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『PLASTIC』 宮崎大祐監督ロングインタビュー(後編)

宮崎大祐監督の新作音楽映画『PLASTIC』が名古屋に続き、今週21日(金)より全国で上映される。ロング・インタビュー前編では映画の背景に広がる監督の思想を主に語っていただいた。その取材中に思い出したのはデビュー作『夜が終わる場所』(2011)から12年、一回りの時間が経過したこと。この後編では作品の細部に加えて2023年、現在地にいる監督の眼に写る風景に関しても訊ねてみた。

 


──前編でお話を伺ってから再検証してみたのですが、「伏線がない」本作で、小泉今日子さんととよた真帆さんのファニーなシーンは中盤以降の伏線になっていないでしょうか。気のせいだろうとも思いつつ。

そこまでの意図はなかったですが、人ってたまに偶然誰かとばったり遭遇しますよね。それを作品全体に色々なレベルで散りばめました。映画は日常生活で「あ!」と感じることをデフォルメします。タイには映画で人物が3回劇的に出会うと観客が席を立つという言い伝えがあるそうですが(笑)。あのシーンは本筋に関係ない小さな出会いだけど、小泉さんととよたさんのリアクションのよさを見てもらいたいです。

──そこから演出の話題に続けて、長編前作『VIDEOPHOBIA』(2019)の鍵となるシーンに出演した松村厚さん(映画宣伝)に訊ねると「事前にセリフが全く渡されていなかった」と聞いて驚きました。主演の廣田朋菜さんとの会話があることしかわからなかった、と。現場でも細かい指示は一切なかったそうですが、当時はどのような意図がありましたか?

あのときは事前に脚本を送ろうかとも考えたんですが、松村さんが役づくりしてくるだろうからやめました(笑)。今回のキャンペーンで主演の小川あんさんも「(演出がなされず)野放しにされた印象がある」と話していた通り、ぼくの映画は全部そうです。その人が演じているだけで8割方はOK。キャスティングでほぼ出来上がっているので、よほどイメージから外れない限り「こうしてくれ」とは言わないですね。もちろん、ブロッキングはしっかり固めて、場合によっては細かい動きの調整をします。
松村さんのときはセリフの意味を剝がしたい意図があったので出演シーンの前後を伝えず、いざ撮ってみたら基本的な芝居が出来ていたから何も言いませんでした。『VIDEOPHOBIA』で「松村さんが一番よかった」という人もいます(笑)。

──松村さんに伝えなかった、監督の持っていたイメージを教えてください。

『VIDEOPHOBIA』の作品世界で、あのビジネスをやっているキャラクターなら、物語性や歴史を排除して抽象的に描くイメージでしたね。それには準備なしで来てもらって、「はい、演じてください」とポンとスタートを出すのがいいと考えて、Rawで生々しいカオスを求めました。

©︎2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──「ただ人がいる状態がいい」とインタビュー前編で伺いました。本作では鈴木慶一さんと尾野真千子さんにそういう佇まいを感じます。

鈴木さんはそのままでももちろんラブリーですが、テイクを重ねれば重ねるほどよくなるタイプで、細かい演出を積み重ねて粘り強くリテイクを続けているうちにいい感じになりました。ただ、演技しなきゃという意識によって鈴木さんが本来持つ愛くるしさが消えては元も子もないので、そこには注意しました。
尾野さんは本当に素晴らしかったですね。まなざしでその場を支配しているというか、建仁寺の龍の天井画のように、そのまなざしでもって皆を同時に把握しているというか。ぼくがいつ見ても尾野さんはぼくを見ていましたから。映画の女神です。また近い将来お手合わせを願いしたいです。

©︎2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──おふたりの存在感はとてもいいですね。衣装などにも監督の意向が入っていることを前編で伺いました。天文部の部室でのグラム・ロックのコスプレのアイデアは監督から出たものでしょうか。

美術担当の林チナさんが超ロックマニアで、あのシーンには林さんのこだわりが活きています。引用元のジャケットもほとんど提案してくれて。帽子も、その場にあったバケツを仕立ててくれました。林さんの力は大きかったですね。

──デヴィッド・ボウイの77年のアルバム『Low』の意匠を採り入れています。これはグラムやプラスティック的な世界じゃないだろうという指摘があるかもしれません(笑)。

『Low』は完全にぼくの趣味です。でも映画の後半、B面はあのアルバムの世界ですよ(笑)。

──確かにそうなっていますね(笑)。ジュン(藤江琢磨)のバンドメンバー募集の短いカットがあります。あそこに書かれているバンド名の案はどこから?

