神戸映画資料館

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『カウンセラー』 酒井善三監督・百々保之プロデューサーインタビュー

共に映画美学校出身の酒井善三と百々保之がつくり上げた『カウンセラー』が神戸映画資料館で1月29日(土)・30日(日)に上映される。カウンセリングルームでの曲々しい対話を軸に展開する本作は「商業映画へのステップの自主制作」とはまったく異なる志向を備え、オルタナティヴな可能性に満ちた純度の高い娯楽映画だ。その基にあるものは何か。おふたりに伺った。

──尺は42分でも、非常に密度の濃い作品です。物語の着想源から教えていただけますか?

酒井 幾つもの要素が重なっていますが、低予算で無理をせずに1本つくろうという現実的な問題がまずありました。そこで最初に思い付いたのが「尋問」です。それを主軸につくれないだろうか、と。『検察官(「レイプ殺人事件」改題)』(1981/クロード・ミレール)などが大好きで、「これはかっこいい。尋問だけでやってみたい」と考えたんです。同じ頃、江戸川乱歩の大正期の怪奇話も読んでいました。ものすごく怪奇的というわけではないけど、話者が信用ならなかったり、現実と嘘の境が微妙にわからない、そういうテイストを取り入れたいとも思っていました。
それから、山梨の大学に通っていた頃──まだ映画の勉強を始める前──に図書館で映画の本を片っ端から読んでいました。すると佐藤忠男さんの著作に、「面白い」という言葉の語源について書かれていた。諸説あって、ひとつは楽しいときに表情が明るく弾ける状態。これが真説らしいのですが、村で何もすることがない夜に囲炉裏を囲んで話をしていて、ひとり巧みな話者がいると、ほかの皆は黙って身を乗り出して耳を傾ける。その顔が照らし出されてチラチラ白くなる。それが「面白い」と述べていたんです。その描写がすごく好きでした。
そのあとアート系など、ジャンルの分け目なく映画を見て、自分でもつくるようになったとき、やっぱり映画には見終えたあとの感慨深さがあると感じました。でも僕にとっての面白さとは、観客が思わず身を乗り出したり、話に聞き入ってしまう現在進行形の、英語でいえば「fun」にあたる感情だと思ったんです。その言葉にしようがない状態と、佐藤さんの説がしっくり来て、それもどこかでやりたいと考えていました。さらに、顔がチラチラって何だろうと考えてゆくと『羊たちの沈黙』(1991/ジョナサン・デミ)の原作者でもあるトマス・ハリスの『カリ・モーラ』の一節に、ライトの周りを蝶が飛んでいることで顔がチラチラする描写がありました。
そして、これも僕が大好きな『ブラック・サンデー』(1977/ジョン・フランケンハイマー)にもブラインドから光が差し込んで、人物の顔に縞の影が出来るシーンがあったのを、トマス・ハリスの原作を読んで思い出しました。そこで「面白い」の語源と、チラチラとは顔に写る影だということがリンクして、尋問で向き合ったふたりのあいだの豆電球へ蛾が飛んでくるイメージ画をノートに描きました。話を聞く設定の源はそこですね。「尋問」なら刑事だけど、まず「聞く」ことを仕事にしている主人公にしようと考えて、それが話を聞く職業=カウンセラーに結び付きました。
恒川光太郎さんの小説も大好きで、『異神千夜』という短編があります。山奥の老人のもとへ見ず知らずの男がやって来て、家に泊めてあげることになる。すると男が夜、「ここに妖怪が来なかったか?」と話し始める。その冒頭にとにかく惹かれました。先ほどの「面白さ」の話につながってくる気もするし、「ここに妖怪が来なかったか?」というワードで物語を始めたかったけど、さすがに現代の設定では無理だろうと。ただ、その違和感は映画に残したくて、「妖怪が見える」ならいいと思ったんです。
あと、僕は結婚して家事をやっています。ワカメスープをつくっているときに、「あれ? これ人を沈めるのに似ているな」と思って(笑)。やはり好きな『狩人の夜』(1955/チャールズ・ロートン)の海藻と髪が水中で揺れるショットのイメージもどこかに残っていたんでしょうね。そこから、ザバーッという水音が頭に浮かんで物語に組み込みました。そうして「繋がらないな」とぼんやり考えていたことと、偶然思い付いたイメージがリンクして全体の流れが出来た感じです。

