『フィルム 私たちの記憶装置 Film, The Living Record of Our Memory』(2021)について 石原香絵
神戸発掘映画祭2022で日本初上映され、一週間限定でオンライン配信された『フィルム 私たちの記憶装置』のアンコール配信が実現しました。
そこで、神戸発掘映画祭2022での上映後に行われた石原香絵氏の解説を公開します。
『フィルム 私たちの記憶装置 Film, The Living Record of Our Memory』(2021)について
石原香絵(映画保存協会)
神戸発掘映画祭2022で『フィルム 私たちの記憶装置』が上映されるにあたり、イネス・トハリア・テラン(Inés Toharia Terán)監督からメッセージが届いています。
「これまで24カ国で上映された本作が、日本映画史を考えるうえでも重要な街、神戸で上映されることをたいへん嬉しく思います。製作過程では、光栄にも日本の国立映画アーカイブの岡島尚志館長にインタビューさせていただき、小宮登美次郎氏の集めた初期映画のコレクションや関東大震災の記録映画についても教わりました。本作はある意味、映画保存活動のオーラルヒストリーであり、その現在地の確認であり、デジタル・ネイティブと呼ばれる世代にこそご覧いただきたい内容です。上映後には、ぜひご意見・ご感想をお聞かせください」
字幕作業のためカナダの配給会社から詳しい資料を取り寄せた際、スペイン出身の監督がL. ジェフリー・セルズニック映画保存学校(セルズニック・スクール)の卒業生であることを初めて知りました。セルズニック・スクールとは、コダック本社がある米国ニューヨーク州ロチェスターのジョージ・イーストマン博物館(GEM)に併設されている少人数制の専門学校です。監督は同校を卒業後、国連の視聴覚アーカイブをはじめ欧米の複数の機関で資料保存に従事するかたわら、映画製作を継続しています。つまり、監督自身がアーキビストとしての知見をお持ちなのです。2時間の本篇にセルズニック・スクールの名称は一度も出てきませんが、卒業(2007年)からおよそ10年後に撮影に着手したという本作には、在学当時の同級生、GEMのスタッフ、そして(世界各地から招かれる)講師たちとの「再会」というテーマが隠されています。
インタビューに次ぐインタビューから成る本作のトーキング・ヘッズはおよそ100名。10-15分に一度は、メカス、スコセッシ、ヴェンダースといった著名な映画作家が顔を出しますが、彼らは実は脇役で、主役はあくまでもフィルム・キュレーターと数名のフィルムアーキビストです。キュレーターは表に出て話すのも仕事のうちですが、日頃から収蔵庫や作業場に篭って映画フィルムを検査したり修復したりしているフィルムアーキビストの大多数は、自らに視線が注がれることを好まないはずです。そんな彼らが監督の熱意に打たれて語ってくれたことで、本作はより貴重なオーラルヒストリーになりました。
監督の同級生としては、まずこちらの画像の背中のセリーヌ・ルイヴォ氏が登場します。ルイヴォ氏の当時の職場だったシネマテーク・フランセーズの、正式な寄贈手続き前のフィルムが棚にずらりと並ぶスペースがさりげなく使用されていますが、撮影許可を得るための手続きは一筋縄ではいかなかったそうです。もう一人の同級生、イシュマエル・ジンエンジェール氏は、以前はジンバブエの国立公文書館で働いていましたが、ジンバブエの財政破綻のために母国を離れ、オランダEYE映画博物館を経て、現在はタンザニアにある国連の視聴覚アーカイブに勤務しています。顔出しNGの同級生たちも、フィルムを取り扱っている手先の撮影には喜んで協力してくれたそうです。
ところで、映画保存をテーマにしたドキュメンタリー映画はこれまでにも複数ありました。その一部を思いつくまま以下にご紹介してみます。
1995 | 光と闇の伝説 コリン・マッケンジー |
1999 | Keepers of the Frame [日本未公開] |
2005 | アンリ・ラングロワの幽霊 |
2012 | サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ →第25回東京国際映画祭にて上映 |
セルロイド・マン 映画に捧げた人生 | |
2019 | ようこそ、革命シネマへ |
アーカイブ・タイム →Asian Film Joint2022にて上映 | |
2021 | フィルム 私たちの記憶装置 →神戸発掘映画祭2022にて上映 |
