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「堀禎一の時代」赤坂太輔・葛生賢オンライントーク採録

 

 

過去に神戸映画資料館で2度の特集を開催した堀禎一監督が亡くなられてから3年。ふたたび2週に渡り「2020年の堀禎一」と題した特集が組まれた。前半は劇映画の最終作『夏の娘たち~ひめごと~』(2017)、後半はドキュメンタリー『天竜区』シリーズを上映。ご命日にあたる7月18日には、長年に渡り監督と交流を続けてきた映画批評家・赤坂太輔氏と葛生賢氏によるオンライントークをおこない、それぞれの視座から作品の魅力を紐解いていただいた。今後の展開への期待も込めて、その採録を公開する。

司会/ラジオ関西「シネマキネマ」吉野大地

 

──おふたりと、堀監督との出会いから教えてください。

赤坂 私はシネ・ヴィヴァン六本木でアルバイトをしていた頃ですね。1990年代に入っていたかと思いますが、辞めた誰かの代わりに新しく入ってきたのが堀禎一という人だった。ただ記憶が定かでなく、私も辞めたあとに、何かの用事か映画を見に行ったときに出会ったのかもしれません。彼がフランス留学から戻ってきた時期です。それから何度か会って話すなかで、「今度、ピンク映画の現場へ行きます」と聞いたのを覚えています。ピンクの助監督になってからはしばらく隔たりがあり、ふたたび会ったのはもう映画監督になってから。その時期ははっきりしませんが、デビュー作『宙ぶらりん』(2003/公開題『SEX配達人 おんな届けます』/別題『弁当屋の人妻』)が素晴らしい映画だったので「よかったよ」と伝えました。それもリアルタイムではないので、彼が監督として撮り始めてから時間が経っていました。

──葛生さんは大学(東京大学文学部)が同じですね。

葛生 ええ。たしかに同級生でしたが、最初に会ったのは3年生か4年生のときで、それは赤坂さんが話したように彼がフランスに行っていたからです。ただ「留学」ではなく「遊学」だった。要はフランスでブラブラしてひたすら映画を見ていた(笑)。入学が89年で、渡仏したのは90年あたり。

赤坂 じゃあ私が最初に会ったのは92年くらいになるのかな。

葛生 共通の友人に、後輩にあたる、現在京都大学で教鞭を執っている木下千花さんがいます。当時、映画の話をするたびに「すごい人がいる」と聞かされていて、それが堀くんだった。ようやく帰国してから、アテネ・フランセ文化センターで「新日本作家主義烈伝」というシリーズ企画があり──その最後は今のところ彼ですが──第1弾は瀬々敬久さんの特集でした。帰りがけに色々話しましたが、そのときの発言が強烈でいまだに覚えています。「これが日本の作家主義なの?」。なんて嫌な奴なんだと思いました(笑)。フランスで作家的な映画をたくさん見ていたからですが、その発言のせいで最初はあまりよい印象がなかったですね。それからやはり後輩で、今年『三島由紀夫vs東大全共闘』(2020)を発表した豊島圭介監督の部屋が当時下北沢にあり、溜まり場になっていました。アテネの帰りに京都の自主映画作家・山村たけゆうさんの作品を見ようという話になって、豊島くんが8㎜映写機を持っていたので、そこで色々見たのが最初の出会いですね。そのあと、ちょくちょく話すようになって、堀くんはその頃にはもう自主映画を撮っていました。

赤坂 カメラを持っていたの?

葛生 持っていなくて、よく組んで堀くんの作品の撮影を担当していた同級生の星野さんという人のカメラを借りて撮っていたと思います。

──葛生さんはデビュー作をリアルタイムでご覧になりましたか?