──監督の思い浮かべたイメージが、かなり具体的に視覚化されていますね。

酒井 映画の大半は会話なので、最低限「ここは視覚化したい」と思うところは画にしていきました。

──「面白い」を訳すと「fun」のほかに「interest」の意味もありますが、本作からは前者に振り切った印象を受けました。娯楽映画だなと。

酒井 佐藤さんの説の囲炉裏を囲んで話している「面白い」は、やっぱり怖い話だろうというイメージがありました。それはおそらく幽霊噺だろうけど、本作には聞きたくないのに聞かざるを得ない、不安を抱えてながらものめり込まされていく話を落とし込めればいいなと思いながらつくりました。

──制作は百々さんから提案されたのでしょうか。

酒井 僕らの「監督」と「プロデューサー」という関係性の名称分けは、結構対外的な部分もあります。僕は商業映画の世界をまったく知らなくて、自主制作だけでやってきました。すると、お互いのあいだでも役割をきちんと分けられなくて。本作の場合だと書いたシナリオを百々くんに送って、「これをやります」と強引に言ったのがスタートです。百々くんはそれを現実化するために人を集めてくれました。だから、企画立案するプロデューサーではないんです。

──スタートからクラウドファンディングまでの流れを時系列で辿ると、どうなるでしょう。

酒井 時系列でいうと、2019年10月の頭にシナリオを書き終えて、百々くんと旧知のカメラマン・川口諒太郎くんに「これをやりたい」とメールで送りました。そうして「撮りたい」と思いつつも、自主だからお金の集め方がわからず悶々としていたんです。結局、その年の年末までそんな状態でしたが、実現させるために、まずブログツイッターを立ち上げて、ネット上にシナリオと予算をアップした。やはり強引でしたが(笑)。これで撮れないなら仕方ないと思っていたら、ポツポツと、特に役者さんからの反応が届き始めました。それなら突っ走ろうと思って、百々くんに「クラウドファンディングをやる」と言って、すぐにページを立ち上げました。それが2020年の2月。僕がひたすら暴走していたかもしれないですね。何も計算してなかった(笑)。

──クラウドファンディングには目標額を超える支援が寄せられました。想定していましたか?

酒井 言い出したのはいいものの、成功するとはまったく思っていませんでした。僕としてはシナリオと予算を公開した時点で全部見せて、失敗したとしても、それで自分を納得させようと思っていました。ある種の言い訳ですね。実際、クラウドファンディングの最終日まで達成額は50%ほどでした。最後の数時間で120%まで上がりましたが、その日の夕方に緊急事態宣言が出たんです。これは想像でしかないんですけど、その時期はちょうど「文化の危機」が言われ始めた頃でした。多くの方がエンタメの危機を感じていたとも思います。そのときに「こういうものを応援しよう」と思ってくれる方たちが、終了直前の僕らを偶然見つけてくれたのかもしれません。ラッキーと言ってはいけないですが、僕らの見込みとはまったく違う方へ進展しました。
クラウドファンディングのページには、先ほどの「fun」と「interest」の話に通じる、「interestの映画には社会的意義があるかもしれないけど、意義がないことに意味がある。そんなことにお金を出すのは馬鹿々々しいかもしれない。でも、それを実現させてほしい」という厚かましい趣旨を書いていました。

──「無駄」という端的なワードで表現されていますね。

酒井 コロナ禍で、文化や娯楽の危機を感じて、その部分に関心を寄せてくださった方もいたのかなと思います。あの文章を書いたのはコロナが拡がる前でしたが、そういう影響もあったかもしれません。

──録音技師で、商業映画も多く手がける百々さんがプロデューサーとして、酒井さんの暴走に乗ったのはなぜでしょう。ブログを読む限りでは、酒井さんの魅力が何より大きかったと思います。

