インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『イヌミチ』永山由里恵インタビュー

万田邦敏監督の久々の新作となる『イヌミチ』がいよいよ2014年6月6日(金)、神戸映画資料館での公開を迎える。万田監督に続き、主演を果たした永山由里恵さんにもインタビューを行った。撮影から1年以上経つ今も宣伝担当として作品に関わる彼女は、映画にどう取り組み、向かい合い続けているのだろうか。

──既に読める幾つかのインタビューで、永山さんが万田監督の演出に関してお話されていますが、共通して「厳しかった」とおっしゃっています。具体的にどんなところが厳しかったんでしょう?

はい、演出が厳しかったことは、いろんなインタビューでお話してきました。厳しさを具体的に言うと、何回かリハーサルを行う中で万田監督は役者の芝居を見ながら、どんどん演出を変えてゆくんです。見て、そこで演出のプランが浮かんで、一回芝居が終わるごとに「ここはこうして」「ああして」と段取りが増えていくんですね。それが増えていくことに私、最初は対応し切れなくって(笑)。たとえば冷蔵庫を開ける芝居があれば、「開けて顔を中に突っ込んで、そのあとビールを取って相手の方を向いて」とか、「顔をカメラ側に向けて」という風にかなり細かい指示があって、それを台詞を言いながらやるとなるともう(笑)。たぶん練習すれば出来るんですけど、すぐには対応出来なくて、万田監督に「永山さん、今混乱しているでしょう?」と言われて、「はい、混乱してます」って(笑)。そのとき、自分の未熟さを強く感じましたし悔しかったです。『イヌミチ』では万田監督の間近で演出を見られて、すごく贅沢な経験をさせていただきましたが、逆に中に入り過ぎてしまって精一杯だったので、「凄い」と思うより「必死に付いていった」、役的にいうと「食らいつこうとしていった」感じでしたね。

──それは演技から十分伝わるように思えます。最近の監督は『イヌミチ』に限らず、そういった演出方法を採られているんでしょうか?

たまたま、『イヌミチ』とは別の撮影で万田監督の演出を見せてもらう機会がありました。その時に感じたのは、監督の演出はオーケストラの指揮者のようだということ。一回の芝居ごとの動きをよく見られており、どんどん演出を加えていき「今度はこっちへ動いてみよう」「この小道具を持ってみよう」「持ってみてこんな風に使ってみたらどうだろう?」と役者の動きが変わっていきます。それが本当に音楽を奏でているような、オーケストラの指揮者のような美しい演出で、対応する役者は大変だろうなとは思うんですけど、目が離せなかったです。そのときは、万田監督から動きの新しい発見と発想が次々に出てくる様子を客観的に見ることが出来ました。万田監督は昔は必ず画コンテを切って現場に向かってたとおっしゃってましたけど、今は、その場で生まれる役者同士のコミュニケーションや動きからカット割りを考えて映画を作ろうとされている感じがして。私にとっての万田監督の映画のイメージから、「厳格なのかな?」って勝手に思ってたんですけど、流動的で軽やかに演出されている姿が意外で驚きました。万田監督の演出には動きの美しさが際立つ──映画特有の動きというんでしょうか──普通の日常生活には無い動きもあるんですけど、そういう動きをさせるんだなと思いました、特に『イヌミチ』の現場では。

──芝居を変えるということは、テイク数も多かったですか?6日間の撮影期間で撮り終えたとはうかがっているのですが。

撮影がいったん始まればリテイクはあまりしなくて、その前の段取りでまず役者が動いてみるんですよ。そこに結構時間を使わせてもらって、動きを固めたところで万田監督はカット割りを考えるんですね。実際に動いたあとで考えるので、役者がはけてから「ここは何カット撮ります」とカット割りが発表されて待機して撮影に入るんですが、リテイクはあまり無かったですね。ただその前の段取り、撮影前のリハーサルにはかなり時間を取りました。実際に撮影はしないけど、色んな動きを試されていて。万田監督の中でも、動きや撮影のイメージを事前にかなり練られていた印象があります。

──監督が色んな動きを求めるのは何を求めてでしょう?たとえば感情であるとか?

