インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『短篇集 さりゆくもの』
『いつか忘れさられる』 ほたる監督(主演・企画・プロデュース)インタビュー

ピンク映画誕生50周年を記念して企画されたが、制作途中で渡辺護監督が亡くなり、井川耕一郎(脚本)が遺志を継いで完成させた『色道四十八手 たからぶね』(2014/以下、『たからぶね』)。出演者である女優・ほたるはその残りの35mmフィルムを使ってサイレント作品『いつか忘れさられる』をつくり、さらに4人の監督に呼びかけて5作が連なる短篇集にまとめ上げた。亡くなった人、失われたものや過ぎた時間を共通テーマに、それぞれが個性を発揮したこのオムニバスが神戸映画資料館で公開される。ここに至るまでの道のりを伺った。

 

──『たからぶね』から引き継いだフィルムはどれくらいの分量でしたか?

フィルムを持っていた太田耕一プロデューサー(PGぴんくりんく)から、最初にお話をもらった時点では「10数分撮れるくらいのフィルムだから、7、8分の短篇サイレントにしましょう」と話していました。そこから、芦澤明子さん(撮影)や御木茂則さん(照明)たちが端尺を集めてくださって、16分の作品を撮ることが出来ました。

──端尺も足されたということは、フィルムに十分な余裕がなかったのでは?

なかったですね。少ないテイクで決めないと、と思っていました。とはいえリテイクの可能性も当然あるので、技術部はもちろん、銀座吟八さんらの俳優陣も、撮影に慣れている方にお願いしようと考えました。

──監督・主演のほたるさんが脚本も書かれていて、劇中の家族は「渡辺家」です。由来は渡辺護さん[1931-2013]でしょうか。

登場人物のモデルにしたわけではありませんが、物語をつくるときにお名前を使いたくて、苗字だけお借りしました。

──無常感漂う家族劇の物語はどうやって出来たのでしょう。いつの時代かわからないムードもあって、列車のシーンなどは現実ではちょっと考えられないシチュエーションです。

私の経験の延長からです。護さんのインタビュー映像で、出征して帰国後に亡くなられたお兄様から大きな影響を受けているという逸話を伺いました。それをずっと覚えていて、そのインパクトは何だろうと考えると、祖母や父から聞いた私の祖父の話でした。やはり出征して亡くなり、送られてきた遺骨を見ると白い石だった、と。そのエピソードを何かで使いたいとずっと思っていました。『たからぶね』にも骨壺が出てきます。「それをスライドする形もおもしろいかも」とプロデューサーと相談して物語に盛り込みました。
列車のエピソードの原型は、新幹線のなかで、ある方の遺品をご家族に渡した私自身の不思議な体験です。具体的な事情はわからず、ずっとモヤモヤしながらも、何かのネタに出来ないかと考えていた体験を組み合わせて、ひとつの物語にしました。

──撮影を担当された芦澤さんも、かつて渡辺さんのもとにおられましたが、ほたるさんとは時代が異なりますよね。

まったく重なってないんです。芦澤さんが護さんのもとにおられたのはカメラウーマンになる前ですね。ただ、そのお話を聞いていたので「護さんが撮るはずだった映画の残りのフィルムで撮るんです」と経緯を説明すると、「35mmだし、そういう事情なら是非」と引き受けてくださいました。

──ほたるさんの監督デビュー作は『キスして。』(2013)。冒頭で心の内を字幕で示したり、前半はモノローグを挟みますが、ほぼセリフを発しません。以前からサイレント的な要素を好んでおられたのでしょうか。

いま言われて気づきましたが、たしかにそうですね。サイレントであったり、セリフで説明しない映画がとても好きで、『キスして。』もあまり音を入れ過ぎずにつくろうと最初から考えていました。本作は太田プロデューサーから「サイレントで」と先に提案がありましたが、自分のそういう嗜好も関係していると思います。

──食事のシーンで銀座さんが納豆をかき混ぜますよね。あのアクションは『キスして。』でも見られます。

スタッフと俳優に打診する際に、『キスして。』を見てもらいました。すると私からお願いしたわけではないのに、スタッフが納豆を用意して、吟八さんもあの仕草をガーッとやってくれました(笑)。

