インタビューWEBSPECIAL / INTERVIEW

『TOCHKA』 松村浩行監督インタビュー(後編)

ロングインタビュー後編は前編に続き、技術面や撮影背景、さらにみずからを「アマチュア」と呼ぶ監督の映画づくりの姿勢をお話しいただいた。また、監督は『TOCHKA』以降、新作を発表していない。この作品にかけた長い時間を考えれば10年以上の沈黙も自然なことに思えるが、新作を待つ方は多いだろう。「仲間」との信頼関係を築き上げた場所で、今後撮られるはずの〈新しい物語〉に関しても伺った。

──前編に続き、映画の後半をレコードのB面に喩えてお話を進めさせてください。公開時は知り得ませんでしたが、B面の長いシークエンスに灰野敬二さんの楽曲を使う構想があったそうですね。1995年のアルバム『手風琴(THE 21ST CENTURY HARDY-Y-GUIDE-Y MAN)』の一曲目(「無題」)でしょうか。

本当に勝手に考えていただけなんですが、あの曲がなぜかずっと気になっていました。灰野さんはライブにも行ったことがありますが、あの楽曲については誰がそれを演奏しているのかということよりも何かもっと直感的に強く惹かれるものがあって、いつからか「B面」の時間をまるごとあのハーディーガーディーの持続音に託すようになっていました。あの豊かな響きのなかで映画の後半を想像すると、なぜかとても心地がよかった。結局映画に音楽は使いませんでしたが、18分あまりの楽曲の長さは、完成したシークエンスの持続時間として受け継がれています。

──あの楽曲からも『TOCHKA』のイメージの源を想像できるかと思います。完成した映画に使われた音は録音・整音の黄永昌さんが根室でフィールドレコーディングされた素材がもとになっていて、灰野さんの楽曲より低音域が強いですね。『TOCHKA』が語られる際によく「ミニマル」と形容されます。おもに限定されたロケーションや少ない登場人物、前編で伺った節約されたキャメラポジションなどを指していますが、さらにいくつかのレベルのミニマリズムがあると考えていて、そのひとつがこのシークエンスの音です。短い周期のノイズ(環境音)が18分あまり、ミニマルミュージックのようにループします。編集によるものですか?

作業をしているのは黄くんですので、ここで僕が代わって答えることは出来ませんが、別に短いサイクルのループ感を狙ってつくっているわけではないんです。必要な尺を満たすため、現地で録った音の素材のなかの使える部分を繋いで編集しているはずですが、あの一定の周期で循環しているような不思議な感じは、もとの素材に入っていた要素が強調されて浮かび上がってきたものだと思います。

──その音は、トーチカの煙突にガンマイクを差し込んで録られたのでしょうか。

煙突のなかに完全に差し込んでいるのではなくて、天井に開いた煙突の穴のほうへガンマイクを向けて録っていました。その空気音にエフェクトは施していても、細かいつぎはぎをしていないのは確かです。

──いい音が録れましたね。それから、外は風と波の音が響いているのに、トーチカのなかへ入ると急に静かになります。現場では実際にあのように音が鳴っていたのでしょうか。あるいはポストプロダクションで音を足し引きされましたか?

トーチカ内部の音は、まったく引いていません。同録です。外に関しても原則的に足し引きをしておらず、内部と外部の音のコントラストは実際にあの場で聞いても映画に近いものだと思います。ものすごく風の強い場所にあるけれど、トーチカの壁の厚さが半端ないためほとんど遮られて、開口部からわずかに入ってくるだけです。だから、場面に合わせてつくり込んだ音ではないんです。

──音響に関して、黄さんと撮影前に綿密な打合せはされましたか?

黄くんも事前に何度も根室へ行っていました。実際に耳にしてきた音は同じなので、「ここの音はそのまま活かしたいよね」と、打ち合せというよりも時間をかけて狙いを共有していった感じですね。とくに波の音は強烈なので、「なるべくこれは活かそう」と。とはいえ、これはあくまで僕の側の都合のいい言い分で、あとから本人に聞いた話では、僕の方向性に引っ張られ過ぎたとも言っていました。「もし次やるならもっと自分の意見を主張します」と(笑)。

──防波堤のシーンでは波の音を積極的に拾っていて、あれ以上音量を上げると、台詞を聴き取りづらくなるくらいのバランスですね。

そこに関しては黄くんと僕の意向は共通していました。防波堤のシーンだけは台詞をアフレコしたのですが、台詞と波音の双方を、現地で聞こえたようにギリギリのところまで攻めて両立させたかった。ある種のリアリズムの尊重として、それは一致していました。

──「たられば」の質問になりますが、撮影は東日本大震災の発生前におこなわれました。2011年3月以降、波の映像や音から震災を連想する視聴覚イメージが少なからず定着しました。もし震災以降に撮っていても、あの波の音はそのままだったと思われますか?

