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『MY LIFE IN THE BUSH OF GHOSTS』 宮崎大祐監督インタビュー

©️2022 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

宮崎大祐監督が、母校でもある映画美学校アクターズ・コースの学生たちとつくり上げたSF的青春群像劇『MY LIFE IN THE BUSH OF GHOSTS』。偶然にまつわるエピグラフを置いた二部構成から成る本作が、撮影から2年を経てこのたび大阪で公開される。出演者と監督による制作・自主配給・宣伝活動は、一般的な「演劇と映画」の枠組みを超えた現在進行形の試みだ。その制作過程からお話を訊いた。

 


──まず作品の時系列を整理すると、本作は『PLASTIC』(23)『#ミトヤマネ』(23)より前につくられた作品です。

撮影は2022年3月です。映画美学校で教えはじめたのは2021年の秋でした。

──アクターズ・コースは俳優養成講座で、カリキュラムのゴールを映画に限定していないですよね。

映画出演よりも、俳優としての生き方を身に付けることを目指すコースです。

──本作の特徴のひとつに、尺に対して登場人物が多いことが挙げられるかと思います。実習作や群像劇という背景・構成以外に、そうなった理由があれば教えてください。

元々はぼくを含めて講師がふたりいて、それぞれが6、7名を担当して短編を2本撮る予定でした。それだけでも少なくない人数ですが、頑張れば何とかいけるかもと思っていたところ、もうひとりの方が病気になったため、ぼくが全員を担当することになりました。根本的な考え方を変えて取り組まないとこれは無理だなと思いました。

──出演パートの脚本づくりを出演者が手がけたそうですが、具体的にはどのような作業でしたか?

映画の前半部分にあたる4篇で構成した第一部「MY LIFE」と、後半の第二部「BUSH OF GHOSTS」ではつくり方に違いがあって、「MY LIFE」は先ほどお伝えした担当者がテーマノートと音楽を残していたんです。脚本はないのにイメージソング的なものと、プロットの形になっていないテーマの断片を書いたものだけがあった。壮大な世界がテーマで、それをすべて無しにして自分で一からつくることも考えたけど、その頃はぼくが物語に対する抵抗感を抱きはじめた時期でもありました。材料は何でも構わない。それをどう調理するかが自分の腕の見せどころであり演出だと思ったので、生徒たちが取り組もうとしている元々あったテーマを前提にして、自分が関わろうと考えました。彼らもそのテーマの世界に則って、自分たちで脚本を書き進めていたんです。
ただ、その世界には若干観客が入り込みづらい印象を受けた。4篇それぞれの出演者が書いた脚本の、僕の思想と相容れない部分や見る人に伝わりづらそうな部分に対してぼくが修正、提案しました。それを踏まえて「MY LIFE」が仕上がりました。
完成した「MY LIFE」は、自分のなかでは「どうなるかはわからないけど、行けるところまで行ってみよう」という話になったと思っていますが、元のテーマからは真逆の「外の世界はあまりにも果てしない。だからいま持っている思い出を大事にしよう」というような、どこか後ろ髪ひかれるような印象を受けました。その外よりも内側へ向かうベクトルを少し変更しましたね。
第二部「BUSH OF GHOSTS」(以下「BUSH」)はまったく異なるアプローチです。まず出演者にやりたいことを訊ねて、それが映画として成立するかどうかはぼくに委ねてもらいたいと話して進める形でした。

──「MY LIFE」は4篇ともSFです。このテイストも元からあったのでしょうか。

元はゴリゴリのSFでした。ぼくが低予算で自主制作映画を撮るときに、SFの選択肢はまず思い付かない。人に見せる映画を撮るのなら、そのための見せ方が必要だと考えました。冒頭のパートは、これがないと作品全体が観客の信じられるものになり得ないと思い、元にあったものとは別に書き足しました。

──冒頭パートの長い通路がある空間はどこでしょう。

大和市にあるヤバい空間です。実習作品だからとにかく予算がなく、経費をかけずに借りることが出来て、フィクション性も高められるロケ地となると相当限定される。あそこはぼくが秘密にしていたとっておきのロケ地でしたが、本作は、あの空間を使わざるをえない状況まで追い込まれたともいえます(笑)。『エイリアン』(79/リドリー・スコット)の宇宙船くらいのスケール感があります。

©️2022 THE FILM SCHOOL OF TOKYO


 
──「今・ここ」ではない距離感は、次の長編『PLASTIC』に繋がっていると思えます。監督が取り入れたアイデアでしたか?

