神戸映画資料館

WEB SPECIAL ウェブスペシャル

小林豊規監督作『静かに燃えて』 監督補・夢乃玉堂ロングインタビュー(後編)

(インタビュー前編)
 

 

トリッキーな構成と、古典的技法が観る者の眼をスクリーンに引き付ける『静かに燃えて』。ミステリーの趣も持つ本作の大きな謎のひとつに、50代後半に差し掛かり長編デビュー作の制作に着手した小林豊規監督の想いも挙げられるだろう。夢乃玉堂さんへのインタビュー後編では、監督補の切り口でその謎や監督の丹念な映画づくりを紐解き、制作から公開へ至るまでに長い時間をかけた本作のこれからもお話しいただいた。

 


ヒロイン・容子(とみやまあゆみ)と由佳里(笛木陽子)が暮らす部屋の壁に絵を飾っています。劇場パンフレットによると、その壁は元々なかったそうですね。

あの部屋は4戸が連なるテラスハウスのいちばん端で、本来は壁に大きな出窓があります。最初から壁にたくさん絵を飾る想定で、小林監督が思い付いた映画的な仕掛けのためにも、窓を隠す壁をつくりました。

──容子は絵画教室の講師という設定です。これは絵から生まれたアイデアでしょうか。

講師の設定は、準備稿の段階でありました。そこから考えたのかもしれません。絵画教室自体に関して特別なアイデアはなく、おそらく絵が鍵になるのなら、容子の職業はこれだろうという感じでしょうね。ただ、人気の画家やイラストレーターじゃないところが味噌です。一般の人の身近にいて、本人も一般人。そこを大事にしています。
劇中、個展にまつわる描写があります。あのくだりからは、由佳里に近づく女性に対する容子の嫉妬心が窺える。それから、美大を出て画家を目指して、そうなれなかった自分に対する負い目を感じている可能性も考えられます。その負い目を突っ込まれているような。

──容子のキャラクターにはうっすらと屈折めいたものが感じ取れます。

それがあそこでより際立って見えますね。理想の自分になれなかった人間の心情も物語に落とし込んでいる。自分から見ても、美大出身者には意外とそういう人が多いんです。映像を学んで映画監督になった人はごくわずかだし、絵画や彫刻の分野だと、名前が売れた作家になるのはさらに難しい。卒業後の現実的な進路選択を迫られる機会が必ず訪れます。
僕が学生の頃、同期のデザイン科の人たちも含めて聞いたときにも、希望の就職先は学校の教師が最も多く、次が学芸員や司書。ほかにはデザイン事務所に進むなどしていました。映画監督や美術作家になりたくて進学したのに、入学して初めて気づく「思っていたのと違う」(笑)。
卒業後にコマーシャルの世界へ進んだ小林監督も、映画を撮りたい気持ちがずっとどこかにあった。その想いもシナリオに込めたかもしれません。個展にまつわるくだりは短いシーンだけど、容子はほかにやりたかったことがあったのかもしれないと読めますよね。僕の深読みに過ぎませんが、過去の恋愛の失敗のためにそれを諦めた。そんなサイドストーリーも想像できます。

──短いだけに、むしろ物語に欠かせないシーンだと感じました。そうした細部にも想像の幅を持たせています。

観る人の想像が広がるのは、それだけ普遍的なものを描いているとも言えます。LGBTの恋愛に留まらない、あなたたちの話でもありますよと小林監督は伝えたかったのではないでしょうか。
昨年の下北沢トリウッド公開時に、彼とLGBTの恋愛について話す機会がありました。お互いの感情の扱い方や伝え方、人間としての感じ方、どんな言葉に傷ついてどんな言葉に慰められるのか、それはどんなセクシュアリティでもまったく変わらない。逆にLGBTだからこうだとか考えるのはおかしい、人間の恋愛感情はみな同じだというふうに彼は捉えていました。
もちろん違う側面もありますし、現実にはLGBTゆえの困難や障壁もあります。小林監督はそれをことさら強調しない形で、この映画をつくったのだと思います。

──普遍的であることの見せ方も巧いですね。

見せ方でいいなと感じたのは、後半に登場する第三者に語らせるところ。あの空間に一緒にいるほかの人物が語ると、物語が広がらずに閉じてしまう。第三者が語ることによって、それまでの出来事が普遍的であることを示せる収め方だと思います。

 


