映画時評:一年の十二本 藤井仁子(映画評論家)WEBSPECIAL / REVIEW
第二十七回
「小川以後」という強迫からの解放こそが「小川以後」を感動的に告げる
『三里塚に生きる』

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『三里塚に生きる』
11月22日(土)より渋谷ユーロスペースにてロードショー、以降全国順次公開
監督・撮影:大津幸四郎 監督・編集:代島治彦
2014 / 140分 配給:スコブル工房

現代映画の現代性とは何か。それは、自身を偉大な歴史の〈以後〉に位置づける認識のことを指していう。撮られるべきほどのことはみな撮られてしまった。今さら自分にできることなど何も残されてはいない。その自覚だけが、逆説的にも人を真に現代的な創造の地平へと送り出すのである。

アメリカのギャング映画とロッセリーニによる『イタリア旅行』(1954)の〈以後〉にあって、ジャン=リュック・ゴダールが作家としていかなる出立を遂げたかは繰り返すまでもないだろう。あるいは、クリント・イーストウッド。彼は西部劇作家としての自身の出自が奇態な模造品としてのテレビとイタリア製西部劇にしかなく、ジャンルの歴史においてはサム・ペキンパーにすら遅れたことにきわめて意識的だったがゆえに、主演スターとしての自らを、死後になお荒野をさまよう幽霊に仕立てあげるしかなかったのである。そんな幽霊としての自分自身さえ、イーストウッドは「最後の『最後の西部劇』」というべき『許されざる者』(1992)で黄昏の光のなかへと消し去ってしまったのだが、だから世紀が改まって以降のイーストウッド映画のいや増す凄味とは、自らによる監督=主演作のさらに〈以後〉という、未踏の領域に進み出た点に見いだされなければならない。しかし、それについては今は措こう。

むしろここで想起したいのは、日本のドキュメンタリー映画史における小川紳介、土本典昭の〈以後〉を真摯に思考し、生きようとした佐藤真のことである。駆け出しの時分に『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1986)の手伝いとして小川プロの現場に参加したこともある佐藤は、やがて香取直孝による『無辜なる海 ―1982年 水俣―』(1983)の助監督として水俣に赴き、土本の名高い作品群がすでに撮られてしまった事後にあって、新たに撮るべきものは何もないという苛酷な現実に直面させられる。普通ならば映画の仕事を続けることを断念しても不思議ではないこの〈以後〉の認識において、佐藤は真に現代的な意味での作家として初めて立つことになったのだが、この尊敬されるべき、しかしあまりに重苦しい認識が、その主体をどれほど苦しめ、追いつめる種類のものであったかは想像に余りあろう。そんな佐藤の死からも7年が経過し、まるで小川も土本も存在しなかったかのような安直さがこの国の映画づくりを支配するにおよんでは、迂闊な一観客としても歯噛みせずにはいられない。

sanrizuka04そう思っていた矢先、小川、土本の双方とゆかりの深い二人の名キャメラマンが、それぞれの監督作を相次いで完成させたことには驚かされた。しかも、いずれもが予想をはるかに上回る出来だったことに深い感銘をおぼえる。一つは、たむらまさきによる劇映画『ドライブイン蒲生』。そして、もう一つが大津幸四郎によるドキュメンタリー『三里塚に生きる』である(代島治彦との共同監督)。ともに監督が撮影も兼ねている。

『ドライブイン蒲生』は、この異能の人がまだ「田村正毅」だった頃に相米慎二の下で経験した『ションベン・ライダー』(1983)の現場が、どれほど大きな意味を持つものだったかを如実に示している点でも興味深い作品である。一方の『三里塚に生きる』はというと、かつて三里塚シリーズの記念すべき第1作『日本解放戦線 三里塚の夏』(1968)で田村とともにキャメラを回し、なおかつ、それを最後に小川と袂を分かった大津が、半世紀近い時を隔てて三里塚の〈以後〉を撮ったというのだから、いっそう興味は募る。

 もっとも、そんなふうにわれわれが向ける過大な期待をひらりとかわすように、映画は悲壮な覚悟からも湿っぽい郷愁からも遠い抑えた調子で、ごく淡々と進んでいく。高度経済成長のさなか、政府が突如、一方的に決定した成田空港の建設に反対し、激烈な闘争が繰り広げられたこの土地には、当時さまざまなかたちで闘争に関わった人々が今も暮らしている。いまだ孤独に反対を貫こうとする者も残ってはいるが、大半はもとの共同体から切り離されて散り散りになり、移転先の土地で新たな生活を築いている人々だ。

