インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『旧グッゲンハイム邸裏長屋』
前田実香監督インタビュー

神戸・塩屋の海沿いに立つ旧グッゲンハイム邸(以下、「旧グ邸」)。築100年を超える歴史を持つ洋館は、音楽イベントや神戸映画資料館が主催する「コメディ映画鑑賞会」など多彩な催しの場となり、神戸の文化拠点としても広く認知されている。だが、その裏にある長屋と共同生活についてはあまり知られていないだろう。住人が入れ替わるなか、卒業できないモラトリアム生活を送り続ける女性を主人公に据えた本作を撮り上げた前田実香監督もまた長屋に暮らすひとりである。映画に登場する管理人・森本アリさんにもご同席いただき、スケッチ風の軽妙なタッチで長屋の「今」を捉えた監督にお話を訊いた。

 

──監督は、石井岳龍さんが2006年に神戸芸術工科大学に着任されて最初の生徒でしたね。

前田 先端芸術学部メディア表現学科映画専攻(現・芸術工学部映像表現学科)の一期生です。

──石井さんのもとで学ばれて、特に大きな糧になったものを教えてください。

前田 まず面接時に「この業界に30年いる覚悟はある?」とさらっと質問されたことが心に刺さりました。石井さんは学生時代から映画を撮っていて、それ以降ずっと活躍しておられます。私はそれまで別の大学に短期間通っていましたが、映画専攻に入学するにあたり、そこまでの覚悟を持って続けたいと思える大きな言葉でした。卒業後も映画に関わりたい、映画を撮っていきたいとずっと思っていたのは、その言葉が響いていたからですね。
もうひとつは物語づくりの基礎でした。授業で技術を習ったなかでも、物語の前後をどう想像するか、どうやってキャラクターを生き生きと描くのかという課題は印象に残っています。まったく無知の状態で授業を受けて、描かれない主人公の生まれ育った背景なども含めて物語を考えるようになりました。そうした基礎の多くは、石井さんから学んだ実感があります。

──石井さんも本作の思わぬところに登場します。卒業制作はどんな作品でしたか?

前田 40分の探偵ものです。主人公は中学生の女の子。父ひとり娘ひとりで、父が突然失踪したことから、探偵の叔父を訪ねて捜索依頼するところからはじまり、助手として父の行方を探すうちに、彼の恋人と名乗る女性が現われる。ヤクザや刑事も出てくる、コテコテの探偵映画でした(笑)。

──ジャンル映画だったんですね(笑)。旧グ邸の長屋に住みはじめたのは大学卒業後ですか?

前田 2010年に卒業してから3年ほど経った頃、2013年ですね。それから現在まで住んでいます。

──住人として本作の制作に至るまでの経緯を教えてください。

前田 卒業後も映画をつくりたいと思いながら、社会人になると簡単には撮れませんでした。そんなとき偶然、長屋に住まわせてもらうことになり、ロケーション──塩屋の町の風景や洋館の美しさ、その裏にある長屋──に感動しました。まずそれで「撮りたい」と思いました。そのときは本作とまったく異なる、つくられたキャラクターがいて、大家も昔から洋館に住む一家で、それが孫に代替わりするような、よくあるドラマ的なシチュエーションを構想していました。
でも実際に住んで暮らしてみると、住人の入れ替わりや環境の変化に気づきました。場所はそのままなのに、築約100年の洋館の管理者や長屋の住人は大きく変わっているんだな、と。自分が暮らす旧グ邸のそのときどきの雰囲気は「今」にしかないと感じるようになって、それを記録したいと思いました。ドキュメンタリーも考えましたが、せっかくなら最初の構想とは別の物語の形で、「いま自分が見たい、残したい」と感じるものを映画にしようと変化してゆきました。この映画はフィクションで、出演者も撮影当時の住人ですが、そのまま出ているわけではなく、脚本があります。そこに自分が暮らしてきた経験や、ほかの場所でも感じたことを織り込んで話してもらいました。

──メインの人物設定のベースになったものは何でしょう。

前田 当時、私と同年代の30歳前後の友人や同居人で、人生の岐路に立っている人が多かったんです。たとえばワーキングホリデーに行くことを決意して退職する人や、独立しようかと悩んでいる人たちが周りにいました。そこからドラマチックな女の子の話をベースにしようと考えましたが、一方で過去のユニークな住人の記憶や、とっさに出た友人のおもしろい言葉をネタ帳的にストックしていました。それらを入れ込むとドラマチックな部分が薄れて、少しドキュメンタリー色のある作品になりました。

──登場する長屋の住人たちは、全員が同居人ですか?