──夢乃さんが執筆されたプロダクションノートに、制作時期の小林監督の運気が悪かったという逸話があります。

当時、僕は占いを勉強していました。彼を占うと、ちょうど制作時期にあたる2018・19年が天中殺。しかも10月・11月は毎年来る月の天中殺です。だから年の運と、月の運の最も悪いときに撮影が重なっていました。
これがインタビュー前編の冒頭、血液型の話でお伝えした「伏線」で……、あてにならない占い──血液型や生年月日──も映画撮影に影響を及ぼすことがあると感じざるを得ない現場でした。

──前編でも現場のアクシデントのお話を少し伺いましたが、クランクインが10月なので……

実際、それはもう多くのトラブルが起こりました(笑)。いざ撮影に入っても、カメラマンは失恋で表情が曇っている。建物も、ところどころ老朽化しているのはわかっていても、それでもここぞとばかりにエアコンやトイレの水栓が壊れる。用意していた小道具が行方不明になることもありました。そんなことが重なったうえに、眩暈と体調不良で役者が続けざまに倒れ、病院で点滴を受けるなど、とにかく色々なトラブルの連続でしたね。
監督が覚悟をもって取り組んでいたから乗り切れましたが、さすがに「ここまで重なるとは思っていなかった」と言っていました。おまけに最後は、編集を終えてこれからMAというタイミングでコロナ禍です。もう笑うしかないとふたりで話しました。

──しかし苦労が実って、いい画が撮れています。雨のシーンの撮影は実際に降っていた日でしたか?

本当の雨です。あの日しか撮れないスケジュールなのに雨が降って、どうしようかと相談しました。でも雰囲気があるから撮ってしまおうと。ちょうどいい感じの雨でした。容子がさしている傘は記憶が定かでなく、近所の会社に借りたか、それともとみやまさんの私物だったかな……、いずれにせよ服に合った色合いです。
あのシーンはカラッと晴れていると印象が大きく違っていたでしょうね。容子の心情に沁み込んでくるような雨で、切なさつらさ冷たさを感じさせてくれます。

──涙雨にも見えますね。

ほかに天気に気を遣ったのが、由佳里が洗濯ものを干すシーン。隣人の弟・悠輝(蒔苗勇亮)がストーカー的に外から見上げるシーンと繋いでいますが、撮影はそれぞれ別の日におこなっています。あそこは絶対に天気合わせをしましょうと決めていました。晴れ具合が同じじゃないといけないから、その時間帯を狙いました。

──ほかに撮影の面では、準備されたエキストラ以外は通行人が写り込んでいない印象を受けます。人止めをされたでしょうか。

大がかりな通行止めはしていません。商店街のシーンで、容子と由佳里とは反対側の歩道を通ってもらったくらいです。それから、橋のカットの通行人はほとんどスタッフでした。

──エンドロールのあとのラストカットですね。撮影時間は朝、あるいは夕暮れのマジックアワーでしたか?

橋の撮影は夕方から入って、あのラストカットはまだ少し陽が残っているうちに最初に撮りました。そして、花火を見上げるシーンを確か最後に撮りました。橋のラストカットは、シナリオ上では特に時制の説明がなかったけど、監督は50歳になった容子があの場所で過去を思い出すというイメージを持っていました。髪を白くすることまではしませんでしたが、画面ではシルエットのようになっていて年齢がわからない。打ち合わせの段階で、「シナリオには書いてないけど、この容子は50歳なんだよ」と話していました。50歳になった彼女の心情など細かい設定は決めず、そこは観客に委ねるけれど、そういうイメージの容子にしたいと言っていましたね。
だけど観る人が、あの容子をどの時制に想定するかで、その後の彼女のストーリーが変わってきます。由佳里と最後にやり取りを交わした直後と、20年後──50歳になった容子──とでは心情が大きく異なる。そこは観客の想像力に委ねる姿勢でした。
小林監督の映画はあまり説明をしません。それが、催眠術ワークショップのシーンでは丁寧に催眠術の段取りまで見せて、最後は観客に委ねる。そのギャップも面白いですね(笑)。

──あのワークショップのシーンは、最初に観たとき少し戸惑うくらいでした。このベタさは何だろうと(笑)。

彼は本当にすごくベタなことが好きなんです。シナリオ上では「えっ!?」と思うくらいに(笑)。でも出来上がると、それがなんだか微笑ましく見える。小林監督は映画の手段としては割と単純なものを選びます。それを選ぶことで得られる普遍性を狙っていたのかもしれないですね。考えてみれば、日常のなかですごい出来事ってそうそう簡単には起こらない。それでも、そのなかに心を揺さぶるものがあることを、しっかり踏まえていた気がします。日常の積み重ねのなかに大仕掛けがあるのも、この映画が持つギャップというか魅力で、そこにやられますね。