葛生 見てないんです。どうして知ったかというと、やはりアテネの企画でピンクの若手作家の作品を集めた上映会がありました。堀くんの作品もプログラムされていたけど、10年ほど会ってなかったので、「駄作だったらどうしよう」と思って見なかった(笑)。そのあと、岡田秀則さん(国立映画アーカイヴ)がWeb日記で「素晴らしい」と書いていたので急いでDVDを借りて見ると、本当にそうだった。私もブログに書くと、堀くんの奥さんが見つけて本人に伝えてくれました。それでメールをもらい、交流が再開しました。

──メールといえば以前、神戸映画資料館・田中範子支配人が楽しそうに堀監督からのメールの話を聞かせてくれました。用件は『天竜区』上映に関する簡単な確認だけで、そのあとの文章が異様に長い。そんなに長いメールは見たことがなく、1万字近くあったと(笑)。文面も朗らかで3行か4行に一度は「(笑)」が入っていたそうです。チャーミングな方だったんでしょうね。

葛生 今日のトークのために『天竜区』と近作3本を見直しましたが、やっぱりお茶目な人だなと思いましたね。会話していても、ところどころにクスクスと笑えるギャグをはさんで話す人でした。

赤坂 最初に話したときに、「今後はこうして次はこうして」というふうに計画性がすごくて、「そんなに簡単にいかないんじゃない……?」と言った記憶もあります(笑)。

葛生 映画作家として大成するまでの人生設計的なものですか?

赤坂 何かそういうものを持っていたのかな。

──さて、今日は『天竜区』シリーズを一挙上映しました。この連作の魅力を赤坂さんからお話しいただけますか?

赤坂 さっきまで『奥領家大沢 別所製茶工場』(2014/以下『製茶工場』)と『奥領家大沢 冬』(2015/以下『冬』)を見直していました。『製茶工場』は天竜区で最初に撮った作品で、本人いわく「ベタ塗り感」が大きい。その分、手探りの感じで、丁寧さや初々しさもあるんですね。はじめに段々畑で働く方たちに遠くから近づいてゆく同軸つなぎをしている。そのスーッと入っていく感じは見ていてかなり気持ちがいいですね。音も茶摘みの作業に近づいてゆき、カットが終わると次につながる快感が連鎖する。それを最後まで見ているとこのトークに遅刻するので途中で止めましたが(笑)、そのくらい動きが止まらない。しかし『冬』になると、茶摘みの作業がないのでやることがない。その固まっている状態をどう撮るか。そこにチャレンジしたと聞きました。『奥領家大沢 夏』(2014/以下『夏』)からは別所賞吉夫妻の語りがサウンドとして入ってきて、静止物を撮っているときでも語りは動いていたのが、『冬』ではそれも止まる。川の水や鳥などの生き物だけが動いているカットがしばらく続くところがあって、そこはカットの変わり目の音を重ねてシーンをつくっています。取材対象もおらず、被写体が止まっているカットだけでつなぐのは『冬』が初めてだったそうですが、そういう理由もありテンポが速くなる。『製茶工場』には画面上の動きをつないでゆく素晴らしさがあります。でも『冬』は収穫物や葉などのカットの微妙に異なる音でつくられていて、『製茶工場』に比べると音のほうが前に出ています。
もっといえば、『天竜区』以前に35㎜で撮った『東京のバスガール』(2008/公開題『したがるかあさん 若い肌の火照り』)も「作業の映画」でした。遡れば、『宙ぶらりん』にも弁当をつくったり、浴槽を掃除するカットがあった。『東京のバスガール』ではピンク映画にこんなに出てくるかというほど盛んに撮っている。その「作業の映画」が『製茶工場』では全面的に押し進められています。ところが『冬』に至るとそれが一切なく、止まっているものをどう撮るかという問題に移行する。そうなると音が前に出てきて、それは遺作の『夏の娘たち~ひめごと~』にもあらわれていて、『製茶工場』からの発展や変化がよく見える。すごく考えていたんだなと感心するし、一作だけ見てもわからないプロセスがあるので、今日ご覧になられた方は別の映画も見てほしいと思います。