──みなさんが前作のエッセンスを理解されていたんですね。

嬉しかったですね。「ちゃんと見てくれているんだな」って。

──『キスして。』は長回しを多用した作品でした。本作のカット割りはだいぶ異なります。芦澤さんとの画づくりについて教えてください。

最初に基本的なことを話し合った上で、撮影当日に芦澤さんからアイデアを出していただき、何度か「ここにはこの画が欲しいです」とお願いしました。

──スタンダードサイズのフレーミングなどはやはり見事ですね。カメラウーマンの芦澤さんに、どんな印象を受けましたか?

まず台本──と言ってもセリフがないのでプロットに近いものですが──を読んでもらい、芦澤さんから「照明は御木さんで」と依頼されました。それで御木さんをまじえてお話ししているときに、「これはどういう意味ですか?」と訊かれると、その質問に芦澤さんが的確に答えてくれるんです。箇条書きに近い拙い台本で、「しっかり説明していないのに、ここまで理解してくれているのはすごいな」と思いました。現場でも内容を細かく説明することはなく「アップをください」と頼む程度で、芦澤さんに「これでどう?」と提案してもらいながら進めていきました。あのカットに対する感覚や判断は、ホンを読み込む力から来ているんだなと感じましたね。

──冒頭に母親役のほたるさん、終盤に娘役の祷キララさんを逆アングルから撮った横顔のクローズアップがあり、対のようになっています。

冒頭の私のほうは、芦澤さんから「アップを撮りましょう」と言われました。キララちゃんは横顔が素敵で、使う予定はないけど「一応撮っておいてください」と頼んだんです。そのカットもとてもよく、編集の酒井正次さん(フィルム・クラフト)があの形で入れてくれました。

──おさえの画とは思えないですね。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

たしかキララちゃんは当時高校生で、「初めて着物の喪服を着た」と言っていました。でも色気があって、正面からの表情もよかったですね。

──ほたるさんが出ているシーンのスタート/カット、テイクのOK/NGはどなたが出されたんでしょう。

今回はフィルムの現場だったため、基本は助監督(北川帯寛)に任せて、OKかどうかは芦澤さんに見てもらいました。俳優側にも「NGなら言ってね」と伝えていましたが、自分に関してはそれもなくて。やっぱりフィルムは現像に出すまで、どう写っているかわからない。それもあって、芦澤さんのOKが出ればそれでよしという形でした。

──フィルム撮影で画をモニターに出す現場もありますが、本作では出してなかったんですね。

そうですね。私はピンク映画の現場でずっとそのように撮影してきて慣れているし、今回はファインダーを覗く芦澤さんにしかわからないので、お任せすることにしました。

──ラスト前は手持ち撮影による非人称カットです。この画もいいですが、現場で生まれたアイデアですか?

視線のアイデアがまずあって、プロットの段階で書いていました。どうしても入れたいと伝えると、芦澤さんが手持ちで撮ってくれました。

──続くラストカットは家の無人の空間です。無人なのにかすかに人の気配が残っていて、様々な受け取り方が出来そうです。

撮影でお借りした家は本来ゲストハウスで、管理人の方が最初に訪れたとき、テーブルに茶碗などが一式並べてあったそうです。でも時間は数十年過ぎていて、「所有者は別の場所に住まわれていて、もう戻ることはないという事情で借りている」と聞いた話が印象に残りました。それに重なりそうな家のイメージを、最後にしっかり伝えたかったんです。

──あの昭和の雰囲気もある日本家屋は、ゲストハウスなんですね。

ホームページで見るとモダンな印象で「イメージと少し違うかな」と思っていたのが、行ってみると異なる雰囲気がありました。芦澤さんも「カメラを置くスペースもあるし、丸窓もあっておもしろい」と言ってくださり、あそこに決めました。

──居間の丸窓は美術でつくったのものだと思っていました。

はめ込んだようだけど、管理人に伺うと、元からあって色を塗り直しただけだそうです。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

