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音遊びの会ドキュメンタリー映画『音の行方』 野田亮監督インタビュー


 

2005 年に結成された、知的障害者とプロの音楽家が一体となった〈音遊びの会〉。神戸を拠点に活動の幅を広げるこの即興音楽プロジェクトの演奏やメンバーに焦点を当てたドキュメンタリー『音の行方』が10月7日(金)より神戸映画資料館で上映される。音楽(あるいは沈黙)が生まれては消える一期一会の瞬間を捉えた本作からは、つくり手と被写体との即興的交感も垣間見える。みずからカメラを回した野田亮監督に創作の背景などを伺った。

 

──音遊びの会との出会いから教えてください。

親族に知的機能や身体に障害を持つ人がいたので、幼い頃から助け合うことが自然に日常にありました。そうして育っていくなかで、義務教育の時期まであった特別支援学級が高校に進むと無くなった。それまで普通にあった存在が消えて見えなくなるのをすごく怖く感じたし、「あの人たちはどこへ行ったんだろう」という思いがありました。その後、縁があって滋賀のやまなみ工房という所へ撮影に行くことになりました。知的機能や精神、身体に障害を持ちながらアーティスト活動をされている方が80名ほどいる所なのですが、そこでは皆がすごく楽しそうに作品を制作していて、つくることに対する熱量もすごかった。その熱量に完全にやられました。やまなみ工房では結果的に『Short Film About DISTORTION』『地蔵とリビドー』というドキュメンタリーの撮影・編集を担当させてもらいました。それを終えた時期に、本作のプロデューサー・京田光広さんに連れられて音遊びの会の公演を見に行ったんです。たしか2020年11月でした。

──神戸アートビレッジセンターでの公演ですね。そのときの印象は?

「これを映画にする必要があるのかな」というのが正直な印象で、映画化を打診してくださった京田さんにも、この同時多発的に起こり、瞬間に消えていく様々な面白さを映像で表現するのは難しいのでは、とお伝えしていました。それでも京田さんは色々提案してくれて、ある番組用に音遊びの会にいとうせいこうさんが参加するライブを撮影させてもらうことになりました。それに向けたワークショップで、本作にも登場する永井崇文くんがドラムを叩き出すと、皆も演奏を始めてビッグバンドのようになり、そこにいとうさんが入るとすごくいい曲が一発目で生まれたんです。いとうさんがそのときに「1曲できたね。もう変に練習しなくてもいいんじゃない?」とおっしゃって、その感覚にとても共感しました。また、それを聞いて「世界観をつくるのではなく、一緒に活動したままを撮ればいいんだ」と気が楽になって、本格的な撮影を始める勇気を頂きました。この映画が出来たのは、音遊びの会のありのままの表現を大事にするいとうさんのワークショップを見たからでしょうね。

──いとうさんが初参加されたライブは2021年3月の京都公演ですが、もっと前から密着していたような被写体との親密さを感じます。

それ以前も、音遊びの会・代表の飯山ゆいさんや副代表・森本アリさんと話すなどしてコミュニケーションは取っていました。やまなみ工房でも3、4年撮っていたので、音遊びの会にも入っていきやすかったのかもしれません。

──カメラは何台でしたか? クレジットではカメラマンは監督おひとりです。予測が難しい状況を撮るには台数を増やさざるを得ないもしれませんが、画面からはそれを感じません。

いちばん多いときでも2台でした。音遊びの会の面白さは色んなところで色んなことが起こる。撮影していると、後ろですごく面白い出来事が起きたりする。ただ、起こることすべてを捉えようとすると「情報」としての映像になってしまう。はじめはどこで何が起きているかわかるように撮っていましたが、それだとあまり面白い映像にならなくて。

──出来事や、空間と人物の位置関係を把握できるマスターショット的な画ですね。

それだと面白くない、音遊びの会の魅力を捉えるにはどうすればいいかと考えながら、興味のあることややりたい音楽をメンバーに訊いたり、色々なコミニケーションを試しながら関係性を深めていきました。それで2021年夏の旧グッゲンハイム邸のワークショップで、ゆりちゃんという女の子のテンションが最高潮の日があって。僕はそのとき、彼女にしか目が向かなくて、音遊びの会ではなく彼女を撮りました。そういう感じで自分がいいと思うものにフォーカスしてみようと思って撮ってみたら、すごくよかった。映画のオープニングのドラムを叩いているゆかちゃんという女の子の姿も、その日に撮れました。そこへ至るまでに半年ほどかかったけど、そのときに撮影の方向性が決まりましたね。音遊びの会を「撮ってあげている」という感覚が自分のなかにわずかに──10%くらいは──あったかもしれません。その気持ちを全部捨てて、僕がいいと思うもの・美しいと思うものにフォーカスすればいいとわかってからは撮りやすかったですね。