──『冬』は多くのカットが10秒にも満たず、音がなければスチールと間違えそうな瞬間もあります。『製茶工場』とはリズムが異なりますね。

赤坂 『冬』のほとんどの被写体は動かないので、本人も「それだけで持つのか?」と考えて速めのカット割りになっています。でも「このあとに何が来るのか?」という面白さがあるし、重ねて語るのは日本映画のカット割りですよね。ドキュメンタリーでそれをやっているのは彼以外に知らない。小川紳介や土本典昭の伝統があるけど、インタビューを中心にしているし、たとえ土本典昭の映画に同じ「作業の映画」という側面があっても全然違うんですよね。堀くんは劇映画のカット割りでドキュメンタリーを撮っています。別所さんの声がサウンドとしてあっても、インタビューやセリフはない。そのような形で撮った人はいないので素晴らしいし、これを他の誰かが出来るかと考えてもちょっと思いつかない。

──今日はご来場くださった方に、葛生さんと内山丈史さん(『天竜区』制作)につくっていただいた天竜区大沢周辺地図(航空写真に詳しい解説が付されたもの)を配布しています。こんなに小さなエリアだとは思っていませんでしたが、2018年に葛生さんと先ほど名前の挙がった岡田さんが『天竜区』をめぐるトークをおこないました。そこで葛生さんがジル・ドゥルーズの『襞 ライプニッツとバロック』を援用してお話しされていたのが記憶に残っていて、この地図を見るとそれが腑に落ちた。地形だけでもまるで襞のようです。

葛生 そもそもなぜこの地図をつくろうと思ったかというと、堀くんが亡くなった2ヵ月後に内山くんの案内で、私も天竜区へ行きました。行ってまず「こんなに狭いところだったんだ」と驚いた。映画だけ見ていると、場所の位置関係がわからない。ロングショットはあるけど、工場や畑の具体的な場所がまったくわからなかったのが、実際に行ってみると、とても小さな地域にコンパクトにまとまっていたんです。これはあくまでも私の印象ですが、あんなに狭く折り紙のように折り畳まれているもの──言ってみれば襞です──をもう一度開き直して、自分なりに映画の時間と空間に折り畳み直したのが『天竜区』だと思いました。赤坂さんがメディア批判としていう「文字情報に縛られたテレビ番組的なつくり」であれば、20分で説明できるくらいのスケールです。それを、シリーズを通して4時間強の映画にしたのにも感心します。しかもこれで終わりではなく、生きていればまだつくるつもりだった。シリーズを始める前に本人から「あの過疎の集落が消滅するまでやるんだ」と聞きました。それも自分だけで全部つくるのではなく、誰かに引き継いで撮ってもらうことも最初に考えていた。テレビなら20分で終わるような狭いところをよく延々と撮ったな、そしてその秘密はシリーズ最後の作品である『山道商店街』(2017)に隠されていると思うんです。あの作品を予備知識なしに見れば「?」と感じるでしょう。でも何度か繰り返し見ると、順列組み合わせの映画だとわかる。信号の色がどう変わるか、そのときに車や列車がどう通るか、そこで音をどうするのかを色々考えて出来上がっている。他の『天竜区』作品も一緒で、続けて見ると似たようなポジションが何度も出てきますよね。「またか」と思うほど出てくる(笑)。要するに畳んでは開いて、また畳み直しては開いて、というのが私にとっての『天竜区』のイメージです。
「畳む」のは視覚的にもいえることで、とても印象的なカットが『夏』か『冬』にあります。永井さんが畑で畝をつくっていて、そこに枯草を埋めて土を肥やす様子を高い位置から撮っている。畝は湾曲した襞のようだし、奥にあるトタン板、さらにその先の茶畑もまた湾曲した襞みたいです。なおかつ山全体も襞状になっている。ではあの襞のような場所に何が隠されているのかと考えると、土地に染み付いた「日本の近代史」です。たとえば『冬』に明治天皇のご真影のような写真が写ったり、別所さんの話では彼の大叔母が安政何年かに生まれたと語られる。日本の歴史は明治にいったん切断点があると思われていますが、ああいった山奥ではもっと前の江戸時代から延々と続くほとんど変化のない生活があり、しかも土地はやせ細っています。すごく狭くて畑で耕作できる場所も限られている。いわばフラハティの『アラン』(1934)みたいなところです(笑)。行ったとき実際に内山くんとも一緒に草を刈りましたが、一時間だけでへとへとになるみたいな話が出てきますよね。あの土地自体も掘り返しては枯草を入れて、また逆から掘り返している。折り畳まれたものを開いてはまた折り畳んでという行為を、あそこで暮らす人たち自身も、そしてそれを捉える堀くんのカメラもおこなっていたのではないか。それが『天竜区』を見直して感じた印象です。

