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『彼女はひとり』 中川奈月監督インタビュー

©2018「彼女はひとり」

昨年夏に神戸映画資料館で小特集が組まれた中川奈月監督。長編デビュー作である孤独な少女の復讐劇『彼女はひとり』(2018/立教大学現代心理学部研究科大学院修了作品)はジャンル映画の要素を吸収しながら、それに留まらない爆発力を放つ。名手・芦澤明子(撮影)と御木茂則(照明)が生み出す光と影だけでも目が眩むが、その画面の底にあり、以下に読まれる演出への熱意も見落としてはなるまい。さらに取材では、「切れ切れ」の世界に向ける監督の仮借なき眼差しが垣間見えた。

──監督は立教大学大学院映像身体学科出身。篠崎誠監督のもとで映画を学んだ経歴をお持ちです。過去に篠崎監督に取材した際、「キャンパス内には面白い空間がたくさんある。外に出ずに学内で撮るように、と学生に言うんです」と伺いました。しかし本作のロケ地では立教ではない。大学で撮らなかったのはなぜでしょう。

立教大学の新座キャンパスはかなりユニークなつくりで、篠崎先生のように大学の物語を撮るなら魅力的な構造です。でも、本作の舞台となる高校には見えにくい。それで私の母校で撮影することになりました。坂が多く、高低差もある。こっちの造形も面白いかなと考えました。

──本作は脚本の評価が高く、それが学生映画の枠を超えた制作に発展したと聞きます。最初の段階ではどのようなものでしたか?

まず、主人公が幽霊に後押しされて復讐するモチーフがありました。だけど、その原因をつくった復讐の対象は主人公に対して悪意があったわけではない。最初はその関係性が複雑になり、物語としても成立しづらくなってしまい、かなり悩みました。

──それから改稿を重ねたのでしょうか。

主人公が内に秘めたものの出口をうまく見つけられず、それで何度も書き直しましたね。最初から計算して、この形になったわけではないんです。最初の構想では、暴力的な女の子を見たいと思いながらも、澄子(福永朱梨)が想いを言葉に出来ず、外に出せないイメージがありました。そこから人を責める言葉を足していったら、うまくハマりました。福永さんも、かなり感情を発露する演技をしてくれた。それを本番で少し抑えることもありました。でも福永さんと金井浩人さん(秀明役)はキャラクターをよく理解して、フィーリングも掴んでくれていたので、お任せした部分が大きかったです。福永さんが本番でいきなり変化球を投げてくることもあったけど、それはそれでよかったですね。

©2018「彼女はひとり」

──どのシーンでしょう?

終盤の、河原に行く前に父親(山中アラタ)と対峙するシーンです。福永さんのテンションがリハーサルより高く、調整しながらシーンをつくっていきました。

──冒頭にうつ伏せになった澄子のクローズアップがあり、それに近い画がその後も繰り返されます。脚本の段階ですでにそう書いていましたか?

脚本に「ここは寄りで」とまでは書かなかったですね。「寝そべっている」と書いていました。

──メインヴィジュアルも福永さんの寝そべった姿ですね。

あれは本編の撮影で撮ったものではなく、オフショットを使っているんです。

──脚本にはト書きまで細かく書いていましたか? 画面から漠然とそのようなイメージを抱いたのですが。

……どれくらい書いていたでしょう。ある程度は書いた気もしますが、実際の動きはリハーサルや現場で決めることのほうが多かったですね。

──たとえば予告編でも見られる、澄子が橋の欄干を触る仕草もそうでしょうか。

橋の欄干を触りながら、と脚本に書いていました。河原のシーンの欄干は、脚本に指示はなかったです。

──それらの人物の演出と並行して、空間の演出も巧みになされています。ロケハン及びリハーサルで、ある程度の動きは固めていましたか?

事前に決めていたものもあれば、現場で判断したケースもあります。あらかじめ「ワンカットでいきましょう」と言われていたところはリハーサルで固めましたが、現場で動きを決めたあとに「これならワンカットで撮れる」という流れもありました。

©2018「彼女はひとり」

──その例を教えてください。

序盤の秀明と隼人(櫻井保幸)の河原のシーンは事前に、逆に澄子と秀明の公園のシーンは撮影当日に決めて撮りました。公園には樹やベンチがあるので、それを使おうと。

──公園のシーンは人物と空間の演出が調和しています。芦澤明子さんの移動と固定にズームを組み合わせた撮影も見事ですが、何か特別な機材を使っておられましたか?

