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自作を語る・堀禎一監督③ ──── 『魔法少女を忘れない』
 

→堀禎一監督特集 part1

 
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 しなな泰之さんによる小説『魔法少女を忘れない』(集英社)を原作として預からせて頂いた。オリジナルの小説では「魔法少女」は『X-MEN』のように特殊能力を持っていて、自衛隊の特殊部隊に属していて、空を飛べたり、目から特殊な光線を出して、敵の武器を破壊したりする。そして魔法があればもちろん呪いもあって、ある年齢に達し魔法の力が弱まると、盲導犬がその任を解かれ民間のリタイアボランティアのお宅で余生を過ごすように、魔法少女もまた、リタイアボランティアのお宅で元魔法少女として短い余生を送り、大人になる前に死んでしまう。主人公はそのリタイアボランティアの家のひとりの男子高校生。男子高校生は兄として元魔法少女は妹として、ひとつ屋根の下での短い共同生活が始まる。
 プロデューサーの井戸剛さんからこの小説を読ませてもらった時、とても優しい小説だと思ったが、撮れないと思った。自分にはこれほどの優しさと繊細さは備わっていないし、想像することさえ出来なかったからだ。そしてなによりなぜ小説のタイトルが「元魔法少女を忘れない」ではなく『魔法少女を忘れない』なのか? 「魔法少女」を「誰が」忘れないのか? ぼくは「撮れない」とだけ答え、そのまま2年程過ぎたある日、仕事に向かう街を歩いている途中、ふと「元魔法少女」の「みらい」が夏の夕暮れの砂浜を歩いている小説のシーンを思い出し、もし、この海が、日本海側で、水平線に陽が沈むならば、撮れるかも知れない、そして撮りたいとも思った。その話を井戸さんにした。たまたまその企画はまだ浮いていて、幸運にも福岡・テレビ西日本のプロデューサーの木下茂憲さんがチーフプロデューサーを務めて下さることとなり福岡で撮影させて頂けることになった。木下さんは穏やかな知性派であると同時にかなり面白い人でもある。面白エピソードには事欠かなさ過ぎるので、このあたりでやめておく。また製作チームもそれぞれ個性の強い面々が勢揃いしていたが、これまた面白過ぎるので割愛する。日本海側の福岡では陽はもちろん水平線に沈んでゆく。福岡・西新の鳥飼のアパートの一室を借りてもらい、自転車で局に設置してもらったスタッフルームに通う日々が続く。その自転車は主役の高橋龍輝くんの通学用自転車としても使用した。福岡の街は気持ちの良い場所だった。制作に行き詰れば大濠公園を散策したり近所の百道浜や造船所のある港、時折、自転車で少しだけ遠出して香椎の浜で一晩中、波の音を聞いていれば気が紛れた。筑紫口のスターバックスでコーヒーを飲んでいれば、なぜか血だらけの男が隣でカップ酒を飲んでいたりもする。サウナに閉じ込められているような蒸し返る夏、横殴りのぼたん雪であっという間に街が白に埋まる冬、結局仕上げまで含めれば、滞在日数だけで実質、3ヶ月間位は福岡に住んでいたと思う。大して知りもしないが、準備から仕上げまでの限られた時間で触れることの出来た、たとえば嵐の相島の地の果てのごとき見渡す限りごろた石の浜、懐深い歴史を感じさせながらも生活感溢れる滋味深い福岡の街、たしかにそのひとつひとつが魅力的だったのかも知れない。が、なによりも、それぞれの個性を大切にするおおらかな土地柄が育んだ、おおらかで繊細で控え目で懐深いひとりひとりの人びとが、ぼくにとっては魅力的だった。ぼくのわがままでキャスト・スタッフとも福岡・東京組の半々にしてもらった。素晴らしいキャスト・スタッフに恵まれ幸せだった。福岡のオーディションで出会えた皆さんも含め、ひとりひとりの近況を詳しく聞いて周りたい位だが、かなり迷惑だろうから、後でVSQの岡本さんにメールしておきます。つなぐくんも元気かな? 旦那さんが入院してしまいひとりでお店を切り盛りしていた近所の餃子屋のおばちゃんはお元気だろうか? 「あんたもたいへんね、単身赴任で」餃子は安価でとても美味しかった。  