前田 当時の同居人もいますし、役者として呼んだ人もいます。

──撮影期間は?

前田 2019年の5月31日から6日4日までの5日間で撮りました。みんな社会人なので、土日を駆使して、あとは有給をもぎ取ってもらったり(笑)。

──アドリブかなと思うものもありますが、セリフはすべて書かれていたのでしょうか。

前田 そうですね。たとえば「髭が生えてる」というセリフも脚本に書いていました。でもアドリブも多くて、ニュアンスやちょっとした言い回しは、それが無いと次へ進まないセリフを「これだけは言ってほしい」と伝えて、あとは会話を楽しむように話してもらいました。だから脚本のセリフとは違う言葉になったシーンもあります。

──例をひとつ挙げると、靴下にまつわる可笑しなセリフは脚本にあったものですか?

前田 あれはアドリブです。現場で笑いをこらえるのに必死でした(笑)。

──あのタイミングでアドリブが出るとは(笑)。ああいうコメディ的なやりとりは、ともすればコント的になりがちです。それが本作では住人たちの自然な会話として聞こえます。演出はどの程度されたのでしょう。

前田 意識的な演出はしませんでした。私が決めたのはカメラの位置で、絶対にその画が欲しいポジションと、次につながる画の流れをカメラマンのおかやん(岡山佳弘)に相談して、撮る順などを考えてもらいました。それから画面に人が入ってくるタイミングやリズムですね。会話そのものは任せていたので、とてもいい芝居なのに予期せぬ方向に行ってしまい、リテイクしたことは何度もありました。それでも自由な会話がうまくいったのは、みんなにもとから関係が出来ていたことが大きいかもしれません。
ただ、リハーサルは念入りにおこないました。石井さんに脚本を読んでもらうと「登場人物が多いので、誰が誰だかわからなくなる可能性もあるし、映画の設計図になるものを考えておいたほうがいい」とアドバイスをいただきました。スタッフもプロの現場の人たちばかりで「群像劇はそう簡単じゃない」と心配されたり(笑)。出演者はプロではないので、ホン読みとリハーサルは毎晩重ねましたね。メソッド演技的なものはあえて避けて、「そのままでいいから」と伝えていました。セリフではなく、「このタイミングでドアを開ける」「こっちを向いて出て行く」といった動きのリハーサルを繰り返してもらいました。

──人の出し入れもみどころです。アリさんに伺いたいのですが、これまで長屋に住んだ方はどれくらいおられますか?

森本 旧グ邸を管理するようになってから今年で14年めで、リストによれば住人は54人。長屋には10部屋あって、それがつねに埋まっています。長屋のリビングには色んなことが書かれた日記帳があって、それがまた滅茶苦茶おもしろい。

──では冒頭に写る日記帳にはモデルがあるんですね。

森本 実在していて、現在は電話帳サイズにくっつけたものと、何冊かに分かれていて、それらを合わせると16冊あります。インタビュー形式になっていたり、この映画の主人公・せぞちゃん(淸造理英子)は実際にノート魔的なところがあって、その場で進行している会話を書き留めていたりします。

──日記に書かれていることを脚本に取り入れましたか?

前田 日記に書かれてある知らないエピソードは使わずに、私の8年間の経験をもとにしたセリフが多いですね。ノートに書き留める人がいること自体がおもしろいと思いました。普段は交換日記のように住人全員が書いているけど、映画ではせぞちゃんのキャラクターに組み込みました。

──物語も日記的な時系列で進みます。章立ての構成は脚本の段階で出来ていましたか?