万田監督は演出で感情を一切説明しないんですよ。「登場人物がこういう感情だからこう動いて」とは絶対におっしゃらなくて、ただ「ここからこう行って、そっちへ行って」とか、「これを持って」という動きの指示があるんですね。役者はそれに対して感情を乗せて役を演じるわけですけども、万田監督は常々、「動くことで感情が生まれる」「動きが先だ」と言ってて、現場でもよくそうおっしゃってました。不思議なことに、主人公の響子という人間を演じているときはもちろん、普段人間がすることはまず無い犬の格好、四つん這いの姿勢になって動き回る芝居を通して、自分が犬の気持ちになってくるのを身を持って実感したんですね。すごく気持ちが入るというか。内面での実感もあったんですけど、本編を観たとき、画面からも「人間が動き回っているのが画としても面白いな」と思って。万田監督の映画って、人物が画面の中を縦横無尽に動いたり、画が止まらないんですよね。それが面白いんだということを客観的に感じました。

──まず目を奪われるのは犬の姿勢の演技ですが、仕事場や主人公・響子の部屋といった空間での日常の演技にも同じくらい重点を置かれていたといえますか?

比重でいえば、おそらく万田監督は犬の動きは重く、人間のパートだから日常は軽めにという考えはなくて、全編フラットに……という表現が正しいかどうかは分かりませんが、撮っておられたと思います。オフィスや、響子が住んでいる恋人の部屋のシーンでも細かく演出されていましたね。

──全編、緻密な演出が施された結果「けったいな」、なおかつ端整な映画になっているという(笑)。

そう言ってもらえるのは嬉しいです(笑)。

──実はそこでいまだに不思議に感じる、未整理な部分があるんですが、永山さんも「最初は響子という人物が分からなかった」と「LOAD SHOW」さんのインタビューで語っています。シナリオを読んだ時点から撮影、そして今に至るまでで、響子の捉え方は変わりましたか?

そう、最初に脚本をいただいて読んだときは「何!?この女、超自分勝手な女だな」と思って、すごく嫌いだったんですよ(笑)。彼氏も仕事も放り投げて、見ず知らずの男の家で<イヌ>になって4日間過ごして、最後は自業自得な結果を招くんですが、「何なんだ!この女!」って(笑)。全然共感できなかったですし、<イヌ>になる気持ちもまったく分からなくて。万田監督の作品に出たいっていう気持ちはあったんですけど、本当に響子の気持ちが分からなくて脚本と格闘してたんですけど、字面を追ってホン読みするだけだと埒が明かないと思って、犬の動きを一人で真似してみたんですね。四つん這いになって歩き回ってみたり、それこそ「ワン!」って吼えてみたり。そうして響子の役を掴もうとしても、なかなか分からなくて。そのときに、西森役を演じた映画美学校アクターズ・コースの矢野昌幸君と、監督もスタッフもいないところで自主稽古をしたんですね。彼とはアクターズ・コースで2年間一緒にやってきた仲でもあるんですが、がっつりペアを組むのは今回が初めてで「ああでもない、こうでもない」と犬の動き、そして飼い主の動きといった、物語の二人の関係を探っているうちに絆というか、同志というか、劇中の響子と西森のようにお互い何かを共有し合ってるよねって感覚を持てて。矢野君の演じる西森というキャラクターを信じることが出来ました。それから段々と「犬って楽しいじゃん」と思えるようになったんです(笑)。そこでそう思えたことが、響子を掴むきっかけになったと思います。もしかしたら彼女はすごくチャーミングな女性かもしれないと思えるようになったし、共感を持てるようになりました。

──では、永山さんから見た「響子」は最終的にどんな女性でしょう?