──自分もそうでしたが、たぶん観る方の多くが最初はトリックに目を奪われると思います。しかし、それ以外の要素も丹念に89分の作品に織り込んでいるため、取材する度に違う切り口が見えてきます。

観る度に印象が変わると言ってくれる方が結構います。実はこんな仕掛けがあったのかと発見があったり、想いを伝えきれない恋の物語だと思って次に観ると、思い切りプレッシャーをかけてくる女性の話に見えたりする。それでまた観ると、今度は全く違う魅力が現れてきます。筒井武文監督が、「2度、3度観るべき映画だ」と言ってくださいました。小林監督はそういう映画に仕上げたと思います。僕も何度も観ていて、その度に後半で現れる第三者が、「一体どこでそのことに気づいたんだろう」と不思議に思います(笑)。

──あの人物の洞察力は尋常ではありません(笑)。

すごく勘がいい。あそこまでいくと、ちょっとしたスピリチュアル映画じゃないかとさえ思います(笑)。あの第三者の印象的なシーンは、現場で発想したかもしれないんですよ。撮影時に「編集でこういう処理をしよう」と思い付いた可能性があります。シナリオには、あの人物が周りを見て、壁に飾った絵に視線を向けるとしか書いていません。ちょっと神秘的ともいえる演出は、現場でワンショットを撮っておかないと出来ない。そのときにイメージした可能性が考えられます。
でもシナリオも小林監督が書いているから、今となっては確かめようがなくて。最初から狙っていた可能性もあり得ます。映画監督は、「ここは肝だからスタッフにも黙っていよう」とか考えるじゃないですか? 書いていて、「絶対面白いアイデアだけど、シナリオ上は内緒にしておこう」とか。それで、さも撮影中に思い付いたかのように、「ここでちょっとだけ押さえておこうか」と軽く撮ったカットが実はすごい肝になる。そういう「映画監督あるある」が、現場のあの瞬間に起きたのではないかとも思えます。
きっちり計算して構築していながらも、小林監督は現場で起きることを臨機応変に取り入れていました。つねにフレキシブルに何か探しては、考えながら進めてゆく。そんな現場でした。

 


──小林監督が、50代後半になって初の長編作を撮ろうと思い立った理由がこの映画の最大の謎でもあります。夢乃さんが知っておられる範囲で教えていただけますか?

大学卒業後、2005年頃から彼と仕事を共にするようになりました。仕事場でよく映画の話をしましたが、やはりお互いに仕事で映像制作に関わっていると、ストレスが溜まります。映画、とまではいかずとも映画的な仕掛けを施したくても、仕事だとなかなか出来ない。そんな状態でも、小林監督の内には映画を撮りたい想いがずっとありました。とはいえ、売れっ子CMディレクターの彼は仕事がのべつ幕無し。一方の僕はテレビの仕事で、自分のための時間をあまり取れないままでいました。それで50代の後半になり、2017年頃にぽっかりと時間の空くタイミングが訪れたんです。仕事の蓄えを制作資金に充てることも出来る。そこで、ちょっとやってみたいと彼が言い出しました。それからコスト面も含めて話を進めていくなか、テラスハウスに出会ったことで映画的マジックのアイデアが一気に閃いた。そのときに、作家としてつくらずにはいられないと気持ちが盛り上がったのでしょうね。ここで撮れるとなれば、コスト面の問題も半分くらいは解決されます。
あとは、このアイデアを早く映画にしておかないと誰かに先を越されると思ったのかもしれない。絶対に自分でやりたいと心にストンと落ちて、頑張ろうという気持ちになったんじゃないでしょうか。CMなどの仕事も変わらず入っていましたが、撮影期間の2ヶ月は映画のためにすべて断っていました。その後、休んだ分の穴埋めで仕事をたくさん入れて、編集が遅れる原因のひとつにもなりましたが(笑)。

