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自作を語る・堀禎一監督② ──── 『東京のバスガール』
 

→堀禎一監督特集 part1

 
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 小川芋銭画伯のユーモラスな河童画でその名を知られる茨城の牛久・龍ヶ崎で撮影させて頂いた。『下妻物語』でその名をご存知の方も数多くいらっしゃるかも知れない。両市フィルムコミッションにはピンク映画であったにもかかわらず、たいへんなご協力を頂き、おかげさまで、北関東の農村の名残を色濃く残すおおらかな雰囲気のなかで、「おねえさん」曰(いわ)く「佐藤は大人のホンを書く」という佐藤稔(みのる)さんの台本も相まって、とても楽しく撮影することが出来た。牛久・龍ヶ崎地区は東京・千葉のいわゆるベッドタウンの印象が強いが、古来、利根川水系の水運の中心地として栄え、龍ヶ崎の「龍」の字が示すように、流れの強いかなりの難所でもあったらしい。俳優の吉岡睦雄くんの吉岡くんにはもったいないくらい賢く、また可愛らしい奥さまのご実家も龍ヶ崎にある。最近、このご夫婦は可愛らしい双子の姉妹を授かった。両市コミッションには『憐』というアイドル映画でもたいへんお世話になっていて、龍ヶ崎FCのSさんのお母さまのお宅で撮影させて頂いたこともある。お母さまやSさんの息子さんはお元気だろうか? その頃、息子さんはポケモンが大好きで、撮影の合間に色々なモンスターの解説をしてくれたが、そろそろ高校生になるのではなかろうか? 「ポケモンGO」を開発したのはまさか、きみではなかろうね?
 一方、稔さんは競馬が大好きで浅草の場外馬券売り場にほぼ毎日入り浸っている。日が暮れると浅草の飲み屋の片隅でいつもひとり静かに潰れている。そして台本の締め切りが近づくとかならず彼の携帯電話はなぜか壊れる。「そうそう、そうなのよ。だからね、ほら、そうでしょ? ね? きゃはっ!」といった感じでまったく打ち合わせにならない。先輩の榎本敏郎監督と組んで面白い作品を何本も作っているが、きっと女子高生がそのままおばちゃんになった感じでサイゼリアのミラド(ミラノ風ドリア)とドバー(ドリンクバー)で「マジ?」「ヤバっ」「きゃはっ!」の3語を繰り返せば打ち合わせ出来るのだろう。荒井晴彦さんの弟子筋にあたる人でもある。
 ピンク映画館が世代交代の最後の時期を迎え、来年か再来年、ピンク映画をフィルムで撮れなくなるのは、映画はフィルムで撮るのが当たり前というある意味、時代錯誤的環境で育ったので寂しい気持ちはあったが、明らかだった。1999年の暮れだったか、2000年の明けだったか、デジタルシネマ業者によるアジア初の大規模営業活動が香港のエクスポジションを皮切りに開始された時に感じた嫌な確信が現実として目前に迫っていた。そのエクスポジションで参考上映された作品が『エンド・オブ・デイズ』だったのも今から思えば何かの暗示だったのかも知れない。下元史朗さん、飯島大介さん初め、ベテランの俳優陣に出演をお願いし、撮影もベテランの志賀葉一さんにお願いした。編集は小林悟監督の兄弟子の金子尚樹さんで、録音は中村幸雄さん、タイトルは道川昭さんだ。もちろん主演のかなと沙奈さんや吉岡睦雄さんを初め、若手の俳優陣も頑張ってくれた。いつもなんだかんだで出演してもらってはいたが、ようやくぼくの方の覚悟が出来て、初めて重要な役で先輩だが同年齢の川瀬陽太さんに出演してもらった。すべての職種においてそうなのだろうが、ベテランの身体には、彼らが今まで現場で過ごして来た時間の厖大な記憶が刻み込まれている。多くの監督・撮影監督・役者達が映画に注いで来た情熱が、拭いがたく刻み込まれている。ぼくは彼らを武器として、本気でデジタルシネマとやらと勝負した。もちろん、彼らに叱られながらではあるが、日本映画の厚み、底力を肌身で感じ、そして多くのことを学ばせて頂きながら、おそらくこれが自分にとって最後の「当たり前なフィルム」作品になると、出来れば明るく笑って終わりたいと強く願った。勝った、と思っている。低予算だろうが、照明が足りなかろうが、撮影日数が少なかろうが、そんなことはどうでも良い。
 悪かったね、ハーヴァード大学だっけ? 某社デジタルシネマアジア戦略担当のSくん。たしかにきみの言った通り、日本はなんの困難も抵抗もなく素直にフィルムを喪って、きみが丁寧に教えてくれた通りの世界になった。きみはとてつもなく頭が良いのに、ぼくの聞き取り憎い、ひどい英語を嫌な顔ひとつせずに聞いてくれ、ゆっくり言葉を撰びながらぼくにもわかるようにきみの考えと戦略を教えてくれた。ベビーフェイスのきみはほんとに優しくていいやつだから今頃、どこかの会社のCEOになって幸せに暮らしているか、もしくはアホくさくなっちゃって、映画とはまるで関係のない世界で活躍しているかも知れないとも思うけど、日本には「一寸の虫にも五分の魂」って言葉があるんだぜ。知らなかっただろ? どこかで偶然会ったらまたビールでも飲もうよ。ただ、もうきみの戦略の話には飽き飽きだ。会えなくてもきみの目には入らない遠い場所の片隅からきみの幸せを祈っている。
 もちろん皆さんのおかげでフィルムは規定本数で撮り上げ、現像所の営業担当に「ようやくまともになった」と満面の笑みで褒められ、コダックの営業担当には「なんか寂しい」と嘆かれた。現像所の優れたタイミングマンである安斎さんといつかまた「当たり前に」お会い出来ることはあるだろうか? 東日本大震災の影響もあったのか、ピンク映画に限らず、ぼくが予想したより2年程早くフィルムは当たり前ではなくなって撰択肢のひとつとしてのメディアになった。
 主人公の家の階段に揺らめく朝の斜光の木漏れ日を指差し「これが撮りたい」と言った志賀さんの上ずった声や上気した表情が忘れられない。夏の終わり、神社の境内であげは蝶が樹液を吸っていた姿が印象に残っている。
 ワンシーンだが、八百屋のご主人という大切な役で伊藤猛さんに出演して頂いている。猛さんはこの頃、朝からお酒を嗜み、飲み続け、吐いてはまた深夜まで飲み続けるという小原庄助さんもびっくりの生活をしていたが、現場に来るために2週間位前から「飯を食う」ように心掛け、体力を回復させて来てやったと恩着せがましく威張っていたのが懐かしい。
 
 
→自作を語る・堀禎一監督① ──── 『草叢』
 
→自作を語る・堀禎一監督③ ──── 『魔法少女を忘れない』
 
→堀禎一監督特集 part1

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