色味も回想パートはキラキラした彩色に、震災後や日常パートは少し引き締まった画にするなど、色のコントラストと時の流れのコントラストは編集で特に気を配りました。
──園美と恭子が海へ行った回想部分の最後も、マジックアワーに撮られたきらめきのあるロングショットです。そこには現実より美化された「思い出補正」が加えられているといえないでしょうか。

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それを喚起したかったし、記憶によるそういう効果があることも示したかったですね。一方で、トップカットがぼやけているのは記憶が薄らいでいることでもあるし、ソフトフォーカスはやはり記憶の美化を表しています。波と振り返る姿もトップカットで見せたかったものです。
──最初に恭子が振り返る姿は、のちの海の回想シーンと同一構図です。高校生の園美は恭子に歩み寄れたのが、時を隔てるとそれが不可能になるのも距離感の表現のバリエーションですね。またトップカットはカメラ目線で、そのアングルで撮られたショットが後半にもうひとつあります。そこで面白いのは視線の先にあるのが漂流ポストで、擬人化されたポストの主観とも受け取れる、劇中で最も不思議な画になっています。
あそこはカメラマンと相談しながら決めました。その前のショットは園美の肩ナメでポストを撮った、ほぼ園美の主観ショット。そしてポストは亡くなった人への想いを伝える、いわば代弁者です。切り返しで手紙を出すのを迷っている園美と彼女を助ける管理人を撮るのに変な位置にカメラを置くと、ポストの役割がわかりづらくなると思いました。代弁者であるポストが彼女たちを見ているのは、死者が天から見ているのと同じような発想ですが、視線の先をポストにすることで、その場所を強調できるのではないか。そんなことを相談して、主観でも客観でもない画になりました。
──そのような画をつなぐ編集では暗転が3つあります。小説でいえば章立ての役割でしょうか。
さっと切りたいところに黒を入れて転換にしました。30分の物語なので、三部構成の長編映画のようにはいかないかもしれませんが、流れやリズム感をつくるために黒があったほうがいいと思いました。見る人が物語に入りやすくなることも考えて、そのポイントに黒を入れています。
──声の使い方に関してもお聞かせください。高校の屋上で園美と恭子が話すシーンに一ヶ所だけ現在の時制のモノローグが入り、終盤の重要なシーンでもボイスオーバーを使っています。これらは脚本の段階で練られたものですか?
後半のボイスオーバーはすいぶん練りましたね。反対に屋上のモノローグは本作でいちばん説明的です。そこに関しては、「ふたりの関係性がわからない」という指摘がありました。オフライン編集が終わった時点で「具体的に示さないと物語に入りづらい」と見た数人から意見をもらいました。確かにそうかもしれず、じゃあ声でつなぐとして、回想で話しているのが誰なのかを伝えるには、あのひとことを入れるとすべてがうまくいくかなと思いました。
──ではラッシュの段階ではあの部分は沈黙でしたか?