前田 そうしていました。というのも、最初は20分くらいの短編をつくるつもりでした。それが3本ほど集まって、ひと通り見ると何らかのつながりが見える形に変えました。

──あまりカットを割らずに撮っておられます。オーソドックスなカットバックも一ヶ所だけですね。

前田 細かく撮ってつなぐよりも、ホン・サンスのようにカメラを一点に構えて、人物がずっとお酒を吞んでいる画が好きなんです。そこにひとつ意味深な寄りがポンとある、その緩急に掴まれました。カメラの台数など物理的な制限もありましたが、自分の好きな映画に寄せたい、見たい画を撮りたいと思いました。それがカットバックを多く入れなかった理由のひとつです。特に気に入っているのは、教授(渡邉彬之)が長屋に遊びに来てちょこちょこ周りながら奥へ進むシーン。そこにも「こんな画を見せたい」想いがありました。

──顔のクローズアップもなく、寄ったとしてもバストショットです。

前田 それも、教授の笑顔や彼が連れてくる葛城さん(有井大智)が結婚観を語るシーンくらいですね。

──あのサイズ感は監督の好みでしょうか。

前田 完全に好みです(笑)。

──教授と葛城さんだけは正面にカメラを据えたショットがあります。なぜでじょう?

前田 違和感でしょうか。調和を崩すキャラクターであってほしかったので、見ていて「ここはなぜ寄りなんだろう?」という違和感を少し出したかったんです。

森本 あそこは演劇的ですよね。

───ガブリエル(・スティーブンス)ととしちゃん(門田敏子)の夜のシーンもフィクション色が濃いですよね。ほかの夜のシーンよりも暗めのライティングに関して教えてください。

前田 機材のほとんどは、教員や在校生が参加して後進を育てる目的で神戸芸術工科大学から一式お借りしました。それでもシンプルで、スタッフも1日だけ手伝いに駆けつけてくれた方もいたりして、日替わりで総勢10人くらい。メインは4人でした。そうした事情もあって、照明をつくり込むのは現実的に難しかった。それなら使えるものは使おうと、夜の詩の朗読シーンでは、窓辺に立つガブリエルの奥のマンションの光を入れるのが効果的だと、カメラマンのおかやんが考えてくれました。少しホラーっぽくしたい意図もあって、あの暗さにしました。

──ソフトフォーカスでも撮られていますね。

前田 非現実、ファンタジー的なシーンでもあるので、柔らかくしてもらいました。あと、としちゃんのふわふわした気持ちを表したかったんです。

──照明機材を使わないライティングには冷蔵庫やロウソクも活用しています。それから、序盤に3人が話すシーンでみきちゃん(エミ)の声におもしろい処理が施されています。あの声もフィクション的な効果を狙ったのでしょうか。

前田 いいように深読みしてくださっているのを覆すようですが(笑)、あれはみきちゃんの芝居のテイク1の声をテイク2に重ねているんです。あそこは重要なシーンで、笑顔が消えることで「このあと何かあるのかな?」と観客の方に思わせたい。声はテイク1のほうが何か匂わせる響きを持っていたので、録音の趙拿榮さんが静音作業時にあのように処理してくれました。私にはその発想がなくて、テイク2でいくしかないと考えていたら、「重ねてみたら?」と提案してくれて、それを採用しました。

──そこで語られるような奇妙な現象は、旧グ邸で本当にあるのですか?

