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『マリの話』 高野徹監督ロングインタビュー(前編)

©2023 ドゥヴィネット

高野徹監督の初長編作『マリの話』。ピエール瀧演じる映画監督・杉田が夢に現れる女性と瓜二つのマリ(成田結美)と出会い、恋心を抱いた彼は自作への出演を打診するが──4つの章から成る本作は一般的な「映画制作を描く映画」と異なる展開を見せ、どこまでが杉田の夢かも判然とせず、奇妙で不確かな感触を観客に与え続ける。ロングインタビュー前編ではこの怪作(?)の成り立ちから監督に伺った。

 


──クラウドファンディングのステートメントによれば、2021年からパリに滞在しておられたときの経験が本作に結び付いたんですね。

パリではドキュメンタリーの制作プロダクションにアシスタントとして参加していました。ただ、その頃はコロナ禍で活動がままならず、映画館で映画を見ても言葉がわからずちんぷんかんぷんです(笑)。じゃあ自分で短編を撮れば楽しいんじゃないかと思い立ちました。具体的なアイデアはなかったけれど、せっかくパリにいるのだから映画を撮ろう、と。
とはいえ今回公開される作品のような形になるとは全く想定していませんでした。元々の構想は前作『二十代の夏』(2017)で主演を務めてくれた戎哲史さんをパリに招き、その続編を撮ることだったんです。戎さん演じるカズキがパリで恋愛したり様々な出来事に巻き込まれて日本へ帰る物語を考えて、戎さんを誘って一緒にやろうとなったのが第一歩でした。
結局、続編企画は様々な理由で中止になったものの、戎さんを含めたキャストやスタッフは固まっていて、「この人たちと何か撮りたい」と考えました。そこで短編映画を3本つくるプランに変更したんです。3本とも戎さんが出ていて、1本は本作のヒロイン・マリを演じてもらった成田結美さんが出演する短編、そして本作の第4章「マリの映画」となった森の短編、あとは本作に使っていない短編を撮りました。
森の短編はこれまでにない手ごたえを感じる仕上がりで、ただあとの2本がなかなかうまくいかず、昨年早春の帰国後、編集しながらどうしようかと考えて、森の短編を活かせるものをつくろうと再度変更しました。それだけで独立した映画にする案も考えましたが、観客が楽しんでくれるだろうかという懸念があった。それなら、ハイコンテクストかつぶっ飛んだこの短編を受け入れてもらうための前日譚のようなものを撮って、それを繋げるのがいいんじゃないかと思い、第1章「夢の中の人」、2章「女優を辞める日」、3章「猫のダンス」を構想しました。

──プロットは第1章から順に書かれたのでしょうか。

実は、第2章は撮影前日まで予定になかったものです。そもそもはパリで撮った短編のうちの1本、成田さんの出演作を第2章に使うつもりでした。だから順番としては第1章、3章と書き進めました。パリで撮影した成田さんの短編は、本作の第2章でスクリーンに投影され、第3章ではフミコ(松田弘子)の家のテレビに映る、杉田監督(ピエール瀧)の映画として使っています。

──その短編は一見ラブコメのように思えます。どんな内容でしょう。

出演者とのリハーサルのために、本作の脚本を共同執筆した丸山昇平さんに書いてもらったサブテクストがありました。タイトルもそのまま「マリの話」で、成田さん演じるマリが過去の恋愛遍歴や男性経験を語る内容です。『二十代の夏』の続編企画が中止になったときに、それを撮ればいいのではないかと思い付きました。A4でびっしり5ページほどある、マリの膨大なセリフだけで書かれたテクストでしたが、どう撮ればいいかわからなくて。でも自分は演劇的だなと感じたんです。
一時期は小劇場の演劇公演をよく見ていて、なかでもマームとジプシーはセリフも多いけど、小道具を巧みに使って観客の想像力を補い、限られた空間にないものを見せるスタイルでした。それに倣い、アパルトマンの一室で、最低限の小道具と膨大なセリフだけで映画を撮れないかと考えました。

──第1章で戎さんが演じるアシスタント・藤原が杉田に脚本を見せられて「セリフが多いですね」と言うくだりがあります。あれはもしかして、その反映でしょうか。

そうです(笑)。第1章でそういう話をして、続く第2章ではパリで撮影した短編「マリの話」を見せるのが当初のプランでした。

©2023 ドゥヴィネット

──第1章のプロットを書きはじめたのはいつ頃でしたか?