レールを敷いていたのかな……、いや、確か台車だったと思います。何かにカメラを載せていました。基本的に移動撮影はレールか台車です。
*芦澤明子が使用したカメラはパナソニック AG-DVX200。

──監督から芦澤さんにオーダーしたショットはあるでしょうか。

澄子が秀明の家を訪ねるシーンで、「階段を上がって玄関に進む彼女と、2階にいる秀明を同じフレームに収めてください」とお願いしました。すると、芦澤さんは向かいの家の屋上まで上ってくれました(笑)。向かいとの距離はさほどないのに、広めの画にしていただけました。

──向かいの家の屋根はフラットですか? そうでなければ相当難しい撮影だと思います。

斜めです。その屋根に梯子をかけて上ってくれました。照明が倒れかけたりと、難しい撮影でしたね。

──芦澤さんは流石ですね。ほかにオーダーしたことがあれば教えてください。

切り返すときに相手の肩を写さず、なるべく正面からで、とお願いしました。

──肩越しを避けた理由はなぜでしょう。

クローネンバーグが好きで、肩ナメを全然撮らないですよね。画づくりによって世界が完全に分かれている。『マップ・トゥ・ザ・スターズ』(2014)で兄弟が対面で話すシーンでも、彼らはつながっていない。そういうイメージが欲しかったんです。

──カメラが正面に入る意図は、つくり手によって異なります。それも人と人の世界が切れているイメージがあったからでしょうか。

そこにもクローネンバーグの影響がありますね。やはり世界が切れているのを画で表したかった。

──保健室で澄子と秀明が話すシーンも、カーテンでふたりが遮断されています。そのために視線が交わりません。

©2018「彼女はひとり」

撮る前からそうしようと決めていました。脚本の初期段階では対面で話す形でしたが、「保健室なんだから切ったほうがいい」と、確か御木茂則さんにアドバイスをいただきました。

──日常生活でも、そのように人が切り離された「切断」のイメージをお持ちですか?

そうですね。人間ひとりひとりは異なり、他人と違う世界を生きている。本作は特に、他人のつながりのなかに入っていけない人間の物語だから、その考えを強調しようとしていました。

──ただ、ラストでは澄子の生に他者が介入してきますよね。

ラストでも、人に対する澄子の反発を描こうとしましたが、これまでにない感情が彼女に芽生える。抗えない程度のつながりを持たれてしまうけど、それはそれでいいと判断しました。

──監督は立教大学院卒業後に、東京藝大大学院映像研究科に進まれます。その修了制作作品『夜のそと』(2019)のラストも、主人公が他者と切れている印象があります。

『夜のそと』は本作と違い、フィクションをしっかり筋立てて書こうとした作品で、主人公・そと子(田中佐季)が夢を見ていた話にしたかったんです。相手との関係を築くとき、勝手に抱いた理想が全く違っていたことがわかる。そのあと相手と残るのか、あるいは自分ひとりで立って生きてゆくのか、そこを描こうとしました。本作よりも「個」の側面が強い映画かもしれません。

──『夜のそと』のラストのロケーションは本作に近い。人が追い詰められてられてたどり着く空間とも言えますが、意図的に共通性を持たせましたか?

本作で澄子が逃げてゆくのに対して、『夜のそと』ではそと子を街──外の世界──が見える場所に連れて行きたかった。そこで世界を見るのか見ないのか、そういう場所としてあのロケーションを選びました。

──人間観をお話しいただいたので、復讐に関してもお聞かせください。「復讐は何ももたらさない」という考え方がありますよね。監督はどう捉えておられるでしょう。

言われる通り、何も生み出さない。でもその過程を映画で見るのは面白いと思っています。子供の頃からハードボイルドな、過去の傷を背負って生きる刑事が復讐する話が好きでした。結末によって受け止め方が変わっても、復讐する姿を見たいのは昔から一緒ですね。脚本を書きやすいモチーフでもある。きっと面白いと思っているから書けるんでしょうね。ジャンルものの脚本を書くときは、必ずどこかに一度、復讐を入れ込んでみます。「ジャンル映画には復讐だろう」と(笑)。

──なるほど(笑)。ここで話題を空間に戻して、階段の踊り場もうまく使っておられますね。

ロケハンのときに、芦澤さんたちが「こんなにおもしろい踊り場があるんだ」とおっしゃったんです。高校生のときに日常的に歩いていた空間だから私は特に意識してなかったけど、「この踊り場は絶対に使おう」と言われて「あ、そうか」と気づきました。たしかに面積も広めの空間だし、外側の人の目にはそう写るんだ、と。

©2018「彼女はひとり」

──河原も何の変哲もない空間ですよね。それが見ごたえのあるシーンになっています。

ほかにも公園などを探したものの、なかなかいいロケーションが見つからなくて、あの河原だけは撮影許可が取れたんです。でも、河が見えることくらいしか映画的な魅力がない。そばに工場もないので、夜の撮影では照明部ががんばってセッティングしてくれました。私は人物を動かすことで見せるしかない。そのプレッシャーは大きかったですね。ただ、河原のシーンはセリフが面白いので、黒沢清監督のように人物をしっかり動かしてみたかったし、歩いてほしい思いもありました。あとは澄子と秀明の距離をつくったり。福永さんもアイデアを出してくれて、草むらにしゃがみ込んで草をいじるのは彼女のアドリブです。おかげで見せ場となるシーンになりました。

──監督がお好きな黒沢監督は「どうでもいい場所」で撮る名人だと思っています。理想的な風景で撮影できない現代の制作事情も反映している筈ですが、監督は映画と場所をどう考えておられますか?