「遠い未来」や「遠くはない未来」は僕のアイデアです。交流があり尊敬している小説家・上田岳弘さんの影響もあります。

──時代設定は、昔だと「19XX年」とするアバウトなもので、SF初心者が使いがちな定番かつ禁じ手です(笑)。

ぼくはSF小説やSF映画にそれほど積極的に触れてきたわけではなくて。だから、前時代の作品の残滓をかき集めて「こんな感じだろう」と軽い気持ちで臨んでしまいました(笑)。

──オムニバス作『MADE IN YAMATO』(21)のキャッチコピーも「20XX ヤマトからの手紙」で、少し軽過ぎるような(笑)。しかし、マルチバースなどの複雑さがないのが功を奏していると感じます。

むしろ現代のSFには、「そんなことになる筈がない」とおかしさを覚えることがあります。未来は想像もつかないほど普通の世界かもしれない。『DUNE/デューン 砂の惑星』(21/ドゥニ・ヴィルヌーヴ)などを見ると、「遠い未来でまだこんな『オイディプス王』みたいなことをやっているわけがないだろう」と思ってしまう(笑)。アバウトさのほうに真実があるかもしれません。

©️2022 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

──全編を通してフィクション性が高い作品です。監督はコロナ禍前から創作にポスト・トゥルースを取り入れていました。撮影時はまだコロナ禍で、そうしたリアルとのバランスはどう考えておられたでしょう。

制作当時、自分のなかに〈trust〉という概念がありました。コロナ禍でポスト・トゥルースが拡大して、Twitterを見ればフォロー中のユーザーとおすすめユーザーがタイムラインで分断されて、それぞれが何かを投稿している。そんな状況で信頼できるものといえば、たとえば同じものを見ていたり、お互いに触れているときの確からしさ。穿った見方でそれも嘘だと捉えることも出来るだろうけど、今この瞬間を果てしなく本当だと思える何かを共有している確からしさを自分のテーマにしていました。
その〈trust〉は本作にもどこか反映されています。映画のスクリーンやコンサートのステージみたいに見上げる形で目線が揃わなくても〈trust〉が発生する場所が大事じゃないかと。たまたま出会ってしまったところで目線が合うような。
今って、災害が起きないと人々が一致団結して繋がれない。だから災害が起きればいいと理解できない主張をする人もいますが、心からそう願っている人はいない筈です。そういう過激ではない思考で、すべてがバラバラになったなかで何が出来るかを試したかった。目線を合わせたり、時間を共有することがそれにあたるのかなと考えました。

──食事のシーンが多いのもその反映かと思います。第二部「BUSH」ではツーショット、もしくはスリーショットの画が多いです。〈trust〉の概念はフレーミングにも影響したのではないでしょうか。

ツーショットやスリーショットの画を映画館で共に見る人たちがいる。そこにも一種の〈trust〉、確実に存在した時間が生成するイメージがありました。

──「MY LIFE」はオーソドックスにカットを割っていて、続く「BUSH」は引きの長回しを多用していますね。

当時のぼくはどうも「カットを割れない監督」と周りから見られている気配があって(笑)、それが嫌だなと感じていた時期でした。

──『VIDEOPHOBIA』(19)のロケ見学でカットを割る姿を見ているので、第三者としてそれは否定したい(笑)。

(笑)。普通に割ることは出来るので、親しみやすいカット割りから入って、後半はその形を崩していくつくりにしています。普通は逆で、段々とわかってくる。それとは逆の構造を目指しました。
あとは画に〈trust〉が生じていれば、その時間を共有してずっと見ていたくなりますよね。雑にカットを割った映画を見ると、身を切られる思いがします。そういう画を撮りたくなかったんです。

──画の雰囲気から、カメラは一台しか使ってないと想像しました。

複数のカメラで撮ったシーンはない筈です。すべてデジタルで映画をつくれる今、簡単に再現や複製できることはわかっているけど、それでも一台のカメラで撮ることでアウラ的な何かが写るかもしれない。あるいは数万単位のデータのなかのひとつはCGで複製できない何かである可能性を持っているかもしれない。疑いつつも、アウラ的なものを信じて撮っていました。

 