私も普段勤めているので、「仕事が辛い」とか、毎日選択していることの中で疲れることは分かりますが、何ていうのかな……矢野君が西森という脚本に書かれた人物をミステリアスなキャラクターとして具現化して作り上げてくれたことによって、彼女が得体の知れない男に惹かれてしまう、「この人なら現実から一歩外の世界へ連れ出してくれるかも?と思って付いて行ってしまったんだろう」と、段々響子を解釈できるようになってきたんです。撮影の最後の頃にはキャラクターであるはずの響子さんが自分の中に存在してしまっていて、「もうこれで彼女のことを考えなくていいんだ」と思うと辛くなってきてしまって。それくらい大好きになったので、最初と最後とで役の印象が180°違ったという初めての経験もさせていただきました。本編のラストに向かうほど、彼女の態度や言うセリフに「すごく強いな、自分とは違うな。永山由里恵個人では響子さんのように強く生きられないな」と思うようになりました。ラストは彼女は一人になってゆくわけですけども、そういう選択をする彼女の強さというか、背筋を伸ばして歩いて行く姿に背中を強く押されていたので、いまだに日常生活の中で「響子さんならこんなとき、どういう選択をするだろう?」ってたまに考えちゃうことがありますね(笑)。なかなか全ての人に共感してもらえるキャラクターではないですが、観て下さる女性のバックボーンや、今いる環境で捉え方も全然違うでしょうね。「この女、性格悪い」という方もいれば、「<イヌ>になる気持ち、ちょっと分かる」と思う方もいると思うんです。ですから響子は、女性の生き方に対して何かを問いかけてるというか、日常を揺さぶるというか、一石を投じるようなキャラクターなのではないかと今は思っています。そして、そんな女性を演じられたことはすごく光栄なことだとも思ってます。

──今のお話と、前に万田監督が「凛とした女性を撮りたい」と語っておられたことがどこか繋がりました。さて、ストレスを抱えた人は世に多いと思いますが、永山さんに倣って「犬の格好で動き回ってみれば視界が開ける/世界が変わる」ことって有り得るんでしょうか?…そうそう簡単には変わらないと分かりつつも質問しているんですが(笑)。

(笑)。それはですね、「<イヌ>の役を演じている自分が楽しくなってきた」ということなんだと思うんです。「犬って何なんだろう?どんな動きをするんだろう?こんな風に布の匂いを嗅いだりするのかな?こうやって噛んでみるのかな?」とか、単純に考えて実際試して動くことが楽しかった。あと、四つん這いになると明らかに見ている世界が変わりますよね。コミュニケーションするときも常に相手を見上げる姿勢になるので、服従する気持ちは自然と湧いてきました。それは首輪っていう小道具もはめることもそうですし、ペット用のお皿でご飯を食べるときもそう。<イヌ>として変わっていく自分に最初は戸惑いもあるけど、段々のめり込んで、突き詰めてやると、違う世界が見えるなって。きっと響子は純粋に楽しかったと思うんですよね。そうじゃなければ<イヌ>をやっていないだろうし、4日間も持たないと思うんですよ。あと、環境としてすごく楽なんだなというのも分かりました。それは待っていれば「いい子だね」って撫でてもらえるし、餌が出てきて遊んで、そのあとは寝かせてもらえる。劇中でもモノローグで言っていますが、それはすごくシンプルな生き方であると。やっぱり人間は日常の中で選んで決めて生きていかなければいけない。そこからの現実逃避……客観的に見ればそう思われるでしょうけど、二人だけで成り立っている世界というのは、すごくシンプルで楽しいと私自身も演じていて感じていました。

──響子と西森との歪な関係は、たとえば刹那的な恋愛と解釈するのも可能かもしれないし、4日間という限られた時間の中でしか生まれ得ない特殊な男女関係のようにも思えます。永山さんご自身はどう解釈しておられましたか?

そうですね。あの二人の関係はすごく不思議で、普通、男女が<イヌ>と飼い主になれば、性的な空気が漂い出すことが他の映画ならあると思うんです。でも彼女たちはそれをせずに「これはゲームなんだ」と割り切っている。そして、「たぶんこの関係が永遠に続くことは無い」のもお互いに分かっている。刹那的ではあるけれども、二人にしか分からない何かを共有してしまった共犯関係というか、力のバランスの引き合いというんでしょうか、主従関係の転がり方、日が進むごとにそれが変わっていくのはドキドキする関係だなと私は演じながら思っていましたね。

──その意味でも、ゲームに近いんでしょうね。古い言葉で言う「プラトニックな恋愛」とも違うでしょうし。

恋人ではないし友達でもない。「同士」というか「仲間」というか……歪んでますけれども、互いに孤独な二人が孤独なまま戯れているような(笑)。そういった印象でしょうか。

──おっしゃる通り「戯れ」ですよね。

うん、「戯れ」ですね。

──その『イヌミチ』は神戸映画資料館で6月6日(金)に公開、7日(土)には永山さんが来館されて舞台挨拶を行います。主演女優の方が大阪はともかく、神戸・新長田にまで足を運ばれるのは、かなり稀なことだと思うんです。

あははは(笑)。

──それだけでも作品への情熱がうかがえますし、宣伝も兼任されていますから、主演にとどまらない「映画の届け手だ」という思いは強いでしょうか?