想像するのがなかなか難しいですが、……とくに変更はないと思います。むしろそうした影響に左右されずにものをつくりたいと思っているところがあります。大きな災害ですし、ひとりの人間としてインパクトを受けていないわけはないんですが、そうした変化の向こう側にある普遍的なものを想像して撮りたい。偉そうですが、どこかでそう考えている節があります。
ただ、そうは言っても、映画には本人が意識し得ない部分が表れるものだし、そのときどきで無意識に行う、細かな選択の積み重ねが含まれています。そのなかで、自分でも把握し切れないレベルで避ける表現はあるかもしれません。津波の映像や音響などから刷り込まれているものも少なからずあるでしょう。しかし大枠としては、今撮ってもとくに変わりはないと思います。

──映画の軸にブレがないですね。では、光についてもお聞かせください。曇天で始まる物語は、男女の会話が進むに連れて晴天になり、その光も映画の表情になっています。いわゆる「晴れ待ち」をされたのでしょうか。

それはほとんどなかったですね。冒頭、藤田陽子さんがひとりでいるシーンはかなり曇っていますが、それぞれのショットにそのときの天気をほぼ活かしています。海に突き出した半島のため風が強く吹き抜けて雲が絶えず動くので、日射しがしょっちゅう変化するんですが、こちらのイメージに合わせて天候を待つことは基本的にしませんでした。
ただ唯一の例外は、途中で雪が降って、明らかに画が繋がらなくなるので「雪はけ待ち」だけはしました。種明かししてしまうと、冒頭の一連の藤田さんのシーンを撮ったあと、結構まとまった雪が降りました。なので、菅田俊さんが登場するシーンを撮影するまでに急いで雪かきをして(笑)。一面真っ白になるくらい降りましたね。皆で必死に雪かきをして、沸かしたお湯をかけたりしました。

──あのあいだには、そんな時間があったんですね(笑)。トーチカ内の薄闇で、女の横顔を美しく捉えたクローズアップがあります。あのシーンのライティングはどのように?

あそこは何もライティングをしてないんです。トーチカの内部では──外もなんですが──人工的な光源をまったく使っていません。補助的にレフや鏡を使ったくらいですね。現場に照明機材とジェネは用意していましたが、「使わないほうがいいよね」ということになりました。それは僕ばかりではなく、現場にいた皆の判断によるものでした。あのアップは、銃眼から藤田さんの正面に射し込んでくる光をうまく受けて顔に当てています。少し気をつかったのは、男の話が終わったあとに藤田さんが起き上がるカットでした。いったん出したナイフの刃をしまうところを見せたかったので、刃にうまく光が当たるよう、鏡を使った記憶があります。

──その男の声はオフでトーチカ内に響く、緊張感を高める音の演出がなされています。

あれは前編でお話しした、男がひとりでトーチカに来て、そこで寝転がっているうち夜になって霧が出てきて、という例の構想にまで遡ります。それには実は続きがあって、霧がしゃべるんです、おとぎ話のように(笑)。闇のなかで霧の声が聞こえてくるという、かなり現実離れした展開を最初考えていました。つまり、トーチカのなかに声が響き渡るというのはそのときからあったモチーフで、話し手が霧から男に入れ替わったかたちですね。トーチカの暗闇のなかで「何者か」の声が響く、まずはそれをやりたかったわけです。霧による語りは超自然的なもので、あえて説明するとしたら男の頭のなかだけで鳴っている幻聴なのかもしれない。いま思えば男のオフの声は、その突飛なアイデアを現実的な方向に変形させたものなんでしょうね。

──ではあそこにも当初の構想が残っているんですね。実はオフの声と廃墟のようなトーチカ、女のモノローグからはマルグリット・デュラスの映画を連想していました。トーチカの銃眼が『アガタ』(1981)の窓に重なって見えたり。構想から撮影のあいだに、デュラス作品が頭をよぎることはありませんでしたか?

