神戸映画資料館

WEB SPECIAL ウェブスペシャル

『しんしんしん』 眞田康平監督ロングインタビュー

© 東京藝術大学大学院映像研究科

10月6日(金)に眞田康平監督の新作『ピストルライターの撃ち方』が神戸映画資料館で公開される。これにあわせて7日(土)・8日(日)に上映される『しんしんしん』(2011)は、眞田監督が東京藝術大学大学院映像研究科第5期生の修了制作作品として撮り上げた長編デビュー作。テキヤの男のもとに集まった若者たちが家族に似た共同体を形づくり、トラックに乗り込み漂泊がはじまる。カメラが切り取る「失われそうな」風景の幾つかは、おそらく今はもう「失われた」ものであろう。だが映画の湛える寄る辺なさと精緻な人物描写は、むしろ現代性を伴いスクリーンに立ちのぼる筈だ。13年近く前になる撮影当時のことを振り返っていただいた。

 


──まず時系列を遡らせてください。本作の完成と監督の藝大卒業のタイミングは、東日本大震災に重なっていたのではないでしょうか。

撮影が2010年の12月でした。編集がほぼ終わり、本来なら完成させてないといけない頃に、当時教鞭を執っておられた黒沢清さんに講評していただいてから直しを入れて、「ようやくこれで完成だね」と言っていると東日本大震災が起こりました。

──いま見ると、震災発生の少し前の日本の空気を思い出す側面もあります。タイトルの由来は、はっぴいえんどの楽曲ですね。メロディやリズム、音色や歌詞のどの部分に惹かれましたか?

歌詞でしたね。なぜだかわからないけど高校生のときに、はっぴいえんどのカヴァーアルバム『HAPPY END PARADE~tribute to はっぴいえんど~』(2002)を買い、収録されたキセルmeets細野晴臣のヴァージョンが気に入ってよく聴いていました。そこから遡り、オリジナルアルバム『はっぴいえんど』(1970)もレンタルした記憶があります。そのときも「この曲はすごくいいな」と思ったのを覚えています。最後の「誰が汚した」とリフレインする一節が響きました。

──歌詞のイメージを長編映画にどのように活かされたのでしょう。

物語自体は別のイメージを持って来ていて、「クライマックスでこのような曲を聴かせたい」と思い、仮題をずっと『しんしんしん』にしていたんです。それに対して、役者陣などから「タイトルはそのままでいいんじゃないか」という意見がありました。幸いなことに細野さんの事務所に交渉してくださる方を紹介してもらえて、企画を説明してこのタイトルで進められました。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

──我妻三輪子さんが演じる千里に与えられるもうひとつの名前「ユキ」の由来も歌詞でしょうか。

そうですね。「積もる雪を誰が汚した」という歌詞から、源氏名のような名前を付けました。

──本作が描く疑似家族のモチーフは新作『ピストルライターの撃ち方』(2022/以下『ピストル』)にも引き継がれています。発想の源を教えてください。

これも色んな映画から引っ張って来ていて──今では記憶が曖昧ですが──当時、明確に大きな影響を受けていた作品の1本が『プラットホーム』(2000/ジャ・ジャンクー)でした。あの幼馴染みの劇団員たちが旅を続けるイメージ、それから『旅芸人の記録』(1975/テオ・アンゲロプロス)の一座のように、バラバラだった人たちが一台のバスで移動してゆく。そういうものを撮りたいと考えていました。同時期に読んでいた中上健次の『枯木灘』(1977)の影響もあったかもしれません。
その頃は20代後半で、自分のやりたいことをとことんやって2年間の藝大生活を終えたい思いがありました。いま見直すと、すごく無茶な試みがうまくいったところもあれば、そうでないところもあります(笑)。でも、そこに挑戦していたのはすごいなと思えます。

──公開時の濱口竜介さんの寄稿には「登場人物たちと同様に監督も映画の〈ほんとう〉を探し当てようとしている」という主旨のことが書かれています。撮影にはどのように取り組んでおられたでしょうか。