 一見したところ、騒擾は完全に過去のものとなり、孤独と静寂がこの地を覆っているようである。ところが、住人たちがインタビューを受けているそのあいだにも、不意に爆音が轟いたかと思うと、どんどんと接近してきて、恐怖を感じるまでの音量に達する。あるいは、彼らが畑仕事などする風景を捉えたロング・ショットにも、信じられないほど低空を巨大な飛行機が前ぶれもなしに横切っていくのだ。ほとんど現実離れしたその眺めは、住人たちがそれらにまったく無反応なままであることで、ますます異様さの印象を強める。つまり、われわれにとってのこの異様さは、三里塚に生きる彼らにとっての日常なのである。

 そんなことをいちいちヴォイスオーヴァーで註釈したりなどしないこの映画は、同じように、現在の彼らとかつての彼らの映像とを編集でことさら対比的に見せたりもしない。いや、確かにここでは随所に『三里塚の夏』をはじめとする三里塚シリーズのフッテージが挿入されており、それらでは使用されなかったアウトテイクまでもが含まれているのだが、多くの場合、その用法は控えめなもので、彼らが生きる現在こそが一貫して主となっている。実際のところ、過去のフッテージと現在の彼らの顔を見比べて、同一人物と認めることは誰にとってもそう簡単ではないだろう。それほどの時が流れたということであり、映画は、両者を隔てる時の懸隔そのものを露呈させるのだ。

sanrizuka05 このように、過去の政治闘争を歴史的に回顧したり検証したりするのではなく、あくまでも表題どおり、三里塚に生きる人々の現在に焦点を絞ったことがこの映画の魅力となっている。だからこそ、問題の本質が今なお解消されていないことも、現在の姿を通して浮かびあがってくるのである。こうした性格を規定した要因として、インタビュアーをつとめた代島治彦の、最良の意味での「素人っぽさ」を称賛したい。三里塚闘争に間に合わなかった世代に属する代島は、もちろん周到な準備をして現場に入ったに違いないのだが、あきらかにこれまで三里塚を取材した人々とは異なるリラックスした語彙と語調でもって住人たちに接しており――掘ったばかりで泥を落としただけの人参を差し出され、そのまま丸かじりして美味い、美味いと頬張る場面が印象的だ――、その「素人っぽい」力みのなさが、見ているこちらが動揺するほどの腹を割った話さえも、対象から引き出すことに成功しているのである。考えてみれば、この地に暮らすのは多くが長年の党派のしがらみで疲弊しきった人々であり、そんな彼らを武装解除したものが代島の「素人っぽさ」だったというのも無理からぬことだろう。

だが、ここでひたすら沈黙を守って撮影に専念している大津幸四郎もまた、実は三里塚とはずっと疎遠だったことに留意しなければならない。長い歳月を隔てて大津を再び三里塚に向かわせたきっかけが、大津も参加した2年前のDVDブック『小川プロダクション『三里塚の夏』を観る――映画から読み解く成田闘争』(鈴木一誌編著、太田出版)の刊行だったというのもおもしろいが、その意味で、大津の三里塚再訪はなつかしい土地への帰還であるどころか、代島と同様、見知らぬ土地への冒険だったというべきだろう。現場スタッフは大津と代島の二人だけだったという『三里塚に生きる』は、既存の知識や信頼関係に頼ることのできないまっさらな状況のなかで、三里塚に暮らす人々の現在を、撮ることを通じてそのつど発見していくのだ。

むろん、「小川以後」という歴史の強迫から解き放たれたこの映画の気負いのなさは、ただたんに歴史を忘却した無責任な安楽さからは区別される必要がある。小川紳介のもとを離れた大津がこの映画を撮るまでの歳月で経験した最大のもの――それは、水俣での土本典昭との仕事を措いてほかにないだろう。丹念に現地を訪ね歩くことで患者さんの切れ切れの声を拾い集め、声を上げることもできないままこの世を去った不在の者たちの沈黙までもすくいあげた土本との仕事を経たことで、大津のキャメラは、三里塚に今も暮らす人々の生が、いかに死者とともにあり、死者によって動かされているかを辛抱強くあきらかにしていく。それは、三里塚シリーズを続けざまに放っていた時期の小川にはありえなかった視点であり、『三里塚に生きる』を、土本典昭を経由しての小川紳介批判たらしめているのである(ある住人が補償金で移転先に建てた豪邸の前でインタビューを受ける場面を見て、土本の『不知火海』[1975]を思い出さない者があるだろうか)。結果的に、小川紳介の限界までを見る者に思考させる『三里塚に生きる』は、まさにそのようにして、真の「小川以後」を感動的に告げることになる。

音楽は大友良英。ばらばらに置かれた音たちが、いつしか組みあわさって人間の息づかいを感じさせる旋律となり、観客の心を静かに満たしていく。

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