スタッフも準備してくれていたんですが、アレも完全にぼくが好きなバンド──SWANSやTHE THE──に変えました。あれらのバンドを好きな高校生が、灰野敬二さんや水谷孝さん(裸のラリーズ)みたいなギターを弾いているのって、奇妙といえば奇妙ですね(笑)。

──独自の感性を持ったロック少年だと感じます(笑)。バンドといえば、キャストも含めた映画のチーム編成はバンドに似た部分があると思います。本作のチームはどのような空気を持っていたでしょう。

青山真治さんのスタッフの方が多く、亡くなられたのはクランク・インの約4ヶ月前だったので、当初はどこかにそういうリスペクトをもって出発したと思います。ただ、そう思っていても、映画って結局は自分の映画にならざるを得ないというか、そうならざるを得ないからまだぼくは映画を続けられているというか、そんなことを実感した現場でした。

 


──前編に続き、サウンド面についてお聞かせください。『大和(カリフォルニア)』(2016)でもそうだったように、観客が「いいな」と感じるポイントで音楽がカット・アウトされています。

実は微妙なフェイド・アウトも使っているんです。カット・アウト、あるいはフェィド・アウトにするのかは、黄永昌さん(音響)と毎回かなり話し合います。ロジカルに詰めるケースもあれば、感覚的に決めることもありますね。さらに最近は編集の平田竜馬くんが──アメリカではラッシュに仮のサウンド・デザインを当てて編集するように──まず音を処理するパターンも加わって、最初の編集で音が付けられている。それに対する議論があって、平田くんとのそうした作業を踏まえて、黄さんがつくった音を付けた画を見て一緒に直してゆきます。だから音楽の切り方に関しては、平田くんのサウンドへの思考も反映されている。もちろん自分からも意見を出しますが、ふたりとはずっと組んできたから「宮崎ならこうするだろう」と準備してくれた音をぼくが微調整する流れです。音を仕上げるまでには三段階あって、次作『♯ミトヤマネ』(8月25日公開)では平田くんと山崎厳さん(サウンド・デザイン)の音へのアプローチが異なるのも作業していて面白かったですね。
ただ、どの作品も持続と切断には意識的で、サウンドの面でも安易にカタルシスに向かわないようにしています。淀みなく綺麗に音が流れてゆくのもいいけれど、山場にベタに音楽を乗せる映画はあまり撮りたくないですね。ゴダールの音のいびつさや違和感、切断がやっぱり好きです。ぼくは単に気恥ずかしくてばっさり切ってしまうこともありますが(笑)、つねに観客に視覚と聴覚を切り離して働かせてもらえるように挑みたい。

©︎2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──サウンドトラックのレコーディングエンジニアは中村宗一郎さん(PEACE MUSIC)。『大和(カリフォルニア)』にも参加されていましたね。

GEZANと宍戸幸司さん(割礼)のシーンの音の仕上げをやっていただきました。

──音楽担当の井手健介さんとサウンドプロデューサーの石原洋さん、中村さんたちがつくられた楽曲はそれ自体で強度があるので、5.1chの映画の音と組み合わせるのは難しかったのではないでしょうか。