──続けて語り、ナラティブに関して伺いたいと思います。後半に進むに連れて物語性が希薄になる構造は、その後の長編に似ていると感じました。

そうですね。本作があったおかげで、『PLASTIC』『#ミトヤマネ』が出来た部分はあって、それに向けた実験だったといえるかもしれません。本作をつくるときに、果たして最初から最後まで観客がこの物語に付いて来られるだろうかと思いました。今はそういう映画をつくるのであれば徹底的に狙ってつくるべきだと思っていますが、当時はある程度、見る人と接点を持ったうえで、「映画とはこうあるべきだ」と自分が考えていることとの妥協点を形にしようとしていた時期でした。その結果としてこういう作品に仕上がりました。

──『VIDEOPHOBIA』は出来事を受けて主人公の顔のリアクションで見せていくつくりでした。本作の「BUSH」はそこからも変わっています。

「BUSH」の出演者たちを、景色の一部にしたい思いがありました。いわば視界に入るものの一部として、動物のようなイメージで画面に配置したかった。顔の魅力でどうこうするのを一度卒業しようとした時期だったかもしれないですね。『#ミトヤマネ』で「顔」が戻ってきて、今はまた顔と物の寄りで映画を撮りたいと思っています。

──寄りと引きを組み合わせてリズムをつくる技法もありますが、それも使っていません。

そう撮ってもいいけど、それって普通じゃないかと天邪鬼的な思考が働きました。映画の醍醐味って普通に語ることよりも、被写体やテーマの面白さにあるといまだに感じています。寄りや引きはそれを強調するための手段であって、物語を進めるためや、作家の信じる世界を抽出するために寄り引きで語っていく映画に魅力を感じられなくなっています。

──タイトルの由来はブライアン・イーノとデヴィッド・バーンの81年の共作アルバム。イーノのアンビエントアルバムも含めて、その音楽性を映画に置き換えると、画は引きが基調になると考えたのですが、いかがでしょう。

イーノとデヴィッド・バーンはあのアルバムを、最初にノイズを含んだ世界を抽出して、それを徹底的に掛け合わせながら、気になりすぎるノイズは抑える塩梅でつくったと思います。映画の場合、寄りの画でこそ見えるノイズもありますが、基本的にただ目の前に存在する世界のノイズこそを撮らないといけないと考えています。寄りは作者の恣意的な視点だと思うので、そういう撮り方はしませんでした。

──おそらくすべてのカットがパンフォーカスで撮られているのもその考えが影響しているでしょうか。

ジャームッシュも「世界のすべてを写さないといけない」と言っていたと思います。世界のすべてを美醜貴賤問わず等しく記録することにこそ、映画という芸術の本質があるのかもしれません。

──監督はファーストカットで映画を語るのだ、とずっと考えてこられました。脚本を書いた『孤独な惑星』(10/筒井武文)のファーストカットは引きで撮られた世界地図で、この映画で原点に立ち返ったとも思います。もうひとつ、音楽との関連性から本作を見ると、音楽でいうサビに該当する要素がないと感じます。主人公がいないし、これが物語の中心だというシーンもない。串刺し状のエピソードから、見る人それぞれの何かが浮かび上がります。

最近、授業でちょうどその話をしたばかりでした。今でもアイドルの楽曲は低音域が弱く、ヴォーカルを強調する高音域が強い。でも20年以上前から、音楽の世界はリズムの反復にディティールを乗せるスタイルが主流になっています。それを取り込んだK-POPは普及したし、映画もそう変化するべきじゃないかと思います。でも、依然として日本映画は参考元の映画の日本版アレンジに留まっている、もしくは音楽のサビにあたる部分のよさを重視したままです。それよりも反復の映画の可能性を追求したい。起承転結ではなく、起承承承でまったく問題ない。本作をつくっているときは、そんなことも考えていましたね。今後、やはり映画にはメロディが必要だと言いはじめる可能性もありますが。その苦悩の軌跡が作品をどんどん強くしていくんだと信じています。

──以前から起承転結のはっきりした物語性より、リズムを重視していましたね。

そうですね。ルイ・ヴィトンのディレクターになったファレル・ウィリアムスがかつてプロデュースしたクリプスの『Lord Willin’』(02)を今日学生たちに聴かせると、みんなポカンとしていましたが(笑)。リズムだけの音楽だけど、なぜだか聴いていると踊ってしまう。映画もリズムだけで構築できないだろうか。それはずっと考えていますね。
メロディがメインじゃなく、リズムだけでその作品が出来ているのならノリ方はこちらから探さないといけない。学生たちにそう話しました。つくり手の側に「ここを聴けば心地よい」「盛り上がるポイントはここだ」といった意図がない音楽なのに、気付かないうちにノッてしまうとすれば、それぞれの楽しみ方を見つけ、なぜ楽しいのかを自発的に考えるのがリズムの音楽だと。本作にもそういう部分があって、作者は山場を提供していないけど、もしなんだか面白いと感じたら、その理由を考えてもらいたい。観客それぞれにノレるポイントがあると思います。

