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『自由なファンシィ』筒井武文監督インタビューPart2
筒井武文監督作『自由なファンシィ』が、完成から10年の歳月を経て遂に劇場初公開を迎え、これに合わせてレトロスペクティブを開催する。この度刊行される初の単著『映画のメティエ』の話題もまじえて再びお話を訊いた。
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『コロナvs信心』 酒井善三監督ロングインタビュー
神戸映画資料館で開催される〈酒井善三監督特集〉。コロナ禍以降につくられた3作を一挙上映する世界で初の機会だ。もっぱら娯楽性を追求する監督の映画のなかでも、とりわけその色がストレートに表れた2021年制作の青春群像喜劇『コロナvs信心』から得られるものは「面白さ」以外ない。(ひとまず)そう断言したくなる、程よく脱力した〈無用の映画〉を巡りインタビューをおこなった。
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『フィクショナル』 酒井善三監督ロングインタビュー(後編)
ロングインタビュー後編では、独創的なチームによる映画制作などを酒井善三監督にお話ししいただいた。
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『フィクショナル』 酒井善三監督ロングインタビュー(前編)
2022年に神戸映画資料館で上映された酒井善三監督の中篇『カウンセラー』。そのサイコスリラー性をより研ぎ澄ました『フィクショナル』が11月15日(金)より東京・下北沢『K2』ほかにて劇場公開される(これにあわせて『カウンセラー』も『K2』でリバイバル上映)。新作『フィクショナル』は、『カウンセラー』から多くの要素を引き継ぎ、監督がかねてより志向する娯楽映画色を一層深めた仕上がりとなった。この新作をめぐり監督にお話を伺った。
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神戸映画資料館「桃色映画パンデミック2024夏」作品解説&フィルム発掘
鈴木義昭(ルポライター、映画史研究家)
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『大好き 奈緒ちゃんとお母さんの50年』 伊勢真一監督ロングインタビュー
〈奈緒ちゃんシリーズ〉第5作『大好き』が完成した。究極のプライベートフィルムは、一昨年80歳になり「終活」に取り掛かった母・信子さんが発する言葉を通して人生の陰影、そして時間がもたらす幸福と痛切をも映し出す。シリーズの出発点にいた瀬川順一キャメラマンのエピソードもまじえて監督にお話を伺った。
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『左手に気をつけろ』『だれかが歌ってる』 井口奈己監督・増原譲子プロデューサー ロングインタビュー(後編)
ロングインタビュー後編では、監督が好む音楽の話題からお話を訊いた。ここに挙げられるバンドの音楽性──特にパンクロック──は9月20日(金)より神戸映画資料館で上映される新作中篇『左手に気をつけろ』に確実に反映されている筈だ。資料館のスクリーンとスピーカーでそれを確かめていただきたい。
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『箱男』 石井岳龍監督ロングインタビュー(後編)
ロングインタビュー後編では、本作に込めた監督の思考の現在地を探ってみたい。
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『箱男』 石井岳龍監督ロングインタビュー(前編)
改名前、「石井聰亙」だった時代の1997年、ドイツ撮影のクランクイン前日に映画化企画が唐突に断ち切られた安部公房の代表作『箱男』。この小説を「石井岳龍」監督が再構築してふたたび映画化に挑み、安部公房生誕100周年を迎えた今年、遂に公開の運びとなった。段ボール箱を被り、そこに穿った横長の窓から世界に視線を向ける箱男が数々の事件に巻き込まれる本作は、監督が長年追及してきたテーマとイメージの結晶である。その映画が持つ眼差しとは──
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『左手に気をつけろ』『だれかが歌ってる』 井口奈己監督・増原譲子プロデューサー ロングインタビュー(前編)
全国巡回中の井口奈己監督の最新短編作『左手に気をつけろ』が関西公開を迎えた(神戸映画資料館の上映は9月20日より)。 併映作は短編『だれかが歌ってる』。モチーフは共通するが、2作はパンデミックで大きく隔てられていることが『左手』冒頭で明示される。それでも確かに連なったひとつの世界を眼と耳に響かせるのが、井口奈己の映画の力にほかならない。その魅力を探るべく、増原譲子プロデューサーをまじえて監督にお話を伺った。
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『りりかの星』 塩田時敏監督インタビュー
18歳の高校生が見つけた夢はストリッパーだった──神戸映画資料館で8月23日(金)に公開される映画評論家・塩田時敏の監督デビュー作となる音楽付きサイレント短編『りりかの星』。80年代より評論活動を展開してきた監督のアイデアと熟練スタッフの技術が融合した本作をめぐり、インタビューをおこなった。
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『移動する記憶装置展』 たかはしそうた監督インタビュー
横浜市泉区にある上飯田町を舞台に『上飯田の話』(21)を制作した、たかはしそうた監督が東京藝大大学院映像研究科映画専攻17期修了作品としてふたたび上飯田で撮り上げた『移動する記憶装置展』(23/以下、『移動する』)。この作品が神戸映画資料館で上映される。上飯田の町の姿はそのままに、独自のアプローチでドキュメンタリーとフィクションの越境を試みた野心作は元来〈移動する記憶装置〉である映画のテーゼや、本文中に登場するある監督の「映画の役割は失われる風景を記録することだ」という言葉に思いを至らせる。