そこは黄さんの音響技師としての腕がすごく上がっていて、要所要所に演出を加えながら仕上げてくれました。いくつかあるミュージカルシーンの音量の上げ下げによる繊細なミックスも黄さんによるものです。井手さんも感心していました。シーンごとにぼくたちのイメージもあったけど、スタジオで仕上がった音を聴くと、やはり黄さんの提案がベースになることが多かったですね。以前、黄さんから「自分の仕事は録音・整音・音響で、作曲や特殊効果的なことは出来ません」と言われたこともありました。でもそういう要請がほかの作品であったのか、もしくは「今回はちょっとやってみよう」と思ったのか、本作ではほとんど音楽ともいえるような演出や仕掛けを随所に施してくれています。
ミュージカルシーンに一瞬ブレイクが入るポイントは、元の音源にアンプのノイズが入っていたんです。その処理も皆で議論した結果、サウンドを完全に抜く選択をぼくがしました。それと、PLASTIC KEDY BANDのmmmさんと小川さんの声質がたまたま似ていて、歌をハモっているようにも聴こえていい塩梅になりました。序盤はたまたまエクスネの曲を聴いていたイブキと、同時に偶然その曲を歌っていたジュンが出会い、後半では離れた場所で共に同じ曲を歌う関係に変化します。

──そのように切断やブレイクがありながら、トータルで一枚のアルバムのようなサウンドになっているのも、いつもの監督の映画ですね。今回は音楽映画なので一層そう感じます。

毎回そうですね。一枚の音楽アルバムとしても聴ける映画の音にしたい。全体と細部があって、すべての音が並列するイメージです。本作はそれぞれの楽曲を含めた、それぞれの音の主張と交錯を楽しんでほしいという思いも強いです。

 


──石原さんの音楽はかつて在籍したバンド、White Heavenの頃から聴いていて、執筆物やインタビューも読んできました。監督とこうしてお話しするようになってからは「あれ、たしか石原さんも同じようなことを言っていたな」と思ったり、その逆の現象もあったりで、おふたりには響き合うものを感じます。具体的にはつくり手が持つ「距離」の部分で、石原さんは70年代から膨大な枚数のレコードを聴いて、その音楽や時代とご自身の距離感を考えたうえで創作されている印象があります、それは監督と映画の距離に近いのではないか、と思っています。

僭越ながら、お互いにその部分は共通していると感じます。石原さんもヨーロッパやアメリカの音楽と、自分のいる場所との引き裂かれに向き合ってきた人だと思うので、そこが通じ合うのかもしれません。ソロアルバム『formula』(2020)の進みながら戻っているような時間軸にもシンパシーを覚えました。A点とB点の2極からはじまって、その交差点を聴く人が自由に感じ取ってくださいというつくり方や、音のクロス/すれちがいは本作をつくるうえで影響を受けたし、目指していたところはかなり近いのではという感覚があります。

──ビートルズやストーンズがロックの大きなルーツだとして、石原さんの出発点はそこではないし、あるインタビューで「ルーツには戻りたくない」とおっしゃっています。

1980年生まれのぼくはグランジや渋谷系の音楽にリアルタイムでは微妙に乗れず、少し遅れてきたリスナーです。2000年代の日本のラップムーヴメントに遭遇できたのも、遅れ続けてきたゆえアンテナを張っていたからでしょうし。本作も遅れてくる人たちの物語です。それらと、石原さんとロックの距離感にも親和性があるように思います。

──石原さんは先行する音楽を山ほど聴いても、それらをプレイヤーとして完全コピーするような姿勢は取らなかった、と捉えています。監督も古典を踏まえたうえで新しい映画を撮ろうとしています。様々な作家の影響が見え隠れしても、そこに浸らずにデビューから12年が経ちました。

仮に文学に例えるなら、「自分こそがドストエフスキーの嫡子です、正当な後継者です」と名乗りたい人は自由に名乗ればいいし、家柄や出自を全面に打ち出したロビー活動にいそしめばいいと思います。だけどぼくはそんなことなどまったく関係ないところで淡々とドストエフスキーから受け取った恵みの種をまいて、育てて、自分のものや次の世代のものとして実らせるほうがよっぽど意義深いと考えています。
後継者問題や跡目争いは原始時代からあって、源氏も平氏も天皇制もそうで、家父長制の最たる例ですよね。ドストエフスキーはそれを終世批判していたわけだし、ドストエフスキーが好きだった哲学者たちも皆そうした制度や本来性を命がけで否定した筈です。それが結局またそこに戻るのはかなしいだけでなく、映画が保守的になってしまったのを認めることになるような気がしています。だから、ぼくは誰かの代弁者や後継者になりたいなんて思わず、定まらない自分の自分性を受け入れて、たまたま遭遇した表現や出会った人たちとどう幸福に生きられるかを考える場所として映画と向き合いたいし、表現していきたいですね。