森本 感じる人は感じるんです(笑)。

前田 私はずっと住んでいても、何も感じません(笑)。脚本を書くなかで、「物語に自分の経験を入れるのは身内話に留まらないだろうか、それならドキュメンタリーのほうがおもしろいんじゃないか」と自問もありました。そんなときに趙さんが泊まりに来て「夜の洋館ってホラーみたいで怖くない?」と言われて、住人の私は衝撃を受けました。「そうか、外から来た人には洋館=ホラー、お化けのイメージがあるんだ」と気づいて、それをエピソードとして入れると、観客にもその雰囲気を感じてもらえるかもしれないと思いました。遊びに来る人のなかには「私には見えるんです。ここ、悪いものじゃないけど何かいますよね?」と言う人が本当にいます。そういうこともあって脚本に織り込んでみました。実際に、そういう何かはいないようですが(笑)。

──夜に旧グ邸を訪れる方にも安心していただきたいですね(笑)。音響面では、旧グ邸はすぐ前に線路と踏切があって日常的に電車の走行音が響いています。その音も取り込んでいますが、大事なセリフを言っているときに電車が通過することもあったのでは?

前田 何度もありました(笑)。旧グ邸では過去にも映画撮影がおこなわれていて、プロのスタッフがロケハンに来るたびに「音が大変だ」とおっしゃいます。夜遅くの撮影でも貨物列車が走るので、ずっと走行音が鳴っていて整音は大変だったと思います。趙さんががんばってくれました。ドアを開けているシーンにはどうしても入ってしまうんです。

森本 それでも『スパイの妻』(2020/黒沢清)のようなメジャー映画にも使ってもらえたのは嬉しいよね。

──旧グ邸前を電車が通り過ぎる画もいいですね。

前田 私は実景撮影には立ち会えなくて、あのいい画はおかやんのおかげです。普通、実景を撮るときは音を録りません。でもカメラマイクが「まったくあいつ(監督)ときたら……」「でも大変そうやしな」という声を拾っていた。それがおもしろいんですが、心のなかでは謝りました(笑)。

──さらに食べ物も画面を彩っています。

前田 食卓に並ぶものには、シーンごとに意味付けしたいと考えました。呑んでいるときにづっきー(川瀬葉月)がお土産の餃子をひとつつついたり、朝ごはんはみんなが持ち寄ったバラバラのものを食べていたり。朝食は実際に持ち寄りで、和洋折衷になり、多彩な人が住む長屋の文化をモチーフにしました。一方、ガブリエルのウェルカムパーティは飲食店を営む方にプロデュースをお願いして、つくり込んでもらいました。各シーンの意味を食事の中身で表す。それは明確に意図しましたね。物語に出てくる食事ではないですが、住人たちの料理のレシピ本も劇場公開にあわせてつくりました。

森本 だから「生活」の一部ですよね。長屋の映画版、レシピ版というイメージ。本作は長屋の住人たちの部活動のひとつに映画が入った感じですね。

──監督と同じく、石井さんの教え子である津田翔志朗さんが一風変わった住人として出演しておられます。津田さんも住まわれていたのですか?

前田 津田さんは役者として来てもらいました。でも撮影も手伝ってもらって(笑)。

森本 あのキャラクターには過去に長屋にいた人のイメージが重なっていますね。監督が「憑依させた」というか。

──住人たちが些細なことをLINEでアリさんに訊ねる描写があります。ああいうことも実際にあるのでしょうか。

森本 本館のスケジュールを訊かれたりすることはよくあります。「自分たちで調べろ」と思うけど(笑)。

──アリさんは映画でも存在感があります。監督から見た「俳優・森本アリ」についてお話し願えますか?

前田 やっぱり最高ですね。「一を聞いて十を知る」というより、十二くらいまでわかってくれる役者はなかなかいません(笑)。本作はすべてリアルに旧グ邸を紹介してなくて、アリさんに「ここはイギリス系の人が建てた」と言ってもらったり、地下を案内してもらうのはフィクションです。出演者も全員が住人ではないけど、その大家との関係性も含めてちょうどいい空気感を出してくれました。

──逆に、アリさんから見た監督像は?

森本 前田さんが長屋に住みはじめてから8年の付き合いがあります。でも最初は映画を撮っているのも、大学の卒業制作作品が最優秀賞である学長賞を獲得したのも知らなかった。住みはじめた頃は、もう神戸アートビレッジセンターで映画担当として働いていた?

