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小林豊規監督作『静かに燃えて』  犬童一心ロングインタビュー(後編)

(インタビュー前編)

インタビュー後編では、犬童一心監督につくり手の視点から『静かに燃えて』の魅力を掘り下げていただいた。作品キャッチコピー「告白できないこの想い」とは裏腹に(?)、画と音に滲み出る小林豊規監督がデビュー作に込めた想いとは?

 


──犬童監督は完成した『静かに燃えて』をどのタイミングでご覧になりましたか?

試写に行けず、小林くんから「下北沢トリウッドで公開*が決まったから観に来て」と連絡をもらいました。そこで観るつもりが、ちょうど公開期間にインフルエンザにかかって体調を崩してしまい、「今後の上映は?」「まだ決まっていない」という話になったんです。それでオンライン試写のリンクを送ってもらって観てみると、これはほかの劇場でも上映したほうがいいと思って、「劇場を探すから」と伝えました。
*2023年10月13日公開

──その後の今年3月の池袋シネマ・ロサでの再上映を、追悼上映と思われた方がいるかもしれません。でもご生前に決まっていたんですね。

そうです。シネマ・ロサで番組編成を担当している勝村俊之さんに連絡して資料を送り、作品を観てもらって上映が決まったときは、まだ小林くんは普段通りに過ごしていました。彼自身が勝村さんとやり取りをはじめて、「上映を決めてくれたから食事をご馳走したい。何がいい?」とメールをもらい「何でもいいよ」と返信すると、次に「どこがいい?」と訊かれて、「こだわらないからどこでも構わないよ」とまた返すと、そこでメールの往復が途絶えました。後日、その翌々日くらいに亡くなっていたことを知りました。僕はシネマ・ロサの大きなスクリーンでもう一度観て、そのあと映画について話すつもりでいたし、突然のことでした。
次の作品をすごく観たかったですね。『静かに燃えて』のようなストーリーを書けるなら、次はより拡がりのある脚本でさらにすごい映画をつくれたかもしれない、また撮ってほしかったとスクリーンで観て感じました。

──そう思うクオリティです。犬童監督がこの映画に寄せたコメントに「一体昭和何年だみたいな世界」という言葉があります。これは幾つかの解釈が出来て、作品世界を指しておられるのと同時に、手法にも当てはまるように思えます。

今の時代の映画の流行、そんなものが無い。子どもの頃から蓄積されて出来た映画の型(かた)みたいなものが彼の中にあり、それに忠実に、なおかつ昔より巧くその型を披露していると言えばいいでしょうか。積み上げてきたものがある境地に達して、ゆとりを持ってその手付きを披露するのは古典芸能に近いかもしれない。

──犬童監督が作品紹介のために出演されたラジオ番組で、ロメールとトリュフォーの名前を挙げておられました。この機会に詳しく伺えればと思います。

ロメールと『静かに燃えて』に共通するのは映画のつくり方で、ベースとして登場人物が必要以上に多くない。画を正確に積み上げることで、リズムを持ってその人たちの関係を見せていく。ロメールのそういう部分を小林くんはすごく好んでいたと思います。一方のトリュフォーの映画には、「情念」的なものが写し出されますよね。その温度が画面まで出て来ない引いた距離感でロメールの映画は観られるけど、トリュフォーの映画には撮っている人が人物の気持ちに同化していくところがあります。『静かに燃えて』もそうで、ロメールのようにつくろうとしてトリュフォーになっちゃった印象を受けます(笑)。
容子(とみやまあゆみ)の由佳里(笛木陽子)に対する「情」が画面にすごく乗っている気がしますね。ロメールはどんな状態になっても最後まで近づくのを我慢する。でも『静かに燃えて』からは、どこかでカメラも情と一対化しそうな空気をどうしても感じる。クールにつくろうとしていても、小林くんの気持ちがヒロインに入ってしまうことが折々のシーンで漏れてしまう。その徹底し切れないところがいいですね。

──特にそう感じたシーンを教えていただけますか?

容子が由佳里を待っていて、そこから展開して束の間の妄想に囚われるくだりに最もわかりやすく表れていると思います。ベッドシーンがいきなり始まるところ。それから、ふたりの関係の最後の描写もそうで、あそこはそれまでのタッチから考えれば、もっとクールに捌いてもいい筈。演技・演出ともに、それまでの態度を一生懸命に保ってやり切ろうとしています。でもその態度ではやり切れなくなってしまっている(笑)。情がダダ漏れになっていく。そこがまたいいんです。

──確かに全体は抑制されているのに、ところどころでパッションが溢れ出しますね。

この映画は女性の物語で、同じ家で暮らすことになったふたりのあいだに見えない壁がある設定にしています。一緒にいることで気持ちが高まる容子は何とかしようとするけど、逆にもし由佳里に想いが伝わるとふたりの関係が崩れゼロになるかもしれない。だから隠そうとする。でも隠そうとすればするほど気持ちは決壊、触れてしまいたい、全てが欲しいとなっていく。それがサスペンスになっています。時代や戦争といった大きな壁を設定してつくったドラマではなく、一部屋のふたり、情と肉欲、その関係。すごくシンプル。小林くんはそういうほうが好きなんでしょう。きっと想いを隠し続ける容子を見ていたかったのだと思います。コメントにも書きましたが、歳を取った人間──この映画を監督した小林くん──が、そういう状態の人間を見つめて一緒に興奮するのは谷崎潤一郎的ですよね。