加藤紗希監督の『距ててて』(2021)を公開時に見て「もう一度日本で撮り足してつくり直そう」と決意した記憶があるので、昨年5月ですね。

──松田弘子さんのXのポストでは昨年12月に初号試写がおこなわれているので、日本パートの着想からクランクアップまで約半年ですね。
11月下旬にクランクインして、12月上旬に撮り終えました。成田さん、戎さんに、ピエール瀧さんと松田さんを加えた4人だけで成立させられたのも大きかったです。瀧さんには脚本が出来た段階で、松田さんは10月に助監督で参加した大美賀均監督*の『義父養父』(2023)に出演しておられて、その撮影が終わってから出演をオファーしました。

*本作に助監督として参加。

──途中で脚本の改稿はありましたか?

ありました。瀧さんが出演を引き受けてくださり、リハーサルをおこなう際に改稿したものをお渡しして、そこからさらに修正しました。変えたのは「このセリフはちょっと言いづらい」と思われた部分などです。松田さんが出演された第3章は物語の構造はほぼ変わっていませんが、かなり大幅に改稿しました。

──それらの脚本に丸山さんはどのような形で関わられたのでしょう。

僕が書いて、それを丸山さんに見せて「ああでもないこうでもない」と話し合う流れでしたね。そこで出た丸山さんからのフィードバックや新しいアイデアを持ち帰っては書き直して、また見てもらう作業をかなり繰り返しました。

──第1章は「夢」が大きなモチーフです。これを使おうと思われたのには何か理由がありますか?

パリから日本に帰国して、ある女性に恋をしました。すごくやさしい方で、毎夜夢に出てくるようになったんです。「夢のなかにまで好きな人が出てくるのってこんなに苦しいのか」と感じるほど辛く、結果その恋はうまくいきませんでした。でも本作の脚本を書く際に、夢に理想の女性が登場するというアイデアは馬鹿々々しくていいかなと考えました。

──それは稀な体験ですね。その方はまだ夢に出てきますか?

告白はしませんでしたが、「これはうまくいかないだろう」と思うようになってからは全く出てこなくなりました(笑)。

──そこも含めて稀有な体験だと感じます(笑)。「映画監督が夢に現れる女性に恋をする」設定は、どのように生まれたのでしょう。

パリで撮った森の短編を組み込んだ映画として考えたときに、ホン・サンスの映画から借りられるアイデアはないかと思って諸作を見直しました。今回もっとも参考になったのは『映画館の恋』(2005)だった気がします。前半が映画内映画で、後半はそれを見た人たちの話ですね。そこから森の短編を映画内映画にするなら、登場人物は映画監督がいいだろうと考えました。瀧さんに脚本をお渡しすると、杉田の人物像を細かく考えてくださって、新しいキャラクターが生まれていきました。

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──最初はどのような人物をイメージされていましたか?

年齢は50歳くらい、以前は多く映画をつくっていたのが今は全く撮れていない、妻子持ちの人でした。瀧さんに演じてもらうにあたり、助監督で参加した『ハッピーアワー』(2015)で濱口竜介監督が書かれたようなサブテクストも準備しました。妻やアシスタントとの関係を脚本形式で書き込んだものです。ただ、瀧さんみずから「杉田はこういう監督だろう」というイメージや経歴を考えてくださっていて、演じる上でサブテクストはあまり役に立たず、逆に混乱させてしまったかもしれません(笑)。
杉田が居酒屋の外に出て煙草を吸うシーンと、携帯灰皿で消すシーンがあります。試写で見てくれた映画監督の鈴木史さんがそこをピックアップして、「昔の杉田は破天荒な監督だったのが、居酒屋の店内が禁煙になり、携帯灰皿を持ち歩かなくてはいけなくなるに連れて仕事がなくなり、杓子定規な形式に収まるしかなくなった人物像なのでは?」と感想をくださった。言われてみれば、たしかにそういう人なのかもと思いました。