──その一方で、台所には生活感があります。

人が暮らしている感じがありますよね。見たときに「つくり込まなくても、いい台所がある!」と思いました(笑)。

──そしてエンドクレジットに「制作応援」として堀禎一さん[1969-2017]のお名前があります。現場に参加されていたんですね。

はじめは「大阪で一日で撮影」という案もあったのが二転三転して、最終的に長野になり、機材を運ぶための車両の運転を堀さんにお願いして来てもらいました。メイキングは榎本敏郎さんで、撮影中に不安な部分があると、おふたりにも相談しました。家の撮影の2日めに大雪が降ったときも、堀さんは車をいつでも出せるように準備したり、必要なことをどんどん先回りしてやってくだり、ありがたかったです。榎本さんの撮ったメイキングを編集の途中で見せてもらうと、堀さんがかなり写っていて、現場での姿を思い出してグッと来ましたね。

──本作は2017年6月に神戸映画資料館で試写をおこないました。そのときには、もうほかの監督を決めておられましたか?

まったく未定でした。本作をどうやって公開するかさえ決まってなくて、過去のフィルム作品と組み合わせたり、長篇のイベントなどで上映できないだろうかと色々考えました。つくってから考えるのは、順番を間違えているんですが(笑)。
そのあと2018年2月に、名古屋シネマテークで堀さんの『色情団地妻 ダブル失神』(2006)が上映される際に舞台挨拶に行きました。永吉直之さんに相談すると「せっかくなら、テーマと尺を揃えて新作短篇を集めてみたらどうですか?」と提案をもらい、たしかにそれは私も見てみたいと思い、そこから動きはじめました。

──では上映順に、お話をお聞かせください。2作めは小野さやか監督のドキュメンタリー『八十八ヶ所巡礼』。ジャンルの振り分けは考えておられたのでしょうか。

ジャンルについては、あまり考えていませんでした。企画が動き出して周りに声をかけると、男性監督はサトウトシキさんと山内大輔さんがまず決まりました。女性は小口容子さんが引き受けてくれるかなという状況になり、あとひとりも出来れば女性で、と探したものの、タイミングが合わなかったり、なかなか見つからなかったんですね。そんなときに、小野さんに本当に偶然再会して「今どうしてるの?」と会話がはじまり、企画の制作状況を伝えると「まだ作品にまとめ切れてない素材があって、完成すればうまくはまるかもしれない」という話の流れで、彼女に決まりました。

──この作品はタイトル通り四国遍路が題材で、2011年の撮影当時、64歳だった男性・山田さんが主人公です。監督と山田さんの距離が近いですね。

そこがおもしろいですよね。再会したときも10年近いブランクがあったのに、つい最近も会った友だちのような口調で話して(笑)。それで私も「実はいま難航していて」と気軽に頼むことが出来ました。

──ともすれば訊きづらく、山田さんが答えにくいかもしれない監督の問いも屈託がないですね。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

あのズバっと訊くあたりも、彼女らしいなと思います。

──最後に後日譚があります。短篇集のために追加撮影されたと思うのですが、その内容や背景はあらかじめ小野監督から知らされていましたか?

「完成させるのにこれでは終われないので、追撮に行ってきます」と連絡をもらいました。その時点ではまだ過去の素材を見てなくて、どんなものを撮るのかもわからなかったですね。

──それを荒業も使って巧くまとめて、家族劇の味わいもある作品に仕上げています。お遍路は奥が深いですね。

松山の舞台挨拶のときにも、今もお遍路をテーマに撮っていると話していました。「やっぱり巡礼者にはそれぞれの理由があっておもしろい。ずっと撮り続けて、またまとめたい」と。小野監督は愛媛生まれですしね。完成した作品を見て、こんなにキャラクターが強い人たちがいるのなら、自分も行ってみたくなりました。