現場では色々なことが追い付いてなくて、僕のチームだけプロデューサーがいなかったんです。最終的にプロの方が入ってこられましたが、脚本の飛び散らかった要素を現実的にどう落とし込むか、そこで揉めに揉めました。でも「どうしてもこれをやりたい」と無理を押し通して、たとえば朝の現場は下見していても、夜は到着していきなり「ここで撮ります」という状況もありました。カット割りを自分で全部その場で考えたりもしましたね。事前に決めていたところを除けば、その場の勢いで撮ったシーンもあります。

──冒頭の長回しのロングショットははじめから固めておられたと思います。

オープニングはワンカットの長回しでいきたい。事前にスタッフたちにそう話していました。ほかのシーンもほぼワンカットで撮っていましたが、技術部から「ここには表情が要るだろう」といった声が上がってきた場合は、それを押さえる撮り方でした。基本的にすべてのシーンの芝居はほぼワンテイクで進めて、必要があれば「ここで寄りを撮っておきましょう」という流れでしたね。ほとんどが2カット、多くても3カットに割った構成になっています。

──本作も『ピストル』もサイズはシネマスコープです。本作でシネスコを選ばれた理由を教えてください。

人が多く登場することや、シネスコだと人とカメラの距離が少し引き気味になり、背景のなかに人物を配置していけば画を処理しやすくなる感覚がありました。それが結果的に題材にもハマったかなと思います。

──公開時、山根貞男さんが『キネマ旬報』に連載されていた「日本映画時評」で本作を「どの人物も精彩を放つ」と評されていて、見直してもたしかにそう思えます。人を撮る際にどんなアプローチをされたでしょう。

顔のお芝居はあまり撮りたくなくて、それよりも全身から写る表情が大事だ、と伝えていました。それから役者陣がやればやるほど固まるチームでした。偶然ながら本能的、感覚的に演じる人が集まったので、ほぼテストなしで動きだけ説明して、1回目からカメラを回していました。朋之役の石田法嗣くんや我妻さん、疑似家族の父親・芳男役の佐野和宏さんの、待っていたものに対して運動神経で反応するお芝居がすごくよくて、ファーストテイクが一番よいんです。
それに対して、のちに『ピストル』で主演を務めることになる裕也役の奥津裕也は、割と周りを見てちゃんと演じるタイプでした。彼が舵取りをして、ほかの人はそれに合わせてもらい、その場で起きたことをとりあえず──カメラワークはすべてしっかりと決めていませんでしたが──フレームに収められればいい。そんな感じでした。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

──裕也は疑似家族のなかで長男のポジションです。撮影でもその役割を担っていたんですね。

お芝居の面でも奥津が調整役的な位置づけでした(笑)。

──若い朋之とユキのキャラクターはどれくらい固めておられたでしょう。脚本と別にバックストーリーを準備される方もいます。

僕はバックストーリーを書かなくて、漠然とした説明をする程度ですね。脚本があれば話は出来ているので、それ以上でもそれ以下でもなく、脚本から考えてもらったものを実際にやってみて、それを調整することが多いです。
記憶では朋之を「流される受け身の主人公」と設定していました。演じる石田くんは天性の写りのよさを持っていて、居るだけでちゃんと存在を感じさせる人です。現場で「ここではこういう芝居を」「朋之はこんな人物だけどどうだろう?」と話した覚えがあって、そこからずれることもなくすごく映画にハマッてくれました。本作の前に一緒にやっていた経験も活きました。
我妻さんは独特のヤバさを持った人で(笑)、芝居もいちばんハネている。ユーロスペースの北條誠人支配人も「運動神経がすごくいい」とおっしゃっていました。芝居相手とのやり取りをどんどん進めていける人という印象でしたね。最初から見ていて楽しかったです。

 


──先ほど「顔」というワードが上がりましたが、本作で顔と視線を意識させる切り返しは3つだけです。公開当時からファーストカットに続く切り返しに言及する方が多くいた記憶があって、いま見ても不思議なインパクトがあります。監督からのアイデアでしたか?