本作は、だだっ広い空間で撮影することが多かったので、とにかく人物の演出に力を注ぎました。公園や河原で近づいたり離れたりするのを魅力的に撮ってもらえた。それ以降はそんなふうに迷うことがなく、逆に本作のような場所で撮ったほうがよかったのかなと思うことがあります。『夜のそと』は狭い空間での切り返しが多い分、人の動きがもたらす面白さが薄まったかもしれません。今後はまた動きの演出に工夫を凝らしたいし、広めの空間で撮りたいとも思っています。それから『夜のそと』は、森の風景を撮り切った実感が正直薄い。森にはリベンジしたいですね。

──『夜のそと』も力強い作品です。神戸の特集で、本作と通して見た人が「スクリーンにエネルギーをごっそり吸い取られる」と言っていたのが忘れられません(笑)。

神戸映画資料館の田中支配人も「ヘヴィな特集になりますね」と言ってくださいました(笑)。

──2作合わせても153分と決して長くはないのですが(笑)。ちなみに本作のサイズは? アメリカン・ビスタではない気がします。

私もよくわからないまま撮っていましたが……、調べると1:1.85でした。

──じゃあアメリカン・ビスタですね。御木さんのフィクション度の高いライティングの影響で錯覚を起こしたのかもしれません。照明に対してリクエストは出しましたか?

©2018「彼女はひとり」

それが何もなくて。芦澤さんに「どういう画がいい?」と訊かれて「エドワード・ヤンで」と答えたら、おふたりの間でどんなやり取りがあったのかはわかりませんが、すごいことになっていた。私は組まれた照明セットをただただ眺めていました(笑)。

──校舎奥のシーンで、画面左に秀明、右に教師・波多野(美知枝)がいるショットは何度見ても2面マルチに思えるほど、光と影のコントラストが強烈です。

あそこは本来、窓のない暗い場所です。そこに階段の格子を生かしたライトを当ててもらいました。あれは感動しましたね。

──あのシーンも見飽きることがないですね。音響面ではノイズのようなサウンドを当てています。あれは澄子にだけ聴こえている音なのか、またはいわゆる劇伴なのか、どちらにも解釈できると思います。

澄子には彼女の声が聴こえているのが、私たちにはノイズとして聴こえる。自分はそう解釈しています。

──そして本作の鍵のひとつが幻影の存在です。その表現方法は映画史のうえでずっと大きな主題ですし、黒沢監督のスタイルも参考になったかと思います。

以前から黒沢監督の幻影表現が好きでした。それから立教時代、篠崎先生に色んな映画を見せてもらうなかで、カサヴェテスの『オープニング・ナイト』(1977)の少女の幻影描写も面白かった。取っ組み合いしたりしますよね。本作の最後にもその影響を受けたシーンがあります。恐ろしい登場もやってみたかったんですが、こういう在り方もいいかなと考えました。明確な理由は自分でもわからないけど、生きていない存在に人間が追い詰められていく状況は──カサヴェテスの映画に限らず──好きですね。

──『オープニング・ナイト』も主人公のマートル(ジーナ・ローランズ)にだけ幻影が見える設定でした。「黒沢清」で思い出しましたが先日、『カウンセラー』(2020/酒井善三)の上映後トークに監督が登壇されました。本作のトークにも酒井監督が登壇しておられましたが、2作とも出発点に黒沢映画の影響があり、それをうまく乗り越えていると感じます。監督はその実感をお持ちでしょうか。

そもそも近づけたという認識が全然ないです。だから乗り越えた気もしない(笑)。でも黒沢監督のようなことをずっとやりたくて、近づきたいとは思っていました。

──東京藝大大学院映像研究科に進学される際に、黒沢監督に出会いますよね。『CURE』(1997)が大好きだというようなことは伝えましたか?