──劇中の現実パートと非現実と思しきパートでは杉田のキャラクターが異なる印象を受けます。その差は演出されたでしょうか。

瀧さんからは脚本について幾つか質問を受けました。そのひとつが、杉田が女性を見つけて「マリさん」と声をかけるシーンで、「ここで名前を知っているのはおかしいんじゃない?」と。そこで「だから都合のよいことが次々と起きるんです」と状況設定を説明しました。(笑)。すると理解して、うまく演じ分けてくださいました。

──そこでの杉田は、ちょっと現実にいそうにない雰囲気を持っています。

スタッフのあいだでも「すごいジェントルマンだ」と言われていました(笑)。あの演技は瀧さんが考えてくれたものです。SNSにもファンの方が「こんな瀧さんを見られる映画が公開されるとは夢にも思っていなかった」と書いてくれていました。

──成田さんとはパリで出会われたそうですね。マリのキャラクターに関する具体的な相談はされましたか?

成田さんの演技にも自分の想像を超える謎の部分がありますね。パリで撮った短編・映画内映画のマリは清純だったのが、男性経験を経て転落してゆくキャラクターでした。そのマリと全く異なる女性を日本で撮ることになって「驚かれるかな?」と思ったら、そういうこともなく、自然に受け入れてくださったように思います。

 


──日本パートの撮影はどのような流れだったのでしょう。

当初は第1章を撮り終えてから3章の撮影を、というスケジュールを立てていました。僕は同時にふたつのことが出来ないタイプなので、ひとつずつやっていこうと。しかし、スケジュール調整がうまくいかず、1章の一部のシーンを撮って次に3章の一部、そのあとまた1章というような日替わりの撮影で、果たして自分の頭がついていけるだろうかとも不安でしたが、意外とうまく進みました。

──演出面で特に心がけたことや、それによって生まれた変化を教えてください。

成田さんとはパリで撮影して、遠慮せずに話せる関係を結べていたため、あれこれとお互いに試してみることが出来ました。とりあえずやってみて失敗しても、成田さんなら許してくれる感覚があったので、色々と実験的なことが出来たと思います。瀧さんと松田さんに対しては、おふたりが演じるうえでいかに違和感をなくしてもらうか、そこを大事にしました。リハーサルで脚本の読み合わせをして、修正が必要なポイントをすり合わせていく時間をもらいました。そこでの作業が最大の演出だったかもしれません。
主におこなったのはセリフの微調整です。瀧さんは杉田の人物像を確立されていたので、「彼ならこう言わないでしょう」という提案や、俳優の立場からの意見をもらいました。不確かな脚本でしたが、杉田の筋の通った人物像が、観客をこの映画に迎え入れる拠り所となった気がしています。
松田さんは俳優活動の一方で言語に関わることもやっておられて、翻訳者・歌人でもあられます。言葉に対してとても敏感な方です。脚本に書いていた女性のセリフ──いわゆる女性語──に対して修正のリクエストを多くもらいました。たとえば「あなた筋がいいわね」というセリフの「わね」という女性語を、「あなた筋がいいね」に修正するなど、そういった記号的な女性の言葉を排していくやり取りがありました。その修正によって、フミコというキャラクターがより「紋切り型」から離れられたような感覚があります。
また撮影時の松田さんは坐骨神経痛で、それでも出演してくださり、歩くシーンを撮る際は松葉杖が必要でした。劇中で特に説明もなく杖を使っているのは、そうした理由からです。杖を使う歩行がマリと出会うきっかけとなり、脚本でもその部分を変えました。

©2023 ドゥヴィネット

──歩く姿も見どころなので、あらかじめ準備されていたのかと思っていました。

当初はフミコを謎のある変な女性として設定していました。はじめに着想したのは、浜辺でひとり酒を呑んでいる女がいて、そこにマリが加わる展開でした。でもずっと座ったままでは面白くならないだろうと思ってどんどん変更して、歩く展開が生まれました。