僕が出しました。ワンカットのままでもいけるだろうと思っていたけど、先ほどお話ししたように技術部からは「でも顔もちゃんと撮らなきゃいけないよ」と言われていて(笑)、じゃあワンシーンのなかで切り返すならここでひとつだけ、と提案しました。

──裕也が朋之とユキに向けた主観ショットなので、ベタになりそうですが見るたびにいいと感じます。

何かいいですよね。あそこまでは5分以上あって、急にパンと返すことで観る人が少しビクッとするからかもしれません。それと、人物対人物の会話で切り返していません。グループショットで返していて、昔の日本映画はシネスコでなくてもあのようにグループでポンポンと進める感覚があって、そのイメージを持って来たようにも思います。

──冒頭から結末まで一貫してある火のモチーフも、何か元になる作品などから生まれたものですか?

これも発端を思い出せないのですが、火や水といった原始的なものを出したいとは最初から構想していました。冒頭のシーンでいちばん大事にしたのは、何もないところから火が着くことです。ワンカットのなかで変化を起こすとすれば、火は着いたり消えたりする。そういう変化を撮りたいと思っていました。それによって何らかの効果や意味も生じてくるだろうと。
構想時にはテキヤさんに関する本も読んでいました。そのなかで、ちゃんとした葬儀がおこなえず遺体を河原で焼いたというエピソードが心に残りました。火のモチーフの源をたどると、その逸話が大きく影響したのかなとも思います。

──社会の外側付近には様々な職業があります。テキヤを題材に選ばれた理由はなぜでしょう。

脚本を書く段階で、移動する集団を描きたい思いが強くあって、藝大の同期の監督たちにもそれを話していました。いま思うと恥ずかしいですが(笑)。『プラットホーム』も『旅芸人の記録』もメインの人物は旅芸人で、日本でそれに該当する人たちの職業を考えると、たとえばストリッパーの一座もいます。でも僕は石川県の田舎生まれで、祭りなどでテキヤさんに馴染みがあったし、友達と一緒に手伝ってお小遣いをもらった経験もありました。それを親に話すと嫌な顔をされたのも覚えていて(笑)。そうした思い出や身近な印象がありながら、現代ではかつてほど見かけなくなっている。その存在感もいいなと思い採り入れました。

──テキヤと同様に昭和を思わせるスナックが序盤に登場します。実在するお店ですか?

実際にあるスナックをお借りしました。少し変わった造りですね。

──スナックで働く藍子役の洞口依子さんと佐野さんの演技、特にフィックスのツーショットは素晴らしいです。あの場所の撮影に関してお聞かせください。

基本的に、全編でテイクは3つほど回しています。お伝えした通り、ほとんどがいきなり本番から回すスタイルで、洞口さんは本当に素晴らしかったですね。撮影に参加されたのは1日のみ、撮らせてもらったのはスナックのなかと外のシーンだけです。でもテイクごとに変化して、そういう姿を見るのは僕にとって初めての経験でした。すべてのテイクがよかった。演出する立場から、リテイクしてもらうにあたり「今のテイクで大丈夫です。でも次はもう少し違うこんな感じで」とお願いすると、全然違うものが出てきました。違うけれど、それはそれで素晴らしいと感じることがとても面白かったです。

──スナックで飴の入った瓶が出てきます。あのアイデアはどこから生まれたのでしょうか。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

あれは元々、制作部が用意した現場用のお菓子でした。撮影の合間に皆がつまめるように飴やラムネを入れていたのを、佐野さんが勝手に使いはじめたんです(笑)。

──まったくそのように見えません(笑)。

佐野さんはああいうことを自発的にされますね。スナックの撮影は序盤で、まだテストをしていた頃です。テストでは手に取ってなかったのが、「本番です」と言った途端に使いはじめました(笑)。

──飴の瓶は結末まで疑似家族を繋ぎ留めるアイテムです。佐野さんのアイデアによって脚本も変更されたのでしょうか。

そうですね。佐野さんは色々な場面で独特のアイデアを出してくれる人で、僕はそれを温かい眼で見守るという(笑)。本作以降も一緒にやっていて、最近は僕が却下することを踏まえたうえで、盛ったアイデアを現場に持って来られます。この映画だと過去に住んでいた家のシーンで、玄関の板や、窓に貼られた新聞紙を剥がすのも佐野さんのアイデアでした。

──さすがピンク四天王のおひとりですね。家といえば最初に家族が暮らしていた家屋が解体されるシーンがあります。

あの家は制作部のスタッフが建設業者を幾つか当たって、千葉の奥のほうで解体日程が決まっている家を見つけてくれました。「取り壊す前なので好きに使ってもらっていいです」と言っていただいたので、なかでも撮影しています。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