百々 酒井さんの魅力だったのはたしかです。でもそう言い切っちゃうのも癪なので(笑)、言い換えると、大手の現場で仕事をするようになると、それはそれで楽しさや自分のアイデンティティになっていく部分もあります。見てくれる人がいるし、「映画の仕事をしている」と言うと「すごいね」と反応があって気をよくしたりとか。
一方で、「プロの現場」と呼ばれるものを目にするたびに、やっていることは自分たちが自主で撮っていたときと本質的に変わらないのに、矛盾を感じるようになりました。「これって作品を面白くするために必要なんだろうか、面白くするには別の方法があるんじゃないか」と思うこともしばしばあって、それを酒井さんにずっと話していたんですね。僕たちの代の映画美学校の修了作品でもある酒井さんの『おもちゃを解放する』(2012)がずっと印象に残っていて、「この人は、僕が理想とする映画づくりをブレずにやれるんじゃないか」と思っていました。でも「この人のために何かしよう」ではなく、「この人となら、本当に面白いと思うものを一緒にやっていけるんじゃないか」という趣ですね。それで「一緒にやらない?」って。こんな流れだったかな?

酒井 まあそうだね(笑)。商業で迷っていた部分もあったかもしれないね。

百々 僕のなかではハリウッド映画の本道のつくり方と、日本の商業映画のつくり方のいいとこ取りが出来る気がしていました。ただ、それは商業の現場では許されないし、不平不満をずっと言い続けるのも面白くない。だったら自分がよしとするものを試して、実行してから文句を言えよという気持ちになりました。そのときに、僕の生活半径5メートルのなかに酒井さんという強烈なカードが存在していて、それを切れる状況があった。僕がカードを切るのと同様に、酒井さんも僕を使ってくれればいい。「お互いのために何かする」というよりは、そういう認識ですね。
僕の肩書きの「プロデューサー」とは企画を立ち上げる本来の意味ではなく、どちらかといえば、大人たちがみんな無理だと言う酒井さんのやりたいことを実現させればそれは面白いことだろう、そこで人を集めるために名刺的な作品が必要だと考えているうちに、酒井さんが暴走し出してクラウドファンディングを始めちゃった(笑)。走り出したからにはやるしかない。引っ張られてるけど、酒井さんも僕の何かにほだされて相乗効果が生まれるかもしれない。そういう立場のプロデューサーですね。

──百々さんが録音を担当した作品を見ると、音が面白い。その腕を捨てるのはもったいない気もしたのですが。

百々 前の作品『RIP』(2018)もふたりでつくりました。僕は録音担当で、酒井さんから──どのタイミングだったかわかりませんが──「百々くんの手を空けていてほしい」と提案がありました。撮影現場では色々あるので対応できるように、と。「それはそうだ」と思ったし、これから一緒にやっていくなかで、ずっと録音を担当するのは安全牌を取っている気もする。もう少し本格的に現場を進める役割にならないといけないと考えて、今回は別に録音部を立てました。

──マイクを持っていると、必然的に手が空かないですよね。

百々 レコーダーを背負って、マイクを持っているといちばん動きが取れなくなるんですよね。今回は映画美学校の後輩の鈴木万理さんに録音・音響をお願いしました。ただ、酒井さんのシナリオでは室内劇ということもあって大丈夫だろうと見越して始めてみると、「これは結構大変だ」とわかって。鈴木さんの経験値も加味して──さっきの話とずれますが──僕がマイクを振りながら、酒井さんと相談して現場を進めていきました。

──『RIP』も本作も時間軸が単線状ではなく、巧みにシャッフルされています。
シナリオを書く際に時間をどのように捉えておられますか?