©️2022 THE FILM SCHOOL OF TOKYO

──出演者が編集まで参加するというつくり方も、映画のリズムに影響したかと思います。その方針はどこから生まれたのでしょう。

フレーミングを含めた様々なレベルの編集は「演出」と言い換えられます。そこで責任を持つのは自分だし、最終的にぼくの名前が「監督」とクレジットされるけど、なるべくその演出をみんなとシェアしたかったし、なかでも特に比重が大きいのは現場の演出と画の編集です。監督は自分の撮った画を編集したがりますが、出演者が編集する機会は自主映画でも滅多にない。
さらにそうしようと思った理由に、出演者それぞれの「間」があります。被写体が自分の眼で芝居のリズムを見ると、「ここで切れる筈だ」と感じるポイントがある。ぼくは彼らを客観的に撮っている立場の人間だから、出演者たちとは異なるカッティングポイントや前後の繋がりを考えるけど、彼らの身体の内にあるリズムや生理、感情ならどこで切りたいか、あるいはどこまで伸ばせば美味しいと感じられるか、そのポイントを訊きました。そこで本人たちが「自分の演技はここで切りたい」と思うポイントが面白かったんです。そうしたやり取りをしながら、映画的にも効いているなと思うポイントを残していきました。

──ハリウッド映画の編集権が監督にさえないという逸話から考えると、ありえない発想です。

昔は有名な俳優が編集を変えてしまうというケースもありましたね。そういう編集や、「ここは自分がよく映っている」というのとは違う発想で、「どこからどこまでを演じている自分として使いたいか」「ここまでだったら芝居的に粘れている」とやり取りするのが楽しかった。みんなは結構すぐに切りたがるんです。「自分で見ていて耐えられない」と。でも、パソコンのモニターでそう感じても劇場のスクリーンで見ればもっといける、耐えられる筈だと伝えました。

──芝居の観点から話を続けると、「BUSH」のメインの舞台は森ですが、素朴な自然賛美でなく、森が書き割りのように機能している気もします。演劇と映画が拮抗しているというのか。

ロケハンでがんばってそういう場所を探しました。野外劇場の芝居を見ている感じを出せればいいなと。それからたとえスマホでも、カメラを置いて広い画でよい芝居を撮れば映画になるんじゃないか。それを証明したい気持ちがありました。「映画とは撮影された演劇だ」と言う人が周りに多くいますが、ぼくはそう思わない。そんな人間が演劇的に撮ることで、アイロニカルに映画の面白さを引き出せるかもしれないと考えました。

──森の外を走る車が映り込んだショットがあって、遠景に高速道路がある『天使の影』(76/ダニエル・シュミット)のワンシーンを思い出します。『天使の影』も演劇と映画が拮抗した作品でしたが、あのカットのフレーミングには何か狙いがありましたか?

よくある外部としての自然賛美や環境問題みたいなことをやりたくなくて、あくまで森も都市も内部として、自分と地つながりになっていることを象徴的に見せるショットが欲しいなと思っていました。そのポリシーはリアルとフィクション、映画と演劇も架橋していたように思います。

──宮崎監督作品は厚木基地をはじめ、『VIDEOPHOBIA』までは必ずどこかでその土地固有の風景がせり出してきました。本作はその要素が希薄です。意識的に外したのでしょうか。

『VIDEOPHOBIA』をつくってから道を踏み外したと最近周りからよく言われます。遂にここまで来てしまった感じでしょうか(笑)。風景の問題は『PLASTIC』の渋谷や『#ミトヤマネ』の後半にも繋がっているかもしれませんね。撮影時は特徴のある景色を撮ることへの関心を失っていた時期でした。すべてが均質なゲームみたいな世界で、死ねないという理由だけで自分が存在しているような虚しさが全面に出ているんじゃないでしょうか。

──どの町にもありそうな交差点を長回しで捉えた、無機質だけど印象に残るショットがあります。あの画にもそのようなイメージを持っていましたか?