そうですね。沈黙で気まずい雰囲気を出そうとしていました。
──ぴったり収まっているので、あらかじめ間を置いて撮られたと想像していました。映画ってやっぱり見るだけではわからないものですね(笑)。
一応、あとで声が入る可能性は想定していました。それならだいたいこれくらいだろうと尺も出していたし、そこは探りましたね。ふたりにはかなり自由に演技してもらい、黙るタイミングも決めていませんでした。不可抗力といえば不可抗力ですが、演技に合う声の演出を考えました。
──演技を追ってゆくと、本作で最長の長回しは園美が漂流ポストを訪れた直後のシーンです。手紙を投函するか葛藤した末にしゃがみ込むまでの姿をワンカットで撮っています。あれは脚本でそうなっていたのか、あるいは演じた雪中梨世さんのリハーサルの動きを見て決めたのでしょうか。
最初から長回しの設定でした。手紙を届けに来た人はどうしてもポスト前を行ったり来たりすると取材で訊いていました。カットを割るとその空気感が損なわれるし、物語全体の時間を考えても興ざめしてしまうと思ったんです。雪中さんには行ったり来たりは絶対入れてほしい、でもそのあとはフォローするから自由に演技していいと伝えました。足が崩れるのは本当にそうで、こちらから「そうしてください」とはひとことも言っていないんです(笑)。カメラマンには「ずっと追ってくれ」と頼んでいたので、カットを割る想定だと、その副産物として追い切れなかったかもしれません。一連の動きとして撮ることを決めていたのが功を奏しました。
──そこから園美がポストに届いた手紙を読むシーンへ続きます。表情や手をリズミカルにつないでいて、長回しとは逆のアプローチです。
撮影で岩手には2日行き、初日はキャストも含めた取材日にしていました。資料や関連映像で事前に漂流ポストのことを勉強してもらっていましたが、雪中さんがあの場所に初めて行ったのは撮影前日です。僕たちが準備をするあいだ、管理人の赤川勇治さんのお話を聞いたり、手紙を読む取材をしてもらうようにしました。それにあわせてスタッフサイドはアングルチェックもおこなうので服は本番と同じもので、一応カメラもその感覚で回しはするけど気にせず手紙を読んで、とお願いしました。実際にあそこで手紙を読むと、周りの人の存在が目に入らないくらいの状態になります。僕はそれを知っていたので、カメラマンには「使うかもしれない」と伝えて撮ってもらいました。つまり僕たちふたりはわかっているけど、雪中さんはただ手紙を読むだけの状況をつくりました。
──ということは取材のドキュメントでもありますね。あのシークエンスはカットを割って外からも撮っていますが、カメラは一台でしたか?

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ワンカメでした。アングルチェックという体なので僕らはウロチョロして(笑)。
──雪中さんは素の姿だけど、監督たちは演技されていたわけですね(笑)。雪中さんは相当長い時間、手紙を読み込まれていたのでは?
初日の大半は手紙を読む時間に当てました。手紙を出した方の心情を理解するにはそれしかないと思って、とにかく読んでもらいました。
──読む手紙は選んでいましたか? あるいはランダムに?
必ず読んでほしいものは何通か選んでいて、あとはランダムでした。写っている手紙だけでなくもっとたくさんあるので、「一通り読み終えたら他のも色々読んでみて」と伝えていました。
──そのあと、園美が書く手紙の言葉は監督によるものですよね。そうした撮影形式
を受けて、雪中さんが自分の言葉で書いていたらどうなっただろうと考えました。
手紙の声の部分の言葉は僕がつくりましたが、文字の部分は実際に彼女が大切な人に向けて書いている姿を撮っています。あとで知りましたが、その前後にご祖母が亡くなられていました。撮影時は「いちばん大切な、言葉を届けたい人に向けて書いてください」と言いました。それを遠くから望遠で撮っています。
──そのような演出や画づくりが成されていたんですね。そのなかで浮き出ているのが、中盤にインサートされる東日本大震災直後の瓦礫の映像です。瓦礫を撮るか撮らないかは、当時のつくり手の倫理に関わる問題だったと今でも考えています。本編に使われるのは10秒ほどの短い映像ですが、撮影されたのは監督ですか?