──解体シーンでは家族のバックショットを撮っておられて、やはり顔のリアクションがないですね。

当時は、顔が生む情報はあまり必要ないと思っていました。あのシーンも背中と画面の奥で起きる出来事だけ撮れば、それだけで観客に伝わるだろうと。

──写っているものだけで情感が伝わります。あそこは家族が横一列に並んでいます。屋台やトラックの荷台のシチュエーションも関係したと思いますが、人物をよく横に配置している印象を受けます。

横並びはたしか最初から決めていました。人物の配置や導線をすごく考えた覚えがあります。西佐織さん(撮影)に伝えていたのは、移動ショットがあるとしても、ひとつの画からもうひとつの画にいく画角にして構図を決めたい、そのときに人の配置はなるべく守りたいということでした。そう言いながら、記念写真のシーンなどでは全然それが出来ていなかったりもします(笑)。勢いに任せて、最後の位置だけ決めてカメラを動かしたシーンもありますが、そういう撮影のイメージを抱いていました。あるところから人が歩いて、配置したポイントで止まるという撮り方ですね。

──移動といえば、走るトラック幌のなかから見える風景が遠ざかるショットはテストされたのでしょうか。

テストはしたものの……、思った以上に揺れていますね(笑)。

──逆にあの揺れがよいと感じます。スナックを出発してからの風景は見ていて気持ちがいいですね。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

あれはワンカット内で、家族がトラックに乗り込み出発して、風景が流れてゆくところまでを一連の流れで見せられたら面白いだろうというアイデアが発展したと思います。本作は、過去に自分が見てきた映画のなかの「これをやってみたい」と思ったものの集積で、あのシーンもどこからイメージを引っ張ってきたのかを思い出せませんが、いま考えるとやはりジャ・ジャンクーだった気がしますね。

──トラックが出発したのち、娼婦・日向(坪井麻里子)が疑似家族に加わります。娼婦の設定は『ピストル』にもあって、選ばれた具体的な理由はありますか?

『ピストル』も本作も、社会の少し暗部寄りの部分にスポットライトを当てたいと考えました。テキヤさんの自伝を読むと、そういう女性たちのグループと同じ宿で仲良くなって、子ども心に「あの女の人たちはどうなったんだろう」と思い出す記述が見られます。社会のそういう部分を照らすと必然的に出てくる人たちという感覚があって、その女性たちが抱えているものにも興味が湧きました。

──そのような存在を映画で描く際に心がけておられることはあるでしょうか。

自立しているというか、自力で生計を立てて生きているキャラクターでいてほしい思いがありますね。一方、内面に生じる歪みや抱えているものが物語に作用していけばいいな、と思っています。

 


──ここからはシーンの流れに沿ってお話を伺えればと思います。ほぼすべてのシーンがロケ撮影ですが、トラックの荷台の幌のなかは藝大のスタジオで撮られていますか?

なかはスタジオです。当時あった大きな校舎で撮影しました。

──日向が合流して、幌のなかで枕を使って遊びはじめると、映画に束の間の祝祭的な時間が生まれます。

脚本を書きはじめる前から映画の根幹として、ああいうシーンをどこかでやりたいと明確に考えていました。楽しいけれどそのあと悲しくなる、言い換えれば悲しくなるための楽しいシーンを撮りたかった。撮影のときは、もう皆さんの気心が知れていたので演出はさほど重要ではなく、動いてもらって修正する程度でした。ただ、坪井さんがカメラを2台持っていて、それでパシャパシャ撮るときの光を当てたい狙いがありました(笑)。そこだけは結構演出を付けましたね。

──ストロボ的な光の明滅ですね。

あの暗闇のなかでそれだけが一瞬光って見える。そこをやりたくて、元ネタはたぶん『わが友イワン・ラプシン』(1984/アレクセイ・ゲルマン)です(笑)。とはいえ引っ張ってきたのは「暗闇のなか」という断片的モチーフだけで、『牯嶺街少年殺人事件』(1991/エドワード・ヤン)にもありますね。暗い空間に光が灯るのをやってみたかった。

──想像以上に映画オマージュが詰まっていますね。カメラといえば、先ほども話題に上った山間部の記念撮影は疑似家族のひとつのピークとなるシーンです。脚本にもそう書かれていましたか?