──テレビなら20分で済ませるものを連作にする顕微鏡的な視点と、日本の近代史としてあの土地を捉える巨視的な視点を同時に持っていた作家性がうかがえます。また葛生さんのお話からは、今回の特集にあたり尾上史高さんが寄稿された『隠された物語に辿り着く』の一節「堀さんが怖いのは書いた僕が全く気づいていない隠された物語をちゃんと見つけてくることだ」を思い出しました。堀監督自身がこれに近いことをおっしゃっていたと遡ると、交流の深かった漫画家・やまだないとさんとの2015年の対談*でこう語っています。「脚本なおしって簡単に言うけど違うんです。初稿のなかに全部ある(…)隠れているものは必ずある。それを一行一行読んでいくなかであぶり出していく作業を脚本なおしって言うんですよ」。やはりこれも「襞」を開いては折り畳み直す作業で、そこにあるけれど隠れているものを見つけることが創作の核にあったのではないか。そう想像しますが、いかがでしょう。
*「隣人を撮る」/『ユリイカ』2015年10月号「マンガ実写映画の世界」所収/青土社)

葛生 大学で映画の先生だった蓮實重彥さんからの影響で、私は画面のつくりなどを見てしまいますが、堀くんは違っていて、もっと人物を掘り下げる。たとえば『東京物語』(1953/小津安二郎)の最後のほうに紀子(原節子)の「わたし、ずるいんです」という有名なセリフがありますね。普通に考えればセリフで語られる通り、夫のことを時々忘れてしまっている自分がいて、それにも関わらず義父母に尽くしているのだと解釈するところを、堀くんが送ってくれたメールでは「(紀子は)身寄りがいない。一度は結婚して母親になる可能性を持ったけれども幸か不幸か旦那が死んだことにより、しかも戦争という公的な理由により、堂々、自分がもっとも安心できる娘という立場にとどまることができた。娘から母に飛躍しなければならない矛盾を回避し続けている。その自分がずるい」のだと解釈していました。彼はそのように明示的に語られていないことの裏の裏まで掘り下げて、人物造形を考える映画の見方をしていた。おそらく脚本に対してもそうだったのでしょう。

──堀監督はピンク、原作もの、ドキュメンタリーとジャンルを変えながら映画を撮ってこられました。その映画のフォルムを赤坂さんに細かく読み解いていただきましたが、ジャンルを超えて映画に埋め込んだ──秘めたともいえるでしょうか──何かがあるようにも思えます。続けて葛生さんからお話しいただけますか?

葛生 堀くんの作品には「夏の映画」が多い。最後に彼とトークをしたときにその話をすると、「いや、冬も結構あるよ」と突っ込まれました。でも、やっぱり私には夏のイメージがある。なぜ夏だろうと考えると、先ほどの襞の話や「どうしてあんなところで映画を撮っていたのか」という問いにつながります。堀くんがカメラを持っていかない限り、我々はあのような場所に住む人たちの暮らしを知りえない。そして日本人は忘れっぽい。震災など色々あったなかで、最も忘れているのは戦争で負けたことです。現首相の支持率の高さもその忘却の上にある。では忘れないために我々の先祖が何をしたかと考えると、8月15日を終戦記念日にしました。それが毎年あることで忘れないようにする日ですよね。そうしないと日本人は忘れてしまう。堀くんに「夏の映画」が多いのも、やはり8月15日があるからです。これは私の妄想に過ぎませんが、裏付けるようなカットが『夏』にはあります。8月15日に皆が集会所に集まり戦没者のお弔いをするカットをわざわざ入れている。さらに『冬』に明治天皇や昭和天皇のご真影を入れているのも、そのような裏の意図があると思うんです。それは「何のために映画を撮るのか」という問題に関わってきて、「忘れない」ためなんじゃないかなって。『魔法少女を忘れない』(2011)もそうだし、彼の映画を何本か見てゆくと「忘れること/忘れないこと」のテーマが出てくる。