あれは町を撮ろうとして、でもやはり大和市らしい風景は見せたくなかったんです。夢や希望のない世界を死んだように人が歩いている姿を撮りたかった。いつもは歩くスピードや導線を調整して演出しますが、あのシーンはどこかへ向かう目的も持たずに、OKを出すまで行きたい方向にただひたすら歩いてほしいと指示しました。そこに雨が降っていて、自分の心象風景といえるシーンですね。背景に映っているパチンコ店なども、今ではほとんど存在していません。

──シーンの順は撮影稿どおりだったでしょうか。「BUSH」はそれが読めない面白さがあります。

リズムを考えて何点かは変えましたが、基本的に撮影稿どおりです。撮るときに実験性が高すぎたり、見る人に負荷をかけるショットを続けないように脳内での編集は終えていて、博打の確率が高い画は散らばるようにしました。

 


──さらに見どころを追っていくと、『TOURISM』(2018)のモチーフ「どこまでもいける」の変奏的なセリフで構成した、マジックアワーの橋の長回しがあります。あそこは人物の顔が見えないですよね。

下北沢のK2の公開中にも「見えない」と言われました。「誰が話しているのかわからないけど、なぜか感動した」とも(笑)。
皆でつくろうと言いながらも、カメラポジションやカット割りなどの部分は、自分だけが追及している映画の道に出演者を引きずり込んでしまいました。誰が見ても映画的だと感じるカットがひとつはないと、と思いつつ、ここは顔が見えないほうが面白いだろうと判断しました。

──長回しのシーンはいずれも準備、いわゆる「段取り」が必要だったと思います。どれくらい段取りをおこなわれましたか?

最も段取りを組んだのがあの橋のシーンでした。というのも、時間帯の問題が大きくありました。あの暗さを狙えるのは多くても3テイクくらいだから、パンなどのカメラワークも決めておかないと撮れないと思って、学校で歩いてみるリハーサルからやりましたね。
ほかの長回しだと、手話でラップするシーンでは場を整えることはしましたが、感情が炸裂する先までの段取りは一切せず、思い切りやってもらえばファーストテイクがいちばんよくなる筈だと思い、その準備をするいつも通りの演出をしました。
橋の長回しはぼくもとても好きで、段取りしてよかったと思いました。見てくれた学生に「宮崎さんは長回しがうまいですね」とまで言ってもらえました(笑)。
そして風景の歴史を剥ぎ取りたいと言いながら、橋のシーンの禍々しさは大和トンネルの米軍機事故にまつわるかなしい歴史がにじみ出ていたように思います。

──橋のシーンでは、セリフを邪魔しないレベルで環境音を響かせています。録音は短編作『ヤマト探偵日記 マドカとマホロ』(22)以降組んでおられる山崎厳さん。あの音は同録でしょうか。

見る人が「ここはセリフを聞かせたいんだな」と感じる音の演出は避けたかったので、同録の音にあとで少し足しました。組みはじめた頃に山崎さんが言っていた「基本的にピンマイクは使わない。その場でそう聴こえる音を採用する」という哲学が最近腑に落ちてきました。そのままの現実を映画にするんだよという。

──あそこでピンマイクは使いましたか?

演じるふたりに付けていたけど、セリフの音量は下げて環境音のほうを上げたと思います。意識的にノイズを拾っています。

──あのシーンも演劇と映画が拮抗していると感じました。演劇を最優先するならああいう音にしないでしょうし、一方で突然あのセリフを語り出すのは演劇性があります。

あのようなセリフを、あのセリフ回しで言えば演劇的になります。ほかのシーンも、演劇出身の俳優が映画的な場所で演劇的なセリフ回しで芝居をしたら、それは映画になるのかという実験的な意図で取り組みましたね。
それにしても、演出されたと自覚した俳優は少なかったようで、一体普段どれくらいわかりやすい演出を受けているのかわかりませんが、「いやいや、ぼくが監督なんだけど」とツッこみを入れないと気づかれないほど、自分が透明化していました(笑)。

──しかし出演者が監督の存在を気にせず、「自分たちの映画だ」と思える作品はいい映画ではないでしょうか。

たしかに。素晴らしいことだなと思います。元々それを目指していたわけですしね。映画監督の自意識は面倒です(笑)

 


──そうした映画の在り方をXアカウントのスペースでも話しておられて、本作はある意味で「作家不在」の作品とも言えそうです。それを監督は以前より「自分はディレクターじゃなく、音楽のミキサーの立場にいる」と喩えてきましたが、本作との関わり方を改めてお話しいただけますか?

