今月の1冊WEBSPECIAL / BOOKREVIEW


「ポーランドの映画ポスター
日本・ポーランド国交樹立100周年記念」

発行:国立美術館、国立映画アーカイブ、京都国立近代美術館

発行年月:2019年12月

 

 

 

本書によると、ポーランドのポスターは独特の色彩と幻想的あるいは知的に洗練された表現で「ポスターのポーランド派」として知られている。全盛期は1955年〜65年。「ポーランド派」の草分け的存在でもあるグラフィック作家のヘンリク・トマシェフスキとユゼフ・ムロシュチャクが1952年にワルシャワ美術アカデミーのグラフィック科にポスターのスタジオを開設。新たな創造の可能性と作家独自の表現を追求する次世代への橋渡しとなったようだ。
写真を極力使用しない絵画的な表現はもはや1枚の芸術作品で、大胆な構図とそのデザイン性もさることながら、モチーフに込められた暗喩で鑑賞者の想像を促し解釈の余地を与えている。またポーランドの同時代的な状況、具体的な社会状況や政治的な意味合いが含まれる場合もあったようだ。本書の執筆者の一人である加須屋明子氏は、第二次世界大戦中に製作されたフランスの名作『天井桟敷の人々』のポスターを例に、グラフィック作家のユリアン・パウカが映画の内容と二重に仕込んだポーランドの「雪どけ」をそこから見出している。
と言っても一般のポーランド市民への宣伝効果はやはり気になる所で、ユリアン・パウカの回想によると「映画ポスターは文化的生活についての情報が掲載されたカラフルな新聞だった。人集めの役割は果たさなかったが、作家たちは街に良い影響を与えることができた。ポスターは造形芸術を村へともたらす運び手だった。そこで唯一の絵画だったのだ」だそう。”人集めの役割を果たさなかった”と断言しているのが何とも可笑しいが、「ポーランド派」の特徴が”国家による映画配給への管理が行われる中で興業収益が意味を持たなかったこと”らしいので、その背景も含め純粋芸術的表現が高まり今日まで評価されてきたのかもしれない。
本書はポーランド映画、日本映画、世界各国の映画と3章に分けてポーランドの芸術家たちが制作したポスターを紹介しているが、どれを見てもその作家性の高さは明らかである。主に50〜90年代のポスターが掲載され「ポーランド派」以降も個性的な作品が並ぶ。
フォトモンタージュの技巧を用いたものもある。描かれているものこそ具象だが、全体の構成は抽象的で、映画から受ける心理的な効果を十分画面に落とし込んでいる。これらのポスター作品は映画鑑賞後に、よりその価値を高めるだろう。ただあまりに感覚的でデザイン重視の作品もみられ、映画鑑賞前の想像があまりに及ばないものあり、鑑賞者の解釈や発想力が問われる。観たことのある作品であっても、タイトルや監督名の記載がなければそれと結び付かないものも。本書に掲載されている作品なら、イングマル・ベルイマン監督の『叫びとささやき』やアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『暗殺の森』などのポーランド版ポスターは自分には難解で、一目見ただけでは作品名を当てられなかった。その意味でも1枚の作品としてポスターに向き合い、映画を再咀嚼する時間にもなるかもしれない。作家がその映画をどう受け取っているのかも想像すると面白い。
ポーランドの作家が描いた日本映画のポスターを当時の日本のものと比較するとその差は一目瞭然である。ポーランドの簡潔ながらメッセージ性の強いデザインと、日本の視覚情報をとにかく詰め込み写真と文字であらゆる隙間を埋めるポスターは、同じ映画でも全く別物に感じる。内川清一郎監督の『姿三四郎』や熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』などは特に顕著である。逆にポーランド映画『尼僧ヨアンナ』などは日本ではATG配給で大島弘義がデザインを手掛け、本国のポスターを上手く昇華したアート作品となっていた。
個人的な意見だが、分かりやすさ重視の方が宣伝効果が高いことは承知しつつ現代日本のポスターやフライヤーももう少しデザイナーが遊んだものを見たいなと思ってしまう。1枚の作品のようなポスターが街に溢れればアートがより身近になって私たちの感性も高まるし、なにより生活してて楽しい。また、感性が養われれば映画を観る人ももっと増えるのではないだろうか。その意味でも映画ポスターが果たす役割と影響は非常に大きいだろうと感じる。
映画への入り口に重要なポスターの動向はこれからも気になる所。国立映画アーカイブ他、様々な場所で開催される様々な国の映画ポスター展にこれからも注目していきたい。

(佐々木直子/神戸映画資料館 スタッフ)

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