──設定や構成は違いますが、犬童監督の『メゾン・ド・ヒミコ』(2005)に少し似たシーンがあります。ただ、犬童監督は徹底して引いた目で撮っておられます。

オダギリジョーさんと柴咲コウさんのベッドシーン。あれはカット割りを決める段階で、実験をするように撮ることにしました。その前に、同性愛者の春彦(オダギリジョー)が沙織(柴咲コウ)に好意を寄せていきなりキスをするシーンがあり、そのあと一旦ふたりが考える姿を見せて間を置いて、その後までの流れを積み上げています。
続くベッドシーンは科学映画のように撮れば、そのシーンの真意が伝わるんじゃないか、そういう前提でカット割りをすべて決めました。ふたりが確かめながら試そうとしていることを「実験」として撮ることで、シーンが持つある種の空虚さを表せるのではないかと。コンテをつくって、僕はただその通りに撮っただけです。そうしないと実験みたいにならない。小林くんは違って、自分事として撮っていますよね。容子と由佳里の最後のくだりも、それが漏れ過ぎじゃないかと思うほどです(笑)。

 


──『静かに燃えて』公式インタビュー動画03で、小林監督がヤコペッティ作品と、リズ・オルトラーニの音楽に惹かれていたという少し意外な逸話をお話しされています。続けて、音のアプローチで気づいたことがあればお聞かせください。

ラストに『マック・ザ・ナイフ』を使っています。あれは『三文オペラ』の劇中歌をもとにクルト・ヴァイルが作曲したスタンダードナンバーで、多くの人が歌ってきました。小林くんは、フランク・シナトラのヴァージョンがいちばん好きだったんです。
映画で流れるのはインストにアレンジしたヴァージョンですが、幼い頃にレコードをかけていたときの郷愁に似た、懐かしい響きでスタンダードが聴こえてくる感覚を覚えました。確かもう一曲、劇中に流れる曲にもそうした響きがあります。あの遠くから聴こえてくる音楽の感じが、小林くんの心の中で最も響く音──自分がいちばん浸れる音──のように思えます。かつての記憶を含んだ響きというか。パーソナルで、すごくクリアに聴こえるわけではない昔の音、それがとても幸せだった時間を象徴していると言えばいいのかな。

──ハイファイすぎない音という印象を受けます。

少し遠い音という意味では、最早ローファイです。『マック・ザ・ナイフ』は彼が小さい頃から好きだった洋楽で、そこには過去の記憶が刻まれている。小林くんの個人的な記憶だけど、それを同じように味わってくれる人がいると思って使ったと思います。僕もそうで、あの音質のあの曲にすごくハマれる。ラストシーンの前で流れはじめるのは、彼女たちふたりのいちばん幸福だった懐かしい記憶の象徴だと感じました。

──セオリーで考えると、あれは登場人物には聴こえてない音楽の筈なのに、聴こえているようにも響きます。今のお話でラストの単純なアイデアが心に沁みる理由がわかりました。

たとえばフェリーニも遠くから聴こえる音をうまく使っていますね。小林くんも好きだった『カビリアの夜』(57)のラストで、絶望したジュリエッタ・マシーナが夜道を歩いていると、先にどこからか音楽が聴こえてくる。そのあと林の中からアコーディオンやギターを持った若者たちが現れて彼女を取り囲みます。そこでひとりの女性が「こんばんは」と声をかける。遠くから音が響いてくる流れの中で、何でもない一言がジュリエッタ・マシーナを救う。センチメンタリズムではあるけれど、小林くんはそういう映画の手付きが好きなんでしょうね。

──音楽を担当した金剛地武志さん(yes, mama ok?)*がシネマ・ロサのトークで「監督からパーシー・フェイス・オーケストラのイメージで、とリクエストされた」と語っておられます。やはり小林監督のパーソナルな部分と結び付いた音の活用だと感じます。
*催眠術師・剣持要役で本作に出演

8mm映画の音をイメージしたようにも思えるし、好みのものや情緒に惹かれたものを自分の手法として身に付けていったのだと思います。

──人物の距離感だけでなく、そうした音の距離感のつくり方も巧いですね。

フェリーニより計画的で、音楽の選び方も有名になってしまっていますが、『酔いどれ天使』(48/黒澤明)の肺病で悲観的になった三船敏郎が闇市を歩くシーンでは、闇市のスピーカーから『かっこうワルツ』が流れています。絶望して青白い顔をした三船の姿に、スピーカーが鳴らすとても楽しげなムードの音楽を乗せて見せる。その対位法は有名になって、多くの映画が真似する効果的な技法になったけど、劇伴じゃなくその場と離れた位置から鳴る音の使い方がいい。