──3作めは山内大輔監督のホラー『ノブ江の痣』。主演はほたるさんで、振り切ったジャンル作品で演じるのは楽しかったのではないでしょうか。

とても楽しかったです。山内さんには是非参加してほしくて早い段階で打診すると、こういうものを撮りたいと思っていたのか、すぐに「やります」と引き受けてもらえました。でも企画がどんどん延びてしまい、途中で「もう無くなったのかな」と思われてしまったり(笑)。ほかの監督や公開スケジュールが決まった頃に、「じゃあ急いで」と1日で撮ってくれました。普段はピンクやVシネマも撮っておられる方なので、ギリギリでも心配は全然なくて、実際私を除く4人のなかで最も早く納品されました。いちばん最後に撮って、最初に納品するスピードはさすがですね。みんなは「今ごろ撮っているのなら、〆切が延びるかな」と思っていたらしいですが、「延びません」という速さでした(笑)。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

──画もデジタルのクールな質感がよく出ていて、フィルム作品と好対照です。ほたるさんと山内監督の出会いはいつ頃でしょう。

……かなり昔で思い出せないくらい、ひょっとすると20年ほど前でしょうか。そのあとしばらく間隔があって、ここ数年はコンスタントに起用していただいています。

──ピンク映画は改題もあって、正確なフィルモグラフィーの作成が大変ですよね。「葉月螢」時代も含めたご自身の出演作の数を把握されていますか?

2014年6月に岡山で『キスして。』を上映したときに、網羅したものを一度つくってもらったんです。そのあとの出演作を足せばおそらく出来上がるはずで、当時で170本強だったと思います。

──そのなかでホラーへの出演経験は?

ほぼ山内組だけです(笑)。

──息の合ったコンビですね(笑)。

ピンク映画だと、ピンポイント的に演じて「じゃあ」と帰るところを、丸一日ガッツリやれたら楽しいだろうなという期待がありました。ピンク映画にはオーダー側からの注文があって、それに応じて現場でアイデアを出して変えてゆきます。対して、この作品には制約が一切なかった。「全開でつくるとこうなる」楽しさを、山内ホラーファンの方にも見ていただきたいですね。

──そして4作めは小口容子監督の8mm作品『泥酔して死ぬる』。小口監督の映画はPFF(ぴあフィルムフェスティバル)入選作『エンドレス・ラブ』(1988)以降、断続的にしか見ていないのですが、才能は健在だと感じました。ご覧になっていかがでしたか?

逆に私はあとから『エンドレス・ラブ』を見て、「この人はずっとこれをやってるんだ!」と尊敬の念を覚えました(笑)。初めて見た『2010年、夏』(1994)にもインパクトを受けましたが、周りの方が商業映画などのフィールドに行くなかで、小口さんはイメージフォーラム・フェスティバルでグランプリを受賞したりしながら独自の創作を続けておられます。昨日のイベント〈『短篇集 さりゆくもの』スピンオフ上映企画Vol.1 まずはフィルムからはじまった!〉で、ずっと訊いてみたかったことをたずねたんです。「別の路線に行こうとは思わなかった?」と。すると、「現場の真ん中にいる監督としてではなく、自分の衝動のためにつくり続けたい」という主旨のお話をされて、その信念もすごいなと思いました。

──『エンドレス・ラブ』は80年代のPFFの許容度を示す1本でもあると思います。小口監督に参加を依頼された経緯を教えてください。

短篇集の1本『もっとも小さい光』の主演俳優・櫻井拓也さんが2019年9月に亡くなられました。お通夜に行くと監督の(サトウ)トシキさんも当然おられて、撮影はもう終えていたので、「早く企画を進めなければ」とプレッシャーも感じました。その時点で決まっていた監督は私を含めて3人。ほかに誰がいいだろうと考えて、小口さんは一緒にご飯を食べに行ったり遊んだりする個人的なお付き合いもあるし、彼女の企画〈変態まつり〉も見に行っていました。周りに相談しても「小口さんがいい」という声があり、「きっとすごいものをつくるだろう」と思ってお願いしたんです。一週間ほど考えてもらって「川を流れたいのでやります」と返事をいただきました。でも、完成した作品を見ると「あれ……、川は?」と思って(笑)。

──川は写るし、その音の切り方もいいんですが(笑)。

実際に2回、みずから川を流れたそうですが、機材のトラブルのせいか写ってなかったそうです。やっぱりフィルムの扱いは大変です(笑)。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

──ご自身の断酒体験をもとにしたドキュメンタリー、そして実験映画の要素もある小口監督らしい作品ですね。昔は感性の作家だと捉えていましたが、理知的でないとこのような作品はつくれないとも感じます。身近におられるほたるさんが見て、作品とご本人のあいだにギャップはありますか?