© 東京藝術大学大学院映像研究科

あのピークの写真が映画の後半に出てくることはイメージしていましたが、脚本に書いてあるのは「眺めのいいところに着く。みんなで写真を撮る」だけです。

──そんなシンプルな言葉が、映画的な時間になっていますね。

文字だとたったの2行なのに(笑)。撮影場所に着いたときにはもう陽が落ちかけていて、暗くなるまでに出来るだけ回そうと言って撮ったシーンです。

──あの暗さはこの映画に合っているように思います。天気も曇天が多いけれど、朋之の鬱屈にシンクロしていると感じました。それから物語に欠かせないのが、途中で疑似家族から離れてしまう明美(神楽坂恵)です。芳男の昔の家で裕也と口論するシーンでは高めのテンションが求められたと思いますが、演出はどのように?

そこまでの流れで既にふたりのお芝居がかなり出来上がっていたので、現場では簡単な指示を出したくらいでした。本作にはカットしたシーンが多くて、口論の前には、ふたりきりの肉体的接触をめぐる描写があって撮影も済ませていたんです。だからあの口論にも自然に進めたのだと思います。

──口論にはふたりの人物が立ち合っていて、ひとりはユキ。彼女たちを同じ空間に置いたのはなぜでしょう。

あそこは色んなものが崩れ出す発端となるポイントで、それを共有させたかったんでしょうね。

──お話を伺いながら反芻すると、主に重要な出来事は朋之よりユキが目撃する形になっている気がします。

ユキを媒介して皆が動いたり、感受性が変化するように物語をつくっていて、彼女のキャラクターは「理想の女性」みたいになっていますね(笑)。脚本上では少し現実味を欠いていた部分に、我妻さんが生身のリアルな感情を吹き込んでくれました。

──そのあと、先にお話しした本作の3つめの切り返しがあります。これも技術部からの要請だったのでしょうか。

ここは自分で演出したと思います。当時の持論ですが、映画のなかで切り返すなら、なるべく3つ程度に抑えたいと考えていました。その返すタイミングはいちばん大事な対峙のところだよね、とスタッフたちに話した記憶があります。切り返しって、結構おそろしいことだなと思っていて──本作の前の作品はかなり切り返していますが──なるべく切り返さないように、と言っていました。

──あの切り返しもその後の展開に欠かせないシーンですし、旅館では切り返しの代わりに鏡を用いたショットも見受けられます。昔の自分の部屋での佐野さんの重めの演技は、ほかのシーンとのコントラストを生んでいると感じます。

ああいう佐野さんのお芝居は、ご自身から出て来た感覚的なものだと思います。面白いのは佐野さんをはじめ、役者陣みんなの人生と、演じるキャラクターに重なる部分があることでした。佐野さんには息子さんがいて、石田くんと奥津と我妻さんは3人とも修学旅行に行ったことがないそうです(笑)。

──『しんしんしん』に、そんな面白い人生経験が重なっていたとは(笑)。ではトラックの幌のなかの「修学旅行に行ったことがない」というセリフは即興ですか?

あのセリフは書いていました。でも実際に訊いてみるとみんな行ってないことがわかって、坪井さんだけが行っていた(笑)。

──画面からだけだと、絶対に想像できない逸話です(笑)。

だから佐野さんも、子どもの作文を読むシーンにはちょっと感慨深い心情を込められていたと思うんです。「思い入れを持って演じているな」という印象がありましたね。

 