酒井 普段書くときはあまり考えてなくて、「こう書くしかない」形で書いています。でも、最近は映画を見たりしながら考えることがありますね。乱暴な言い方で通じるかどうかわかりませんが、同じ時間軸のひとつのシーンを長くしていく作品はドラマだと思うんです。具体的な例だとカサヴェテスで、物語よりドラマを志向している。逆にブレッソンは、ひとつのシーンは短いけど、バーッと流れてゆく時間を見せます。ひとつの時間のなかの感情じゃなく、流れる時間から物語を見せる。その意味で物語志向。僕は勝手にそう思っています。「ドラマも物語も同じじゃないか」と思われる方もいるかもしれませんが、そういうイメージを持っている。そのうえで、低予算でつくるなら絶対にドラマ志向のほうがいいと考えています。ひとつの時間内で感情の起伏を人物同士に負わせることで、確実に映画の密度を上げられる。反対に人の出入りを延々と撮って、季節の変化を待つような撮影は我々には出来ません。ロメールや濱口竜介さんの『偶然と想像』(2021)はダイレクトなドラマ志向で、効率的にもいいとわかります。でも同時に、この面白さを玄人だけじゃなく、小中学生が楽しめるだろうかという気もするんです。もし『カウンセラー』を見た小中学生が「つまらない」と思ったなら申し訳ないですが(笑)、子どもにも見てほしい思いはあります。

──本作を見て思い出したのが、むかし『ウルトラマン』に熱中したのち、同じ円谷プロの『怪奇大作戦』を見たときのインパクトです。『ウルトラマン』とは別の得体の知れない世界があって、子ども心に驚きました。

酒井 本作にもテレビの怪奇ものに近い部分がありますね。時間の話を続けると、同じ時間軸で、物語よりもドラマ志向が強度を高めるのは間違いないけれど、そうすると映画が「interest」に振れてしまう気がして、僕は「fun」のほうへ引き戻したい。低予算の体制でしか撮影できなくても、時間を伴った物語をどこかで意識しています。やっぱり映画ならではの「びっくり」を見たいと思っていて、それが時間軸の交差するつくりにしている理由のひとつですね。
特に今回は、シナリオを書く際に橋本忍さんの『切腹』(1962/小林正樹)を見直しました。本作の構成は完全に『切腹』を下敷きにしています。何かわからないけど話し始める。それは回想だけど物語上では現在形になっていて、やがて現在に浸食してくる形で、「この手があったか」と。一ヶ所で会話していても橋本忍スタイルでいけば、ドラマじゃなく物語をつくれると気づきました。これなら「fun」の映画が出来るぞ、と。

──いくつか思い浮かぶ映画はあれど、『切腹』は盲点でした(笑)。

酒井 困ったときは、昔のものが頼りになりますね(笑)。

──「fun」に関して話を広げると、フィクション映画を見ていても面白さより先にテーマが浮かび上がると覚めてしまう瞬間があります。また僕は元々ラジオディレクターですが、軽いおしゃべりと音楽で構成する番組にもテーマを求められる。テーマという一種の病が蔓延している気がしていて、そんなときに「fun」=娯楽映画である『カウンセラー』を見て、とても心地がよかったんです。

酒井 「テーマ」って何かと問われたら、たとえば「妖怪が見えるという女性の話を聞く。それがテーマです」と乱暴に言えなくもないけど、おっしゃっているのは「なぜ今これをやる必要があるのか?」という意義的な主題のことですよね。僕は同時代の人がつくった「fun」の詰まった映画は必然的に「interest」を生むんじゃないかと、やや楽観的に捉えています。本作にテーマ的なものがまったくないかというとそれは嘘で、「憎悪の感染」は描きたいと思っていました。憎悪の源は自己嫌悪で、それが他者憎悪を生み出す。生んだことで楽になり、さらに他者に憎悪が移ってゆく。そういうことをやりたいと考えていたけど、それを言いたくないなとも思っていて。
ことさらに「憎悪の感染」を描きたいがためにつくった訳ではなく、それは連想のなかから何となく出てきたものです。すぐれた同時代の「fun」の映画は「interest」を生む筈なのに、なぜ「interest」から発想して尺の半分、ともすれば8~9割を物語説明にかけて、最後のクライマックスのために観客を我慢させるんだろうという疑問がありました。もちろん、そうじゃない映画もたくさんあります。指摘された、意義を言わないといけない病のようなものについては、「作品を見てから最後に意義を見出せばいい」と言い切れない時代になっている気がしますね。いちばん大事な、僕の好きな映画が持つ何かを阻害しているような感覚はあります。百々くんともよくそういう話をします。