お会いするのも初めてだったし、それはとても言えませんでした。「ファンです」と伝えられるような雰囲気も皆無で(笑)。

──それは残念(笑)。篠崎監督にはじまり、黒沢監督、諏訪敦彦監督と、すぐれた映画作家のもとで学ばれてきました。それぞれの監督から教わったいちばん大きなことは何でしょう。

具体的な映画のつくり方や演出は一切教わらなかったですね。篠崎先生はとにかく多くの映画を見せてくれて、脚本づくりにもずっと付き合ってくださいました。「こういう要素が必要じゃないか?」といったアドバイスもいただけた。編集作業をはじめてからも色々教えてくださり、おかげで自分でも出来るようになりました。
藝大入学後、黒沢監督はちょうど『旅のおわり世界のはじまり』(2019)の制作中で、短編『昼の迷子』(2018)の講評には来られず、修了制作『夜のそと』も講評だけで、具体的な相談はしていません。
諏訪監督は作品を「面白いよ」と言ってくださって、教わったというより、感想と自信をもらった感覚が大きいですね。作品をつくっても自分がちゃんとやれているのか不安だったのが、黒沢監督や諏訪監督に「演出できるよ」と言われて、今も映画を続けられている部分があります。

©2018「彼女はひとり」

──そのおふたりは先日、DOMMUNEの『アネット』(2021/レオス・カラックス)特集に出演されました。少し驚いたのは黒沢監督が諏訪監督の『ライオンは今夜死ぬ』(2017)を「あれは諏訪さんの見た悪夢じゃないか」と言っておられたことです。『ライオン』には廃墟や死のモチーフがあっても、トータルでは悪夢的な作品ではない。でも核心を突いているようにも思える発言でした。本作にも「監督の見た悪夢」の側面はあるでしょうか。

全くありません。

──では、映画はつくり手の夢だという考えもあります。監督の場合はいかがでしょう。

妄想ではあると思います。

──監督が映画で表現したいものを端的に教えていただけますか?

エンターテインメント的な面白さですね。といっても次は全然違う作品をつくるかもしれませんが、色々なジャンルで撮りたい。最近は石井隆さんのようなノワールを撮りたいとも思っています。『夜のそと』を見た人に「『死んでもいい』(1992)に似ている」と言われて見てみると、全く見たことのない作品だったのに「確かに私はこういうのをやりたかったな」と思いましたね。

(取材に立ち会った関西宣伝担当・松村厚さん)石井隆監督をお好きとは。村木と名美の物語はふたりが出逢い堕ちてゆくダークファンタジーで、そのダークな面は『彼女はひとり』にも通じる。今後の作品が楽しみですね。
──派手に雨を降らせる中川奈月映画も見たいですね。続けて、ジャンルについても伺いたいと思います。監督の考えるホラーの定義は?

私たちが生きている社会とは別の場所にいる非現実的存在に取り込まれて、自分ではどうしようも出来ない状態まで追い詰められる。それが私の考えるホラーです。

──当初は本作をホラーと捉えていたのですが、繰り返し見るうちにジャンルを逸脱する作品だと感じるようになりました。最初からそういう作品を目指しておられたのか、無意識にそうなったのか、どちらでしょう。

結果的にそうなった感覚が強いです。最初はジャンル映画を意識していたのが、主人公の内面の生々しさを描き込むうちに、完成した映画の形になっていきました。

──ジャンル映画に大きな影響を受けながら、自作を撮るときにはそこに収まらない。その点は恩師の篠崎監督に似ている気がします。そして本作は編集も監督が手がけていますね。つなぎは脚本通りでしょうか。

多少変えました。あとにあったシーンを前に持ってきたり。

──アクションでつないだショットがある一方、省略を効果的に使っています。

編集作業は初めてだったため、篠崎先生と何度も繰り返しました。省略も、はじめはどれくらい切ればいいのか全然見当をつけられなくて、すごく時間がかかりました。篠崎先生に教わったり、色々試すなかでコツを掴んだ感じですね。一度完成させたものも、外部の方に意見をもらって「まだ切れる」とわかって、ようやく完成まで漕ぎ着けました。最初に編集し終えたものは70分を超えていましたが、最終的には10分ほど短い60分になりました。海外の映画祭に長編として出品するには、これ以上切れない長さです。

中川奈月監督

──昨年秋の公開以来、各地で舞台挨拶がおこなわれました。ご覧になった方から、どのような反応があったでしょう。

あまりホラーとして見られてない感触がありますね。年齢層は幅広く、ハマらない人はハマらない。でも、気に入ってくださる人も年齢・性別問わず多くいました。澄子を見ていて、好きになれないけど最終的には彼女の味方になっている。そういう反応があって、「彼女の立場に立ってしまう」とよく言われます。トークがある場合は、司会の方がジャンルに言及してくれる機会が多かったですね。

──本作は今後も長く見られる作品だと思います。まだ見ていない方、二度目、三度目の方に向けて最後にひとことお願いします。

不安な状態のままやってきたのが、見てくださった方に「面白いからもっと広く見てもらったほうがいい」と言ってもらえたおかげで、初めて作品を世に出すことに自信を持てました。自分の映画を楽しんでもらえるだろう、と。後悔はさせないので、是非見に来ていただきたいです。

(2022年3月)
取材・文/吉野大地

映画『彼女はひとり』公式HP
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