前田 勤め出して2年後くらい、25歳のときですね。

森本 神戸アートビレッジセンターでは「えいがのみかた」というシリーズイベントを開催していて、作品だけでなく制作環境など、映画の周辺に関心を持っているのは感じていました。その前田さんがいよいよ映画を撮るぞとなって脚本を読むと、普段耳にする会話が並んでいるだけのようで、きちんと形になっていた。「撮る人」の認識がないから、数段階の「マジなんだ?」という驚きがありましたね。普段の前田さんは柔らかい雰囲気で、監督としてもそうなんです。ダメ出しするわけじゃなく、基本的には全部OK(笑)。

前田 だってOKでしたから!(笑)

森本 出演者はみんな素人でも裏方はプロで、前田さんには10年のブランクがある。撮ったものがどれくらいのレベルになるか見当がつかなかった。そうして完成した作品を見ると、10年来の友人たちが参加してくれて、彼らが積み上げたキャリアありきの部分──言ってみればクラブ活動感──も含めて本当におもしろかったですね。いろんな意味で「ほかにないバランス」を感じました。住人ではない教授やガブリエルが登場しないメタフィクションだけでも充分だろうという思いもありますが、フィクションを入れることで僕の知らない旧グ邸になっているので、最終的にはプラスだったなと。
それから滅茶苦茶すごいと思ったのは、popoのトランぺッター・山本信記も加わった食事中の会話から音楽セッションがはじまるシーンが翌日のライブにミックスされて、ミュージカルのように映画を引っ張る展開。音楽面でも住人たちはプロではないけど、セッションのスキルの高さには感心しています。

──あそこはセッションと翌日のライブという異なる時間をサウンドでシームレスにつないでいます。編集の視点から見ても重要なポイントですが、どのようなプランで組み立てたのでしょう。

前田 本館でおこなわれるライブシーンは絶対に入れようと思っていました。観客のなかには旧グ邸全体がどんな建物か知らない方もいるでしょうから、こんなに様々な形で活用されているのを示したかったんです。音楽は現代的で、それが昔の趣のある素敵な空間で演奏されている対比もライブを見るたびに興味深く感じていました。
ただ、撮影期間中にライブがあればいいけど、なければそのシーンをつくらないといけない。ミュージシャンを呼んで、アリさんに本館を借りて芝居でライブを撮るしかないなと思っていたら、旧グ邸の事務局に勤めている 佐々木俊行さんが主催するイベント「初夏のセンバツ」がちょうど入っていました。一か八かでご相談したものの、どの音楽を撮るかは何も決まってなくて。そのときにアリさんが「popoがええんとちがう?」と言ってくれて、もうピッタリでした。

森本 僕は全部考えているので(笑)。心地よくかわいいインストだから、それまでも色んな機会でpopoを薦めてきたんです。メンバーのひとりは塩屋在住で頼みやすいし、彼らの音楽は映画を彩れる。なおかつ、外から来たバンドとして見えるしね。楽曲は当初の案ではカヴァー曲だったけど、それは権利の問題もあるだろうから、第二候補の「myouga no hana」が選ばれました。

前田 山本さんと面識はありましたが、ちゃんと話すのは今回が初めてでした。その「myouga no hana」を「ライブで演奏してください」とお願いしてセットリストに組み込んでもらったんです。

──あの曲は主題歌でもありますね。撮影はライブが先でしたか?

前田 「初夏のセンバツ」が6月3日で、たしかライブを先に撮ったと思います。出演者がセッションできるのは確信を持っていました。普段からある光景で、たにけん(谷謙作)がギターを弾きはじめると、誰かがタンバリンを叩き出します。

森本 でもそれがこっぱずかしくなってないのがすごい。普通、リビングで誰かが歌い出してタンバリンが入っても、ああはならない。ただのおちゃらけに見えないのはなかなかのものです。