──たしかにいま挙げていただいたおふたりのショットは、カメラが人物にフォーカスしているし、カメラワークではピント送りも見られます。しかし、ドキュメンタリー撮影ではカメラが被写体に追いつかないこともあり得ますよね。

たぶんあったと思います。僕が気づいていないだけで。でも、すべてを撮ろうとすればカメラの台数が増えるし、逆に大事なものを見落す可能性があります。たとえフォーカスし続けていて撮れないものがあっても、その周りでは音が鳴っている。それに耳を傾けるのも、この映画の面白さのひとつだと思っています。

──ちなみに撮影に使ったカメラは何でしょう。

REDというカメラです。

──機材には関しては素人ですが、たしか大型のカメラなのでは?

そうですね。色々合わせると重さが4㎏くらいあります。

──4㎏だと、瞬発性を求められる現場だと取り回しが難しいですよね。

そういう現場には適してないかもしれません。普通にCMや劇映画で使うカメラなので。

──それも撮影に影響したと思います。被写体を取捨選択する際に迷わなくなる一種の制約ですね。

そうした制約があるから割り切れた部分はあったかもしれません。たとえばスマホなら軽くて様々な角度から撮れます。でもどこからでも撮れることが、逆に選択肢を狭める場合もあります。その点には自覚的だった気がしますね。あとは自分の目線を外さないこと。GoProやドローンだと、自分の目線以外のポイントから撮れるけど、今回は僕の目線を大事にしました。

──1人称視点で語る作品ですね。録音も監督が担当しておられます。マイクの本数も限られていたのでは?

基本的にはカメラマイクのみです。仕込んだ収録マイクもありますが、それでも多くて3本ほどでした。

──また序盤では、森大生さんがピアノの鍵盤を触る手を捉えます。音をひとつずつ探り当てようとするあの手の動きは、プロのミュージシャンにはないものです。

カメラを回していないときも、メンバーと手をつないだり話したりと色々しました。そのなかで、言葉のコミュニケーションが苦手な子ほど手を握る力や目線をうまく使うんです。僕もそれで相手の反応を感じられるし、「この子を表す動きや表情はどこに表れるんだろう」とつねに気にしながら撮っていました。そういう動きを追って撮ると、やっぱり面白いんですよね。だから健常者と呼ばれる人たちも同じように撮りました。言葉では出てこないものが身体の動きに表れる。それは意識していました。

──今のお話の「言葉」は「情報」に置き換えられるかもしれません。アリさんや飯山さんたちの座談会も撮っておられます。そこで面白いのは、話者の手の動きの画も挟んでいる。

あれはおそらく「共感性」なんでしょうね。4人で話していますが、人は何かしら共通する要素を探しながら言葉を交わす。そこで飯山さんと江崎將史さんというミュージシャンの手の動きがシンクロしたのだと思います。

──そのような被写体が発する非言語的な〈サイン〉を読み取っていくのも本作の楽しみだと思います。

普段の僕らは言葉のコミュニケーションがほとんどで、そういう部分──おもに感情的な何か──を見落としがちです。

──その一方でインタビューパートもあり、本作には「言葉の映画」の側面もあります。

飯山さんともよく話すんですが、音遊びの会は障害を持つメンバーと健常者といわれるメンバーがイコールの関係で一緒にやっているので、後者の言葉も必要になります。映画にするうえで演奏風景だけでもよかったけど、言葉の側面を入れることでメンバーの表現が際立つし、言葉で表すことの難しさも同時に出てきます。その場で起きていることを話すことは出来ても、「音遊びの会ってこうだよね」と説明するのはかなり難しい。そうした説明的な言葉は極力省いて、彼らを語ることがその人の生き方にリンクする部分を選んで使っています。

──メンバーの母親が語るパートもあります。インタビュアーは監督おひとりでしたか?

僕とアリさん、プロデューサーと飯山さんの4人でお話を訊きました。

──定点観測的な質問を向けられたのでしょうか。

そうですね。「生まれたときからのことを教えてください」と。というのも、僕はそれまで親子の背景をまったく知らなかったので、単純に知りたい思いもあって。おひとりに対して1時間半ほどカメラを回しました。

──アリさんへのインタビューでは、障害を持つメンバーの演奏を「斜め上に持って行ってくれる。でも音楽的には自分に近いところにいる」と語られます。

アリさんは謙遜されていると思います。障害を持つメンバー達に近い天才的な音を出す。それは技術に裏打ちされたものでなく、アリさん自身から出ている音なんです。「斜め上」と語っていますが、僕は「いやいや、あなたもですよ」と思っていて。そういう方々が、音遊びの会の屋台骨になっているので、活動自体も面白くなりますよね。

──作品は9章から構成されています。章立ての案ははじめからありましたか?