──もし、そのタイミングでテラスハウスに出会っていなかったとすると……

あの出会いがなければ、その後もシナリオだけ書き続けていたかもしれません。別の企画を映画にした可能性もあります。でも、こうして思い返すと、やっぱり50代後半でデビュー作に取り掛かった最大の理由は、自分がやりたい映画的マジックを実現できる場所に出会ったことだと思います。そこで一歩踏み出せた。それまでお互いにアイデアを出し合っていても、シナリオが膨らむ流れがなかった。ところが『静かに燃えて』は2週間弱で準備稿を上げてきて、僕が「本気になったんだ」と思ったくらいだったので。
夢を現実にするスイッチがいきなり入った様子でした。それまでずっとコツコツと撒いていた火薬──映画を撮りたい想い──に火が着いて燃え上がった瞬間。そんなイメージですね。誤算だったのは、想像以上にトラブルが発生したことでした(笑)。

──カメラマンも途中で入れ替わっていますね。

スケジュールが変更になり、通しでお願い出来なくなったためですが、結果的に、容子・由佳里パートと、姉弟パートを別のカメラマンで撮ることになり、トーンの違いがいい具合にシーンのメリハリに繋がったと思います。

 


──撮影と編集についても伺えればと思います。劇場パンフレットに、喫茶店のシーンのコンテを掲載しています。ほかのシーンもコンテを準備されていたのでしょうか。

事前に準備していたものもあれば、撮影前日に描いたものもありましたが、ほぼすべてのシーンでつくっていました。シナリオに縦線を入れてカット割りをつくるものだけじゃなく、毎回コンテを描いていましたね。これはその一部です。

──(コンテを見せていただいて)すごい量のコンテを描かれていますね。フレーミングや人物のサイズもほぼ完成した作品どおりです。

元々CMディレクターだから、タイミングやここにアップがひとつ入って動きが繋がるというような抜き撮りの注意点まできっちりコンテで描いていました。撮影が押してくると全部撮れないことはよくありますが、改めて見ると、やはりコンテどおり狙って撮っていますね。そりゃあ現場が押す訳です(笑)。

──池袋シネマ・ロサの上映後トークで、とみやまさんが「予告編冒頭に使っているシーンは何度もテイクも重ねた」と話しておられます。相当なテイク数を重ねる撮影スタイルでしたか?

ハリウッドスタイルではないですが、ワンシーンをすでにコンテで割ってある。それで、たとえばカメラサイズがバストショットや切り返しで4種類だと、ほとんどの所を通しで4回撮るんです。もちろん、アップの抜き撮りなどもするのですが、テラスハウス内などは、アングルごとになるべく通しで撮っていました。
役者にとっては同じ演技を繰り返すことになるけど、たとえばアップで撮っているときは、アップのスピード感っていうのかな、「さっきよりは遅めで」とか、その都度変えている感がありました。「そんなに変えて、前のポジションの画は没なのかな」と思ったこともありました(笑)。
そうしてテイクを重ねて、しかもカットごとに切らずに撮ることで窮屈な感じがなくなります。たとえば振り返るアクションをはじめにアップで撮って、次に引きの画で受けると「前はどうだったかな」と考えながら動くから、演技が少し硬くなる。それを寄り引きで何度も繰り返すうちに、トータルな演技になって、ちょっとした繋ぎの違和感がなくなります。編集時によく見て、「ここの繋ぎは少し手の形が違うな」と思っても、演技が通しで出来ているからスムーズに繋がって見えます。

──繋ぎは見ていて気持ちいいですね。クランクアップはいつでしたか?

2018年の12月13日でした。役者同士が絡むシーンの撮影日数は容子と由佳里が5日、姉と弟が3日ほどです。最後の約2週間のあいだは、歩くシーンや電車内のシーンなど単独の人物撮りでした。あとは、インサート用の画などを撮り足しました。

──2ヶ月と撮影日数を長く取っています。それが緻密な演出に影響した部分もあるのではないでしょうか。

役者の動きの細かいタイミングなどを、自分が納得するまで演出し続けていました。これだけ時間があれば、自分が理想とするつくり方を出来るのではないか、撮影前からそう考えていた気もしますね。