もう1年半くらい前になってしまいますけど、『イヌミチ』にまず役者として関わって、それからポスプロを経て、いよいよ公開に向けて準備するぞというときに、宣伝としても作品に関わる貴重な機会に恵まれて、そこで一般のお客様がどう反応するのかとスニークプレビューという覆面試写会を行ったんですね。すると「(作品自体が)分からない」とか、「この女の考えてることがまったく分からない」という結構辛辣な意見をたくさんいただきました。私はやはりこの映画に思い入れがありましたし、万田邦敏監督の最新作ということもあって、とにかく皆さんに観てもらいたいと思っていたので、その意見にすごく落ち込んだりもしつつ、色々な方々の協力のおかげでユーロスペースさんで公開が決まりました。イヌミチ宣伝部は、映画美学校の生徒の有志が中心になって活動していたんですけど、本当に多くの方が関わって、協力して下さって。ポスターのデザインやキャッチコピー、予告編も仲間で悩みながら考えて、パンフレットも作りましたし。みんなで協力しながら宣伝をしていく作業は、大変なときもありましたけど、喜びもすごく大きかったです。さらに宣伝活動をする中、マスコミ試写会を開催して評論家の方などが観に来て下さって、雑誌や新聞でお褒めの言葉をいただいて、そこで風向きが変わったような思いがしたんです。映画をいろんな角度から観てくれる人が増えて、様々な評価や評論、ことばが寄せられて映画が大きくなっていく姿を間近で見ることが出来ました。物理的には大変なことも多くて、単純に夜遅くまで作業しないといけなかったり、新聞社や雑誌社に一件ずつ電話をかけてアポイントを取らないといけないという作業でしたが、それが全然苦にならない、苦労を苦労と思えない嬉しい経験をさせてもらいました。公開してさらに多くのお客さまが観て下さり賛否両論、多くの意見をいただける。しかも自分にとって特に思い入れの強い作品ですので、それを聞けるのが本当に幸せです。宣伝部の皆さんの頑張りのおかげで、作品が成長していったんだなって今、振り返っても感謝の言葉しかないです。イヌミチ宣伝部の仲間達とこの作品を応援して支えて下さった全ての人に、ありがとうって心から思ってます。

──そして神戸へ、ですね(笑)。

はい(笑)。全国で公開させてもらって、一応全部舞台挨拶へは行かせてもらってて(笑)。東京、名古屋、大阪、宮城、京都、そして今回神戸映画資料館様で上映させていだいて、また神戸の皆さんが観て下さるのが楽しみで、どんな反応をいただけるかワクワクしています。1年半くらいの間、『イヌミチ』という作品と関わっていますが、本当に言葉では言い尽くせない色んなものをもらったなと思っています。

──今、こうして話している永山さんの声や雰囲気は演じた響子とはかなり違って、とても朗らかですよね。『イヌミチ』では女優として画面に定着したということだと思うんですが、今後どんな女優でありたいか?その点もうかがえますか?

私のようなどこの馬の骨か分からない女が言うのも照れくさいんですけど(笑)、演技を続けていきたいなって思ってます。鈴木卓爾監督が「役者続けるなら二足の草鞋を履いた方がいいよ」っておっしゃってて、私もそうだなって思って。今、会社に勤めてるんですけど、私にとってはその二つの生活で精神的にバランスを取ってる気がしてて。どちらも必要なんですね。なので、何とか仕事をしながら役者を続けたいって思ってます。映画の演技もですし、演劇の演技、舞台も好きなので、舞台と映画、チャンスをいただけたら、これからも挑戦していきたいです。あと今回、『イヌミチ』に出演出来てほんとに幸せだったんですけど、役者としての自分の未熟さをまざまざと見せつけられたというか、万田監督の演出に応えられなかったという思いも大きいので、今後頑張っていった暁には、万田監督に「永山さん、成長したね」と言ってもらえるように努力したいです。『イヌミチ』の現場で出会ったスタッフの方々、矢野君やアクターズ・コースの皆とはまたいつか必ず共演したいです。

──そこでまた万田監督に映画を作っていただきたいですよね(笑)。

それは私も本当にそう思っています(笑)。

──それでは主役を演じた立場から、そして宣伝リーダーとして『イヌミチ』のいちばんの魅力をお話いただけますか?