デュラスの名前が出て少し不意を衝かれました。デュラスの映画を見たことはありましたが、それよりも、撮影前にデュラスの小説を読んでいたことを思い出しました。あれは確か河出文庫の『愛』だったかと思うのですが、あるとき藤田さんの事務所の社長さんの目にそれが止まり、「デュラスですか……」と呟かれ、いかがわしい本でもあるかのように思わず隠した記憶があります(笑)。直接の影響についてはわかりませんが、デュラスについて考えを巡らせていたことだけは事実かもしれません。

──そして映画がB面に進みます。長いシークエンスの画面は暗く、男の行動を見極めるために観客は目を凝らし続けるしかない。あの暗さについてお聞かせください。

ひとつには、日の光が落ちかかったときトーチカのなかで体感できる暗さの質というか、闇の持つ肌理、密度や温度のようなものを再現したかったということがあります。もちろん工夫を凝らしてそれを再創造することが演出であり撮影技術であるけれど、ビデオキャメラを使って、もう少し野蛮というか、荒っぽいことをしたかった。その是非は別として、見る人にある挑発を投げかける──過酷な体験を強いるものになったとも思います。
もうひとつ、あの暴力的な暗さがあのときの男には必要だったようにも感じているんです。彼がそこにしばらく留まることを許す暗さと言ったらよいでしょうか。つくり手として、見る側への配慮より、そちらを優先した気がします。

──暗さと、撮影に使われたパナソニックAG-DVX100の特性があいまって独特なざらつきのある画になっていますね。暗闇を撮る作家のひとりにペドロ・コスタがいますが、あのシークエンスにはペドロ・コスタの映画にない荒っぽさがあるとも感じます。さて、映画に写るトーチカは何通りものイメージの置き換えが可能です。映画館、カメラ、墓、棺……

焼却炉にも見えますね。

──そのように多義的な連想が出来るトーチカが、ラストではイメージを剝がされて純粋なコンクリートの塊にしか見えなくなる、というのは私見に過ぎないのですが、純粋化された「もの」に見えました。それもまた『TOCHKA』のミニマリズムではないかと思います。

写真に撮られたトーチカですね。遡ってばかりで恐縮ですが、以前のシナリオに根室から戻ってきた女性が写真を壁に投影して見つめているシーンがあったとお伝えしましたよね。映画のラストの写真は、まさにその写真なんです。僕の構想では、あれらは根室から戻ってきた彼女がひとりで見ている写真です。時間的にも距離的にも離れたところから、今吉野さんが言われたように、剥き出しのオブジェとして見つめられている。話は変わってしまったけれど、そのイメージは残りました。女性の沈黙した眼差しのもとで、トーチカは過去の時間のなかに閉じ込められています。

──女の回想的な視線があるとすれば、A面のナラティヴに戻るのかもしれません。しかし、それとも違う印象があります。その点で冒頭の写真に呼応していないでしょうか。

そう、写真が撮られたのは確かに物語の時間のなかのはずですが、それを見つめる女の眼差しはすでにナラティヴの「外」の時間にあり、どこか自身の物語を突き放すようでもある。その意味では、冒頭の写真に通じるものがあるのかもしれませんね。

──「閉じ込める」ということと「外」は、この映画の本質に触れるような気もします。続くいちばん最後のショットまでの構成は自然に出来ましたか?

あのパートの構成にあたって、何かを無理に操作した意識はないんです。シナリオを書いているときから、一連の流れに乗って画面を思い浮かべている感覚で、迷いのようなものはなかったと思います。内側から見た銃眼のなかに炎が映る最後のイメージも、そのなかで生まれました。

──劇場パンフレットに掲載されたシナリオもその流れになっていますね。撮影・衣装を担当された居原田眞美さんのリーフレットへの寄稿には、技術の問題で「《TOCHKA》のカメラマンは、別の人がよかったと思う」とあります。観客として「そんなことはないだろう」と思うのですが、デビュー作『よろこび』(1999)から時間を置いて、居原田さんをふたたび起用された理由を教えていただけますか?

