今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW

「彼自身によるロベール・ブレッソン
 インタビュー 1943—1983」

著者:ロベール・ブレッソン
編者:ミレーヌ・ブレッソン
訳者:角井 誠
出版社:法政大学出版局
発行年月:2019年4月

 

 

 

 フランスの映画監督ロベール・ブレッソンは『田舎司祭の日記』(1950)や『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962)などの作品で知られ、『抵抗』(1957)では1957年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するなど、フランス国内では偉大な作家の一人として知られている。また、寡作であり、初めの長編映画『罪の天使たち』(1943)から最後の作品『ラルジャン』(1983)まで合わせて14作品しか制作していない。
 本書はそういった作品に関するインタビューがおおよそ作品ごとに掲載されている。そのため、各章立ては作品の年代順であるが、掲載されているインタビューは後年のものである場合もある。例えば第1章はブレッソンの監督デビュー短編作品『公共問題』(1934)に関するインタビューが載せられているが、そのインタビューは1987年に行われたものである、といったようなものである。
 また、これまでにブレッソンに関する日本語文献はわずかにしか存在しない。その代表的なものがブレッソン自身によって著された『シネマトグラフ覚書』(松浦寿輝訳、筑摩書房、1987)であろうが、本書は、訳出した角井が述べるように、それと「姉妹」のような関係を持つものである。いずれにしろ、ブレッソン自身の言葉が350頁を超える分量で確認できる点は、本書の最も根本的で重要な特徴だと言える。
 そして、インタビューという「対話」によって生み出される言葉により、本書を読み進めて行くだけでブレッソンの「生」の声や表情が想像され、言葉の内容だけでなく、文体自体がどこまでも彼の感覚、映画観、哲学に溢れているように思われる。このような印象を持ったのも、ブレッソンの妻であり、助監督でもあったミレーヌ・ブレッソンが編者であったからかもしれない。本書に掲載された言葉は、公私を共に過ごしたミレーヌの選んだものだからこそ息吹を感じられるのではないだろうか。
 ここではそれらをいくつか抜粋して紹介しよう。

 まず、ブレッソンのイメージはいかなるものか。その紹介によく使われるのは、「静謐」「極限まで切り詰められた演出や台詞」「カトリックの宗教観の体現」「孤独」「厳密な」といった言葉であろうか。いずれにしろ、彼の作品は確かに「華美」ではない。もちろんそこにはブレッソンの映画観が反映されている。

「人は映画を撮影された演劇にしようとしています。しかし、そこには演劇の輝きはありません。もはや肉体的な存在、生身の存在がないのですから。それはただの影、演劇の影に過ぎません」(64頁)
「私がやろうとしてたのはまさに、セリフをぎりぎりまで切り詰めながら、他の通常の映画では台詞で語られるすべてを表現すること、沈黙や、顔の上や眼の中で生起するほとんど知覚不能な何かによって、そうしたものを表現することでした」(105頁)
「ただ人物たちの内面でもつれては解ける結び目だけが、映画に運動を、真の運動を与えることができるのです。私がやろうとしているのは、台詞だけに限らない何か、あるいはそれらの組み合わせによって、そうした運動を明らかにすることです」(36頁)

 ブレッソンの映画作品同様に、静謐でそれ自体が詩的な言葉は何を思考するものだろうか。これらは全て映画に固有のものを求める作家(オートゥール)としてのブレッソンを表していると言えよう。メジャーな映画製作システムで因習的な型にはめられて作られる映画では物事の見方を狭めてしまうことをブレッソンは鋭く端的に指摘する(137頁)。そして彼の有名な「シネマトグラフ」に知られる、映画の固有性の探求へと導かれる。

「今日の映画全体を「シネマ」と呼び、映画芸術、つまり己に固有の言語と手段をもった芸術を「シネマトグラフ」と呼ぶことにしましょう。今日の映画は、演劇やミュージック・ホールを複製しています。複製というのはオリジナルと同じ価値をもちません」(166頁)

 
 先に列記したブレッソンの映画観は全てこの映画の固有性の探求へと収斂していたようである。彼の作品が静謐で、台詞や音声演出が極限にまで切り詰められたのは、他の芸術(とりわけ演劇)から流用することを拒否し、映画独自の表現を求めた結果であると考えられる。もちろん、本書では他にもブレッソンのカメラ論、音声論、照明論など具体的な演出に関わる考えを知ることができる。
 彼の映画論を聞くと、彼の作品は無機質で厳しいと思われる人もいるかもしれないが、決してそうではない。むしろ、どこか人間の不合理さに対し、あるいは現実の中で救われない人間に対して暖かい眼差しを向けているような印象を持つ。むしろ極限にまで厳しく切り詰められた演出によって、人間の孤独さや、孤独さに対する救済の念が強調されているようだ。
 ブレッソンはカイエ・デュ・シネマ誌上のインタビューで、作品において孤独がテーマとなっていることを以下のように語っている。

「孤独は危険なテーマです。それは、スクリーンでは無味乾燥で、冷たいものに見えてしまいますから。観客に孤独を受け入れてもらうためには、多くの優しさと愛情でそれを包み込まないといけません」(95頁)

 ブレッソン作品の人物たちは孤独である。ただ、それを孤独を優しさと愛情で包みこむ人間愛に満ちたブレッソンの言葉を確認することができる。本書はブレッソンの映画哲学と人生哲学との交差点を探る言葉を読者が紡ぐものだと言えるかもしれない。
 最後に、本書にはジャン=リュック・ゴダールとの対談が収録されていることを記しておきたい。そこでは映画の具体的な技術論であったり、形式に関する問答であったり、映画における音声の問題など、多岐にわたる両者のやりとりを確認できる。ブレッソンとヌーヴェルヴァーグの交差点を見極めることにおいても、その内容は一見の価値があるだろう。

(大谷晋平/神戸大学大学院博士後期課程)

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