赤坂 『憐 Ren』(2008)もそうだよね。

葛生 堀くんの映画には「忘却への抗い」が一貫してあり、その最大のものが8月15日ではないかと私には思えるんです。

赤坂 映画自体が「忘れない」ために記録する媒体だし、それが映画の本性ともいえる。

葛生 こうして皆で集まって映画を見て語るのも、堀くんを忘れないためですね。

赤坂 彼は忘れられない存在ですね。私は集中治療室へ見舞いに行ったし、葬儀にも出たけれど、とても死んでしまったとは思えなくて、まだそのあたりに居てくれている気がします。夏の話が出ましたが、「光」も重要ですね。画面で考えてゆくと『宙ぶらりん』はどこかに必ず光があって、『夏の娘たち』もそう。『東京のバスガール』はフィルムで撮られた最後の作品で、完成度の高い35㎜の映画です。そこでフィルムそのものに定着される光が消えて、デジタルで映画をつくるようになったときに音の比重が大きくなったのではないか。光を補填するものとして音の世界が出てきたとすれば、それを明確にするプロセスが『天竜区』に見て取れる。その意味でもフィルム作品とデジタル作品の両方を見ると興味深い。
光でいえば、『草叢』(2005/公開題『不倫団地 かなしいイロやねん』)のカーテンを開けて光を入れるカットや、『魔法少女を忘れない』には揺れるカーテンを背景にしたヒロインの印象的なカットがありました。『宙ぶらりん』では男性が足の爪を切っているときに、カメラが白いカーテンのかかった窓に向かって前進移動していく。画面が真っ白になって引くと部屋の外のカットに変わっていて、アントニオーニの『さすらいの二人』(1975)を思い出したけど、堀くんとアントニオーニについて話したことは一度もないので、懐かしくも不思議な気持ちになりました。

葛生 デビュー作であそこまで完成されているのがすごい。それも現代映画的ではなく、古典映画的な完成です。

赤坂 最初から完成されていました。デリヘル嬢が出張先で客の男から脅されるところはワンシーンワンカット。「こんなにうまかったの?」と思うほど素晴らしい。ひとつの場所にふたり以上の人物を入れてくる演出は、カットを割っているけど『夏の娘たち』冒頭も然りで、父親が病室のベッドに寝ているところに家族が集まる。たしかカメラはツーポジションだけど、それも素晴らしいとしか言いようがない。

葛生 膝のところでフレームを切るいわゆる「アメリカン・ショット」の中に複数の人物を入れていく古典的なアメリカ映画の演出で、今それを出来る人は少ないじゃないですか?

赤坂 他に知らない。『笑い虫』(2007/公開題『色情団地妻 ダブル失神』/別題『わ・れ・め』)の最初のふたりの入り方もまたうまくて、ここでも同じポジションにカメラを据えておいて、そこへ順に人が入ってくる。そういうワンポジションで固めて、複数の人物をひとつのカットに入れる演出は日本映画にしかないかな。

葛生 1930年代のアメリカ映画にもありましたね。

赤坂 歴史を辿るとそうなんだけど(笑)、当然そういうものを見てないと出来ない、今はちょっとありえないと思う演出がたくさんあります。

──『天竜区』には、赤坂さんがご著作『フレームの外へ──現代映画のメディア批判』(2019/森話社)で言及される音の聞かせ方や文字情報の排除などの現代映画の要素が詰まっています。一方で堀監督の作品は、そのような古典的技術が随所に見られますね。