──続けてフィクションのラインについてお聞かせください。第1章の捉えようによって、それ以降の見え方も変わると思います。瀧さんにはその部分を具体的に説明されていたのでしょうか。

撮影前の段階では、現実なのかそうでないのか曖昧なところを狙っていました。あるカットでそこまでは夢かと思っていると、続くカットでは夢か現実か判断不能、どちらにも見えるようなことが出来るといいなと考えていました。特に説明をしなかったので、瀧さんがそれをどこまで捉えておられたのかは正直わからないですね。ただ、先ほどお話ししたように、「マリさん」と声をかけるシーンに関する簡単なやり取りだけで、すべてを理解してくれたような気がしました。

©2023 ドゥヴィネット

──観客の想像力の度合いで、かなり印象が変化する映画だと思います。可変性が高いというのか。

試写を見て細馬宏通さんが書いてくださった作品評を読むと、独特の見方をされていて驚きました。僕のイメージでは、各章のあいだに──半年なのか1年なのかは明確ではありませんが──時間の隔たりを設けています。たとえば第1章と2章のあいだでマリと杉田が映画を撮ったこと、第2章と3章のあいだではふたりの関係に変化が生じたことが想像できます。そのように画やセリフの説明がなくても、無理のない範囲で各章のあいだを想像してもらえるように、と全体を設計しました。

──大幅に省略しておられる部分もあります。たとえばマリが杉田に好意を寄せてゆく具体的なプロセスは描かれません。

省略していますね(笑)。これには僕自身が「想像できる余白のある映画」を好きなことが影響しています。たとえばホン・サンスの映画を見ているときに、これは一体どういうことだろうと考えるのが楽しいです。あくまで勝手な想像ですが、ホン・サンスはある意味でいい加減──ロケ場所と出演者だけ事前に決めるなど──につくりはじめて、その都度その都度、要求されること──前の日に撮った映像や意図せず起きた出来事──に応えていくことで、行き当たりばったり的に映画制作を進めていると思えます。そこで辻褄の合わなさや謎みたいなものが思いがけず生まれ、「これは一体どういうこと?」と観客が楽しめるところに魅力を感じてしまいます。
マリが恋に落ちてゆく過程や、映画監督を目指す過程を描くなどの方法もあったかもしれません。でもそれだとわかりやす過ぎて、つまらない気がしました。一見、関係なさそうで、しかし想像を巡らすと、もしかすると関係があるかもしれない……、そういうラインを狙いました。

──想像のための手掛かりもありますね。

そこは考えました。想像する材料みたいなものがないと観客は楽しめないし、どんな材料だとより楽しんでもらえるか、脚本づくりではそのことを重要視しました。

 


──撮影監督はオロール・トゥーロンさん。パリで撮られた映画内映画の撮影も彼女でしょうか。

そうです。知人の協力もあって、フランスの国立映画学校ラ・フェミス出身のオロール・トゥーロンさんに行き着きました。彼女が撮影した短編を見せてもらうと素晴らしかったんです。登場人物や予算が少なそうなインディペンデント映画でも、それを欠点でなく、豊かさに転換してくれる撮影の力を持っていると感じました。また、最初にお話ししたときにも彼女となら共同作業がうまくいきそうという予感がして、撮影監督をお願いしました。

