映画時評:一年の十二本 藤井仁子(映画評論家)WEBSPECIAL / REVIEW

第七回 アメリカに生まれたことがモンテ・ヘルマンにかけられた「呪い」である
『コックファイター』

© 1974 Rio Pinto Productions, Inc. and Artists Entertainment Complex, Inc.

映画「コックファイター」ニュープリント版
COCKFIGHTER

2013年1月19日(土)より、
4週間限定渋谷シアター・イメージフォーラムにて公開!
後、全国順次公開
監督:モンテ・ヘルマン
1974 / 84分 配給:boid

 軽快さともの悲しさの同居する音楽にのって出しぬけに男の声が語りはじめ、やがて田舎の景色が流れる車窓を離れたキャメラがトレーラーの内部を緩慢なパンで映し出す。生活感の漂う薄暗い車内で唯一異彩を放つのは、パン・ショットが最後に捉える籠のなかの鶏だが、誇らしげに尾羽を立たせたその凶暴なシルエットに見惚れるのも束の間、助手席でしゃべりつづけるローリー・バードとだんまりを決めこんだ運転席のウォーレン・オーツとが的確なリズムで切り返され、彼らを浮き上がらせる逆光のやわからさと車体の金属の光沢とを目にするにおよんでは、この傑作をスクリーンで、しかもニュープリントの35ミリで見られる喜びに深い感謝を捧げずにはいられない。『断絶』の手ひどい興行的失敗の後、モンテ・ヘルマンが古巣のロジャー・コーマンのもとに戻って撮った『コックファイター』は、製作から40年近い歳月を経て、今年、日本で初めて劇場公開された。しかも、かつて発売されていた国内盤のDVDはテレビサイズにトリミングされ、画面も妙に暗く、これが渡米第一作だったネストール・アルメンドロスの、それこそ鶏の羽毛のように光が対象を繊細に包む撮影の見事さは完全に犠牲にされていたのだから、喜びはいや増すというものだろう。
 にもかかわらず、その喜びを分かちあうべき観客の姿が場内にまばらで、おまけにその数の少なさを補うだけの熱も周囲からさほど伝わってこないとなると、いったいこの喜びはどこへどう向かえばよいのだろうか。かくいう私自身、入りの悪さに心が痛んでも、その痛みは「そりゃそうか」という納得へとすぐに転じてしまい、「こんなことが許されていいのか」という憤りにまで育とうとはしない。世間の過半数と行き違いになるだけでなく、その行き違いを支持者にすら仕方のないこととあきらめさせてしまうような何かがヘルマンにはあるという気がしてならないのである。モンテ・ヘルマンが「呪われた映画作家」だとすれば、それはまさしくこのような意味においてだ。たとえば近年、いささか過大評価気味の復権を果たしたイエジー・スコリモフスキのような作家と比べたとき、ヘルマンがヨーロッパ、それもできれば東欧あたりの辺境に生まれそこなったことがどれほど不利にはたらいているかはあきらかだろう。スコリモフスキにおいては独特な作家性としてプラスに作用するハリウッドの支配的な物語映画との偏差が、ともかくもアメリカ映画の作り手であるヘルマンにとってはすべてとっつきにくさ、単調さとして受けとめられてしまう。いってみれば、下手にアメリカ人になど生まれてしまったことがヘルマンにかけられた「呪い」なのだ。そのうえ彼にはいかにも「呪われた映画作家」然とした悲壮感が欠けており、当人も悩める芸術家といった風情からはほど遠い楽天的な言動を――ツイッターでまで!――繰り返しているのだが、この楽天性もまたアメリカに生まれてしまったヘルマンの「呪い」の一部であるに違いない。楽天家らしく最新のデジタル撮影技術を大胆に採り入れた『果てなき路』まで20年ほど長篇から遠ざかっていても、年下のテレンス・マリックのように長く撮らないことでかえって巨匠であったかのような錯覚を世界に蔓延させることもなく、かといってこうした事態を不当なものとして告発する支持者の声も特には喚起しないまま、その身にかけられた「呪い」だけはごくあいまいに更新されつづけているらしい。
 1932年に生まれて59年にデビューしたヘルマンは、アルメンドロスとの関係も深いフランソワ・トリュフォーと同い年にあたっているが、風前の灯とはいえ、いまだ撮影所がプロダクション・コード(映画製作倫理規定)さえ遵守していた時代に映画を撮りはじめたという点で、ヌーヴェル・ヴァーグ以降の真に現代的な作り手とは大きく異なっている。この映画史的な立ち位置のあいまいさが、ヘルマンにかけられた「呪い」の本質に関わっていると思われるのだが、実際『コックファイター』にしても、最後の闘鶏シーンに至るまで視覚的な突出を抑えに抑えた悠揚迫らぬイン・テンポの語り口は、今日ではほとんど失われた贅沢なものといってよい。かつて古典的な構成の緊密さからの解放としてあった70年代的な鷹揚さが、多くの観客にとって古典的規範ともどもかえって馴染みのないものとなった現在、当時の新鮮な解放感もまた習得されねばならないものになってしまったのだろうか。