──『VIDEOPHOBIA』のインタビューで「こう言うと面倒な奴という印象を与えかねないですが」と話していて、何か既視感があると思っていると、石原さんもブログに同じように書いておられた(笑)。こういう話をはじめると「面倒くさい人」認定されがちですね。

その通り(笑)。でも単純なことなんです。誰かの後継者を気取るのは簡単だけど、そんなことをしても仕方がない。「宇宙で俺は俺だけだしな」と歌った港町のラッパーもいました。
石原さんの作曲した「(Nagoya) station to (Shibuya)station」が流れるシーンにも面白い議論がありました。Uターンした車をどう捉えるか。井手さんは「映画はアクションで変化を示すから絶対にジュンは変わっている」と。反対に石原さんは「僕は1ミリも変わってないと思う。だから(音が)ループするんだ」と主張されて(笑)。

──吉祥寺バウスシアターに勤めておられただけあって、井手さんの考察は鋭いですね。しかし、あの曲が乗ったシークエンスを見ると石原さんの説も正しいと思えて、これは難しい問題です(笑)。

「変わろうとしているけど結局は変わっていない」というのが石原さんの意見で、中村さんも加わった3人でそこまで映画を見て音楽をつくってくれたことに感激しました。議論が白熱して、ぼくも最後に呼ばれて「敢えて訊かなかったけど監督はどう考えているのか」と問われました(笑)。

 


──続けて「風景」の問題を改めて伺いたいと思います。固有の土地はまだ日本各地に残っているとしても、映画で地方都市や何もない郊外を撮るだけではかつてほどのインパクトはもう得られない。監督のホームタウンと呼べる大和市も『♯ミトヤマネ』ではアプローチを変えて撮られています。風景全般について、いま抱いているイメージを教えてください。

ありきたりの返答になるかもしれませんが、均一化と格差の波は感じていて、日常生活で見える風景はそのように変わっています。都市部およびタワマンかプレハブ製のペラペラの郊外という二択の棲み分けですね。そして5年前はあれだけ近かった世界がコロナと燃料費の高騰で一気に遠くなってしまった。世界各地の景色も均一化しているし、コロナ感染のリスクもあるし、わざわざ高い金を払ってまでその場所へ行かなくてもGoogleマップで見ればいいのではないかと思うことも増えて、旅立つモチベーションが湧かなくなってしまいました。それでもと思い立ち、先日コロナ以降はじめて海外旅行に行く機会を設けましたが、時間と予算はあっても「もろもろ鑑みると面倒だから行かなくていいや」という、それまでになかった結論に陥りました。今後またモチベーションを取り戻せるのか、自分を観察中です。

──『TOURISM』(2018)をつくった人にそう言われると、世界の変化を実感せざるを得ません。

そうですね。それが正直な実感です。ただそうなると、自分の眼の前には日本国のこの歴史も記憶もへったくれもない貧しい景色しか残ってないわけです。そこにどう映画を立ち上げるのか。これまで散々取り組んできた問題がここにきてまた再浮上しました。それは本作における〈幻のミュージシャン〉の扱い方に近いかもしれません。たとえば、昔の日本映画は海辺で「行き止まりだ。これ以上外へは行けない、まだ見ぬ外部万歳!」で終われたけど、今はGoogleマップを見れば海の向こうに何があるかすぐわかってしまう。外部がないならば、内部のその場所の過去に存在した、ノスタルジーとかそういうことではない虚構を召喚するのも一手ではある。
とはいえ前編でお話ししたように、何もない場所に虚構を立ち上げる、いわば仮想・拡張現実やポケモンGO的な方法は偽史や大きなシステムによる操作とも親和性が高く、全体主義に結び付きかねない。だから細心の注意を払って、ユーモアとアイロニーは常に忘れない。歴史や真実らしきものがすべて失われてしまったあとに、その景色にどうやってフィクションを打ち立てるかは『TOURISM』や『VIDEOPHOBIA』で取り組んだし、今回も当然考えたことで、『#ミトヤマネ』では本作と真逆の臨界点まで行っていると思います。本作では、仕方がないから真っ平らな、ゼロの世界でぐるぐると動き回って中心に何かが現れるのを待つか、あるいはそもそもすべてを諦めるのかという問いにチャレンジしました。それはエクスネの在り方にも関係するだろうし、その否定神学的な絶望とかすかな希望をどう表現したらいいのかという思索は制作中ずっと続けました。