──『静かに燃えて』では、二度写る街頭スピーカーから流れる音楽も使っています。シチュエーションに応じて音量を変えていますが、一度目はご指摘のような「遠い」音です。

小林くんが大好きだった『生きる』(52/黒澤明)だと、志村喬演じる男が、かつての部下の女性に喫茶店で転機を促されて急に顔色を変えて出て行こうとする。誕生会にやって来た女性と階段ですれ違い、その空間に誕生会の『Happy birthday to You』の合唱が鳴り響く描写がありました。小林くんはそういう音の使い方にも惹かれたんでしょう。
『マック・ザ・ナイフ』に話を戻すと、やっぱり質感も重視していますね。楽曲自体は彼の体験の中にあるものでも、音の質感が登場人物と観客の幸福な記憶にフィットしている。ああいう音の活用はテレビドラマでも出来なくはないだろうけど、音の質が伝わる映画の方が適していると思います。

 


──犬童監督の初長編作にあたる『二人が喋ってる。』(95)のDVD特典インタビューで、「コンセプトと完成した映画のあいだにほとんどずれが無く満足度が高い」とお話しされています。いま観てもそう感じるし、映画に限らず音楽でもデビュー作にその人のやりたいことが詰まっているとよく言います。『静かに燃えて』もそういう作品と位置づけられるでしょうか。

ずっと8mmで撮ってきて何本もつくっているうちに自分の手法が明確になった。それから長編を撮らずにいたから長いブランクがあっても、8mm時代の延長線上にあるデビュー作だと思うんです。『静かに燃えて』を観て次回作を撮ったほうがいいと思ったのは、小林くんが持っている手法が長編に合っていると感じたからでした。彼の画を積み上げてゆく手法や考え方は──リズムも含めて──タメをつくるのに向いています。どこかで発散させたり途中で抜かずにタメをキープして、あるタイミングでドラマが決壊する。
ドラマのつくり方には起承転結や序破急があります。『静かに燃えて』も細かい部分でそれが見られるけど、後半まではずっとタメていて、それを支え切れなくなったポイントで決壊します。短編だとタメが効かないから、決壊したあとの快感が少ないですよね。この映画のタメてタメてタメておいて……、パーンとまたはじまる展開を観て、やっぱり90分くらいの尺が必要なんだと思いました。長くなった分、すごくタメを効かせて決壊後をはじめるから、そのあとがすごく面白く感じられる。
後半に、それまでのストーリーとは関係ない人物が入ってきます。あのあたりで完全に映画が変わって、語り手も変わる。画の積み上げと時間配分が、とてもいい感じで組み合わさっています。

──話者が代わるのは音楽の転調のようだと感じました。抑制されていた曲調がそこから変わるイメージを抱きます。

あのように関係ない人物を出すのは、小林くんも僕もとても好みです。それまで出てこなかった人物が全部引き受ける形になる(笑)。絵にまつわるある描写も、関係ない第三者が受け止めるじゃないですか? そのあと元のドラマに戻るけど、本来のストーリーを引き受ける役割を関係ない人物に委ねる。そういうところにも小林くんの哲学を感じます。

──あれは大技ですが、そこまでが丹念に練られているので繰り返し観ても飽きが来ません。

関係ない人間がそこへ現れて引き受ける形のほうが、観ていて気持ちが乗りますよね。「なぜここに第三者が出てくるんだ?」と思う人がいるかもしれないけど、積み上げてきたものを壊しているのがとても気持ちいい。
情念に落ちた物語をクールに引き受ける感覚。つい前のめりになっていた作家が元の席に戻るような。

──面白さの背景にはそういうつくり方があるんですね。それから絵で思い出したのは、『メゾン・ド・ヒミコ』で壁に飾った過去の写真を巧みに使っておられました。『静かに燃えて』の壁にかけた絵は、もう少し違う効果を生んでいると感じます。

主人公の描いた絵が、作品全体の重要なモチーフになっているからでしょうね。それに、映画のつくりに派手な装飾が少なめだから、壁にたくさんの絵を飾っているだけでスペクタクルが生まれる。『フェリーニのローマ』(72)では、地下鉄工事で遺跡が見つかります。そこに空洞があるといって穴を開けると、壁一面に描かれた古代ローマのフレスコ画が空気に触れたせいでどんどん消えてゆく。先ほどお話しした終盤の絵にまつわる描写は、それを反転させたように、絵がすべて現れてくる。この映画で最大のスペクタクルに仕立てられています。描写に再生の感覚がありますね。

──恋愛ドラマだけでなく、サスペンスやスペクタクルも楽しめます。エンドロール前のカットのあっさりした切り方にも小林監督の美学を感じました。

もし次の長編を撮っていたなら、この経験を踏まえてつくるだろうから、さらにいい映画になったでしょうね。その意味でも、やっぱり次を観たくなるデビュー作です。

──それを神戸映画資料館のスクリーンで多くの方に確かめてほしいと思います。犬童監督の6月2日の上映後トークも楽しみにしています。

(インタビュー前編)

(2024年4月29日)
取材・文/吉野大地

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