© 1974 Rio Pinto Productions, Inc. and Artists Entertainment Complex, Inc.

 それにしても、年間最優秀のメダルを獲得するまで沈黙の誓いを立てたさすらいの闘鶏師を演じるウォーレン・オーツが素晴らしい。くだけた調子の饒舌なヴォイスオーヴァーとは裏腹に、画面のなかの彼は、誓いを立てた顛末を回想する例外的なフラッシュバックとラスト・シーンを除いては一言も口をきかず、そのギャップが彼の身ぶりと表情を、言語や心理によっては完全には回収しえない領域でいっそう豊かに際立たせる。なかでも生まれ育った町でパトリシア・パーシー演じる恋人と久しぶりの再会を果たすくだりでのオーツはめざましく、遠くに停めた車に残ってひっきりなしにクラクションを鳴らしていた恋人の母親を喜ばそうといきなり駆けていき、跳び上がりざまに踵と踵を打ちあわせたかと思うと車の天井にズカズカと上がって足をドンドン踏み鳴らし、再び戻ってくるやポーチのブランコに腰かける恋人に類人猿のようにまとわりつくといった具合だ。
 しかも、その顔。ここでのオーツは、自らは言葉を発することを禁じられているために、ひたすら相手の話を聞き、身体的に反応することに徹するしかない。否定と抗弁の機会を一貫して奪われているのだから、その表情はいきおい受苦の色さえおびはじめるだろう。この何を考えているのかさっぱりわからず、それでいて他のヘルマン的な人物と同様に「ある妄執ないしは強迫観念にとらわれて」いる(アルメンドロス『キャメラを持った男』武田潔訳、筑摩書房)といったオーツのあり方は、闘鶏を主題とするこの映画の不可思議な魅力を、とりわけ決定的なところで規定している。この映画の物語において設定されている一応のゴールは、年間でもっとも優れた闘鶏師となって雪辱を果たすというものだが、闘鶏である以上、勝負は鶏にかかっているのだから、このゴールの達成は、主人公の人間的な努力や葛藤とは本質的に無関係なままに成し遂げられるのである。映画中での主人公によるもっとも積極的な行動といえば、最強の鶏を手に入れるために久しく帰っていなかった実家に戻り、住んでいる弟夫婦に無断で家を売り払うといったくらいのもので、その最強の鶏を見つけるのにも特に苦労をした形跡はない。だいいち勝利の日まで口をきかないという誓いの立て方にも必然性があるわけではなく、安井豊作も述べているように(『シネ砦 炎上す』以文社)、別に禁酒でも何でもよかったはずなのだ(この意味で、先述のフラッシュバックが直後に主人公の目覚めの場面につながれることで、現実の出来事なのか主人公の夢なのか、決定不能の状態にとどめおかれているとする劇場用パンフレットでの遠山純生の指摘は、きわめて重要である)。
 本質的に自己には――というより、そもそも人間には――帰属していないものに命運を託すことでしかおのれを全うできない、ここでのウォーレン・オーツの「常に何かに耐えているかのようなストイックな表情」(安井、前掲書)は、顔の造作はまったく似ていないにもかかわらず、『ラヴ・ストリームス』の末尾でジョン・カサヴェテスが見せたあの顔と、形態上の類似を超えた何ものかで固く結びあわされているように思われてならない。ただ自分であろうとすることが、もっとも愛する者を遠ざけることでしか実現しない者の浮かべるあいまいな微笑。そこに、プロデューサーや同時代の観客はおろか、「呪われた映画作家」自身からもいまだに愛されていないらしいこの映画にかけられた「呪い」の深さを、あらためて見る心地がする。

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