まず、この映画の制作規模はとても小さく、経験のあるプロスタッフや俳優が揃っているわけでもない。そのような環境で、監督主導で決めた配役と脚本を押し通して作品を撮るところまで、ぼくは窮してなくて、自己表現にもさほど飢えていません。それよりも、こうした限られた条件の場所でこそ出来る、自分の人生と近いことを実践したかった。
そもそも映画は、誰もが平等に働き平等に豊かになる協働主義──共産主義や社会主義とは呼びたくないですが──を夢見てきました。しかし、構造上それは無理といってもいい。映画は成り立ちからして資本主義システムそのもので、工場のシステムに近く、そもそも資本がないとつくれない。なくてもつくる何らかの脱法的な方法はあるでしょうが、多数の人間が関わることがほとんどで、そうした体制下では限界がある。また、雇用や社会的責任の発生と同時に権力の傾斜も確実に出てきます。そこで責任を取らない監督や制作者には誰も付いて行きたくない筈です。そうした前提を誤魔化した結果、カルト化を経て内圧が高まり内ゲバ状態に陥ったり、思想だけが先走った搾取構造がのさばるという歴史が──政治と同様に──何度も繰り返されてきた気がします。
そういう過去を踏まえて、この映画は何もないところから皆で可能な限り話し合い、助け合い、出来る範囲で出来ることをして作品を作っていこうと決めました。現実の社会ではときに可能でも、映画制作においては実現不可能と思える協働作業に、これを機に挑んでみようと思ったんです。
それは自分の生き方や在り方のうえで立てている大きな理想ではあるけれど、実践するには厳しい道のりであることも経験上わかっています。完全に実現するのは無理だとしても、限りなくそれに近い状態で試行すればどうなるか。それを模索したかった。今後ずっとこのやり方でつくるのも負荷が多くて無理だろうけど、本作は映画的にどうこうよりも、自分の生き様を試す場だ。そんな思いで臨んだ部分も大きいです。

──出演者たちが配給・宣伝も担当しているのは、ひとつの理想形ではあるけど、それが持続可能かといえば……

難しいでしょうね。続けるのであればまず出入り自由な柔らかい組織をつくらないといけないし、いくら柔らかくても労働の不平等はどこかしらに生まれます。それに何より組織をまっとうに運営するには、まっとうな資金が必要です。映画でも演劇でも過去にそれを実行しようとした人たちは数多いましたが、そこでも瓦解が繰り返されてきましたよね。本作はたまたまこの組み合わせで皆が集まって、たまたまお互いを一時的に助け合えたから出来上がったイメージです。偶然出会った人たちと映画をつくる機会はそうそうない。たまたま集ったキャスト・スタッフたちと皆で作品を世に出す、配給・宣伝までする形は滅多にないですからね。

──手話を使っている出演者がいます。それに関してはまったくと言っていいほど発信していません。

映画美学校アクターズ・コースのこの期を受け持ち、初めてろうの人たちと出会いました。彼らと半年間ともに時間を過ごし、この映画をつくりました。彼らからろう文化のことや手話でどう演技をするのか、あるいは日頃の生活のどういう局面で苦労しているのかなどを聞いて、そうなのかと初めて気づくことだらけでした。それを経て、出来る限りそのことと自分ごととして向き合い、そうした人たちに向けた上映方法を考えることにしました。
ぼくはそれまで、ろうの方に向けて映画をつくる経験や価値観がなかった。その後の『#ミトヤマネ』では少しは出来ましたが、当時はそこまで考えが及ばなかったんです。ただ、それを映画の外側に「ろう者が出演している」「そういう人に向けた字幕を付けている」と掲げると、多少の宣伝効果はあるかもしれないけど、それは彼らを自分の外側に置いてしまい、単なる消費になってしまいます。多様なものがそれぞれに同じくこの世界に存在している。だからそこでは線を引いてこっちがあっちがという論理は存在しない。ただしシステムがこれまで強いてきた断線を溶かすためにもお互いを理解するためのコミュニケーションや努力は必要で、今回自分にそれがたまたま起きたということです。

──ろう者は何人おられたのですか?