この映画は本当に観る人によって意見が変わるというか、観る人の立場であったり経歴、年齢で見方が変わってくる作品だと思います。映画って「観てそれで終わり」というタイプのものもあると思いますけれど、『イヌミチ』はきっと観終わったあとに人と話したくなる映画というか、「このシーンどう思った?」とか「この主人公をどう思う?」、そんな風に話したくなる心に残る映画……出ている私が言うのも何ですけれども(笑)、心に残る映画だと思いますので観に来てください。感想をTwitterにアップして下さるととても嬉しいです。全部見ています。『イヌミチ』で全国巡業して(笑)、神戸の皆さんのところまで辿り着けて本当に嬉しく思っています。

──実際、周りでも色んな意見があって、万田監督を敬愛するある人が「3回観たけどまだ分からないところがある。でも永山さんが美人だということだけは分かった」と話していたことも付け加えておきます(笑)。ところで永山さんは立教大学の身体映像学科第1期生、篠崎誠監督の教え子ですよね?当時「浴びるように映画を観ていた」ということですが、どういった作品にのめり込んでいましたか?

えっとですね……篠崎監督や万田監督が教えて下さった、成瀬巳喜男監督や増村保造監督、小津安二郎監督作品など昔の日本映画から色々とありましたね。篠崎さんがホラー好きということもあって、『悪魔のいけにえ』も(笑)。私、ホラーは苦手なんですけど、『悪魔のいけにえ』は映画体験として大きかったですね。

──篠崎監督は、学生にトビー・フーパーを推薦していたんですね(笑)。

(笑)。でも凄いなと思いました。観たときは目が離せなかったですね。映画史の上で重要な映画はひと通り押えておられました。

──そして卒業制作として監督作品を作られているそうですが、それはどんな映画なんでしょう?

卒業して5年くらい経つので記憶がだいぶうろ覚えなんですけども、まあ、あの、恋愛映画ですね(笑)。

──もちろん、『イヌミチ』のような映画ではないですよね?

全然違います(笑)。彼氏は出て来なくて、女の子が妹と二人暮らしをしていて、その彼氏に手紙を送ってるんですよ。……って話してて恥ずかしいですね(笑)。

──折角ですので、恥ずかしがらずにお願いします(笑)。

40分くらいの作品なんですけど、そのとき、私は乗り物を撮りたかったんですよね。イーストウッドの『ガントレット』(77)を当時、万田教授の授業で観て「イーストウッドが乗り物を乗り換えていく映画だ」って指摘されてて影響されたと思うんですけど。我ながら単純ですよね(笑)。主人公の女の子が『くじらのまち』を監督してPFFでグランプリを取った鶴岡慧子ちゃんで、慧子ちゃんが原チャリに乗っている設定で、ポストに手紙を投函して走り去るショットとか(笑)。車に乗せたりとか、とにかく乗り物を使いたかったんです。

──それを移動撮影で撮られたりとか?

移動撮影、しましたねえ(笑)。でもそこから考えると、こんなの私が言うのも何ですけども、万田監督はカットをバンバン割るじゃないですか?それが凄くかっこよくて映画的だなと思うんですけど、私にはカット割りの感覚がいまだに無くて、当時も長回しで芝居をしてもらっていました。

──ちなみにその作品に対して、篠崎先生はどうコメントされました?

