神戸映画資料館

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所蔵図書紹介「映画を追え フィルムコレクター歴訪の旅」


著者 山根貞男

出版社 草思社
発行年月 2023年2月2日

「批評のフィールドワーク」
かつて山根貞男は、日本映画の撮影現場を訪ね歩く自身の活動をそのように称した。当時の現場ルポがまとめられた『日本映画の現場へ』という書物は、映画がまさに生まれつつある撮影現場の熱気を存分に伝える名著である。本書もある種の「フィールドワーク」ではあるが、前回のそれとは趣が異なる。今回の目的は、日本映画史における過去、それも「失われた過去」を追い求める旅なのである。

本書の序章によると、日本では映画の文化的な価値が認められるまでのあいだ、興行的な役割を終えたと判断された映画のフィルムは次々と廃棄される運命だった。いわゆる戦前の日本映画で、現存する作品は全体の一割にも満たないらしい。ところが、通常の流通のルートから外れたり、戦争後に接収されて外国へ渡るなどして、失われたとされていた日本映画のフィルムが結果的にどこかで生き残っている場合がある。著者は全国各地、果ては国境を越えてロシアまで、そんな幻の作品のフィルムを探し求めて旅を重ねていく。

そんな捜索の過程で著者が特別な関心を寄せるのが、本書のタイトルにもある「フィルムコレクター」の存在である。映画作りに携わってもいなければ、論じ手でもない。熱烈なマニアであるとはいえ市井の映画ファンに過ぎない人々が、実は映画史を書き換えるような貴重な作品を所有している可能性がある。著者は、現神戸映画資料館館長の安井喜雄たちに先導されて、日本各地のコレクターを訪ね歩いていく。その結果浮かび上がるのは、映画を所有するのが当たり前ではなかった時代だからこそ培われたコレクター同士のネットワークである。35mmや16mm、今は亡き9・5mmなど、サイズを跨いで複製されるフィルムというメディア特有の流通の話や、言い値で売買されるがゆえの値段の交渉術の話(抱き合わせで売りに出すフィルムを〈お供〉と呼ぶのが妙に記憶に残る)など、まさに「知られざるフィルムコレクターの世界」が広がる。登場するコレクターたちも個性的で、骨董市にコツコツと通う庶民派もいれば、経営する牧場の一角にミニシアター並の上映室を構える筋金入りのマニアもいる。お気に入りのシーンだけを繋ぎ合わせて残りは破棄(!)した人、映画が好きすぎて映画のなかに「入ってしまった」人(このエピソードは最高に笑えるのでぜひ読んでいただきたい)など、そのコレクションの愛で方もてんでバラバラなのである。この世に一つとして同じプリントが存在しないように、「フィルムコレクター」という言葉では一括りにできない魅力的な人々が次々と登場する。

なかでも最も異彩を放つのは、やはり生駒山麓に住んでいた伝説のコレクターであろう。廃線になったプラットホームのそばに住むこの人物の家の中は、所狭しと様々なモノで溢れかえっている。大量の骨董品や電化製品、書籍などとともに、天井まで積まれたフィルム缶の山もその一角を占めている。差し押さえられた不動産や没収された密輸品までもが流れてくると噂されるこの家の主は一体何者なのか。島根の旧家の出身で、その関係もあって様々なモノが勝手に集まってくること、戦時中は原子力の研究機関に属していて兵役免除となったこと、定職にはついておらず日々増えていくモノの番人のような役目を果たしていることなど、にわかには信じられない話が次々と飛び出してくる。

流石にフィルムコレクターたちのあいだで噂される人物だけあって、肝心の映画のフィルムに関しても只者ではない。所有作品の目録を見せてもらった著者は、「いやはや、マイッタ」と書き付けずにはいられない。コレクター自身が作成しているというそれには、あまりにも膨大な数の作品名が記されているからである。失われた映画発掘への期待は否が応にも高まる。ところが、そこで著者たち一行が直面するのが、このコレクターの頑なな「見せない主義」である。かつて知り合いに貸したフィルムが悪用されてしまった苦い経験があるため、貸すのはおろか見せるのもダメだという。つまり、宝の山のように思われた目録の真偽を確かめる手段がないのである。さらには、戦前から続く謎の会員制度の存在もチラつかせられ、著者たちはどこまでが嘘でどこまでが真実なのか判断がつかないまま宙吊りの状態に置かれてしまう。全くもって人騒がせな状況になっていくのだが、騒いでいるのは一方的に著者たちの側であるのが可笑しい。コレクターの方はというと、再三訪ねてくる著者たち一行をただ歓待するのみなのである。

著者たちの交渉の努力も虚しく、結局このコレクターがフィルムを出してくれることはなかった。この人物の死とともに、今もすべては謎に包まれたままである。フィルムの保存と発掘を巡る本書において、最もページを割いて語られるのがその失敗談であるのは興味深い。この逸話は映画フィルムの捜索の難しさを改めて教えてくれる。とはいえ、本書の魅力はそんな成功/失敗という尺度だけでは到底掴みきれるものではない。本書には、フィルムを追い求める過程で著者が出会った人々、赴いた場所、過ごした濃密な時間の記憶が活き活きと描写されている。とりわけこの生駒山でのやり取りは、読む者を知らず知らずのうちに迷宮の中に引き摺り込んでしまうような危うい魅力に満ちていて圧巻だ。それでいて、そのやり取りを伝える文章はどこまでも簡潔で冴えわたっているという点に、著者の書き手としての力量が凝縮されているように感じて舌を巻く。

それにしても、断続的であるとはいえ足かけ30年以上に及ぶ旅路にはただただ頭が下がる。コスパだタイパだとすぐに効率ばかりを求める人間には、到底辿り着けない境地なのである。また、日本映画の最前線と向き合うキネマ旬報の連載「日本映画時評」や、壮大な『日本映画作品大事典』の編集作業など、著者が平行して携わってきた仕事も多岐に渡る。その旺盛な活動力に敬意を表しつつ、改めて著者の映画に対する貪欲さに驚かずにはいられない。

 

坂庄 基(神戸映画資料館スタッフ)

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