前田 テイクも何度も重ねました。セッションがはじまらない会話になるテイクもありました。せっかく、せぞちゃんがずっとシンセをピポピポ鳴らして流れをつくってくれているのに、会話がなかなか終わらなくて「早く(セッションに)入って〜!」と思ったり(笑)。会話から演奏に移行するタイミングが難しかったですね。でも、最終的にはいちばん盛り上がったときに私がカットをかけてしまって怒られました(笑)。づっきーが途中で持ってくる三味線は私のもので、彼女自身は弾けないので、それでカットをかけたんです。すると「ノッてきたところだったのに」と怒られて(笑)。

──とはいえいいシーンですし、ミュージシャンではない出演者が主題歌を物語半ばで演奏する映画は珍しい(笑)。それもアリさんがおっしゃった「ほかにないバランス」だと思います。続けて印象的なシーンについてお聞かせください。物語は日記形式で直線的に進行しますが、あきちゃん(藤原亜紀)がケーキをつくるシーンは回想ですね。

前田 たしかにそうですね。

森本 さらにおもしろいのは、あのシーンにも過去の住人の習慣が取り入れられています。

前田 私には「ケーキづくりがストレス発散」というのが衝撃で、「そんなストレス解消法があるんだ?」と思って。イライラしている本人にとってはおもしろくなかったでしょうけど(苦笑)。その人の習慣を脚本に入れて亜紀ちゃんに演じてもらいました。でも見ていただいた方からは「わかる」という感想もあり、「共感してくれる女の子もいるんだ」と驚いたし、嬉しかったです。

──あれも普段の習慣かと思っていました。

森本 それが本作のおもしろいところで、別の人物のキャラクターや行動を前田さんが出演者に憑依させているんです。「着せている」とも言えるかな。出演者も、その人のことを知っていて同じ時間を過ごしている。演技というより「あのことだな」と理解して受け入れているから自然なんです。

──回想は背中のショットで終わります。きれいに撮れましたね。

前田 でも、妙に背中の開いた服を着ているという(笑)。「たぶんデートから帰ってきたんだろう」という設定でそのままにしました。

──そこでも顔を撮ってないのがいいですね。

前田 あそこはあきちゃんが発している、ただならぬオーラを傍から感じてもらうイメージでした。

──カメラとの距離に近寄りがたい雰囲気を感じます(笑)。そして、旧グ邸の北側にある須磨浦山上遊園でも撮影をおこなっています。ロケ場所に選んだ理由を教えてください。

前田 まずロケーションの素晴らしさですね。山上遊園からの眺めは絶景で、これも絶対に入れたいと思っていました。それから、住人が山へ登るイベント「Good Morning Club」、略して「GMC」があります。あの位置に長屋と洋館と塩屋の町、そして歩いて登れば絶景を見られるスポットがある。その立地と、朝食を山の上で食べるおもしろい生活習慣も使いたいと考えました。

──予告編でも見られる風景が広がる、山上遊園西側のベンチでせぞちゃんととしちゃんが言葉を交わします。

前田 彼女たちは、長屋からまったく外に出ないモラトリアム状態です。長年の状況を卒業できないふたりも行動範囲を広げて、あそこまでは上がれる感じを出したかったんです。長屋ではないけど、遠くでもない近い場所にいる距離感を示そうとしました。

──そこでふたりは自分たちの今後について話します。

前田 あの話は長屋ではできないでしょうね。

──たまたまかもしれませんが、ベンチは摂津国と播磨国の境にあって、5分ほど歩いて東へ進めば摂津です。彼女たちは播磨側の縁にいて、その点からも今は留まっているけれど踏み出せそうな印象を受けました。ちなみに、撮影時にスタッフも徒歩で登ったのでしょうか。

前田 みんなあの山道を、機材をかついで登ってくれました。

──続いて舞台は長屋へ戻り、アリさんが教授に地下のトリビアを話します。ふたりは演技のモードが異なっていて、本作のフィクションとドキュメンタリーの融合がよくあらわれたシーンではないでしょうか。

森本 僕が話しているのは脚本にないセリフですね。ただ自然に説明しています。でもエピソードは本当のことだし素ではあるけど、僕の知識のなかから興味のあることを話そうと思っていました。

──教授の、偶然にも見える細かいアクションは演出ですか?