篠崎さんは「初めてにしてはよく撮れたね」とおっしゃって下さりました。それを万田監督もご覧になるんですよね。すると万田さんは、「この映画、ウジウジしてるね」って(笑)。私も「ああそうだ、ウジウジしてる」って思って(笑)。

──興味深いコントラストです(笑)。

巨匠お二人に、しようもないものを見せてしまって(笑)。でもその大学時代に、映画の現場での役割は、ひと通り経験したんです。助監督もやりましたし、照明やレフ板持ったり、スタッフとして駆り出されたりしましたね。映画サークルに入っていたのでそういう経験があったんですが、「監督として演出したい欲は私にはそこまで無いな」とそのときに感じたんです。ただ、演技の勉強もしていなかったけど、役者というものにだけは引っ掛かっていたというか、「やりたい」という欲が芽生えたんだなと今、振り返って思いますね。

──その思いの延長線上に『イヌミチ』があるわけですね。だいぶ脱線しましたが『イヌミチ』の話に戻って、奇妙な物語を滑らかに観られるのはカット割りもかなり貢献していると思うんです。そばにいた永山さんからご覧になって、万田監督がカットを割る法則のようなものってあるんでしょうか?ある種「マジック」のようなものだと考えているのですが。

分かります。「万田監督って魔法を使えるんだな」と私も思ってるんですけど、時間が押してるときとかは意外と「これでOKだよ」ってOKのハードルが低いこともあれば、反対に「絶対に外せない」シーンは外さない。それが『イヌミチ』でどこかというと、催眠術のシーンですよね。あそこのカット割り──私もカット割りってよく分からないんですけど──響子の顔から西森の顔に切り返すときのゾクッとする感じとかも、現場では淡々と「永山さんの顔撮ったから、次は矢野君の顔ね」ってポンポン進んでいったんですが、実際に本編で繋がれたのを観るとすごく力を持っているんです。

──そうですよね。以前、インタビューでその編集について直球で訊いてみたら、「普通です」と軽くいなされてしまったんです(笑)。

(笑)。でもそこは見どころですよね。

──はい。あと、これは瑣末な質問ですが…編集者として仕事されている場面の服は私服ですか?

映画美学校の生徒さんですが、衣装さんが付いてくれていたので私服ではないですね。あ、<イヌ>になるとき着ている、グレーのセーターみたいなのは私服です。

──本当に素朴な疑問なんですけれど、編集者として仕事しているときなどは、服の丈が微妙ですよね?

そうですね、たしかにそうですよね(笑)。

──あれには何か意図があるのか、永山さんが私服でああいうサイジングが好みなのか、その点も考えたんです。

私、実際に着ていたから言えるんですけど、OLの衣装なんかは背中を向けるとがっつりマイクが入ってるのが分かるかもしれない。結構ピタッとした衣装だったから(笑)。でも<イヌ>になるときの衣装は私服で決めてもらったんですけど、何か垂れ下がってる感じが犬っぽくてよかったかな?と今になって思ったりしますね。

──衣装でいえば、<イヌ>になって動き回るシーンでは、膝にサポーターは着けておられたんですよね?

着けていました。着けて、リハーサルまでやって本番は外すみたいな。

──それで万田監督が「一生懸命やってくれて、アザになってました」とおっしゃってたんですね。

ほんとにね、役者という仕事をするなら「そんなにがむしゃらにやるな」という話なんですけど(笑)。最初の頃は勝手が分からないものですから、何も着けずに四つん這いで動き回っていたら、アザがいっぱい出来ちゃって。「何でそんなことをしてるんだ、お前は」とスタッフの人に止められて、「ちゃんとサポーター着けなさい」って(笑)。それから着けるようになったんですけど、私がサポーターを着けてる姿に皆慣れ過ぎてしまって、一度本番もそのままやってしまったんですよ。で「カット!OK!次のシーン行こう」と万田監督が言ったんですけど、着けてたことにそのときまで気づかないで、「ちょっと待ってください!サポーター着けてます!」というやりとりもありました(笑)。

──気づいてよかったですね(笑)。

もし私が気づかなかったら、そのシーンだけサポーターが着いてるという。…使わないと思うんですけど(笑)。

──裏話は他にも沢山あるでしょうから、神戸映画資料館での舞台挨拶で色々と聞けそうです。

そうですね。是非何でも訊いて下さい。口下手ではありますけども、もう何でも答えますので。

──では、あえて「好みの男性のタイプは?」という類の質問は7日の舞台挨拶まで取っておきます(笑)。

訊いて下さい。答えますので!(笑)
映画『イヌミチ』公式サイト

取材・文/ラジオ関西『シネマキネマ』吉野大地

 

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