なかでも1999年に製作されたKeepers of the Frameは、本作に構成がとてもよく似ています。当時は日本語で書かれた映画保存のテキストがほとんど存在せず、この70分のドキュメンタリーは初学者向けの教材として最適でした。そこで2003年頃に製作会社と連絡を取り合い、日本語字幕の下訳までは完成させたのですが、需要がまったく見込めず、周囲の理解も得られず、結局日本での教材化の話は頓挫してしまいました。20年以上の開きはあるものの、Keepers of the Frameと『フィルム 私たちの記憶装置』には同じ人物も出演していますし、以下に列挙した通り、取り上げられているトピックも重なっています。
● 残存率
● ナイトレート・フィルムの危険性
● 国際フィルムアーカイブ連盟 FIAF
● フィルムの探索 保護 救済 寄贈 寄託 返還
● 検閲
● 法定納入
● 映画フィルム専用の収蔵庫(低温度・低湿度)
● アセテート・フィルムの経年劣化/ビネガーシンドローム
● ホームムービー 小型映画 アマチュア・フッテージ(例: 日系人収容所の隠し撮り)
● 同定識別
● フィルム・インスペクション/エッジコード
● プレシネマ
● 現像所
● 映写機材
● フィルムの補修 修復 復元(アナログ/デジタル)
● 初期映画の染色 調色 ステンシルカラー
● ポルデノーネ無声映画祭
● マーティン・スコセッシの映画財団
● 磁気テープ
● 教育映画 産業映画 学生映画
● 全米映画保存基金 NFPF
● 実験映画(例: スタン・ブラッケージ)
● 米国議会図書館/ペーパープリント
● 著作権処理
● マイグレーション
1999年のトピックが2021年になって再び繰り返されたわけですが、米国だけを対象としていたKeepers of the Frameと違って、『フィルム 私たちの記憶装置』はずいぶん広い範囲を対象としています。オーストラリアを代表する視聴覚アーキビストのレイ・エドモンドソン氏が東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合(SEAPAVAA)の設立、そして「ユネスコ世界の記憶」や「ユネスコ世界視聴覚遺産の日」の制定に尽力した動機の一つにも、やはり極端な欧米中心主義の回避がありました。そして、新たに加わったトピックがこちらです。
● ホームムービーの日 HMD
● フィルムアーカイブ活動史
● ナイトレート映画祭
● ボローニャ復元映画祭
● マーティン・スコセッシの世界映画財団
● グローバル サウス(南米 アフリカ)
● 東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合 SEAPAVAA
● オーファンフィルム・シンポジウム
● デジタルアーカイブ
● 映画保存の再定義
● デジタル復元とアナログ保存
● アーカイバルフィルム
● LTOテープ/データ破損
● エネルギー消費 電子ゴミ
● DNA保存 バクテリア保存
● 北極圏の収蔵庫
時代とともに話題が切り替わったのでなく、これらが新たに上乗せされたということは、フィルムアーカイブ機関の業務の増大を意味します。そのすべてを網羅するとなると、やはり2時間という長さに情報をぎっしり詰め込むしか術がなく、結果として本作は、一度に消化しきれないほど密度の濃い仕上がりになっています。かくも複雑化した映画保存の仕事を愛してやまない、いや、むしろ昔よりやりがいを感じ、自分がやらなきゃ誰がやるんだと覚悟を決めている専門家のなかから、世界的に活躍する3名のコメントを抜き出してみます。
「持ち主と一緒にホームムービーを上映するとき、私たちの仕事には何かしら意味があると思える」
チャリダー・ウアバムルンジット氏
タイ・フィルムアーカイブ(公共機構)代表、元FIAF実行委員
タイ・フィルムアーカイブが主催する「ホームムービーの日」は、神戸映画資料館はじめ日本でも20年以上にわたり各地で祝われている国際的な記念日です。この日、一般市民が持ち寄る8mmなど、地域や家庭に眠るフィルムが世界中で上映されます。タイ・フィルムアーカイブは無声映画祭も毎年開催し、新作タイ映画のプロモーションや学生のための教育プログラムなど、新たなアイディアを積極的に取り入れて支援者を増やしています。そして2024年春には、いよいよ国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の年次会議のホストを務めます。タイ映画界の重鎮であるウアバムルンジット氏がホームムービーの救済にまで奔走するのは、受益者でである市民の顔がしっかり見えているからでしょう。アウトリーチやアドボカシーの面で、タイから学ぶべきことは少なくありません。副代表のサンチャイ・チョーティロットセラニー氏(現FIAF実行委員)のインタビューなど、映画保存協会のウェブサイトにも情報が掲載されていますので、ぜひご一読ください。