居原田さんは自身でも8ミリ映画を監督しているのですが、対象との距離を詰めて、誰もがハッとするような生気ある画を撮ることの出来る人です。それは『よろこび』からも感じられると思うし、僕にはない資質です。
そのような資質を作品に必要とし、期待していたのはもちろんなんですが、ただ当時、「居原田大丈夫か?」と心配する声も周囲に少なからずありました。というのも、居原田さんは撮影技術一般に長けているわけではなく、現場の経験も少なかったからで、皆が心配するのも無理はありませんでした。僕も自信たっぷりに「いいや、居原田さんでいいんだ!」と言いたい一方で、まったく危惧していなかったと言ったらそれは嘘になります。今回寄稿してくれた文章を読んで、僕の想像以上のものを本人も感じていたんだとわかりました。
もうひとつ、居原田さんにお願いしたのには、最初に『よろこび』を一緒にやってからのけじめというか、ひとつの中仕切りのようなものをつけたかった、という理由もあります。柴野淳くんをはじめ、ほぼ同じ仲間を中心にやってきたわけですが、『YESMAN / NOMAN / MORE YESMAN』(2002)には居原田さんは参加しているけれど、衣装やキャストの紹介をお願いする程度だったんです。山の撮影に同行したいと言ってくれたのに、人数を絞るからダメだと僕が無下に断って、ブチギレられたこともありました(笑)。だからそのリベンジじゃないけれど、映画美学校の仲間で、キャメラもまた居原田さんに頼んで、もう一度現場を一緒にしたい気持ちがありました。彼女もそのへんの意図を感じ取って、「お前らまだこの感じでやる気か」と思っていたのかもしれません。多分にアマチュア的な人間関係からの発想ですが、僕はその気持ちが大きかったんです。

──では『TOCHKA』をひとつの仕切りとして、そこから10年以上の時間が過ぎて、上映素材がDCPになったり配信が普及したりと、映画を取り巻く環境が様変わりしました。監督と映画との距離に変化はあったでしょうか。

『TOCHKA』を経て、ということですよね。確かに意識する・しないに関わらず、時代の大きな変化から無縁ではないし、様々な影響も受けているはずなんですが、……ただ、これさっきの震災の話題とも関わるかもしれないし、自分で言うのも変なんですが、僕にはかなり浮世離れしているところがあって、……とみずから言ってしまってはおしまいかもしれませんが(笑)、とにかくあまり個別の事象に惑わされたくないなという思いがあります。

──大学時代に「冬の蝉」と呼ばれていたという監督らしい言葉です。

せめて地中に埋まっているあいだは、地上の出来事に安易に惑わされることなく、相応の気概を持って生きていたいと思っています(笑)。『TOCHKA』が完成してから、個人的にも色々とありました。とくに劇場公開をするプロセスで、「こうしたほうがいいだろうか、いや、違うほうがいいのかな」と模索しながら、ときに流されるように動いていました。それらも今となっては貴重な経験ですが、果たして自分にどのような変化を与えたのかと問うと、なかなかうまく言語化できないのが正直なところです。
ただ最近、とくに今回大阪でレトロスペクティブを開催していただいてからは、漠然と「小さくありたい」と感じています。「小さく」とは人間関係も含めてで、大きくなることを目指したくないな、と。
もうひとつ、先ほどの居原田さんの話と繋がりますが、やっぱり僕はとことんアマチュアなんですよ。だから、アマチュアとして映画をつくりたい。幸い今は職業映画監督から5億キロくらい離れたところにいるわけですが、そこからどこか別の場所を目指して、ないものねだりをする気がないんです。だから自分のいる場所で、どうすれば小さく、おもしろいことが出来るかと考えています。数年前までは、何か別のやり方もあるのかなと思っていましたが、最近はとくにそう感じるようになっています。

──「小さく」とは、映画のスケール感や奥行きを狭めるという意味ではないですよね。

ええ。「日常のひとコマを肩肘張らず描こう」とか、そういうつもりはさらさらないです(笑)。おもにチームについてですね。キャストも含めてスタッフィングを大きく見せない、大きくあろうと思わない。そう考えるようになりました。

──多くの人が期待している新作はご準備されていますか?

具体的に「進行中」と言えない段階ですが、つねに準備はしています。

──劇場パンフレットの鎌田哲哉さんとの往復書簡の結びに「死者たちとの結び付きを、特定の生者の側へと移すこと。おそらくそれが僕の当面の仕事の重要な主題であり、『新しい物語』への狭いとば口でもあるはずです」と書かれています。この「新しい物語」に対する考えに変わりはないでしょうか。

それについては1ミリも動いてないですね。大変な宿題ですし、どうリアライズするかは難しいと思っていますが、あそこに書いた内容は今でも変わらず重要です。大阪のリーフレットに書いた文章も、大きな意味ではその源に繋がっています。

──その寄稿『わたしを窓まで持ち上げて』は素晴らしいエッセイかつルポルタージュで、リーフレットは今後、何らかのかたちで公開されれば、と思っています。そして映画のフォーマットについてはどうでしょう。現在はスマートフォンでも撮影できて、配信のみの作品もある状況です。