赤坂 カット割りは古典的で、本人は小津安二郎の名前を挙げていましたが、技法云々以前に素晴らしい日本映画を見ている気分にしかならない。それをデジタルカメラで──内山くんという助手がいたけど──ソロワークのドキュメンタリーとして撮った。ひとりの作業のなかで日本映画史を体現しているし、その最高レベルの演出をやってしまう。こう言うのは何だけど、「どうしていなくなっちゃったんだ」という気持ちですね。

──先に挙げたやまだないとさんとの対談でも、神代辰巳監督や相米慎二監督、そしておふたりが先人たちから受け継いだ職人的な技術を自分も受け継いているのだと述べておられます。そこには撮影所システムという意味合いも含まれていると思いますが、『天竜区』はたとえばジャン=クロード・ルソー監督と同様にほぼひとりで撮っている。古典と現代を個人で連結させたのも堀監督の個性ではないでしょうか。

赤坂 ひとつのカットを撮っているときに、次へつながる快感も彼独自のものです。ルソー監督は、たとえば新作『Un Monde Flottant』(2020)などを見ると、まったく別の場所の音をそこに響かせて映画をつくってしまうので資質が異なる。『製茶工場』にモノレールのカットがありますよね。あの「まるで劇映画だな」と思わせる動きとつなぎの面白さは、他の人の映画にはないですね。たとえドキュメンタリーでもひとつのカットで終わらずに、つねにつながってゆく。そのつくりは共同作業で撮った映画にもあるけど、ひとりで出来たのはやっぱり天才だったのかなと思います。

──このトークには「堀禎一の時代」というタイトルが付けられました。次に、堀監督と「時代」を絡めてお話を伺えればと思います。

葛生 タイトルは赤坂さんが付けたものですか?

赤坂 そう。それはコロナウィルスの流行で映画興行・制作ともに以前のように回っていない今の時代まで踏まえてですが、堀くんがピンクの伝統的な現場と、個人的なドキュメンタリー制作のなかで取り組んできたことは、ここまで話してきたようにつながっている。そして、そこに被写体がいなくてもひとりで撮れる。セルフドキュメンタリーやひとりで撮る人が何にもなくても撮れるかというと、そんなことは絶対になくて、セルフドキュメンタリーでもたいていは自分が必要になる。彼はその先をいっているわけで、コロナの時代に先がけて、どんな状況になっても映画を撮れることを実践していた。それがまずあり、さらに共同映画制作経験のフィードバックが最後の作品となった『夏の娘たち』にも生きています。その有機的な関係を、このあとも見たかったというのが正直な心境ですが、それは見る人のなかで生き続けるだろうし、生き続けてほしいとも思います。

葛生 タイトルを聞いたときに、「時代」が過去と現在と未来のどれを指しているのか、ちょっとわからなかったんです。さっきドゥルーズの名前が挙がったのでいえば、ミシェル・フーコーのドゥルーズ論(『劇場としての哲学』)に「いつの日か、時代はドゥルーズ的なものとなっていよう」という有名な一節があるじゃないですか? 今回のタイトルはいつか堀禎一の時代になるのか、かつて堀禎一という人がいてその時代のことなのか判然としなかった。でも、いま赤坂さんの話を聞いてわかったのは、過去と未来をつなぐ蝶番のような人だったということですね。赤坂さんの話を敷衍すると、堀くんの身体のなかには撮影所システム──古典的デクパージュやコンティニュイティ編集と言ってもいいですが──が染み付いている。

赤坂 最初に話したとおり、シネ・ヴィヴァン六本木で出会ったときに「今後はこうしてこうなる」と言っていたのは、意図的にそうなるように目論んでたんじゃないかな(笑)。