前田 それも演出しています。あのシーンに関してお話しすると、先ほど話題にのぼったガブリエルが朗読する詩のタイトルは「pearl」。彼は詩人で、宝物や大切なものは水のそばにあるというイメージで、水や海にまつわる詩を英語でつくってほしいとオーダーしました。旧グ邸は海のそばにあります。大切なものは人それぞれで、建物や、そこで出会った人、決断したときの気持ちなど様々だろうけど、それがそのとき一ヶ所に集まっているのもおもしろいなと思いました。そこから、水にまつわるところには何か宝物があることを匂わせたかったんです。それで劇中に井戸の話題も出てきます。アリさんと教授のシーンで使った本の表紙は、実は糸井重里さんの『あるとしか言えない―赤城山徳川埋蔵金発掘と激闘の記録』を模しています。タイトルは「ないことはなかろう」。美術スタッフがつくり込んでくれました。
旧グ邸をリサーチしようとする教授には下世話な心理もあって、関心の趣くまま取る行動が住人のプライベートな領域を侵すことにもなる。いわば異物ですが、悪意はなくて純粋に興味が先行しているだけなんです。最初の脚本では、その存在が不気味なままで終わっていました。でもそれを読んだアリさんが「不審者のままで終わらせるはどうなん?」と管理人の立場から意見をくれて、「来客と大家」が直接対峙する形に変更しました。

──そのアリさんの管理人としての意見は、別のシーンのセリフに使われています。

森本 画面上では不在でも、僕は結構出演しているわけですね(笑)。

前田 やっぱりアリさんの存在は大きいんです(笑)。

──不在でも存在感を出せるのは、役者冥利に尽きますね(笑)。さて、劇中には「長屋にはライブの出演者や結婚式の来場者も入ってくる」というセリフがあります。セキュリティが重視される現代、そのようなオープンな在り方も独特ですし、長屋は一般的なシェアハウスとも違う雰囲気を持っています。アリさんは本館に対して長屋をどう位置付けておられますか?

森本 そもそもの興味は本館より長屋にあったんです。長屋のもとは会社寮だから手を加えられるけど、本館は文化財級の重厚な建築物なのでそれができない。僕は長屋の担当だと思っていたし、当時は「シェアハウス」という名称もなかった時期です。その2、3年後に雑誌『BRUTUS』が特集を組んで、うちも掲載されてシェアハウスの概念が広がりました。僕はDIYや大工作業が好きだから、キッチン周りと風呂以外は自分で手を入れました。最初の住人たちも一緒に壁をつくったり、ペンキを塗る作業を手伝ってもらったので、思い入れがありますね。
劇中でみんなが団らんするテーブルは、当時のドアと廃材でつくったもので、今でも劣化せずに使われている。テーブルの脚になっている茶箱には今はトランペットのケース、昔は掃除機などが入っていて、それも僕がつくったのを大事に使ってもらってきました。空間全体をつくった意識もあるし、本館は自分でつくったものだとは思っていないから、ある意味で長屋への思い入れのほうが強いんです。元女性寮は、今は事務局&シェアオフィスで、そこでも5年家族で暮らしました。長屋と本館と事務局。いずれも欠かせないレベルで、歴史的な価値を持つ本館だけを特別に好きという感覚はないですね。もともと、本館のことを野暮ったい建物と思ってたくらいなので(笑)。

──このインタビューはフィルムアーカイブである神戸映画資料館のホームぺージに掲載してもらいますが、アリさんもアーキヴィストではないでしょうか。

森本 CDですけどね(笑)。CDはかなりアーカイヴしています。でもアーキヴィストなのはその通りで、本館だけじゃなく長屋も含めたアーカイヴだと捉えています。

前田 変わらないようで、住人だけでなく家具やその配置、壁に貼ってあるものなどはずいぶん変化しているんです。それこそ本館も修繕されて色が変わっています。

森本 『スパイの妻』以降も結構変わったよね。

前田 コロナ禍に芝生とレンガのストライプの庭ができましたよね。場所はそのままでも、そうした変化があります。今の状況は今にしかない。それは貴重だけど、「今」に固執しないのも長屋の魅力です。「その一瞬を捉えつつ今はまた違う」。その変化が本作を撮る動機にもつながったと思います。あとはアリさんの懐の深さですね。「いいよ」と言ってくれたのが弾みになりました。