──序盤のあるシーンでカメラが大きくパンしますね。あれは説明にとどまらず、カメラの動きだけで純粋に面白いと感じました。

酒井 あのパンは一応、ある存在の位置を示しています。もし曖昧になっているとしたら、僕がコンテを書かない、もし頭のなかにコンテがあっても言わないことが原因かもしれません(笑)。倉田(鈴木睦海)の反対側にカメラを置く構想がありましたが、カメラマンの川口くんと相談して「いや、こっちがいい」とアケミ(西山真来)側に決まり、「じゃあ振るしかないね」となりました。そんなふうに僕はいい加減なタイプで、自分の構想以外のものも採り入れます。それによって、あのパンの曖昧さが生まれたのかもしれません。でも自分としては、至って単純な理由からなんです。

──たしかにパンする先には何かありますね(笑)。撮影日数が限られている現場なら長回しで撮るのが効率的という選択肢もあったと思いますが、かなり細かくカットを割っておられます。

酒井 『おもちゃを解放する』ではもっとカットを割っていました。カメラワークもかなり厳密に決めて、アクション繋ぎが出来るように。本作は編集の段階で割りましたが、シーンのなかの切り返しは通して撮りました。

──鈴木さんと西山さんのあの芝居の熱量は、通しでないと出てこないものだと思います。

酒井 そうですね。芝居を重ねないとどのみち厳しくなるだろうと思ったし、とにかく時間の制約が大きかったですね。

──8時間労働の契約を結んでいたこともあって、時間の制約は相当厳しかったのでは?

酒井 そう言いながらも、僕も百々くんも長時間やりたくないんです(笑)。程ほどに、という考えがありますね。結局は「終わらせるために」撮ることになるとしても、時間が押しているなかで頑張って撮ったものがいいものかというと、違うと思うんです。いい意味での妥協は絶対必要で、その妥協点をどこに持ってくるか? フィルム撮影のときは「足りないから」と残数を言い訳に出来たけど、ビデオになるとそうはいかない。妥協点を見出すために労働時間を設定した側面もありますね。

──オーバーした時間もブログに詳しく発表されています。4日で3.5時間と。

百々 日頃現場に出ていると、皆が「作品のため」とよく言うんです。「作品のために身を挺して頑張れ」「いい芝居を撮る(録る)ことが技術者の誉だ」と。でも朝4時に起きて家を出て、夜中0時に帰宅して寝て、わずかな休息時間でつくるサイクルを繰り返すのが、本当に作品のためなのかと強く感じました。終了時間はルーズに延びるのに、朝遅刻した新人にペナルティがあるのも理解できなかったし、疲れて寝てないと、当然人間のパフォーマンスは落ちます。美学校を卒業してからも酒井さんとずっと、お互いが「面白い」と思えるものを摺り合わせてきました。8時間労働は、「この人だったら多分いけるんじゃないか」と想定した妥協点で、僕から「やってみないか」と提案しました。呼ばれるスタッフ側として「こうあってほしい」と思う制作体制で、最初は酒井さんが渋るかなと思っていたんです。するとふたつ返事で「いいね、やろう」と返事が返ってきた。

酒井 以前から話していたしね。

百々 酒井さんがスケジュールを書いて出しましたが、当初予定していたロケ地が使えなくなって。「これはどう考えても8時間だと難しい。10時間にしようか」と僕が弱気になっても、酒井さんは「いや、8時間と言ったんだからそれでやる」と折れない。「失敗した。最初に余裕を持たせておけばよかった」とも思いましたが(笑)。でも「8時間労働」を掲げたのは別に「意識高い系」じゃなく、単純に「そのほうが作品の質が上がるし、いいんじゃない?」と思うことをやっているだけです。同時に、周りがあまりやってないことでもありますよね。だったら、それも僕らのひとつの武器にはなるのではないかという発想もありました。