「電気があるならいいじゃないか」
アブバカル・サノゴ氏/アフリカ映画遺産プロジェクト代表、カールトン大学准教授
サノゴ氏が語っているのは、2004年にカナダの国立公文書館と図書館が合併したときの出来事です。その際、映画を専門とする職員が多数解雇されたようです。先述の通り、昨今のフィルムアーカイブ機関の業務は混迷を極めているというのに、政府はデジタル化による効率化を建前にMLA連携を推進し、人減らしをしたわけです。そこに初めて見学に行ったブルキナファソ出身のアブバカル氏は、巨大な収蔵庫があって、立派な空調設備が整っているにもかかわらず、そこで働く職員が鎮痛な面持ちでいることに複雑な感情を抱きました。彼はまた、アフリカ映画史の掘り起こしが世界の映画史を上書きする可能性にも言及しています。昨今、女性映画人の再評価が盛んですが、アフリカ諸国の映画人の貢献も未だ十分には知られていません。本篇に少しばかり使用されているアルベルト・サママ・チクリによるチュニジアの街路を撮影した染色フィルム(フランスのロブスターフィルムズ所蔵)にはぜひご注目ください。
「映画の復元というのは先進国の概念だ」
シヴェンドラ・ドゥンガルプル氏/インド映画遺産財団代表、FIAF実行委員
ドゥンガルプル氏は、インド国立フィルムアーカイブ創設者にしてインドの映画保存の父と呼ばれるP. K. ナイルのドキュメンタリー映画『セルロイド・マン 映画に捧げた人生』(2012)の監督です。その後インド映画遺産財団を創設し、瞬く間に映画保存の世界の中心的な存在になりました。ドゥンガルプル氏のような力量ある活動家が一人いるだけで、不可能と思われた物事が大きく前進し、いまやFIAF主催の多くのイベントがインド国内で実施されています。映画遺産財団によるSNSでの積極的な情報発信も見逃せません(@FHF_Official)。高額な予算を工面して名作のデジタル復元プロジェクトを実施し、国際映画祭のクラシック部門等に出品するのも大きな成果ではありますが、それより危機的な状況にある恵まれないフィルムの救出と長期保存を優先するという財団の方針には、大いに共感させられます。なお、インドの映画保存については神戸映画資料館が発行した冊子『甦った世界の映画』(2020)にも記事が掲載されています。
以上3名の存在感が際立っているのは、昨今のダイバーシティ/インクルージョンの波の影響によるものではなく、映画保存への熱量が最も高い地域が欧米から東南アジアやアフリカ地域へと移ったからではないでしょうか。私たちも彼らの背中を追いかけ、この領域を盛り上げていきたいものです。
本作で米国プレリンガー・アーカイブズのリック・プレリンガー氏が指摘しているように、フィルムアーカイブ機関を今後も存続させるには、「なぜ映画フィルムを保存するのか?」「それが世の中の改善にどう役立つのか?」といった問いに対する説得力ある根拠が求められます。『フィルム 私たちの記憶装置』は、監督が世界各地に出向き、志を同じくする恩師や知人らと語り合い、その解を探す旅の軌跡です。本作をご覧になった皆さんも、ぜひ議論の輪に加わってください。
(神戸発掘映画祭2022上映後の解説に加筆修正 2023.11.13)
文献翻訳
レイ・エドモンドソン『視聴覚アーカイブ活動:その哲学と原則第3版』(ユネスコ)
オ・ソンチ『フィルムアーカイブ物語』(KOFA)
「フィルム保存入門:公文書館・図書館・博物館のための基本原則」(NFPF)
論文翻訳
レイ・エドモンドソン「政府が過ちを犯すとき:長距離走者としてのアーキビストとアドボカシー」
チャリダ・ウアバムルンジット「ある国の情熱と夢-タイ・フィルムアーカイブの30年」
エイドリアン・ウッド「〈オリンピック・プロジェクト〉オリンピックの性質と規模に対する1つの挑戦」
パオロ・ケルキ・ウザイ「オーファンフィルムとは何か?」
インタビュー
サンチャイさんに聞く タイの映画保存とアート・シネマの現在
アイリーン・バウザーが語る「専門職としてのフィルムアーカイブ活動」
講演録
岡島尚志
「映画保存の今後—世界と日本のフィルムアーカイブの立場から—」
「映画の歴史とフィルムアーキビスト−−今、求められる人材とは?」
YouTube 片岡一郎「アジア文化における視覚芸術説明文化の考察」
資料
米国映画保存法(原文/全文)
ユネスコ 《世界の記憶》 Memory of the World
無声映画の残存数・残存率に関する参考文献
歴代のFIAF賞受賞者
(2021年)7月29日の火災に関するシネマテカ・ブラジレイラ労働者の声明
国立オレクサンドル・ドヴジェンコ映画センターの危機