たとえば食事に行ってもお店に気を遣う、すごく常識的な人なんです。だからこそ、あんな映画が出てくるのが不思議で仕方ない(笑)。

──常識人がこういうものをつくってしまうのが、映画の魅力であり怖ろしさだと思えます(笑)。アニメーションも使っているし、音はゴリゴリのテクノ。その音楽はsuzukiskiさんによるものです。少し話が逸れますが、suzukiskiさんはレイ・ハラカミさん[1970―2011]のアルバム『lust』(2005)のジャケット写真も手がけておられます。この7月27日で亡くなられてからちょうど10年。『泥酔して死ぬる』を通して、レイ・ハラカミさんにも思いを馳せました。小口監督は8mmで作品を撮り続けていますが、ほたるさんもフィルムとの付き合いは長いですよね。『キスして。』にも8mmを使っていました。

基本、ピンクの撮影現場で使われるのはフィルムでした。自主映画の頃にデジタルになって、そのあいだを行き来していたのが『たからぶね』のあたりからに急にデジタル化が進み、「普通にあったものがなくなってしまうんだ」という感覚を覚えて、それに対する焦りもありましたね。

──先ごろ、神戸映画資料館で開催された〈新東宝ピンク映画 ラスト・フィルム・ショー in 神戸 最後のプログラムピクチャーと呼ばれて〉最終回にも舞台挨拶で来館されていました。そこからもフィルムへの思い入れを感じます。

太田プロデューサーに「映写するので来てね」と言われたのも理由のひとつですが、新東宝のフィルムは国立映画アーカイブに寄贈されます。今後、これまでのような上映はなかなか難しくなるので、立ち会いたい思いがありました。ラピュタ阿佐ヶ谷で開催されるときも、基本的に毎回顔を出していました。

──そのお話もテーマである〈さりゆくもの〉に重なるように思います。5作めは、先ほども話題に上ったサトウトシキ監督の手練れた家族劇『もっとも小さい光』。櫻井拓也さん[1988―2019]主演で、ほたるさんは母親役で出演されています。『いつか忘れさられる』の見送る側が見送られる側になっていたり、反転させた部分がありますね。サトウ監督は事前に見ておられたのでしょうか。

トシキさんと、ほかの3人の監督にも撮影前に見てもらいました。去ってゆくもの──人やもの、何なら地球でも構わない──の解釈は任せるけれど、そのテーマと作品の尺、これだけはお願いしたいということを伝えて、見てもらってからつくる流れでした。

──櫻井さんの印象を教えてください。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

役者としての存在感があるし、日常的に仲がよかった訳ではないのに、息子のような親しみもありました。過去にも現場でご一緒しましたが、今回もとてもやりやすかったですね。

──脚本や演出も練られています。導入部で櫻井さん演じる光太郎の彼女・杏子(影山祐子)が、母親の言葉をなぞるのが終盤に違う形で展開されたり、そこで言う「行ってらっしゃい」というセリフも、後半で反復されます。

あの2回めの「行ってらっしゃい」は仕上げが終わってDCPにする直前、ギリギリのタイミングで「現場で録った声もいいけどリテイクしたい」とトシキさんに言われたんです(笑)。待ち合わせた場所に行って、屋外でセリフだけ録り直しました。ほんのひとことのニュアンスを大事にされて「差し替えたい」と。

──あのひとことは、それを受けるカットバックを見ても重要なセリフです。リテイクされたのはいつ頃でしょう。

昨年の12月30日でした。〆切を過ぎて、DCPのテスト上映も終えて「もう2月に公開が迫ってるのに!」という段階で差し替えていました(笑)。

──もとのテイクはかなり違うニュアンスでしたか?