酒井 僕の印象では、終わりが見えているからやれた部分もある気がします。香盤表は僕が書きましたが、シーンの終わる時間もだいたい決めて書き込んでいました。「このシーンは何時何分に撮り終えるのを目標に」と。結果、一番あせるのは僕なんですけど(笑)。スタッフはみんな大人で、川口くんも時間が押したら、僕が真っ先に削ると言い出すのを見越してくれていたと思うんです。それも含めて、終わりに向かって集中して、食事休憩もしっかり取るスタイルは正しいなと感じました。

──映画の現場に限らない問題かもしれませんね。さて、メインの舞台になる心理相談室はどういう建物なのでしょう。民家に見えなくもない、面白い造りです。

酒井 都内に多くあるレンタルスペースです。一軒家のレンタルスペースがあるというので見に行くと面白くて、特にカウンセリングルームに使った3階は「普通はこんなところでカウンセリングしないか」と半ば思いつつも、斜めに切れた屋根や出窓がドイツ表現主義風というか、セットの映画だったり、非現実的に見えるのもよかろうと判断しました。撮影用にベッドをどけて、元々ない電球を取り付けました。
 
──階段を上り下りする時間が「間」をつくるし、上の階からの音がサスペンスを生む空間です。

酒井 当初のシナリオでは平面の空間をイメージしていました。それを場所に合わせてリライトしていきました。3階建ては僕の想像にはなくて、「想像してなかったから逆にここでいきたい」と思いました。

──監督は水のモチーフがお好きですか?

酒井 多分そのようです(笑)。初稿を書いたときには考えていませんでしたが、川口くんにメールで送って電話でやり取りしていると、「酒井さん、この映画は水がモチーフですから」と言われて「あ、そうだな」と初めて意識しました。そう思って読むとその通りなんですが、自分では全然気づかないもので。『おもちゃを解放する』でもあったのに、指摘されて癖みたいなものを意識しました。

──『RIP』もそうですね。

酒井 たしかにそうでした。それも初めて気づきました(笑)。

──音響面では、次のショットの音が画より先に来るズリ上げを効果的に使っておられます。これはどの段階で決めたのでしょう。

百々 音先行にしたのは編集のときですね。

酒井 これは僕の好みです。『おもちゃを解放する』でも使った技法で、ブレッソンもそうですね。次のシーンの音がズリ上がってくる。それが感覚的に好きで、ブレッソンを意識したというよりは、同じことをやっているなと思って見ています。生真面目に画と音を合わせないことで生まれるリズムが好きで、編集時にあのように組み立てました。

──その音処理も作品の娯楽色を深めています。カウンセリングの対話はガンマイクで録っているように聴こえました。

百々 ピンマイクとガンマイクの両方を使いました。僕はガンの音が好きなので積極的に使うつもりでいたけど、仕上げのときに「どうも酒井さんは逆みたいだな。(ピン)マイクメインのほうがいい?」とか言いながらやってたよね?

酒井 どちらが好きということはないんだけど、本作に関しては、生々しい空間を録りたくないイメージが強かったですね。その場の空気を拾うというよりは、物音と溶け込むような音にしたいと考えていました。

百々 リアルな臨場感をよしとしなかった。

──アンビエンスを必要としませんでしたか?

酒井 アンビエンスというか、ガンだと役者の繊細な息遣いを拾っていることも多い。それは録音がいいということでもあるけど、本作では演劇的なことをあえてやっている。その分、音響は非演劇的にする必要がありました。今回はアンビエンスと声を完全に分けて、途中でそれぞれをオン・オフしたりしているので、これまでの同録とは異なる音になっています。

百々 商業映画でも自主映画でも、リアルな音をよしとする同録至上主義的なものが不文律としてある気がします。でも酒井さんは、そもそも同録にこだわってない。僕もやっていくなかで「同録がすべてではない」と思うようになりました。僕らの根底にある「作品が面白くなること」が唯一至上とされるべきで、そのためにはアフレコを選択することもあります。繊細なものを汲み取る作品であればガンマイクなどを選択すればいいし、本作みたいな作風であれば、必ずしもそれが正解ではない。作品によりけりですね。

──音に集中しても楽しめますね。制作体制にお話を戻して、ブログに百々さんが「筋を通す」と書いておられたのが印象的でした。筋が通ってないと感じることが多いのと、自戒の念も影響していますが……、これは映画づくりにおいてどのようなことを指すでしょう?