 台本は、最初は佐藤稔さんが担当、佐藤さんが忙しくなり、ますもとたくやさんにバトンタッチ、ますもとさんが忙しくなり、中野太さんにバトンタッチ、決定稿となった。しななさんは新潟出身の優しい人で、決して順調とは言えない台本作成の様子を暖かく見守ってくれていた。ますもとさんや中野さんもかなり面白い人たちだが、長くなるので割愛する。ともあれ、ぼくのわがままで、映画化するにあたり、オリジナルの小説から2点大きく変更させて頂いた。まず「魔法少女」が「軍事関係の職務に就ている」という物語上の大切な設定を切った。これで「魔法少女とはなにか?」というオリジナルの小説にしっかりと書き込まれている部分を喪い「魔法少女とはなにか?」という答えを自ら曖昧にしてしまった。そして「魔法少女」が大人になる前に「死ぬ」というこれまた大切な設定を「忘れられる」という設定に変更した。これで「限られた時間のなかで起こる避けようもない悲劇」というオリジナルの小説にしっかりと書き込まれたドラマをも自ら喪い、その頃流行っていた言葉で言えば「原作レイプ」状態に自ら陥った。木下、井戸さんたちプロデューサー陣がしななさんと出版社の皆さんを説得してくれたのだと思う。そして、良くしななさんが許してくれたとも思う。今でこそ、小説というメディアの言葉と映画というメディアの言葉は違うから、どうしても書き換えていかざるを得ない部分もあるとの理解も広まったが、この時、ぼくのした変更はおおよそ「原作レイプ」の範疇も超えているとご判断頂いても仕方がなかったとも思う。チーフプロデューサーの木下さんは、とある夜、そのリスクを興行・製作的にでなく創作的側面から的確に指摘してくれながら、そのリスクをひとりの映画監督として背負う覚悟があるならば、あなたの思うままやりなさいとぼくの甘えを緊張感を以って許してくれた。おかげでぼくは幾ら言葉を尽くしても解く糸口さえ見つからない問題を、若い役者さんたちの献身的な芝居に刺激を受けながら、映像と音で、つまり画面で考えることに集中することが出来た。若い役者さんたちばかりでなく、伴大介、前田亜季さんを初め、得がたく素晴らしいキャスト陣だった。しかし、撮影、粗編が終わっても大きな問題の解決の糸口にさえ辿り着けないままだった。冬も終わりに近づいて、余裕を持って予定してもらっていた福岡での完成披露試写会の日取りも近づいた。編集の岡本浩明さんや音響・MIXの大町龍平さんとの作業が続いた。彼らは平日は通常業務の終わる23時頃から朝方まで、休日ほぼ返上で具体的作業を通し、それらの問題について共に真剣に考え続けてくれた。ぼくらは音に糸口を見つけ画面に戻し、画面に糸口を見つけ音に戻す作業をひたすら繰り返した。映画は常に具体で抽象ではないからだ。ぼくらの体は作業に向かう熱とビッグチキンカツ弁当が支えてくれた。福岡の鶏は美味い。
 ある夜、ラスト近くの学校の階段で主人公の男子高校生が「みらい」とすれ違うシーンの音付け作業をしている時、大町さんが「あっ!」と驚きの声を上げた。これまでの作業が一気に繋がり、今まで知らなかった視界が広がった。映画の畏しさを覗き見た。映画は監督のものですらないとも思い知った。ともあれ、小説の言葉がオリジナルの小説に隠していたものに、ようやく映画の言葉で辿り着くことが出来た。大町さんが少女のような笑顔で「やった〜!」と両手を挙げて、それから岡本さんのひらめきに次ぐひらめきの作業があって映画は飛ぶように形を成していき、ぼくらいわゆる作り手たちの手も離れ、映画は自身の力で完成した。