──撮影者としてどのような資質・特性を持っておられるでしょう。

「演出の役に立つ撮影がしたい」と言ってくれたのが強く印象に残っていますね。パリで撮った短編のひとつは、3日間の撮影日で制作するスケジュールを立てていました。しかし初日、2日目と撮ってみると手応えが悪く、それを踏まえて、賭けみたいになるけれど大胆な撮影プランの変更を加えたいと考えました。最終日の朝に、怒られるかなと思いながら「この2日間でやったことが白紙になるけど、こういうことをしたい」と意向を伝えると「それは面白い」と反応してくれて、より面白くなりそうな撮影のアイデアを次々と出してくれました。そのときの会話で、「あなたみたいにフレキシブルな撮影監督と初めて会った」と伝えたら、「私は自分が素晴らしいと思う撮影よりも、演出の役に立つ撮影がしたいので」と返されて、こういう人と出会えたことは貴重なことだなと思いました。そうした人格的な部分も大きな魅力のひとつです。
あとは、国籍や性別が違っても多くの局面でシンパシーを覚えました。脚本を書いて撮りたい画を漠然とイメージしても、それを言葉で撮影者に伝えるのはなかなか難しい。でもロケーションに俳優が立って、オロールさんがフレーミングを決めてくれると「まさにそれが撮りたかった!」と思える画になっていました。また、第3章に猫の写真のカットがあります。舞台の日本家屋では3日撮影したのですが、たしか初日を終えて「猫の写真のカットがあったほうがいいと思う」と提案すると「私もそれを考えていた。不思議なシンパシーを感じるね」と同意してくれました。フレーミングも含めて、そういう共感が多かったですね。

──冒頭のホテルの部屋のカットをはじめ、出来事がよく見えるポジションにカメラが置かれている印象を受けます。ポジションはどう決めていきましたか?

冒頭のポジションもオロールさんが決めてくれました。カメラの位置は重要ですが、本作では彼女に全幅の信頼を寄せて任せていました。別の人であれば、カットごとに「ここから撮るのはどうでしょう?」と提案していたと思います。それから彼女はカメラを真正面に置きたがっていた気がします。幾つかのカットでは、ガラス戸にカメラの写り込みがあったり、真正面すぎて「ちょっとだけ横にズラしてみては?」と提案もしましたが、その時だけはすごく嫌そうな顔をしていましたね(笑)。何か考えがあるんだろうなと思ってオロールさんの置いたポジション通りに撮影した結果、編集の段階になって彼女が正しかったことがわかりました。

──全編を通して切り返しているのは、第1章の海辺のシーンのなかだけです。あそこで切り返しを撮られた理由は?

あれは僕からカット割りを提案しました。大幅に削除してしまいましたが、脚本上、長い会話のシーンだったことと、それまで長回しのカットが続いていたので、編集でリズムをつくれるように、ここは切り返しでいくと決めました。

──第1章は海辺で撮影されていますね。高野監督といえば海のイメージがありますが、今回ロケーションに選ばれた理由を教えてください。

物語の状況に即していたからです。カメラを海に向けていれば通行人などの現実が写らないので、語りにとって都合がいい。季節も人の少ない冬で、それをより具現化してくれました。あとはホン・サンスの『浜辺の女』(2006)を見直してみて──同じようなことをやりたいとは思ったわけではないですが──なんとなく浜辺がだだっ広い海のイメージで脚本を書いていました。

──縦に長い空間で積極的に撮られている印象もあります。

その意識はありませんでした。制作面から考えれば、撮りたい場所のそばにそういう空間があったからでしょうか。移動しなくてもよい画が撮れそうな、魅力的な場所だと感じて決めました。

──長回しに適した空間を選ばれたのかとも想像したのですが、そうではないんですね。

結果的にまた長回しの映画をつくってしまいましたが、特にその意思があったわけでもなく、やってみたらそうなったという(笑)。海で杉田が煙草を消すアクションからはじまるシーンはオロールさんから「長回しで」と提案がありました。180度とまではいかずとも、大きなパンで長く歩かせたほうがシーンの特性を強調させられるだろう、と。

──スクリーンに映える画ですね。ただ、長回しは撮影技法や演出を誤ると観客の集中力を消費するリスクがあります。ためらいはなかったでしょうか。

180度近いパンをするのはどうかとオロールさんに提案されたときはためらいました(笑)でも、彼女が嬉々とした顔をしていたので、これも何かあるのだろうとやってみることにしました。瀧さんの存在感ある後ろ姿が、あのカットを豊かなものにしてくれた。撮ってみてそう思いました。