©︎2023 Nagoya University of Arts and Sciences

──映画のつくり手の眼から見える風景はどうでしょうか。デビュー当時は、2023年の監督の姿を自分も含めて誰も想像できなかったと思います。

僕自身の風景で言えば……、はじまりは孤独な旅路だと思っていましたが、こうして振り返ると実に色々な人々と偶然に支えられてここまでやってきました。本当にいつも偶然やたまたまの連続で、あらゆる可能性がついえたように見えても、なぜか人生と映画づくりはその都度かたちを変えながら続いてきましたね。才気走った作品で一世を風靡したとか、西洋の大きな映画祭で受賞したとか、驚くべきオチの映画で大ヒットしたとか、固定ファンが数千人いるとかそんなことも全くなく、でもこれくらいの規模で定期的に好きな映画を撮らせていただいているのは自分でも恵まれていて、スゴいことだなあと思います。全国にサポートしてくれる、自分を信じてくれる方々がいて、その人たちに「ぼくは今こんなことが面白い、カッコいいと思っているんですよ」と感じていることを映画にして届けたい。その思いのアウトプットだけで、全国の大きな劇場で映画を見てもらえるところまでたどり着けたのはかなりレアなケースだと思います。
だからと言いますか、これも狙いがあったわけではなく偶然の積み重ねによってこうなったんですが、自分のフィルモグラフィーに強い思い入れがあります。商業的な理由で何かしら計画が変わってしまうことはあっても、ここまでお仕事をくださった方々は基本的にぼくの創造力を尊重してくれる方々ばかりでした。だからどの作品も強い思い入れがあります。かといって、決してこのまま思い入れのある作品だけをつくって生きていきたいというわけでもなく、ただ映画をはじめた20代から考えるとあっという間に40歳を過ぎたので、この先もなるべく全力投球できる企画に向き合えたらなと思います。映画は毎回心身と資本の消費が凄いですしね。それが原作ものであれドラマであれ、いつでも対応出来るように日々鍛錬を重ねています。

──いつだったか、「To Do企画リスト」をつくっていると聞いたのを思い出しました。

以前は実現させたい企画のリストが50本ほどありました。それらをたぶん生きているうちに撮り切れないことに最近気づいて、ちょっと削ったんです。するとそういうものに限って、あとから「面白い」と言われて戻してみたりもする(笑)。今では、その時たまたま取り組むことになった企画が、自分がそのタイミングで一番やりたいことなんだなとは思っています。お話やジャンルはなんであれ、自分がその時に興味があることや描きたいことは確実に作品に滲み出るので。
一方でコロナ禍もあったし、この数年はやりたいことの有限性を考える時期でもありました。肩書に(映画監督)と書いてもらえるようになったけど、2年撮れなければその括弧のなかが空白になるだろうという切迫感も常にあります。待ちの姿勢で急に撮れなくなったらどうしようか。どうしても実現させたい企画を持ち歩き仕掛けるスタイルの方が自分で運命をコントロール出来るし、切迫感が出るのではないか、しかしそもそもお前は「どうしても」という概念や運命なんて信じていないではないか、などなど日々懊悩しています。

──本作のモチーフである偶然が監督の創作に及ぼしてきた部分は大きいと感じます。さて、『♯ミトヤマネ』はインフルエンサーの物語です。承認欲求の拡大に伴う発信の仕方もこの約10年のネット社会の大きな風景の変化でした。ここ2、3年の監督は「いつの間に撮っていたんだろう」と思うほど映画をつくっていますが、そういうネットの潮流への対応はマイペースでしたね。