 東日本大震災の二日後に福岡での完成披露試写会が行われることになっていた。こういう時に試写会は自粛した方が良いとの意見もとうぜん大きかったらしい。東京は他の地域に比べればそれほど揺れたわけでもなかったから、妻を東京に残し出掛けることに多少なりとも不安がなかったと言えば嘘になるが、畏ろしく青く深く晴れ上がった翌日、予定通り朝の飛行機で福岡に出掛けた。ホテルに着くとフロントロビーは披露宴を祝う華やいだ老若男女のお客さんたちで溢れ返り、あちこちから明るい笑い声が弾けていた。まだ普段通りの穏やかな日常が福岡には残っていて、その楽しげな日常の風景は、災害の不安にささくれ立ったぼくを文字通り、癒してくれた。この日、福岡に戻って来ることが出来て幸せだった。お酒をしこたま飲んでどこかで酔い潰れてしまったのだろう、「おじいちゃん! おじいちゃん!」お嫁さんやお嫁さんの親族が、自分主役の披露宴もほったらかして必死の形相でおじいさんを探し周り、すべてのおじいさんがことごとく振り返っていたのが可笑しかった。おじいさんは別の披露宴会場で見つかっておばあさんに「お父さんはすぐに飲みすぎるんだから」と叱られていた。部屋に戻りテレビをつけると原発建屋が吹っ飛ぶ映像が流れていた。主役の高橋龍輝くんは宮城の、津波で何百人もの犠牲者を出したと震災の初期ニュースが伝えていた地域の出身だった。しななさんも宮城に住んでいた。あれだけの災害だ。被災は免れ得なかったが、高橋くんのご家族もしななさんも命だけは助かった。連絡が取れない友人がいると地元の惨状に触れながらも気丈に明るく舞台挨拶を務め、ちゃっかり募金のお願いもしてみせる高橋くんの姿が頼もしかった。主役の責任感からなのか、高橋くんが踊ってみせたり冗談を言ったりしてさんざん共演者の皆を楽しませ、彼らを現場に送り出した後、疲れ果てひとり控え室で眠りこけていた可愛らしい姿を思い出す。そして「義理の妹」が踊っている姿を真剣に目に焼き付けようとしている彼の表情を思い出す。もちろん、当時はまだこれからの人ではあったが、受ける力の強い役者さんで、その繊細さゆえ撰ばれし天才と現場のぼくは思わず嬉しくなったが、病気の治療に専念するためいったん俳優としての活動を休止したと聞いている。ただぼくは、無責任な話であるが、彼が、何年後になるかは知らないが、自分の内の荒れ狂う才能をある程度自分で飼い慣らす力をいつの間にか備え、ひとまわりもふたまわりも大きな姿で戻って来るような気がしてならない。
 限(きり)もない。最後に「元魔法少女」を演じてくれた谷内里早さんについて簡単に触れて終わりにする。画面の谷内さんの右目と左目をご覧頂ければはっきりお分かり頂けるだろうが、ほんの少しだけ目の大きさや形が違う。それゆえ、もちろん彼女の演技の力もあるが、カメラ位置をほんの少しずらすだけで画面は多様なニュアンスを醸し出す。彼女の不思議な存在感を作り出すひとつの具体がここにある。今から思えば幾ら何でも長過ぎたと思わないでもないが、映画のラストカットに異様に長いストップを掛けている。編集中、この画面を見るたびに、飽きもせず彼女の瞳に吸い込まれるような不思議な感覚に陥ったことを思い出す。
 
 
→自作を語る・堀禎一監督① ──── 『草叢』

→自作を語る・堀禎一監督② ──── 『東京のバスガール』

→堀禎一監督特集 part1

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