最初の段階で考えていた気がしますね。「説明」をほとんどしない。そのうえで内容を示す最低限の言葉は必要だと考えて扉絵をつけた。そういうイメージです。登場人物のテロップも出ない、ほとんど情報が無い状態で音遊びの会の表現を見てもらい、「自分には何が出来るんだろう」「彼らのように自分自身を表現できているのだろうか」と刺激を与えられる映画になれば、とも思っていました。

──終盤に長い黒画面を使っています。ほかにもところどころで見られおられますが、意識するほど長くはない。ところが終盤では その前のシーンで鳴っていた音が持続したまま画面が黒くなります。実験的とも言えるあのシークエンスの意図を教えてください。

理由はたくさんあって、ひとつは見る人が映画を目と耳でずっと追ってゆくと、自然に色々と考えて「これはこういうことじゃないか?」と少しずつ思考が形成されます。終わってから考える方も多いと思いますが、僕は見ながら考えるタイプで。そうして見ているうちに、画面に映るものや言葉に影響を受け過ぎていることに気づいてほしい思いがありました。それで音だけにしようと。
飯山さんがインタビューで「この子と一緒にやるにはどうしたらいいか」と悩んだときに、ヴィジュアルや行動じゃなく、純粋に音だけを聴いて考えると語ります。それもヒントになっていて、音だけになるシーンで演奏しているのは、言葉でのコミュニケーションが難しいリサちゃんという女の子です。本編では誰が演奏しているかわからないようになっていますが、映像が無くなったときに誰がどんな表情で演奏しているのだろうかというような、音の感触みたいなものを感じ取ってほしいとも思いました。

──「見えない音」をじっくり聴いて想像する時間ですね。

僕は映像表現をやっているけど、映像を信じていない部分もあります。ヴィジュアルから得られる情報は大きくて、脳を支配します。人はそこで騙されてしまう。錯覚したり見えるものに頼り過ぎるので、そこを一度切ってみるべきだと考えました。

──たしかに現代は視覚情報社会が加速化していて、ネットにアクセスしても画像や動画が溢れている。そういう既存の価値観を疑ってみるのは、本作の隠れたテーマのひとつのように思えます。

映像をつくっているのに、そこから離れたくなるときもあって、実際に一度離れてみることで、また映像に戻ってきやすくなるんです。

──大友良英さんがインタビューでそれに近いことを語っておられますね。

本当にそうで、助けられていますね。「彼らの存在なしでは生きられない」とまでは言いませんが、最もイコールの関係で接することが出来る人たちです。

──先ほど「説明をほとんどしない」とおっしゃいましたが、彼らが音楽をやる理由や意味も説明されませんね。

明快な理由は無いんじゃないでしょうか。はっきりとは分からないですが、ただ楽しいから続いているのでは。

──本作も分かったつもりで「こういう映画だ」と言い切れないところがある。ただ、人の生や即興が持つ不確定性をよく捉えていることは伝わります。

僕が映像作品をつくるにあたって大事にしているのは──うまくいかないこともありますが──さっきお話ししたような「情報じゃないもの」。それが何かと言うと、不確定なものや感情のようなものを撮ることです。

──音遊びの会CD『OTO』(F.M.N SOUND FACTORY)が2021年11月にリリースされました。撮影中に録音はまだ続いていましたか?

もう終わっていました。

──録音終了を撮影のゴールにしていたのかなとも思ったのですが、そうじゃなかったんですね。着地点をどこに定めたのでしょう。

撮り始めた頃はまったく見えていませんでしたが、立ち話で飯山さんに聞いた「私たちは彼らの意志を大事にしている」という言葉から、彼らが自ら演奏を始め、自らの意思において演奏を終える瞬間を最後に、と考えました。

──作品タイトルはどのように決めましたか?

「音」というワードは入れようとアリさんと話しました。つくっていきながら、目の前で鳴っている音は一緒に演奏している人の記憶には残って影響し続けるけど、世間には知られることが少ないし、発表されることもほとんどない。「それならこの音はどこに向かうのか」と考えたときに「音はどこへ行く」ということなのかなと。それをもうちょっと抽象的にしました。

──タイトルに「音」が入っているので音楽好きに向けた映画と思われるかもしれません。しかしお話を伺ってきた通り、生きることに結び付く様々なヒントを散りばめた作品です。

「自分には一体何が出来るだろう」とか「何故生きるのか」みたいなことを感じている人には、特に刺さる映画になったと思っています。

(2022年9月28日)
取材・文/吉野大地

⾳遊びの会ドキュメンタリー映画『音の行方』公式サイト
音遊びの会HP
野田亮HP

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