百々 おのおのの考えでお話しすると、僕はこの業界に入って最初に「筋を通せ」と言われました。じゃあ筋とは何ぞや?という話になりますが、僕は「自分の納得がいくことをする」「自分に対して胸を張れないことはやるな」ということなのかなと思います。対外的に人に対して何かをおこなう、あるいは何かをしたときに、自分に向けてそう言い切れるのが「筋を通す」ということじゃないかと。

酒井 僕は自分が駄目な人間だと──変に卑下する訳じゃなく──理解しています。才能もない。仮にあるとすれば、人に恵まれていることだけです。ただ映画、特に娯楽映画を撮るにあたって、それだけあれば十分だと思うんです。その、人に恵まれる唯一の才能を疎かにすると僕はもう終わりだとも思っている。だから自分の身を守るためにも、周りには八方美人でいたいなと(笑)。そのうえで通せてない筋もいっぱいあって、それは隠すことなく公にしないといけないと考えています。「守ろう」と思って守れなかったことはむしろ声高に言っていくべきだろうし。
意義の話に返ると、僕らが映画に意義を込めなくても、つくった作品にはこれまで連綿と歴史的に受け継がれてきた何かが自然に入ってしまいます。それが今後も引き継がれる可能性は、意識せずとも十分ある。作品自体に何かを込めるつもりはまったくないけど、僕らの作品が失敗例として何かを残すのは単純に面白いだろうし、その意味でも守れなかった約束などを、すべてきちんと公開したい。それが百々くんの文章と相まって律儀に見えてしまうかもしれないけど、僕らからすれば自分たちの身を守り、楽しくつくりたいがためにやっていることなんです。

──「失敗例」とおっしゃいましたが、この予算でこれだけの作品がつくれると誤解する人もいるのではないか。そんなことも思ったのですが。

酒井 人がいればつくれると思っています。人がいないと難しいでしょうが、いればもっと上質なものをつくれる筈です。ただ、僕らとしては130万円で本作を撮ったのは「失敗例」なんです。もっと人に与えるべきお金を与えられなかったからこの予算で撮れただけで、本当は500万円で撮るべきなんです。だから、自分たちのやった駄目な一例として制作費の内訳も公開しました。

──そのような志と、映画の結末の落差が激しいですね。志が高いゆえに、あの結末になったとも捉えられますが(笑)。

酒井 皆さん言葉を失いますね(笑)。公開途中にアップした百々くんのブログが話題になって、それで見に来てくれた方もいますが、そういう人たちはいい思いをしなかったんじゃないかな。いい話だと思って劇場へ行くと、とんでもない話が待っていた(笑)。

百々 臨床心理士を目指している方も見に来てくれましたね。

──直接参考になったかはわかりませんが、本作が描く一種の憑依現象は、現実の対話のなかでも起こり得る気がします。

酒井 きちんとした取材ではないですが、ケースワーカー兼スクールカウンセラーの方に「こういう題材の映画です」と話したことがあります。物語に挟まれる回想が不安を引き起こす要因にもなると。すると「それは面白いですね」と反応してくれました。心理学で「転移」と「逆転移」と呼ばれる作用があるそうです。本作が描くものとは少し違いますが、たとえば百々くんが父親にコンプレックスを抱き続けて、それが何かの枷になっている。で、僕がカウンセラーだとして、話すうちに自分を彼の父親役にしてしまう。そうすることで、カウンセリング自体に歪みが生まれて、別の依存を生むのが「転移」。逆に僕の側から起こるのが「逆転移」ですね。そのままではないけど、比喩的に近いと感じ取ってくれて、「転移」の問題を寓話的に映画にしている、その意味ですごく面白いと言ってくれました(転移・逆転移に関しては、素人知識なので間違っていたらすみません)。

──その心理の推移のタイミングとカメラポジションの関係など、細部についてはまた改めてお聞かせください。まずは「fun」の映画を存分に楽しんでいただきたいと思います。

インタビューPart2に続く)
(2022年1月23日)
取材・文/吉野大地

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