葛生 自分の中に沁み込ませるためにわざわざピンク業界に行ったと。まあ彼ならやりかねない(笑)。

赤坂 それもすごいなと思う。

葛生 でもそういう先人のメチエが沁み込んでいるがゆえに、ひとりで撮れると思うんです。つまり体感的にどうカットを割ればいいかがわかっている。『天竜区』を見直して可笑しかったのは、カメラがあれ1台しかない。すべて私が貸したのを使っていて──ちょっと裏話になりますが──撮影中に堀くんがカメラを壊したんです。で2台目に買い換えて途中からカメラが変わっている(笑)。それで、カメラが1台しかないにも関わらず、ポン寄りしてまたポン引きしますよね。しかもアクションでつないでいる。これは本来カメラ1台だと絶対にありえないことで、空間的にいかにも滑らかな印象を与えるために時間が操作されている。ああいう場所で撮っても、そういうことを平然とやってしまうのは面白いですよね。

──仮に『天竜区』シリーズを一本の作品として見ると、編集のリズムが『夏の娘たち』に似ているかもしれないですね。前半は丹念にアクションでつないでいるのが、ラスト近くは畳みかける速さに変化します。

葛生 それで思い出した面白いエピソードがあって、堀くんがムルナウを見て興奮していたんです。その理由を訊ねると「すごい!カットがつながってない!」(笑)。要するに彼のそれまで習ってきたやり方だと、アクションつなぎであったり、コンティニュイティに従ってつなぐのが当たり前だけど、ムルナウはボンボン飛ばしてしまう。それには歴史的背景があり、第一次大戦中のドイツではアメリカ映画の輸入を禁止していたために、同時代のアメリカ映画のコンティニュイティ編集を知らなかったからそうなってしまったんだけど、堀くんはそうした歴史的背景を一切知らずに、カットが飛んでいるとびっくりしていた(笑)。
あと堀くんは、ジョン・フォードの「待ちポジ」について何年も考えていました。フォードの映画の基本的な演出は空舞台への人の出入りで、私なんかはそれに違和感を覚えない。たとえば今の作家だと、ペドロ・コスタもやっている。ただ、堀くんの習ってきた撮り方ではそれはありえないからずっと疑問を抱いていました。彼の思考は、習ってきたメチエがまずあって、それと違うものに対して疑問を持って考える。私にはそういうメチエがないから、その疑問がずっとわからなかった(笑)。

赤坂 本人と話したこともあるけど、フィルム時代に習ったことがデジタルの時代になり、その変化にあせっていた部分はあったかもしれない。「フィルムがこんなに早くなくなるとは思いませんでした」とも言っていたし、その意味でつねに変わっていこうとする姿勢を持っていた。そうした模索があってこそ、特に『天竜区』以降の映画がつくられたと思う。そこはデビュー作から最後の作品までトータルで、見る人が発見していってくれるといいんじゃないかな。

──ここまでお話を伺い、まだまだ堀監督作品には様々なものが隠されていると感じます。葛生さんが指摘された戦争の主題は、『妄想少女オタク系』にも含まれている気がしますね。ヒロインに恋するクラスメイトが、夏休みに原民喜の『夏の花・心願の国』を読むカットがあり、表紙が丁寧に撮られている。

葛生 その場面にも先ほど赤坂さんが話したような、白が窓に写り込みます。堀くんは本当のことを語らない人で、韜晦癖があった。赤坂さんにもそうだったと思うけど、一方的に長電話をかけてきて、そろそろ切ろうかというときに本題に入るんです(笑)。そういう人なので、彼がまだ生きていて、この場にいるとしても本当のことは言わないと思う。

──デビュー作から見られる自転車のモチーフなども、おふたりに訊いたほうが早いということですね(笑)。

赤坂 正しいことを言っても「そうじゃない」とか言い出しそうだけど(笑)。でも海外でも堀禎一を発見する動きがあります。本人がいないのは残念ですが、もっと色んな人が語ってくれる機会が増えるといいですね。

──神戸映画資料館には今後も上映を続けていただきたいですし、こうした場が各地に広がればとも思っています。今日はありがとうございました。

 

→上映プログラム「2020年の堀禎一」

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