いえ、違いはほんの少しだと思いますが「ちょっと変えたいんだ」とおっしゃって、最後の最後まで直していましたね。

──音にもこだわっておられますね。母と杏子がバス停で会話するシーンでは車の通過音を強調していて、それが後の展開に活きてきます。それから『いつか忘れさられる』と同様に母親を演じていても、人物像が対照的です。

© 2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会

『もっとも小さい光』では、また(男性に)騙されそうだけど、それでも夢に向かう懲りないタイプのキャラクターを引き出していただきました。3本に出演して、異なる役柄を演じられたのは楽しかったです。

──通して見ると、35mmと8mm、デジタル作品も画質が違っていて、作風もいい意味でバラバラに仕上がりましたね。

現場を知っているのは『いつか忘れさられる』と山内組とトシキ組の3本で、残り2本はどんなものが上がってくるか、おおよその話は聞いていても全然わからなかった。こちらからは最低限のことしか伝えていないので「一体どうなるかな」と他人事のように思っていると、本当にバラバラでした(笑)。
最初は「出来上がってよかった!」という安心感が何より大きく、ほかの監督が仕掛けてくれた部分──おっしゃっていただいた関係性の反転など──は、何度か見てゆくうちにわかってきました。とにかく完成までが精一杯で、最近ようやく客観的に作品を見られるようになりましたね。

──劇場の映写機の有無によると思いますが、1本めはフィルム、2本目以降はデジタル上映ですか?

『いつか忘れさられる』はフィルム、続く4本はDCP、もしくはブルーレイで上映してもらう形を基本にしていて、東京・大阪、そして神戸はその形式です。ただ、フィルムをかけられる劇場でも映写技師が足りない場合があって、土日にイベントがある日や最終日を除くと、すべてDCPというケースが現状では多いです。5本ともフィルムには出来ないし、かといってせっかくフィルムで撮ったので全部デジタルで、ともいかず、そこは難しいです。

──悩ましいところですね。さて、テーマの〈さりゆくもの〉には今は亡き人も含まれるかと思います。『いつか忘れさられる』からは渡辺護さんや堀禎一さんが思い出されるし、ピンク映画界でもこの10年は訃報が続きました。ただ、櫻井拓也さんを見ていると、同じ視覚メディアでも静止している写真は不在を感じるけれど、映画では動いているので故人と思えない。映画の原理とはいえ、不思議なものです。

ここ数年でも周りで亡くなる人が増えているし、最初に追悼文を書いたのは、同い年の林由美香[1970-2005]でした。年に一回呑むくらいの間柄だったけど、やっぱり映画人は関わった作品がスクリーンにかかっていると、そのなかで生きていて、久しく会ってない友達みたいな距離感を覚えます。それを意識して、『いつか忘れさられる』に亡くなった人の写真を使ったり、参加してくださった人が亡くなるとはまったく思っていなかったけど、クレジットにお名前を刻みました。
そうして出来上がったものを、次はいろんな場所へ届けるまでが自分のとっての映画だと思っています。それをなるべく長く、たくさんの人に、いろんな場所へ、というのが今回の目標でもあります。

──各作品は離別や忘却などを描いていますが、完成した映画を各地で公開することで新しい出会いも生まれるかと思います。舞台挨拶も積極的におこなっておられますね。

映画を届けた相手の反応が見えるほうがやっぱりおもしろいですね。名古屋へ舞台挨拶に行って、パンフレットを買ってくださった方にサインしていると、「映画のことはまったく知らなかったけど、八十八ヶ所巡礼(作品に楽曲を提供した同名バンド)が好きで来ました」と言われたり、「予想とまったく違う。ホラーも入っていて楽しかった」といった反応を目の当たりにすると、別の作品ではこういう喜びを味わえないと感じます。もともと演劇をやっていたから、ダイレクトに人の反応が見えると嬉しいんです。
演劇と違ってそこから修正することは出来ませんが、いただいた感想は今後にフィードバックしたいし、これまで行く機会のなかった地方にも今回は足を運びたいと思っています。

(2021年7月25日)
取材・文/吉野大地

 
『短篇集 さりゆくもの』公式HP
Facebook
Twitter

関連記事
〈「堀禎一の時代」赤坂太輔・葛生賢オンライントーク採録〉

これまでのインタビュー|神戸映画資料館