森本 前田さんは現在、神戸フィルムオフィスに勤めていて、朝早くからうちでロケハンがあるときは「開けといて」と任せています(笑)。そんなふうに住人も含めて運命共同体のようになってほしい。広すぎて自分たちだけでは手に負えないところがあるし、僕には所有者欲みたいなものが全然ないから、みんなに責任を持ってほしいなと思う。「モラトリアムしている時間があるんやったら箒はいてよ」という僻みもあるけど(笑)、当事者意識を持ってほしいと感じる部分もあります。本館のイベントもみんなに見てほしいし、そのような運命共同体になってほしいという僕からの圧があるかもしれない(笑)。でも、本館も自分たちのものだと思ってもらって構わない。そう考えています。

──長屋に住人がいることで安心感もありますか?

森本 それもありますね。やっぱり長屋に10人いると人の気配がある。何かあれば誰かが気づくでしょうから、そこはみんなの存在に頼っています。

──気配といえば人物が奥に消えても、その空間を撮り続けるショットがいくつか見られ、アリさんがおっしゃったような「人の気配」を感じさせます。編集で意識的に残したのでしょうか。

前田 撮影の時点で、人が画面からいなくなってもカットをかけずに回してもらっていました。編集については、私も一緒にやっていたときは「もう切るところがない」と思いながらも、完成版よりだいぶ長かったんです。6月上旬に撮影を終えて、7月下旬に関係者全員でラッシュを見た段階では、まだ単調で間延びした印象でしたね。そのまま活かしていた長回しを、編集の武田峻彦さんが動きのリズムなどで切ってくれました。最初は90分ほどあったのを70分前後に削いで、そこからさらに章立ての部分などを大きく変えています。せぞちゃんがノートに字を書き込む画も、真ん中のインターバルだったのをオープニングに持ってきて、「日記を書いている女の子の物語」にも受け取れるようにしました。

──そうして完成した物語の軸は、やはり長屋と人の変化と、変わらない部分が交差する「今」ですね。

前田 あらためて言葉にすると自分でもそうだったんだなと思います。描こうとしたのはずっとその対比でした。

──そして「えいがのみかた」でアリさんがホストをつとめておられた企画《アリさんの、シネ間あり!》の記憶も関係しているかもしれませんが、本作からは『貸間あり』(1959/川島雄三)を思い出しました。

前田 私は川島監督の人が多く出てくる映画がとても好きなんです。『幕末太陽傳』(1957)で二階から人が降りてくると、一階にいる人たちとすれ違い、そこから舞台の相模屋のあちこちで芝居が繰り広げられる導入部は、見ていて「なんておもしろいなんだ」と震えたほどでした。長屋で暮らしていると、「あれをここで撮ったらおもしろいんじゃないか?」と恐れ多くも思ったんです。リアルな生活でも、バラバラに人が話していて、こちらで会話が始まると、いつの間にか向こうの人がいなくなったりしますよね。
『貸間あり』は《シネ間あり!》経由で見ました。当時一緒に働いていた樋野香織さん(合同会社バクー代表)が「『貸間あり』もあるから《シネ間あり!》もいいよね」と言ったのがきっかけで見て、『幕末太陽傳』と共に衝撃を受けました。それからアリさんが川島映画の登場人物にしか見えなかった時期があります(笑)。『貸間あり』の人物の動きと会話の連動は、この映画をつくる上でも影響を受けました。

──そういえば『幕末太陽傳』のタイトルカットも電車が通り過ぎる画で、相模屋は旧グ邸と同様に海沿いに建っていましたね。アリさんがそのように見えるかは、群像劇とあわせて劇場でのお楽しみで(笑)。本日はありがとうございました。

(2021年4月20日)
取材・文/吉野大地

 
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