10人強のうち、3人がろう者でした。現場を共にするのに自分の知らないことが多くて、たとえば手話で話すととても体力を使うこと、当たり前ながら移動には細心の注意を払う必要があることなど。それらの体験はひとつひとつ自分の当たり前を更新し、世界への新たな視座を切り拓いてくれた気がします。人はそれぞれに「普通」と言われるものに対して何か過剰だったり不足だったりしていると思ってしまうものですが、そんな過剰や不足こそが世界の新たな可能性を見せてくれるきっかけであり宝物だ。そう考えるようになりました。
口語と手話では言語が違うと実感する機会も多く、伝わりづらい言葉も沢山ありました。それを伝える術やコミュニケーションの手段を考えるのは、すごく勉強──そう言うと言葉の重みに欠けますが──になりました。
でもそうした経験を作品の前面に掲げたいとは一切思わないんです。政治的なスタンスもそうですが、掲げなければいけないときがあっても、それをわかりやすく消費するのは嫌で、生き方としてあるいは表現のなかで実践したいんです。だって思いやりとかケアとか利他などは、ほとんどの動物が備えている本能であって、それを前面に出して商品化しなければいけないほど人類は追い込まれているってことですよね。一度それらを消費してしまうと、その人の底が知れる気がします。

──「バリアフリー映画」とも謳っていません。

当たり前にバリアフリーが実践される世界を夢想しているというのがまずあり、そのきっかけになれたらなと。ただ、今の形になるまでに、ぼくの認識不足の点があって、完成までに議論を重ねました。字幕の扱いや、ろう者の方々だけに向けて上映環境を整えればいいのか、でも盲の方にまで届けるには予算が足りない。そういった対話や思考を何度も経験して自分のなかで広がったことは多いです。
先ほどの話題に戻ると、やっぱりその部分でもバリアフリーとひとくちに言っても、すごい額の予算が必要になります。たとえば、手話通訳の費用を自分で担っている方も多いです。なぜ国が全面的にサポートしないのか。国民が生きるために必須なサポートをせずして推進する国家事業とはなんなのか。憤りは止みません。こんなことばっかり言っているから怖がられるのかもしれませんが(笑)

──下北沢の上映時にはトークに手話通訳の方も招いていました。

とにかく何より、彼らとお互いに人間として尊重し合えることが大事でした。だから声を大にして、ろうがどうのなんて語るつもりはなくて。でも、こんなことを言っているから外部をタキシード着て鑑賞する国際映画祭に呼ばれないんでしょうね(笑)。

──それはまた別の事情があるのでしょうが(笑)。

さっきもお話ししたように、『VIDEOPHOBIA』で道を間違えたと指摘されることが最近多くて、「作家性とはいまや計画的な反復だ、なぜあの路線を続けなかったのか」と。まあそうだなと思いながら生まれたのがこの映画です(笑)。やっぱり変わりつづける、更新しつづけることこそが自分の表現であると思います。冗談ですが、今後は生活と老後のために『VIDEOPHOBIA』シリーズみたいな映画を4年くらい撮り続ける説もあります(笑)。

──(笑)。本来ならばもっと早く公開された筈の作品ですが、この順になってよかったと思えます。

本当によかったです。一縷の希望を信じる映画が公開されて、いや、まだ絶望が足りないっていう破滅的な映画が公開されて、ゆるやかな信頼を取り戻そうとするこの映画という順なので。今後、仕事としての映画は別の方向へ向かうでしょうが、生き方は本作をよりどころにして、いつも心にBUSH(茂み)を育てながら、合間ごとにこうした挑戦的な映画をつくれればいいなと思っています。

──配布パンフレットもDIY。『大和(カリフォルニア)』(2016)の主人公のリリック「I’m independent」に監督が戻ってきたイメージも覚えます。

そうですね。このようなパンフレットもこれまでになかったものです。最初はもっとパキっとしたお洒落なものをつくっていただいたんです。それに対して「もっとその人らしさ、その人の本質が垣間見えるようなものがいい、多少粗くても」と珍しくNGを出して。ぼくは何かと「本質なんて世界にはない」と主張する監督なんですが(笑)。
「魂を込めてつくり直してほしい」とこれまたダメな演出家みたいな指示をして出来上がったパンフレットは、実に素晴らしい出来栄えで、本作のすべてがこもっていると言っても過言ではなく。大阪でも100部ほど配る予定で、これも手に取ってほしいです。

(2024年5月28日)
取材・文/吉野大地

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