──続いて朋之とユキが海辺から都市部の水族館へ向かいます。設定のうえで、あのあいだにはかなり距離を設けられていたでしょうか。

それほどは離れていない、電車に乗れば行けそうな距離を考えました。

──疑似家族がスナックを出発して、あのポイントにたどり着くまでにどれくらいの時間と距離を経たのかが気になっていました。

本当は1年くらいの物語も考えていましたが、季節がだんだん冬へと向かう3ヶ月から4ヶ月の時間を想定しましたね。

──そこからユキと芳男のそれぞれ緊迫した状況をほぼ並行で描き、朋之の3度目の焚火のシーンに移ります。

彼は心の鬱憤を何とか晴らしたいときに火を焚く。たしかそういう設定にしていました。それが最後の焚火では違うものになるように、とも考えました。

──火を焚く行為は同じでも、その都度抱えている鬱憤は少しずつ変化していきますね。そのあたりで芳男の実の息子・覚(中村有*)が物語に介入してきます。彼の人物造形はどのように進められたのでしょう。

    *『ピストルライターの撃ち方』にも出演。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

中村は脚本を読んで結構つくり込んできました。奥津もそうですが、中村も事前にかなり準備してくるタイプで、役づくりのために1日水族館で過ごしたりしたみたいです。「覚にはこういう過去があって……」という話をされた記憶があるので、おそらく僕の伝えていない部分まで自分で探って撮影に臨んだと思います。「覚はどういう人間か」というやり取りは撮影前に済ませていて、それ以外は特に演出を付けなかった筈です。

──面白いのは本作で奥津さんと中村さんが同じフレームに入らないことで、『ピストル』とは関係性がまったく異なります。そしてようやく朋之の内面が着火してアクションを起こす。そこで画と音楽に大胆な意匠を施しておられます。

あれはウェス・アンダーソンですね(笑)。一番いいシーンでああいうことをやりたい思いがありました。本作の前の藝大時代の作品でもそういう技法を試していて、『しんしんしん』のテスト撮影的に短編を1本撮りました。それはスタッフがキャストも兼ねた、何もない空間ですべてエチュード、という映画です。そこでもクライマックスはスローにしたくて、実際そう撮ったので、本作でも最初から明確にそう決めていましたね。でも音楽のことは当初はほぼ考えてなくて。スローになった瞬間には付けたほうがいいよねというスタッフとの話を経て、完成した映画の形になりました。

──朋之が移動をはじめてから、覚と対面するシーンまでの時空間が跳んでいます。ここもみどころで、脚本と編集のどちらの段階で省略されたのでしょうか。

水族館へ向かう、それとは別の空間を走る姿もたしか撮りました。でも編集で落としています。それらはすべて説明で、行動になっていないから駄目だと編集部(片寄弥生)が判断しました。本作は元からそういう考えで繋いでもらっていて、インサートショット的な画もほぼ撮っていません。ワンカット内の行動がどうか、という思考に基づいてこういう編集になったのだと思います。

──純粋な風景だけのイメージショットも写りませんね。それから朋之と覚が対面する空間にはユキもいますが、やはり顔の切り返しがありません。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

ユキが出てくるところにポンとカメラがいきますが、基本的には石田くんと中村のお芝居をツーショットで撮っています。最終日に撮ったシーンで、初めてファーストテイクOKを出しました(笑)。

──緊張感が漲るシーンの裏に、そんな幸福な背景があったことにも驚きます(笑)。予告編でも見られる、朋之がユキを背負って歩く夜の移動ショットで肝心の「しんしんしん」が鳴りはじめます。ただ、音を加工されていますね。

版権の問題で「アレンジした形であれば使ってもらって構いません」と許可をいただいていました。そこで友人に一から音をつくってもらい、制作の際には、はっぴいえんどよりも、キセルのカヴァーのイメージを参考にしました。原曲もすごく好きだけど、キセルのほうで、とリクエストをして。だから「全然はっぴいえんどの『しんしんしん』じゃないだろう」と思われた、もしくは今後思われる方がいるかもしれません(笑)。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

──それでも歌詞と作品世界は調和していると感じます。さて、そこからふたたび疑似家族が集うシーンへと移ります。カメラは手持ちで演技は即興、編集はジャンプカットです。この画面の構築に関してお聞かせください。

多少のセリフは準備していて、あそこもワンカットで撮ろうというプランがありました。「セリフを少し言ったあとはずっとカメラを回し続けます」とスタッフ・役者陣に言っていました。指示したのは、あの場所で何をするか程度のことです。ただ、そのあとどうなるかはわからない。ひとまず決めずにその場でやってみてくださいという感じで、たぶん3テイク撮って、そのなかからいい部分をピックアップして繋ぎました。ジャンプカットはほかにもありますね。