ぼくは人前に出ることや、不特定多数に向けて政治的なスローガンを飛ばすのも基本的に苦手です。作品さえ見てもらえれば、そこに全部入っているので。アーティスト自身が表に出ないといけない市場形態になっていることは重々承知ですが、サリンジャーやピンチョン、キューブリックはほぼ表に出なかった。そういう存在のほうが好きですね。そしてそんな時間があったらミックス・テープ的にガンガン作品をリリースして、そこで雄弁に語りたいと思っていました。と言いながらも、昔よく「映画より本人の方が面白い」なんて失礼なことを言われたので、それを試してみたい気がないわけではないですが(笑)。

──『TOURISM』の頃*は「ロマンを直に届ける監督」を標榜されていました(笑)。そして世界の単純化・数値化に対する違和感もずっと明言してこられました。
*『TOURISM』宮崎大祐監督インタビュー

2021年の夏から担当した『キネマ旬報』の星取りレビューは作品の数値化・情報化なので、正直辛い時期もありました。創作物や生物の数値化は愚かだと思うし、某大学が全国に先んじてつくった環境「情報」学部の隣にあるワイルドな町に住む身としてもアンチ情報化の立場を取りたい(笑)。これほどネットが普及した社会だと、自分で情報を選び取るより先にアルゴリズムが「あなたはこれが好きでしょう」と一方的に「あなた」を定義してきます。昨日も眼鏡を買いに行くと「まずLINEに登録してください」と言われて「じゃあ買いません」と断ると、「登録しなくても買う方法はあります」と。それなら最初からそう言ってくれと思い、そこまでLINEにこだわる理由を尋ねると「視力のデータを全国の店舗で共有して、お客様に合ったお得な情報を日々提供します」と答えが返ってきました。そんな共有や誘導に違和感を覚えなくなった世界にこそ違和を感じるし、そうしたゆるい管理こそが人類の立ち向かうべき、今もっとも危険な対象なのではないでしょうか。

──「わたし」と「あなた」の境界も監督のフィルモグラフィーに欠かせない問題ですね。以前、石原さんがブログで数値化された情報の象徴であるスマートフォンに対して、「その薄い長方形の物体の中に在るものが『世界』だそうだ。世界は0と1のデータの集積。誰かが作ったプログラムではなく自分にとっての定式は見つけることができるのだろうか」と書いておられました。やはり監督との親近性を感じます。

ぼくもそこに入ってないものが世界であって欲しいと願っています。食べログの点数より、適当に入った店のメニューがおいしかった体験のほうが自分には大事で、その闘いは続けていきたいです。

──監督の映画にヒューマニズムがあるとすれば、そこではないでしょうか。人間の個々の定式、つまり画一化されない個人と世界が持ち得る距離に対する問いと可能性を一貫して描いていると思います。

それぞれの定式は宮沢賢治風にいうと音色ということになるでしょうか。この12年で最も変わったのは、映画制作という場の捉え方かもしれません。『夜が終わる場所』の頃は自分の好きな音色をスタッフ・キャストに演奏させていました。だから映画のなかで彼らひとりひとりの音色はほとんど鳴っていなかった。それからぼくの映画制作はそれぞれがそれぞれの持つ音色を鳴らす「場」をつくる実験になってきたような気がします。今では皆の音量が大きすぎたらぼくが微調整するほどです。
そうして出来た作品を劇場で見る人は自分の音色を鳴らしながら見てもいいし、鳴っている音の真似をしてみてもいい。そんな在り方はこの12年の大切な人たちとの出会いや別れを経て、次第に自分の人生にも浸透して来ていて、最近では自分が自分の映画に近い世界を生きられているような気がしてきました。自分という人間をさまざまな音色=定式が交錯する場として捧げる覚悟が出来たといいますか。そしてそれは当然他者の影響を受けて日々刻一刻と変化するので、固まらずに可塑性のある〈プラスティック〉と呼べる状態なのかもしれません。

──劇場のスピーカーから響く素晴らしい音楽・音響に加えて、イブキとジュン、そして見る人それぞれが鳴らすであろう〈音色〉にも耳を傾けていただきたいですね。

 

(インタビュー前編)

(2023年6月・大阪にて)
取材・文/吉野大地

映画『PLASTIC』公式サイト
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