──画面の奥に波など動くものがあるのも長回しを単調にしない効果があったかと思います。

昼食後の杉田とマリが酔って歩いているロングショットがあります。あそこは撮影中にマラソンの練習がおこなわれていて、遠景にランナーたちが入り込んできたんです。「これは面白いからカメラを回しておこう」と撮りましたが、逆に観客の注意が散漫になる可能性を考えて使わないことにしました。第1章に関しては、瀧さんが写っているだけで大丈夫だろうという確信を持てました。ただ歩いているだけで存在感があり、見る人を充足させられる筈だと思えました。

──第1章では居酒屋「韓国村」でママと藤原が記念撮影します。あれはどういう意図で撮られたのでしょう。その写真がのちのシーンに影響してくるので意図的に撮られたようにも見えるし、その場のノリで撮ったように見えなくもない(笑)。

あのママさんは実際のお店の方です。丸山さんと呑みに行ったときに、ママが丸山さんをかっこいいと思われたようで、映画のように写真撮影をお願いされました。改稿前の脚本では杉田と藤原の会話の内容がまったく異なっていて、最後にふたりが笑う展開だったのを、瀧さんから「本当に笑えそうな脚本を」とリクエストを受けて書き直すことにしたのですが、そこでママと丸山さんが写真を撮るやりとりを思い出したんです。指摘していただいたように、記念写真がそのあとのシーンにも写ります。現実と非現実がどこかで交わるのを撮りたいイメージもありました。

©2023 ドゥヴィネット

──ちなみに行きつけのお店ですか?

いえ、初めて行って「ここはいいな」と思って。改稿作業をしているときに、丸山さんと気晴らしに焼肉を食べに行き、マッコリも飲みたくなったのが、それがないお店でした。なんとなくこのままだと帰れない気がして、マッコリのある店でもう一杯、と偶然訪ねたのが韓国村でした。入った瞬間に「居酒屋のシーンはここがいいんじゃないか」と直感して、撮影でお借りできないか聞いてみました。「行き当たりばったり過ぎるだろう」と思われるかもしれないですね(笑)。

 


──第2章は当初の構想では、成田さんが出演している本作の映画内映画だったと伺いました。それが完成した作品の形に変わったのは?

元の尺が15分ほどあって丸ごと使うとすれば少し長いし、どこか一部を使うとしても映画全体にうまく作用させられるだろうかと疑問を覚えました。戎さんのナレーションを足す案など色々考えてみたものの「これだ」と腑に落ちるアイデアが浮かばないままでいました。
素材自体は完成しているので、ひとまず第1章と3章を撮り終えてから考え直すつもりでいると、撮影前日に松田さんから「新型コロナウイルスの検査結果次第では撮影に参加できないかもしれない」と連絡をもらいました。じゃあ翌日に成田さんと戎さんで出来ることはないかと急いで考えはじめて、アフレコのシーンを撮ることにしました。その日は瀧さんが撮影に参加されない日で、普通ならアフレコには監督が立ち会う筈が杉田は来ていなくて……、という設定も思い付いた。それをオロールさんに伝えると「音声データに問題がある設定にしたら?」と意見をくれました。というのも、フランスで録音した音声データに問題があったんです。それを日本パートでやってみたらどうか、と。半ばジョークだったのかもしれませんが、面白いと思って杉田とマリが映画を撮ったけれど、録音がうまくいってない設定にしました。
そのアフレコの様子を録音スタジオで撮ることをイメージしていると、やはりオロールさんが「スタジオよりは映像を映写できる試写室のような場所で撮るのがいいのでは?」とアイデアを出してくれて、次の日にTCC試写室で撮影することに決めました。撮影は試写室の空き時間の3時間ほどしか猶予がありませんでした。時間がないので4カットだけ撮ろうと事前に計画し、皆で集中して臨んで撮ったものが第2章になりました。やってみると欲が出て、カット数が少し増えています(笑)。
ちなみに、松田さんは検査結果が陰性であることが判明して、その後も無事に撮影が出来ました。

──アフレコにも現実の出来事を取り込んでいるんですね。あそこはセリフと音がずれていて、ゴダールの映画を思い出します。でも過去に高野監督とゴダールの話をした記憶がなく、不思議に思っていました。