──屋台でお好み焼きを焼くシーンですね。あそこはその理由が窺えて、焼き上がるのに5分以上かかるため、ワンカットだと冒頭以上の長回しになります(笑)。いまお話ししているシーンも実時間を撮るとなると……

10分以上になったでしょうね。意図してジャンプにしたわけではないので心苦しい部分もあります。でもワンテイクで押さえることを目指してはいました。それがワンテイクだと流石にちょっと……、となって、再構築するために3つのテイクをバラバラにして繋ぎました。あのあとにワンテイクのシーンがあるので、こちらはその形でもよいのではないかと。

──続くワンテイクのシーンでは朋之とユキを寝かせています。そこまでにない構図で、何か狙いはあったでしょうか。

姿勢よりも、俯瞰で撮りたいというポジションのイメージが先にあったかもしれないですね。寝転がったふたりがワンカットのなかでどれだけ距離を縮められるか、そう考えたように思います。あの終盤のシーン自体は観てもらう方たちに向けて「ここまで映画に付き合ってくださったのなら、あともう少しお願いします」という気持ちで撮った記憶もあります(笑)。

──非常に繊細かつ重要なシーンです。演技の質もおそらく前半・中盤と異なりますよね。

あそこは石田くんが大変だったと思います。お芝居というよりリアルに人が涙を流すまでの姿を撮りたいと伝えてはいたものの、それがしんどいようでした。撮影中盤、そろそろテストをやめるかどうかという時期に撮った筈で、テストをしてみるとそこでいちばんいいものが出てきました。そのあと何度かやると、なかなかうまくいかず、追い詰める形になってしまって。我妻さんはあのシーンでは受け身の役割なので、タイミングなどを細かく伝えました。

──想像してみても、そう簡単にはいいものが出てこないシーンだと思います。カメラが寄りなら少し変わるのかもしれませんが。

そうですね。でも狙ったポイントに集中力を持っていくのは皆うまかった。僕は中盤あたりから「とにかく一発目で押さえないと」と意識し出していて、そういう状況のなかで撮った画です。

──こういうショットこそスクリーンに映える画ですね。そしてラストシーンで映画が終わる瞬間に、ユキがあらぬ方向に視線を向けます。何故だかすごく印象に残りますが、視線の演出はされたのでしょうか。もしそうであれば、その意図を教えてください。

© 東京藝術大学大学院映像研究科

我妻さんに「上を見てほしい」と言いました。ラストでも焚火が燃えて、それが煙になってゆく。そこで朋之とユキの発するセリフにかけて、上を向いてもらいました。

──あのラストも素晴らしいですね。最後にもうひとつお聞きしたいのは、311以降にフィクション/ドキュメンタリーを問わず、多くの作品のキャッチフレーズに「喪失と再生」が使われました。本作は震災直前にその題材を撮っていたとあとになってから思うのですが、監督はどう捉えておられるでしょう。

当時の僕は──お話ししてきた通り──好きな映画から着想を得てやりたいことをやったつもりでした。それが各地で公開されて、色んな言葉をもらうようになり「自分の映画がこんなふうに受け止められるのか」という驚きが大きかったです。「喪失と再生」というフレーズを挙げていただきましたが、「この映画は再生したあとに崩壊する物語だ」という意見があって、それがすごく腑に落ちたんですよね。自分が描きたい物語は、どこかから集まってきた人たちが一種のユートピアを形成する。それが瓦解してまた違う場所へ向かう構造になっていくんだろうなと思いました。実際、『ピストル』もそういう映画になった。
あとは「芝居がいい」という反応もいただきました。それが僕にとっては意外で、正直そう言ってもらえるほどの関心をお芝居に寄せていなかったので(笑)。自分が好きなものの集積のうちのその部分を観てもらっているんだという感触──不思議な違和感とでもいうような──を得て、色んな感想から『ピストル』みたいに脚本とお芝居で映画をつくる方向性が固まったように思っています。

(2023年9月30日)
取材・文/吉野大地

 
映画『しんしんしん』公式サイト
映画『ピストルライターの撃ち方』公式HP

ARCHIVE旧サイトアーカイブ

PageTop