新しいフォーマットも配信形式も、すべてに可能性があると思います。1分映画や日記映画のかたちもおもしろいだろうし、自分にも何か出来るはずだと思います。尺についても、1分のものであれ90分の作品であれ、完全に対等だと捉えています。スマホで撮ろうが、確固とした創意や選択があるのであれば、それは映画表現だと思います。そしてそれをリリースすることが大切だとも考えています。

──公開時のインタビューで学生時代は物書きを志しておられたのが、ある朝、ごみを出しにいく最中に「映画を撮ろう」と思い立った逸話が語られています。『TOCHKA』のシナリオはこの上なく精緻ですし、かりに言葉だけでも監督は充分に多くのことを表現できると思っています。それでもなぜ映画なのか? テクストとの関連から、現在の実感をお話し願えますか?

僕なりの捉え方ですが、ごみ出しに行きながら最初に「やっぱり映画をやりたい」と思ったときは、映画ならテクストを含み込めるのではないかと考えていました。映画はそこに何でも放り込んでしまえるような、大きないい加減な箱で、そのなかの一部としてテクストを含み込めるんじゃないか、と。映画って劇映画ばかりでなく、元来いろんな可能性があったはずで、極端な例を言えば、文字だけがスクリーンに映っていてもいいですよね。スクリーンが書物のページのようになり得る映画もあるはずで、視覚芸術としてそこにテクストを含み込める。あるいは、音声言語によって成り立つ映画もあり得る。言葉との関係だけではないですが、今ある映画のかたちに囚われて、映画が誕生時に持っていた過激な可能性を忘れてしまいたくないという思いは、当時から変わらずあります。
テクストの問題からはいったん離れて、映画を選ぶ答えがあったとすれば、やはり映画は人とつくるということです。リーフレットに寄せてくれた柴野くんや居原田さんの原稿を読んで、とくにそう感じました。とても素朴なことですが、僕にとって変わらず大切な根拠です。
もの書きは本質的に孤独のなかの仕事だと思いますが、映画は立ち位置がそれぞれ異なる人間たちが否応なしに組み合わさっていかざるを得ない。もちろんすべてをたったひとりで手掛けるジャン=クロード・ルソーのような作家もいるけれど、僕にはその、ガチャガチャしながら同じ船に乗り込む感じがやっぱりおもしろいです。ひとりでごみ出ししているときには、まだその魅力に気づいていませんでしたが(笑)、それから20年以上経った今、また、決して短くない時間を映画の現場から遠ざかっている現在だからこそ、少しだけわかった気がします。極端を言えば、今は「人とともにいるためにも映画をつくりたい」という感覚がとても強いんです。僕は仲間と何かをやりたい。もともと僕は1年間、誰とも話さなくても大丈夫なような人間なんですが(笑)、そういう人間だけど、いやそういう人間だからこそかな、それだけじゃつまらないなとも思うんです。

──人間関係とテクニックのバランスはどう捉えておられるでしょう。協働作業の現場にいる人間なら、必ずといっていいほど突き当たる問題です。

そこは難しいところですね。ただ、テクニックか人間関係かという価値の序列みたいなもの自体をどこかで無効にしたいのかもしれません。ぶっちゃけて言えば、その種のジレンマはこれからも残り続けるんでしょうが、両者を止揚した第三の価値観みたいなもののなかで、ものづくりの楽しさやクラフトとしての精巧さを実現させることが大切になるんじゃないかとも思うんです。冬の蝉の気概などと言っておきながら何ですが(笑)、今からの時代は僕らが若かった時代より、もっとそういう価値が共有されていく気がするんです。

──それは先ほどお話しいただいたアマチュアであることや「小ささ」にも結びつきますね。

そうですね。ただ、その理想を表面的に成り立たせる裏で、おもに経済的な面で狡い嘘やごまかしがあってはいけない。映画制作における公平性はスタッフばかりではなく、キャストに対しても同じはずです。柴野くんともときどき話すのは、スタッフが雑魚寝も厭わない「仲間」である一方、キャストがおもてなしを受ける「お客さん」であってはならず、いかにして皆がよりフラットに、トータルに映画づくりに関与していけるか。それは大変な難題のはずですが、つくられたものとつくられ方とのあいだに、齟齬や嘘のない映画が出来たらいいですね。

(2021年5月)
取材・文/吉野大地

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