ゴダールのことは全然考えていませんでしたが、撮影後にオロールさんが興奮した様子でメッセージをくれました。僕と成田さん宛てで、そこには『女と男のいる舗道』(1962)でアンナ・カリーナが涙を流す画像が添付されていました。「結美はアンナで、徹はゴダールだ」と(笑)。「じゃあ、オロールはラウール・クタールだね」と返事をするという楽しい撮影チームでした。

──第2章はフレームアウトで終わります。カット割りも短時間で出された筈ですが、カメラワークはどのように固めたのでしょうか。

現場で考える時間がなかったので、カット割りは事前に決めて、オロールさんと共有していました。ぼくはTCC試写室を訪ねたことがありましたが、彼女はロケハンをしていなかったのでほとんど準備なし、かつ短時間の撮影でシーンを成立させてくれた。それは彼女の能力の高さを物語っていると思います。
元々用意していたカット割りでは斜めから撮った成田さんに最後にフレームアウトしてもらう予定でした。それがいざ現場で撮ってみると、「この演技は正面から撮りたい」と強く思いました。というのも、僕は過去作で人物の感情が動く瞬間をあまり撮ってこなかった。でもあそこでマリが言葉を発する姿にはそういうものが宿っていると感じて、成田さんに「もう一度だけ正面から撮らせてください」とお願いしたんです。成田さんのおかげで、今後、自分が撮るものに変化を強いるような、力強いものを撮ってしまった感覚があります。

──本作からは「女優」のテーマ性も感じます。

フランスで撮った短編3作は、それぞれ独立しているけど、トータルで1本の映画になるように構想していました。共通するのは、フランス人の映画監督が女優をキャスティングしたものの、どういう映画にすればいいのかわからないという設定で、脚本を書くためにそれぞれの女優に会いに行く。そのひとりは成田さん、もうひとりが第4章に登場するデルフィーヌ・ラニエルさんでした。本作の映画内映画の成田さんとデルフィーヌさんは、共に設定のうえでは「女優」です。これにも深い意味づけはしませんでしたが、女優は映画監督と同様に、フィクションに揺らぎをもたらしやすい存在であるように思います。

──第2章の最後に戎さんの声がオフで響き出すと、コメディタッチになります。

セリフは僕が書きましたが、あれは戎さんの力ですね。戎さんならきっとこれを面白く言ってくれるだろうとイメージできる、彼が書かせてくれたセリフとも言えます。

──さて、ここまで何度かホン・サンスの名前が挙がりました。事前に決め過ぎない彼の姿勢は本作に通じますね。

ホン・サンスにまつわる噂話や出演俳優のインタビューを読むと「撮影当日まで脚本を書かない」らしく、自分には出来ないけど理想的なつくり方だと思います。前日までにやったことや俳優からのフィードバックで脚本を書いて撮ってみて、うまくいけばOK、そうでなければ別のことを試す。そういう撮影っていいなと感じます。
第3章も当初、最後にマリとフミコの大爆笑で終えたいと考えていました。それを撮りたいがためにあの話を書いた部分もあって、大爆笑するのに必要なものをずっと考えていました。でもなかなか見つからなくて、結局当日の朝に撮影現場へ向かう途中で思い付いたセリフを使っています。
そういう、ワンポイントのセリフを当日考えることくらいなら出来るかもしれませんが、ホン・サンスのようにシーンを丸々、当日の朝に書くというのは真似できないですね。ちなみに、『川沿いのホテル』(2018)に主演したキ・ジュボンさんが「撮影したシーンは全部、本編で使っている。撮ったのに削除したシーンはない。唯一撮り直したのは、権利関係の複雑なキャラクターのぬいぐるみを小道具で使ってしまって、別のぬいぐるみに変えたシーンだけだ」と上映後のQ&Aで答えていて、凄まじいなと思いました。僕が本作でやったような、とりあえず撮ってみて、うまくいったところだけを使う映画づくりは出来るでしょうが、ホン・サンス方式は凡人には困難な離れ業な気がします。

(インタビュー後編に続く)

(2023年10月)
取材・文/吉野大地

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