──シネマ・ロサの上映後トークで、編集にも長い時間を費やされたと知りました。複数のテイクからよいものを選び出すほかに、どのような作業をおこなったのでしょう。

単純な繋ぎが終わってからもこだわって、撮影時のちょっとしたミスを消す作業をしていました。建物の外観の汚れを全部消すなど、ラボに入ってアフターエフェクト処理する作業も含めると、編集と仕上げに約2年半かけています。これには、コロナ禍で時間をたっぷり取れた側面もあります。
物語の世界を構築するためにノイズ的な要素を片っ端から消して、イメージからはみ出すカットには全部修正を入れました。照明の余分な影や壁の質感、色のトーンや微妙な寸法の違いなどを細かく直す。コロナ禍のあいだ、監督がほぼひとりでずっと取り組んでいました。
最初にパソコンで粗編集を見せてもらうと、小さいモニターのサイズも影響して「これは少し微妙かな」と、やや不安が残りました。構成上、違和感を覚えるものも映り込んでいた。その後、初号試写のときに比較的大きな画面で観たら、問題点がすべて綺麗に直されていた。物語の世界を巧く統一しているんです。力業に近い腕で映像を自分の世界にまとめ上げた、ここまでやれる人なんだと感心しました。「ラボに入ってコストが膨らんだ」とこぼしていたけど(笑)。それでも仕上がりを見て、時間と手間をかけてよかったと思えました。

──長い編集の過程で、次に繋がるアイデアを発見されていたのではないかとも想像します。

やっぱり、この次に撮る映画が楽しみでしたね。下北沢公開時には、「メイキング付DVD制作準備中」「次回作準備中」と書いたチラシをパンフレットに挟み込みました。当初、販売する予定だったパンフレットを無料で配布することにしたんです。

──次回作のタイトルは決まっていたのでしょうか。

『Nights & Days』です。シナリオはある程度出来上がっていたらしく、僕は読んでいませんが、内容を聞くと彼のやりたいことが詰まっているようでした。次回作を告知したのは、下北沢の上映が終われば、公開までの時間が長かった分、そこで満足してしまう可能性があった。だから、「次に進むことを宣言した方がよい」と伝えました。パンフレットを無料で配ることも含めて、とにかく前向きな姿勢を見せようと。公開を終え安心して、そこで完結するのは避けたかったんです。何かしら次を目指して前向きに行こうと話しました。だから多少無理やりでも、次回作の告知チラシをつくって配ることにしたんです。

──パンフレットの無料配布にはそういう理由があったんですね。次回作、それにメイキングを観たかったです。テイクを重ねた分、素材は充分にあったかと思います。

小林監督が自分で編集を始めていて、「素材が多くて大変だ」と話していました。でも、それがどこまで進んでいるのか把握できてないんです。それに、メイキングの大きな目玉になるはずの監督インタビューを撮れていません。意図や狙いを語る本人がいない。僕はあくまで傍で見ていた立場だから、演出の真意まではわかりません。あるカットが、たまたま撮れてしまった可能性もゼロではない。
ただ、普段の仕事のなかでも「これはどういうつもりだろう」と思って訊くと、彼はずっと「狙いだから」と言っていました。すごく変わった演出に見えても、「狙いだから」と。だから、大体のことは事前にちゃんと考えていたと思います。現場で思い付くアイデアもあっただろうけど、それも前からイメージしていた「狙い」に即して生まれたものだと思います。意図が見えないカット、とりあえず押さえで撮ったようなカットはあまりなかったですね。
『静かに燃えて』の自由な演出も、「狙い」であった筈です。演出を手放したわけではなく、役者に自由にやってもらうのがこの映画にとってベストだ。そう捉えていたのではないかと思います。

──クランクインから公開まで丸5年。その映画が、ようやく神戸でも上映されます。

編集中、コロナ禍の頃から公開先を探していました。しかし、なかなか見つからない。2018年に撮影したので、新作っぽくないというイメージを持たれたのかもしれません。劇場は新鮮な映画をかけたいでしょうから。それでも下北沢トリウッドから池袋シネマ・ロサ、そして次は神戸映画資料館と広がってよかったです。それぞれに橋渡しをしていただいた犬童一心監督、筒井武文監督に感謝しています。このあとも『静かに燃えて』を全国に広げて、「映画監督 小林豊規」の名を残していきたいと思っています。よろしくお願いします。

(インタビュー前編)

(2024年5月7日)
取材・文/吉野大地

映画『静かに燃えて』公式サイト
X
Instagram
TikTok
YouTube公式チャンネル

関連インタビュー
『静かに燃えて』 筒井武文インタビュー
『静かに燃えて』 犬童一心ロングインタビュー(前編)
『静かに燃えて』 犬童一心ロングインタビュー(後編)

ARCHIVE旧サイトアーカイブ

PageTop