2011年に長期ボランティアで岩手へ行ったときに撮影したもので、はじめはあの映像を入れていませんでした。震災が起きたことは音と画面の揺れだけでわかるだろう、それよりも被災者の心に寄り添った作品を、と当初から考えていました。ボランティアで避難所へ行き、そこで多くの方と話したので、津波などの映像を見たくない心理は理解していた。だから最初は震災を想起させるのは音と画面の揺れ、荒れた海に少女が立っている画だけでした。でも、海外の映画祭で受賞した際に「震災の映画とはわからなかった。純粋に人間ドラマとして評価したけど、3.11のことだったんだね」と言われたんです。実際の映像がないと真のメッセージにならないのではないかという提案ももらいました。その年、2019年は震災を知らない子供もだいぶ成長している時期で、今後もそれを描かないままでいいのかという葛藤が生まれました。現地の方と話すなかで「そろそろ入れてもいいんじゃないか」という声もいただいた。被災地で何度か上映の機会を設けたときは、瓦礫の映像があるヴァージョンとないヴァージョンをお渡しして選んでもらうようにしました。絶対に見たくない方もおられるでしょうし、その映像がなくても成立する構成にしていたので、あとは何を伝えられるかですね。それを見る人が選べる環境は、海外の映画祭に行ったことでつくれました。
──本作には波のショットも多くあります。それでも東日本大震災に関する映画だとわからなかったのでしょうか。
海外の人は、僕たちが認識しているようには3.11のことを知りません。逆に考えると、チリ地震やスマトラ島沖地震のことを日本で覚えている人は、グラウンド・ゼロに比べて比較にならないほど少ないでしょう。それらと同様の3.11の海外での認識度は僕も行ってみて驚きました。音と画で伝えられるつもりでいたのが、「そもそも知らないのか」とカルチャーショックを受けました。
──そうでしたか。続けて本作のベースにある寄り添うことについてもお聞かせください。政治家の内実を伴わない発言で「寄り添う」という言葉が急速に空疎化したと個人的に思っています。難しい問いですが、監督にとって映画で人に「寄り添う」とは具体的にどのようなことでしょう。

© Kento Shimizu
たしかにとても難しいことです。僕が心がけたのは被災された方が見ることのできる映像でした。現地でお話を聞いていると、震災を題材にした映画の多くは「3.11が道具に、物語を動かすための駒になっている」とおっしゃる方がいます。震災を取り入れる必然性のない作品が乱発されて、「お涙頂戴の道具にされるなら描かないでほしい」というのが本音なのだと思います。寄り添うための第一歩として、まずそれを無くそうと考えました。漂流ポストは一歩踏み出せるかどうかわからない、自分と向き合う人の背中を押す場所をコンセプトにしています。それを題材にすることで、被災者に限らず心に傷を負った人に対して恩着せがましくない、少しでも背中を押せるような映画をつくりたい。それが出発点でした。そこで先ほどお話しされた、瓦礫の映像を入れることも問われてきます。記憶のなかに残っているのだから、わざわざ入れなくてもいい。正直、僕はそう思っています。ただ、現地の人からの「ないのは不自然だ」という意見もある。そこを解放するのも「寄り添う」ことだと思うんです。気を遣い過ぎて触れないのはよくないし、こちらから何かを押し付けるのもいけない。そのバランスを自分ではなく、震災を経験された方の目線に立って考えることが最も重要でした。
僕自身、「寄り添う」という言葉を詭弁と感じる部分もあります。でもやらないよりはいいのではないか。それが正しいかどうかはわからないし、この映画に対して現地から「描けてない」という声が上がるのも覚悟しています。でも「忘れていない」ことは伝えたい。僕らが覚えておけば現地の方は忘れていいとも思うんです。僕らが震災で得た教訓を忘れずに次に活かせればいい。そういった意味で、忘れていないことを意思表示するのが、結果として「寄り添う」という言葉になるんじゃないかと思っています。
──災害に対しては忘れていい部分と、記憶に留めないといけない部分があると阪神淡路大震災の取材を通して感じました。また監督と同様に被害に遭われた多くの方のお話を伺うなかで痛感したのは、簡単には寄り添えない、想像しかできない心情があることです。
そうですね。本作では被災された方を主人公のモデルにしませんでした。僕はその気持ちが絶対にわからないからです。そうではない「間接的な被災者」──このような取材の場ではそう表現するのですが──外の立場で何かしら被害を受けた人物にしました。直接的でなくとも被災した人間は多く存在する。そのひとりを主人公にすることで震災の事実を伝えつつ、パーソナルな心の部分にも入っていけるように、とすごく考えました。3.11が「物語の駒になっている」と思われるのは震災の映画だからといって被災地にスポットを当て過ぎているか、単に何かのきっかけに震災を使っているか、両極端な理由からだったと思うんです。それを避けるためにも、わからないことは描かない。でも、そのなかで感じたことを描けば被災された方へ伝わるものがあるし、それを大事にしてきてよかった。ここ数年でそう実感しています。
(2021年2月17日)
取材・文/吉野大地